コロナの時代からの労働とダンス 2
すべて事の発端は、2020年3月26日から始まったKAAT、神奈川芸術劇場の大ホールで催された、笠井叡『DUO の會』である。この公演は笠井叡が大野一雄氏と1963年の春に出会い、以来、大野一雄氏が他界されるまでの間に行われた三つのDEO作品、57年前の1963年に朝日講堂で催された『犠儀』、1972年青年座で行われた『丘の麓』、2002年に行われた『病める舞姫』、そしてこの三作品に、新作「笠井叡の大野一雄』を加えて、全部で4部構成の作品として、上演された。珍しい企画なので、公演前から、評判も高く、歴史的な作品になるのでは、と期待された作品である。
そして、3月半ば頃から、急激に世界の状況が一変した。コロナウイルス感染症の世界的な大流行である。次ぎ次に、大きな企画や劇場公演、様々な集会等が中止となり、この公演もそのような雰囲気の中で、何とか上演まではこぎつけることができた。プレビューは3月25日、評論家、新聞社関係等には、密接空間を避けて上演され、3月26日、日27日の2日間は客席をかなりゆったりと間を取って、少人数の観客で上演された。しかし28日29日の週末の公演は、奈川県の方からの公演中止要請を、関係者全員との話し合いで受け入れ、中止を決定した。
この公演は笠井叡個人にとってみると、三つの点でこれまでの公演とは大きく異なっている。第1は、そもそも笠井叡は1963年に大野一雄氏と出会ったことが、舞踊家として生きる決定的な出来事であり、今回は、大野一雄氏とのそういう出会いの大団円としての公演という意味がある。おそらく大野一雄氏との出会いなくして、笠井叡の現在はないと言っても過言ではない。
そして、第2は、公演中止という出来事である。コロナ感染拡大という歴史的な出来事の中で、ダンス公演を行うということの意味を徹底的に考えさせられた、ということである。
そして第3は上演中止によって生じる経済的な負担を解消するために、「クラウドファウンディング」と方法とったことである。この三つのことはそれぞれ異なった局面における出来事であり、バラバラに生じたことではあるけれども、この三つは、一つの出来事の三つの側面でもありうる。それは、「舞踊」ということと「」舞踊という職業」とそしてそれに伴う「経済的な事柄」の三つである。コロナ感染拡大という外的な出来事によって、今回この三つの出来事の本質な意味の前に立たされたのである。
これは笠井叡の個人的なことではなく、社会全体として、それまで行われてきた事業やレストラン営業やパチンコ店や映画館や大きな公演、音楽会、演劇やありとあらゆるものが一挙にその影響を受けて、必然的に自粛に追い込まれ、それまでの事業方法が根底から成り立たなくなった。集団作業が一旦中断されて、ホームワークのような個人的な作業に戻された。舞踊で言えば、それまでカンパニーやあるグループで行われていた事柄が、一挙に寸断されて、その繋がりを作るものはカラダによる直接的なもおのではなくて、次第次第にオンライン化の方向に行かざるを得なくなり、改めて職業とは一体何であるかを、考えさせれる時期に来ている。そして一つの職業は自分とって何かということは、直接的には「生きることが何である」かという問題に、改めて直面させられるのである。
これは異常に思われるかもしれないが、舞踊の練習を始めて以来、60年弱。社会的には舞踊家という名において活動し、それによって何らかの収入を得、税金を払って生きてきた。しかしこれは、社会的的経過においてはそうであるが、自分が舞踊家であるか、という職業的な意味で言えば、舞踊家があるという意識は今もって定かではない。というよりも、舞踊家であるということと自分が生きるということは決して切り離すことはできない、という意味において、ただひたすらこの60年間「生きてきた」としか、言えないのである。生きる事の結果が舞踊家だったともいえる。生きている、という事はただこの世に生きているということでもなく、何をもって生きていると、いいえるのか。
このような疑問が生じるのは、舞踊家という存在自体に由来するのだろうか。つまり、舞踊という行為は、目に見える生産とか生産物が存在するのではなくて、常に自分のカラダに戻されるのである。舞台で踊ったり、人前で踊ったりしても、結局やってる行為はすべて自分のカラダに戻され、何も残らない。一体何が生じたのか。舞踊において、カラダに戻されるというのは、その瞬間にカラダが変わる、ということも意味している。すなわち以前のカラダではなくなって、別のカラダなのである。それは技術を身につけたということ以上に、「喜び」という言葉でしか、言い表せないのかもしれない。スポーツ選手がある困難な目標に挑戦して、それをクリアしたときの感情と変わらないかもしれない。スポーツにおいても、具体的な生産物が外に存在するわけではない。結局、昨日よりも今日、今日よりも明日と前進することしかないのかもしれない。
