頸椎固定術を受けた時のこと

20年くらい前の3月の初め、秋葉原の三井記念病院で頸椎の手術を受けた。外が白々と明け始めた頃、手術用の衣を着せられビニールのキャップを被って、病室に運ばれたストレッチーの上に寝かされて待っていると、若い麻酔科の先生がベットの脇にやって来て、こう言った。
「笠井さん、術前に顎の写真を撮らせてください。お顔は隠しますし、お名前も出しません。それから、もし麻酔が掛からなかったら、残念ですが、お部屋にもどってきます」
今から、自分の首の手術に臨もうと覚悟を決めていた時、どう答えればいいのだろう。
もし手術ができなかったら、今まで耐えて来たあの激しい頭痛を一生抱えていかなければならないのか…と言う思いが、無感動に脳裏をよぎったのを覚えている。
手術室に運ばれると、麻酔科の先生たちが、カメラを用意したり、私の口内をしらべたり、忙しく動き回っている様子だったが、突然、「何している、患者が怖がっているではなななな…」という大声を聞いた途端、意識を失った。
遠くから私を呼ぶ声がする。「手術は終わったよ」と耳元で聞こえた。
さて、それからが大変。助手の先生に説明では、手術は、頸椎を開けて頭蓋骨を正常な位置に戻し、私のお尻から接着剤として軟骨をとって頸椎に埋め込んだだけです。特別なことはしていません。脳味噌は、お豆腐屋さんのお豆腐のように水の中に浮いています。頭は重たいから、頸椎としっかりとくっつく迄、決して動かさないように!とのことだった。
頭と胸を長方形の角材状態にするために、次は、ハローベストという簡単な鎧のようなものを上半身に付け、頭には鉄の冠(?)のようなものをビスで額に直接埋め込んで(ビックリ!血も出ないし、痛くもない)、頭と胴体を支柱で繋げた。つまり、建築中の足場のようなものだ。
足場状態のままベッド上で数週間。土曜日には必ず、足場がゆるくならないように、先生がベストのネジを工具で締めてくれた。
ベッドから離れて歩行器で歩き出した頃は、もうすっかり春爛漫。11階の病室から下の歩道を眺めると、新しいランドセルを右に左に揺らしながら、走っていくピカピカの一年生が見えた。
そして、五月のある日、リハビリの先生が「笠井さん、外にいきましょう!」という言葉に誘われて、足場状態の自分の姿も顧みず、数ヶ月振りに戸外に出た。
太陽はきらめき、爽やかな風は都会の街路樹に触れながら、新緑の香りをわたしの体に満たしてくれた。
なんと素晴らしいことだろうか!
あの感動からもう随分ったった。今でも私の頸椎は働いてくれている。