70年前の昨日、青函連絡船「洞爺丸」が沈没した。犠牲者となった1155人のうちの一人は叡の父親笠井寅雄(享年41歳)だ。『洞爺丸遭難追悼集』のなかに中学一年の女子生徒が「お父さん。お父さん。なぜ死んだのでしょう」とむなしく問いかける言葉がある、と朝日の天声人語で読んだ。あの日、10歳だったアキラも今年の11月で81歳になる。
義父寅雄は、生前子どもたちの将来のために、と用意した国分寺の土地を、見ることも住むこともなく、亡くなってしまった。
その土地に1971年に手造りの稽古場を建て、アキラと私は白亜の城「天使館」と名付け、8年間舞踏の稽古場として活動した。
その手造りの稽古場「天使館」も、33年前に新しく建て替え、オイリュトミーシューレ、ダンス学校、アキラの講座、縁のあるダンサーの公演、WS、劇場公演のための稽古場………芸術創造の現場として活躍し、今に至る。
今日の夜、中村駿ソロ公演『Existence Op.1-14』(ダンス現在 vol.34)が天使館で行われた。
駿くんのチラシの言葉は
「本作品は今年5月に初演を迎えた生まれたての作品です………改めてこの作品に向かってみると、“孤独”や“匿名性”といったイメージをお借りして創作をしていることに気づきました。初演を経て言葉にできなかったメッセージ性が少し見えてきた気がします。」そして、最後に「表現する私と見ていただく皆さまで、この作品が何を表現し、この場所で何が生まれているのか想像し合えたら嬉しいです。」と結ばれている。
なんと新鮮で、まっすぐな言葉だろうか! 漆喰の白壁に映し出される美しい映像。無音の中で黙々と動き続けるダンサー。空間が若くあつい熱で息づいているのを感じた。素晴らしかった。
白亜の城、稽古場「天使館」は、時代とともに未来に向かって、螺旋状にあたらしく生まれ変わりながら、いつまでも生きていってほしい。