梅雨

もともと稽古場「天使館」は、洞爺丸海難事故で亡くなった叡の父親・寅雄さんが生前に家族のために購入した土地の上に建っている。稽古場が建つ前は、今の中庭の倍の広さの庭だった。その庭の真ん中に1メートル位の丸い池があり、春になるとその池の周りに桃色や白い芝桜が咲いた。庭の真南のお隣さんとの境に、初々しいメタセコイアが円錐形の美しい姿でスゥーと天に向かって立っていた。毎年水ぬるむ頃になると、池の水のなかに、小さなオタマジャクシがいっぱいおしりフリフリ忙しそうに泳いでいた。

1970年の早春のある日「踊りの稽古場を造ろう」という私の一言をきっかけに、翌日から自前の稽古場造りがはじまった。叡の頭にも私の頭にも、オタマジャクシのことは全くなかった。植木を移し……池を潰し………整地して………どんどん作業は進んだ。ブロックを積み上げて屋根を作る頃には、踊りの稽古場造りの噂を耳にした若者たちが現場を覗きにきて、自然に仲間が増えていった。その頃の私は、70年の節分に生まれた長男チカシをおんぶして専ら飯場のおばさんに徹していた。

1971年春、めでたく純白の美しい稽古場「天使館」が創立されて、みんなで祝祭の舞踏会をし………いよいよ稽古が始まった。

翌72年6月、紫陽花が咲きはじめ、しとしと雨が降り続くある梅雨の日の夜、天使館の入り口の扉の前に、闇のなかで大きなガマカエルがそっと佇んでいるのに気がついた。丸く横に飛び出た瞼を瞑り、体全体で静かに記憶を辿りながら祈っているかのように見えた。

私は、はっと思い出した………あの時の池のオタマジャクシの子孫、帰ってきたのだ自分たちの棲家に。私はこころのうちで………ごめんね カエルさん。よく帰ってきてくれたね。ありがとう! と呼びかけながら……闇のなかで………次第に強くなる雨に打たれている不動の雨蛙を見つめていた。

みんなで造り上げたあの「天使館」は今はもうない。その跡に、新しい「天使館」を建てて以来今日まで自分のカラダに向き合い見つけようと、多くの人たちがこの場を通り過ぎていく。

夜になると「天使館」に集まってくる生きものたち。