来週の日曜日、27日、いよいよ横浜の BankART NYK で、「笠井叡日本国憲法踊る」のパフォーマンスを行います。近頃なぜ自分はこんなに憲法改正にこだわるのかを、つくづく考えさせられます。先日ある新聞記事に、この日本国憲法第9条は、マッカーサー元帥の発案によるのではなく、実は、その時の首相、幣原喜重郎が絶対に戦争放棄の条項を入れるべきだと、強くマッカーサー元帥に主張した、ということを、当時アメリカに帰国した、当のマッカーサー自身がアメリカの公聴会で、証言したというのです。この記事は大層驚かされました。
先月の講演会でも申し上げましたが、私の父笠井寅雄は裁判官でした。非常に自分に厳しい人で、私も、父の厳しさには、毎日泣かされました。その父は昭和29年の9月26日、タイタニック号に次ぐ二番目に大きな海難事故である、洞爺丸事故で、亡くなりました。私が10歳の時のことです。
実は私は、父の死をどのように受け止めたらいいのか、わからないままに、自分の人生を過ごしたような気がしています。神秘学は私の生涯の課題ですが、言ってみれば、神秘学は宇宙の法学であるということを、最近つくづく感じさせられるのです。そして、この私に宇宙の法学である神秘学へと誘ったのは、最近になってようやくわかったのですが、死んだ父です。父は私とともに生きていたのだと、いう事に気が付いたのです。その意味でこのパフォーマンスは、正確に言えば、「笠井寅雄・叡日本国憲法を踊る」と、言わなければなりません。