「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」

梅雨のような雨の日。毎日桜の木に飛んでくる小鳥たちも今日は来ないなぁ……。稽古場の窓に灯りがついた。誰か一人で稽古しているらしい。三密を守って、ひっそりと静かに。
今の時間、やってくる新しい時を考えるより、今までやってきたことを振りかえって見る方が、弱虫ヒサコにとって、今を生きる力になるのでは?と思いながら………。
私が医者からリウマチ性関節炎と診断されたのは、1978年3月3日(なんと10回目の結婚記念日)
その当時の日記を読むと、我がことながら面白い。その年の1月から各月1週間の「エーテル宇宙誌のための天使館における連続公演」が始まり、3月末の1週間は「エーテル宇宙誌」の第Ⅲ期が予定されていたから、私のリウマチ診断は想定外の出来事だったが、すぐに色々な方面の方々から「西洋医学はダメ、玄米と胡麻塩で体質を変えこと」「まず断食療法をすること」「薬は漢方薬で」等々、温かいご意見をいただき、それまで健康だけには自信があり、医者要らずの私だったので、一つ一つ教えに従って実行した。朝手首、膝がこわばり痛む、生活が苦しい、などと愚痴を言いながらも、断食に向かい、1日の食事、野菜スープ、生野菜のサラダ、さつまいもだけ。肉が好きな私としてはかなりがんばっている。8才、5才、3才の男の子の母親である私は、午後になると下の二人を引き連れて、スーパーに買い物に行く。子どもらを寝かし、「エーテル宇宙誌」公演真っ最中の天使館からもれてくるバッハのピアノ曲「フーガの技法」ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴きながら、高橋たか子の小説を夢中になって読だり、子どもたちの寝顔を眺めて「3人とも全く手に負えない腕白になった。でも、あと2年もすれば、状況も変わるだろう。焦ることはない」などと自分に言い聞かせたり………。
「がんばっていたなぁ〜」と思わず声を出すと、机の向こう側から「子どものままおとなになったような人だからね、あなたは」とアキラが言った。えっ………それどういう意味⁉︎ 聞き捨てならない、と思ったが、ひょっとしたら当たっているかもしれない。今だに成長しない私がいる。

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに
「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに