手紙(1980.9.4) Stuttgartから国分寺へ

1980年4月19日に渡独し、家族5人で西ドイツのStuutgart Isolde-kurz str.52 で生活を始めた。ドイツ語も出来ず、飛行機にも初めて乗り、韓国→フィリピン→ドバイ→サウジアラビア→チューリッヒの南回りで約30時間の飛行。そこから列車で4時間。アキラが探してくれた家族5人の住処に着いたのは、夜もとっぷり暮れた真夜中だった。4月とはいえ、凍るような寒さのなかで見渡した夜空の星の煌めきの美しさは、忘れられない。それから、約5年半、真新しい日々の生活を書き綴り、国分寺に独り暮らす姑に送り続けた。
9月4日 夜9時30分
今やっと、3人をベットに入れたところ。レイジは既にスヤスヤ。ミツは1人でおしゃべりしています。昨日、不足の衣類についてのお葉書を頂いたので、早速今日デパートに行って、衣類を調べました。これから初めてのドイツの冬。どのくらいの寒いのか覚悟をしていますが、最初に日本から送った冬の衣類だけでは少々不安です。なにしろ4月から約5ヶ月経ちましたが、その間の子どもたちの成長はめざましく、ズボンなどは、3人とも既にツンツルテンです。欲しいものは、消耗が激しいズボン類とズボン下です。真冬のオーバーは、デパートの安売りを狙って、アノラックを買おうと思っています。9月中旬から、アキラのオイリュトミーシューレが始まり、子どもたちが、ヴァルドルフシューレに通い始めると、買い物に行き時間はなくなります。朝6時に起床。7時にチカシとレイジを送り出し、7時半にアキラが出掛け、8時半にミツを幼稚園に届け、直ぐに丘の向こうのクレアヴァルトのヴァルドルフシューレまで、市電とバスを乗り継いで,約1時間、10時までに、レイジを迎えにいきます。レイジを連れてトンボ帰りして、12時にミツを迎えに行きます。こちらは車社会ですから、親たちは全て自家用車で、低学年の子どもたちの送り迎えをするのが当たり前で、市電とバスで迎えに行く親は、たいそう珍しいようです。まして、日本人の小さな男の子ふたりが、朝は親なしで通って来るなんて!きっと、ドイツ人はあきれていることでしょう。でも致し方ありません。何時までレイジのお迎えが必要か、分かりませんが、当分はこのスケジュールで行きます。
さて家の方も大分部屋らしくなり必要な物も次第に揃ってきました。昨日は、子どもたちだけで、市電の5番に乗って、1時間以上かけて終点まで行きました。先日服部さんから、5番の終点にドイツ赤軍派の連中が入っていた刑務所があると聞いたので、チカシは見学に行きたくて行きたくて、弟たちを連れて行ったのです。夕方興奮して帰宅すると、「刑務所で、本桃の銃を見た」とか、途中下車して、ミツをトイレに連れて行ったとか・・・。家の中ではけんかばかりですが、外に出ると、頼りになるお兄ちゃんのようです。そのチカシ、お隣に住む、ローズマリ―という10歳の女の子と友達になり、彼女がお迎えに来ると、いそいそと出掛けて行きます。では、おやすみなさい。久子