今日、6月3日はカフカの没後100年の命日。早速、先日届いた分厚い本『カフカの日記』の年譜のページをあけてみた。
「四月末、ウィーン近郊キーアリングのサナトリウムへ。六月三日、死去。」とある。地図帳でキーアリングを探すが、見当たらない。ついでに、カフカの生地のチェコのプラハから周辺諸国にまで想いを馳せる。
現代詩手帖で「パレスチナの現代詩人たち」の抵抗の声を読んで、もう一度、1942年12月16日に18歳4ヶ月で東欧のミハイロウスカ強制労働収容所で亡くなったユダヤ人の少女ゼルマの叫び声を聴く。
わたしは生きたい。
わたしは笑い、重荷をふりはらいたい、
そして、闘い、愛し、憎みたい、
そして、両手で空をつかみたい、
そして、自由になって、呼吸し、叫びたい。
わたしは死にたくない。いや!
いやだ。
生は赤い。
生はわたしのもの。
わたしのもの、そしてあなたのもの。
わたしのもの。
なぜ、大砲はうなるの?
なぜ きらめく王冠のために
生命(いのち)は死ぬの? 『ゼルマの詩集』より 秋山宏訳
ユダヤ人ゼルマの魂の叫び、パレスチナの詩人たちの抵抗の声………わたしたちともにみな地球人。どこに向かっているのだろうか?