手紙(1980.10.25)ヨーロッパでの初めての秋

1980年10月17日付けの手紙を読むと、その翌年のエルゼ・クリンク・オイリュトミーグルッペの日本公演ツアーの下準備のために、アキラが同月25日アエロフロートで2週間ほど帰国する事になり、その際にお母さんにお願いごとを書いている。今、読み返してみると、これが嫁が姑に書く手紙か、とあきれるばかりだ。
アキラに持ってきてもらいたい物のリスト
1、母子手帳(和ダンスの小引き出しの一番右)2、ケーキの型(上の戸棚、円型とマドレーヌの型)3、子どもたちのソックス(短いもの)4、あれば、ミツとレイジのズボン下 5、歯痛止め 6、アキラの冬のパジャマ 7、コンタクトレンズ(ハード)の保存液 8 あずき、上新粉、白玉粉 6、コンスターチ(子どもたちがお団子が食べたいというので)7 「明日のジョー」8巻 8、カレーのもと。
まるで、離れ小島に漂流した家族が援助を求めて書いた手紙のようだ。日本でこの要求を引き受け、用意するお母さんも、またそれをトランクにつめて運ぶアキラも容易でない事だったでしょう。もう35年前の事、今更気がついても、遅い。
そして、10月25日の早朝、日本に向うアキラを市電の駅まで送って後、
1980年10月25日(土曜日)
重く垂れ込んだ灰色の寒空の下で、木々の葉は、真っ黄色に色づき、その鮮明な色合いは、美しいというより、むしろ哀しいまでの透明感があります。暖かく紅葉を愛でる日本の秋とは、ほど遠く、静かで冷たく硬い空気に支配された秋。これがヨーロッパの秋なのか、と思います。人びとは、厚手のオーバを着て、黙々と自分のなすべき事を行ない、自然は、大いなる力でもって、厳しい冬に向って、容赦なく時を進めます。夏、賑やかにさえずっていた黒ツグミの姿も、今は見ることはありません。窓から遠く、色づいた木々を眺めていると、リルケやヘッセの詩が、自然に体に染み込んできます。子どもたちは外に出ると、寒くて、もかけっこをしたり、木登りしたり、すこぶる元気ですからご安心下さい。
さて、アキラの急の帰国、びっくりなさった事でしょう。帰国する前は、風邪を引いたり、出掛けたり、何のお土産も用意できずごめんなさい。それに引き換え先の手紙では、お願いごとばかり並べて、申し訳ございません。もし可能であれば、というつもりですから、決してご無理をなさらないように。
ところで、お母さんはいつ頃こちらにいらっしゃいますか?クリスマスの頃は、きっと寒いでしょうけど、全く異なった自然の中に身を置くというのも、いいものです。ミツの幼稚園は、12月22日までです。そのに以前いらっしゃれば、ミツの送り迎えの様子、またチカシとレイジの学校にも行けると思います。マーケットでは、もう、クリスマスのろうそくとか、美しい飾り物が出ています。
みんな、おばあちゃんが来てくれるのを楽しみに待っています。どうぞ実り多い日々をお過ごし下さい。お大切に。久子
追伸:アキラへ、チカシがシャープペンシルの芯を父さんに頼めばよかった、と言っておりました。