「花」

アキラの「花」を描いてみる。白塗りで、和紙の花の冠と和紙のマントを着けて。
アキラの「花」を描いてみる。白塗りで、和紙の花の冠と和紙のマントを着けて。
今日5月1日、故キミコさん(アキラのお母さん)の誕生日。生きていらしたら103歳だ。先月12日復活祭に納骨する予定だったが、コロナのおかげでまだ我が家にいらっしゃる。毎朝「お母さん、いい時に彼方にいらしたわね。いま大変なの、力をちょうだい」と話しかけると、元気が出てくるから嬉しい。
1964年5月1日、アキラは都市センターホールで行われた第13回新人舞踊公演に「花」という作品で参加した。その日のパンフレットを見ると、三部に分かれていて各々10の作品が並んでいる。6時から始まって9時終演、1作品6分の作品だ。30人中、男はアキラともう1人の二人だけ。当時ダンスをする男の子は、珍しく、かつ貴重(!)な存在だったようだ。アキラの「花」は、音楽J.S.バッハ。経歴には、江口隆哉に師事、パントマイムをジャン・ヌーボーに師事、大野一雄に私淑。昭和38年、舞踊儀式「犠儀」を主宰と書かれている。
翌日、出演者全員が集められ、舞踊批評家の先生方の講評を伺う会があった。大きな座敷に長い机を一列に並べ、周りに前日踊った新人ダンサーたちが座って、一人一人に向けて話す先生の批評を自分の番がくるまで神妙な顔で待っている。いよいよアキラの番が来た。初老の男の先生がおもむろに「カサイ君のは、あれは蚤取りのダンスですか?」というと、周りから、クスクスと押し殺した笑い声が聞こえてきた。
やっとその場を終えて新宿までたどり着くき、ベンチに腰掛け、拳を握りしめ、肩を震わせ、アキラは泣いた。この時以外、後にも先にもアキラの涙を見たことがない。アキラ20歳の時。
そして、今年2月、榎本了壱さんのアトリエで、その新人公演の出演者のお一人村井千枝さんに再会した。当時千枝さんは江口先生の研究生で、アキラの大先輩。
「今日までずっと踊ることだけをやってきたの。あの頃から知っているので、カサイクンは今でもカサイクンよ。そう呼ばせてね」
偶然にも隣町にお住まいなので、今度ゆっくりお茶でも、とお誘いしたかったのに、コロナのおかげで先延ばし。でも、今はFBで繋がっている。