6月になって、少しづつ天使館も動き出してきた。とはいえ、これから先、ダンスはどうなっていくのだろうか………?などと思っていると、名古屋に住むマキコさんから、お庭に咲いた額紫陽花(何とも美しい薄紫色の清楚なアジサイ)の写真を添えたメールを頂いた。
そして、今日、都内に住むミナコサンから愛猫ミミを素描した、素敵な梅雨見舞いのお葉書が届いた。
今日はミツの誕生日。45年前の分娩台の上で「あらあら、またおちんちんを付けたかわいいあかちゃん!」と言った助産婦さんの声が聞こえる。その彼も、何時の間にか踊る人になっている。
新聞の連載小説は、うっかり読み忘れるので苦手な私なのに、なぜか、先週金曜日から始まったジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」柴田元幸訳を楽しみにしている。遥か昔の時間が未来からやってくるようなワクワク感があるみたい。
どんな時でも生きることは祝祭でありますように。
「水色のあじさい」 R.M.リルケ/高安国世訳
これらの葉は絵具壺の底に残った緑のようだ、
水気を失い、葉尖も鈍く、ざらざらしている。
その前にある花房の水色も
在るというよりは、ただ遠くの反映にすぎぬかのよう。
その反映も涙にとけ、模糊として、
今にもまた消えてしまいそう。
古い水色の書簡箋のように
黄色や、菫色や灰色の斑ができている。
子供の前掛けのように洗いざらしで、
もう着られなくなって、どこかへつっ込んでしまったもののよう。
小さな生命のはかなさが何と胸に沁みることだろう。
だが、とつぜん、水色はよみがえってくる様子、
花房の一つに。緑を背景に歓びをとりもどした
水色のかたまりを見ていると心がふるえてくる。