第47回舞踊批評家協会賞辞退について

 以下の文書を、舞踊批評家協会賞 選考委員会に通知しました。              
                  舞踊批評家協会賞 選考委員各位
昨日、貴協会より、第47回(2015年度)の受賞の決定書ならびに、賞の贈呈式、祝賀パーティーのお知らせを受け取りました。その授賞理由は以下の通りです。
「お気に入りの6人の女性ダンサーに振り付け自らも踊った<今夜は荒れ模様>(そもそも、題名が違っています)の舞台で、男たちの様々な戦争ごっこを尻目に、全員で嬉々として踊り狂ったダンス三昧の舞踏会の成果に対して」
このような授賞理由を、受け入れることは到底、出来ません。以下の理由で、受賞を辞退させていただきます。
1・賞を贈呈するということは、その作品に対する明瞭な成果と、その作家に対するリスペクトがあるということは当然ですが、今回の授賞理由に、その二つが全く感じられないということ。
2・一つの舞踊作品には、その作品と時代との強い結びつきが存在しています。舞踊批評が存在するという根拠は、そのような時代に対する時代感覚と、その作品を結びつけることが、その批評において、肯定的な意味でも、否定的な意味でも要求されています。今回の授賞理由には、そのような公的な、社会的な意味合いが全く感じられず、作品を一個人の享楽的な行為としてとらえています。このような受賞理由を恥ずかしげもなく、メディアに向かって公開するという貴協会のセンスには、ただただ、呆れるばかりです。
3・どんな作品も一個人で成り立つものではなく、そこには様々な人たちの参加、協力や助力があって成り立つものです。たとえ、それが個人に与えられる賞であっても、その賞は、それに関わったすべての人間を含んでいます。このような受賞を、この作品に関わってくれた多くの人々に対して、結びつけることは、私としては出来かねます。
以上、三点です。
私が心から望むのは貴協会が、舞踊批評の根底に立ち戻り、真に日本の舞踊発展に寄与することです。上記のような選考理由は、むしろ、ダンサー達の日々の努力を馬鹿にしています。ダンサーは日々、カラダを削いで、修行に励んでいます。そのようなダンサー達に応えるえることのできる批評の団体であるためには、一つ一つの批評そのものが、時代の正念場であることを、明かしていかなければなければならないと、思います。                             
                              2016年2月28日    
                                     笠井 叡