音楽家とって、或いは声楽家にとって、演奏した歌とか音楽は、その場で消え去っていく。でもやはり音楽を行うという行為の結果は、その音楽家の存在自体に戻ってくる。そして演奏する以前の存在と、終わったときの存在はやはり、変化してるのであろう。人間のカラダは機械ではない。地球と共に、宇宙とともに、すべてのものが変化している。その目標は普遍的に定めることできない。個々の人間によって違うだろう。職業をもつということ、或いは仕事をするということ、あるいは労働するということは、その結果生じたものが、社会に還元されようと、されまいと、個々のカラダにフィードバックしてくるものが労働、仕事、ワークであり、それによって一人一人の人間が真に生かされている。家具職人が家具を作り、建築職人が家を作り、漁師が魚を取り、作家が作品を描く。この生み出す過程は誠に精神的な経過である。生産物として形があるわけではなく、現在進行形で生み出し続けているのである。その結果、作品、生産物は外に広がり、社会的に受容され消費される。しかし作品や生産物が流通として社会に消費されていく過程は、もはや労働やワークプロセスや仕事の過程とは、全く異なった次元のことになる。そこから初めて労働から経済過程に移行するのである。
経済過程は、生産物が流通機構にゆだねられたところから始まる。そして需要と供給に従って、それにふさわしい利潤を生み出す。制作者やワーカーや仕事する人間は自分の仕事にふさわしい報酬を得る。しかし、それらの利潤が製作者や労働者や作家やワーカーに賃金として振り当てられるのではない。報酬と賃金は経済生活の中で、はっきりと区別されなければならない。それらの利潤は、ふさわしい資本形態の中に組み込まれたり、更に新しい分野の企業にゆだねられ、新しい領域の経済機構や流通機構のために使用されるべきである。或いは精神生活を支える教育や科学研究や舞台芸術のために振り分けられる。経済生活の目標は目的は、利潤の追求や社会的富の蓄積ではなく、常に新しい流通機構を作って、利潤が他の資本を通して、さらに豊かな経済生活のために使用される。そもそも政治は国民の権利と義務にこたえるのがその主要目的であり、この権利の力は経済過程の中に影響を与えてはならない。なぜなら経済過程は権限義務の問題ではなく、栄養が十分に社会有機体の隅々にまで行き渡るための経済的流通機構作ることなのである。そして国家はそのための法的力を、其処に流さなければならない。国家の法的力は利潤を高めるための法的基礎を作るのではなくて、どこまでも社会の栄養のための流通機構のを支えるのである。
利潤は、経済機構の中の中に組み込まれたり、或いは他の精神活動や行政活動のために振り分けられ、やがてそれは、労働者や芸術家が仕事をしていく上で、最上の条件で仕事を支えるだけの十分な生活費が国家によって、無償で国民全体に還元されなければならない。生きることそのものに、最大の喜びを得るのは、人間の権利である。生きることに喜びを見いだせないとするならば、国家はそのためにあらゆる手段を用いて、その個人を、生命的にも健康においても、或いは教育的な手段においても、必要な保障をしなければならない。そしてワーカーの、製作者の、芸術家の全生命と健康と生きる条件を十分に整え、それによって労働が真の精神生活たり得るように、最大のサポートすべきなのである。この過程の中に、労働に対する賃金契約は入り込んではならない。労働者、仕事をする人間は賃金契約によって行うのではなく、自分が自分にあった仕事を選択し、そして最高の成果を上げられるよう、ある特定の経済機構や行政機構を通して、何の仕事を責任をもって行うかの「分担契約」を行うべきである。そこには一切の賃金的制約が入らない。純粋に何の仕事をするかだけの契約なのである。そして、生きていく上で、仕事をしていく上でのすべての生活臭を、国家は最大の努力を持って補償する。すべての労働者、ワーカー、制作者は、舞踊家に作品、生産物が全く存在しないのとある意味で同じ状況に立たされている。経済機構はその需要と供給の中で、社会有機体の栄養バランスを有機的に創造する。