あんな時代、こんな時代

先日、バレエの会の会場で、知らない方から「お帰りなさい。お元気そうですね」と声をかけられた。どうして、私がメキシコに行っていたのをご存知なのだろうか?一緒にいたなおかさんが「ツイッターで、ミツタケがヒサコサンの写真をアップしたからでしょう」と言う。帰り道、彼女はメキシコ版「ハヤサスラヒメ」のメンバーが、それぞれにFacebookやTwitterに載せた画像を見せてくれた。成田に向かう時、飛行場で、ホテルで、ホテルの食事、グアナファトの道路の様子、楽屋で・・・楽しく、面白く、懐かしい画面が、限りなく目に飛び込んで来た。数千キロ離れた所にいながら、リアルタイムで仲間同士が共通体験をもてるんだぁ!と今更ながら、びっくりした。私の頭の上に、どこにでも行ける目に見えないネットワークが張り巡らされていて、そのネットワークに乗ると遠くにいる友人とも直ぐにも繋がれる、と思うと嬉しくもあり、恐ろしくもある。
昔、家族で西ドイツに住んでいた頃(ベルリンの壁の崩壊より前のこと)、ある寒い冬の夜、町の電話ボックスの電話が壊れていて、日本人の誰かが10マルク(当時はマルクだった)入れて日本に電話すると、そのまんま日本と繋がりっぱなしになっている、という噂が聞こえて来た。「それ行け」とばかり電話ボックスに駆けつけると、既に日本人の留学生たちが長い列をなして、寒空の下に並んでいるではないか。遠く離れた故郷のお母さん、恋人の声を少しでも聴きたいと願う貧乏学生たちにとって、何よりの天の恵みだった。たった数分間のコトバのやり取りが、身体を温めてくれる。でも、受話器を置くと、瞬時にドイツに独りでいる自分に気づく。そして、凍てつく冬空に煌めく、無数の星を見上げながら、遠く離れた故郷の人たちとこの宇宙の中で、共に呼吸しているのを感じ、限りなく愛おしい気分に満たされる。こんな時代もあった。