山本さんの言葉

エッセイストの山本ふみこさんから頂いた本「そなえることは、へらすこと。」(メディアファクトリー)を読んだ。日常の暮らしの中で(特に、この度の大震災のあと)著者が、感じたり思ったりしていることが、明快、率直な言葉で綴られている。読んでいるいるうちに「そうね、そうよ、そうそう・・・」と私自身が書いているような気分になっているから不思議だ。そして、毎日の生活の中で、忘れていたり、気がつかないで通りすぎている事柄などを気付かせてくれる。山本さんの言葉がすぅーと私の身体に入ってきて心地いい。
最近、誰かと話していても、心の中でー言葉が届いていないなーと思うようなことが多くなった。もちろんこの状況は一方的な問題ではない。相手の人も同じことを感じているだろう。ますます話す言葉が空虚になり、ひととひとの間が薄れてきて、遠くなって行く。
山本さんの本の中に次のような文章を見つけた。
―けれども東日本大震災のあと・・・・与えられた物をすべて生かすことが、わたしがわが胸のなかで自分相手にした約束なのだった。
そんな山本さんの言葉に触れて、私の心に何時の時か読んだリルケの詩句が浮かんだ。
私は自分を配慮する。すると 私の中に 家が立っている。
私は自分を見張りする、すると私の中に見張りの牧(まき)がある。
愛を受ける者に私が成ると、美しい自然の姿が 私に凭れて憩い、そしてそれが 心ゆくまで泣いて泣き止む。(片山敏彦訳)
山本さんの本の中で、人間に無関心だった物たちが、植物が、自然が、山本さんの言葉に触れて復活する。