年の終わりから始まりへ

いつの間にか、国分寺の杜から聴こえていた除夜の鐘が、八幡さまの大太鼓の音に変わっている。志村ふくみ先生から頂いた先生の『薔薇のことぶれ』—リルケ書簡ーを読んでいるうちに、ふと気が付くと2012年が過ぎ、新しい年が明けていた。
およそ100年前に書かれたリルケの、妻クララに、タクシス夫人に、ルー・ザロメに、その他詩人が出会った女性たちに宛てたおびただしい数の手紙。どれもこれも驚くほど美しく、深く、正直な言葉の数々。
私は、志村先生の著書からいつも多くのことを学ぶ。『薔薇のことぶれ』の前に出された『晩祷』—リルケを読むーを読みながら、本を読むということは、正直に自分に向うことなんだ、ということを教えて頂いた。あと数年で70歳にならんとする時まで、こんなことがわからなかった自分にあきれる。
「自分の考えを自分の言葉で書け」(吉田秀和)という言葉を引いて「自分の言葉とは自分の生き様そのものだと思った時、そこにリルケがいた」という先生の文章を読んだとき、ふと肩が軽くなったような気がした。
さて、あれこれ思い巡らしているうちに、丑三つ時に家を出て、御岳山にご来光を拝みに向った叡と禮示は、無事に山の頂きに着いたかな。