手紙(1980.12.8) おばあちゃんのお迎え

演出家の倉本聰さんが「昔は節約が善だった。靴下に穴があけばお袋が夜なべして繕ってくれた。その靴下にはお袋の愛情がこもっていた」と言われたのを新聞で読んで、そういえば、35年前ドイツに住み始めて、日本に帰るまでの私の夜なべ仕事は、3人の男の子たちの靴下の繕いだった、と懐かしく思い出した。当時ドイツは、衣料品がとても高く、品質も悪く、直ぐに穴があく男の子の靴下などは、買っていられなかった。寒く長いドイツの冬を越すには、しっかりとした靴と暖かい靴下は必需品だ。私も実家の母のまねをして、靴下の中に電球を突っ込んで、次から次と繕ったものだ。当て布が何枚も重ねた靴下を穿くと、足の裏がもぞもぞするらしい。でも、彼らはそのもぞもぞ感が結構気に入ったようで、たまに新品の靴下を穿くと「もぞもぞの方が暖かくていいよ」とまで言うようになった。「お袋の愛情」なんて、心温まるはなしではない。ただ、何枚も布が重なり、生地が厚くなったので暖かかったのだろう。
さて、クリスマスにおばあちゃんがStuttgartにやって来ることなり、国分寺で一緒に住んでいた大おばあちゃん・春子さん(当時94歳位)は、熱海の伯母さん(おばあちゃんのお姉さん)のところに行くことになったようです。当時は介護保険制度もなく、ましてやショートステイの施設などもなく、親の介護はもっぱら家族同士で協力して担っていた。
1890年12月8日(月)
30日付けの手紙を6日の土曜日に受け取りました。春子おばあちゃんが、無事に熱海に着かれたのを知って、本当に安心しました。暖かいところで冬を過ごされるのは何よりです。でも、国分寺でたった独りで、お母さんは淋しいでしょうね。国分寺の家は寒いし・・・灯油は、相変わらず生協から買えるのですか?くれぐれも火に気を付けて下さいね。それから、天使館で稽古する人たちも、冬の稽古場はとても冷たいので、もし必要なら、原田さんにお金をお渡しして、あたらしい耐震装置付きの安全なストーブを買うようにお願いして下さい。バーラーのストーブは、もう古く、芯がよくないし、匂いがしますから。稽古後、ストーブを消し忘れないように注意して下さい。さて、お母さんがドイツに着かれる17日のことですが、アキラは、オイリュトメイムの学期末公演に加えて、新年早々Stuttgartで小さな舞踏公演することになり、その準備で毎日稽古です。子どもたちは学校なので、お迎えは私が必ず行きますので安心して下さい。こちらを朝4時の汽車でフランクフルトに向います。待ち合わせの場所は、ルフトハンザ出発階のロビーの前です。子どもたちは、おばあちゃんの来るが待ち遠しくてたまりません。お向かいのフラウ・ベルガーにケーキの焼き方を教わっておきますね。こちらは、1週間降り続いた雪も、今日は明るい太陽の光のもとで、キラキラ輝いています。時折、空からハラハラと雪の結晶が舞い降りてきます。新聞、ラジオがないので人から聞くのみですが、零下の寒さのようです。夜になると、黒々とした森の上に、凍てついた夜空が広がり冬の星々が美しく煌めきます。ホワイト・クリスマスが楽しみです。どうぞ、お気を付けてお出掛け下さい。みんなで待っています。久子