朝から雨降り。お昼前、アキラに傘をさしてもらい桜の樹々の様子を見に行く。大きな樹々はたっぷりと雨の滴を含んで、深緑の葉をいっぱい抱えて、ゆったりと立っている。誰もいない……………。

長田弘の詩集『人はかつて樹だった』を、読みたくなる。もう何回読んだだろうか。私にとって詩人のことばは、易しくて、石のように硬く、湧水のように冷たく美味しく、花びらのように薄くてやわらかく、耳元で囁くように聞こえる。飾らない、嘘がないことば。内が透けて見えてきて、外が霧のなかに消えていく。だから私は好きだ。

 

「森のなかの出来事」    長田弘

森の大きな樹の後ろには、

過ぎた年月が隠れている。

日の光と雨の滴でできた

一日が永遠のように隠れている。

森を抜けてきた風が、

大きな樹の老いた幹のまわりを

一廻りして、また駆けだしていった。

どんな惨劇だろうと、

森のなかでは、すべては

さりげない出来事なのだ。

森の大きな樹の後ろには、

すごくきれいな沈黙がかくれている。

みどりいろの微笑が隠れている。

音のない音楽が隠れている。

ことばのない物語が隠れている。

きみはもう子どもではない。

しかし、大きな樹の後ろには、

いまでも子どものきみが隠れている。

ノスリが一羽、音もなく舞い降りてくる。

大きな樹の枝の先にとまって、

ずっと、じっと、遠くの一点を見つめている。

森の大きな樹の後ろには、

影を深くする忘却が隠れている。