11月のBROOKLYN4

今年の8月の末、MacBookAirを買った。海外にでる時、荷物が少しでも軽くあってほしいからだ。と言うと、いかにもパソコンを自由に使いこなしてるように聞こえるが、まったくそうではない。闇の中を行き当たりばったりしていると、偶然に先に進む道にぶつかるといようなものだ。
20年ぐらい前、あるグループの雑誌を独りで編集するはめになった。それより以前、大学卒業後しばらくの間、昭森社という出版社で「本の手帖」や「詩と批評」などの編集に携わっていたことがあるとはいうものの、何から何まで独りで本を作るのは初めて。さて困った。そこで、当時既に一般に広く使われていたワープロを購入し、国分寺北口にあるワープロ塾に入門。夏の暑い盛り、3ヶ月の講習を受けた。やってみると、なかなか面白い。ワープロで原稿を打ち込み、編集から割り付けまでして印刷屋に入稿し、いよいよ印刷屋から第一号の新しい雑誌が手元に届いた時は、ひとり内心ほくほくと嬉しかったのを忘れない。
それから間もなく、ワープロは廃れ、パソコンが取って替わった。今や、どこにいても、どこにいくにも、パソコンは必需品となる。
勿論、ここBROOKLYNにも8月の末に買ったMacBookAirを持ってきた。そして既に「わたしのMac」は大活躍。東京からのメールを受信し、即返信。スケジュールのこと、助成金申請書類のこと、公演やワークショップの問い合わせ等々、「わたしのAirMac」がすべてを記憶していてくれて、何事もリアルタイムに処理してくれ、滞りなく事を進めてくれる。だが、まてよ。突然「わたしのMac」が真っ黒に固まってしまったらどうしよう。
自分で買ったパソコンに自分自身が吸い取られる。ゆゆしきことだ。
人は努力する限り、迷うものだ・・・とは彼のゲーテ先生のお言葉。えい!「わたしのMac」なんか放っといて、美しい冬のベッドフォード・アベニュウを散歩に出よう。