存在の反対は不在ではないですよね。
存在の反対は鏡像、虚在ですよね。
罪の反対が無罪ではなくて、「贖い」であるように、
存在の反対は不在ではなく、「虚の存在」ですよね。
鏡の像と実像の世界。
カラダの奥のほうに、鏡像を写すもう一つの 眼があって、
この鏡像感覚によってしか、
この境域の時代の風景は、その本来の姿を見せてくれそうにありません。
明後日の金曜日の午後5時から、国立の北市民プラザでオイリュトミー・シューレ第3学年第三期の発表会を行いますので、お時間のある方、どうぞおいでください。