朝日の「緊急連載『ノーベル平和賞被団協に』」の記事を読んで思い出した。
シュタイナー学校時代のチカシの親友、クリスチャン・レームのことを懐かしく思い出した。今から30年以上前のことだ。ある年の夏休み、休暇を日本でということで、チカシと一緒に国分寺の我が家にやってきてたクリスチャンは、開口一番「Hisako,ich fahre morgen früh nach Hiroshima」(ヒサコ、ボクハ アス ソウチョウ 広島ニイキマス」と言ったのには驚いた。日本は初めて、日本語はダメ………どうやっていけるの………わたしはレーム夫人から直接「息子を頼みます」とお願いされているし、チカシはやっと実家に帰ったと………すやすやダウン………わたしはついていけないし………心配だらけだ………結局、断固とした意思を貫くクリスチャンに折れて………翌朝早く起きて、お弁当を持たせて送り出し……………暗くなって、満足した彼の顔を見て………やっとホッと一息………緑茶を入れて、道中の話を聞くと………「まず、広島の平和記念公園にいけたので、これからゆっくり日本を観光できる。嬉しいな。何も困ったことはなかったよ。おばさんのお弁当美味しかった。ありがとうございます」ですって!
クリスチャンのお母さんレーム夫人は、自分の家を不良少年少女の更生施設にして、自分の三人息子も施設の子たちと差別なく育て、共同生活し「わたしはここにいる子みんなのお母さん、寮母さんよ」という。いっぱいイヤリング・ネックレスを身につけ、バッチリと化粧し、とても寮母さんとは思えないほど派手で自由な女性………いやぁ〜、心の広さ、温かさ、思いやり………わたしはすっかり彼女に魅了され………子育てとは、生きるとはこうあるべきだ!と嬉しいものをいただいた。
朝日の記事の続き。最後は「被爆者団体と、唯一の戦争被爆国の政府。日本の被団協の歴史は、日本政府との闘い、すれ違いの歴史でもある。」と結ばれている。
30年前のクリスチャン少年の真摯な行動、レーム夫人の心の広さ、を思いだし、励まされる。しっかりしなくては、ヒサコサン!
