大野一雄先生の死

6月1日18時、ローマのフリオカミロ劇場の二階にあるB&Bの部屋で、インターネットのニュース画面から、大野一雄先生の死を知った。私の中で突然時間がストップする。
先日5月29〜31日の3日間、叡は、ローマ在住の舞踏研究者でありジャーナリストのマリア・ピアと、“ヘリオガバログループ”のダンサーたちと一緒に12年にわたって共に培って来たBUTOHの稽古の集大成として、このグループのための叡の振付作品「ヘリオガバロ」に,自分もダンサーとして加わり、初めて舞台上で彼らとのコラボレーションを実現して、瑞々しい新しい果実が生まれたばかり。
当時大学生だったマリア・ピアは、1986年ローマで大野先生の舞台を観て、強い衝撃を受け、卒業論文に「舞踏家大野一雄」を書いた。以来舞踏のみならず日本文学、日本語、日本文化に深く真摯な情熱を傾け、自身の著作を通して日本の舞踏をイタリアに紹介し、また実際に、ローマで舞踏を志すイタリアのダンサーたちの活動の大きな担い手となった。そして、私たちは、その彼女を通して、“ヘリオガバログループ”(フラビオ、マダレーナ、ピントス、サマンタ、アレキサンドラ・・・)と出会った。
既に目に見えない大きな流れとなった大野一雄先生の舞踏が、国を超えて大洋に向かって広がっていく。
そしてなにより半世紀前、18歳の叡がダンサー大野一雄と出会わなかったら、今のダンサー笠井叡はなかっただろう。
静かに眠るローマの夜空に、今、悲しいほど星々が煌めいている。