三男瑞丈のパートナーなおかさんのお父上の49日の法要に間に合うように、29日の朝7時20分のJALで、叡と金沢の小松空港に向う。東京を出る時は、朝日の心地よい冷たさが昼の暖かさを十分に予感させてくれたが、小松空港に着いたら、急に冬に戻ってしまった。遠くに見える山の稜線は白く、高速道路の両側に広がる畑にはところどころ雪が残っている。上村家に向う僅かな間にも、深くたれ込めた雲間から、急に大粒の雨が、瑞丈の運転する車のフロントグラスを強打し始める。
私がなおかさんのお父さんに生前お会いできたのは、たった二回だ。一度はなおかさんのダンスの会を観に上京なさった折(挨拶程度の出会いだったと思う)、二回目は去年5月5日の瑞丈となおかさんの結婚式の日である。お父さんはその半年前ぐらいに腎臓癌と診断され、以来、手術はしないで病院で治療を受けておられるとお聞きしていた。丁度5月には治療が一段落し、ご自宅に戻られるそうなので、兼六園のとなりにある石浦神社で内々で式を執り行なうことになり、東京ではめったに顔を会わさない3人の息子、その連れ合い、孫娘と久しぶりで全員が揃って金沢に赴いた。そんな楽しく仕合わせな時間が持てたのも、今から思えばなおかさんのお父さんが用意して下さったのでは、と感謝している。既にその頃は骨にまで癌が転移していた様で、かなりのお痛みがおありになったのでは、と思う。少しもそのようなご様子も見せず、口元に優しい笑みを浮かべて静かに“今の時”を喜び楽しんでおられるお姿がとても印象的だった。
それから9ヶ月入退院をくり返されていらっしゃると、なおかさんから聞いていた。容態が悪化して入院なさったと知ったのは、今年の2月シアタートラムの「透明迷宮」の公演が終わってからだ。高椅悠治さんのピアノ演奏でバッハの「フーガの技法」を叡の即興、振り付け、オイリュトミーの3バージョンのプログラムで創り、なおかさんと瑞丈は振り付けのプログラムに出演。二人とも1月はほとんど毎日天使館で稽古に励んでいた。後で伺った話では、一月中旬に救急車で入院されたそうだ。なおかさんのお姉さんも東京在住で、娘さんの高校受験の発表が一月末にあり、やはりお父さんの入院の知らせを2月になってから聞いたらしい。そんなお母さんのお心遣いにふれて、自分に強く生きる事というのは、他者に対する優しさであり、思いやりなのだと思った。
ワシントンのケネディーセンターの公演に行く前にお見舞いしたいと思い、2月9日叡と羽田に向う途中、瑞丈からお父さんの訃報が入り、病院ではなく上村家に伺うようにと知らせて来た。
10ヶ月前、結婚のご挨拶で伺って以来、二度目の訪問である。お父さんのためにリホームして出来あがったばかりの新しいお部屋に、安らかに寝ていらしゃる。鼻筋がピンと高く、色白で透き通るような美しい肌をしている。なぜか頬がうっすらと赤みが差していて、少年のようにも見える。薄い口元から今にも笑みがこぼれそう。寡黙な人。粋な人。茶目っ気のある人。二枚目。頑固な人。お酒好きでマージャンが好きな人。シャイな人。我慢強い人。ありとあらゆるお父さんが部屋中にひろがっている。
さまざまな肉体の衣装を脱ぎ捨てて、お父さんがそこに在り、淡々と死を生きている。
それから49日。三度目の上村家の訪問。なおかさんのお父さんの死は、新しい人新しい土地との生きた出会いを私に与え続けてくれている。
最後になったが、実は私明日からしばらく眼科に入院するので、日記もお休み。