2008.4.22

土、日の二日間、叡の講座に同行して、久しぶりに京都に行く機会を得た。講座の会場が太秦の近くなので、土曜日は広隆寺の新霊宝殿に弥勒菩薩はじめ国宝級の仏像たちを観に行き、日曜日は嵯峨野の野宮神社から落柿舎までのんびりと歩いてまわった。花冷えとはいえ、桜の後の未だ新緑とは言いがたい萌葱色の新芽に、春の陽光がキラキラと光の粒子を降り注いでいる。お昼のお勤めか、寺の鐘の音が聴こえる。
嵐山駅から帷子の辻を経由して、講座の会場のある常磐まで嵐電に乗る。運賃は一律200円。木の床で旧式で懐かしい電車。無人駅のホームの石の隙間からは、たんぽぽやぺんぺん草がのびていて、長閑で鄙びていて風情がある。日本語の車内アナウンスのあと「Next station is ・・・」と流れるのは、さすが京都だ。
講座の会場では20人前後の人が熱心にオイリュトミ―の実習をやっていた。20年来の懐かしい面々がいる。東京から名古屋からの参加者もいる。年に数回の講座だが、それだけに各々が自分に真剣に向っている。そこには、情報量とその素早い結果に価値を求める今日の私達の生活のリズムとは全く異なる時空間がある。年に数回とはいえ、深いところで同じ意識を共有できる場と時間があるのは大切なことでり、嬉しいことだ。
帰りの新幹線まですこし間があるので、久しぶりに嵯峨野の志村ふくみ先生と洋子さんの工房をお訪ねした。随分久しぶりなのにお目にかかると直ぐに、日本語の言霊のこと、「古事記」「万葉集」「源氏物語」の内に流れている言葉の力について、忙しい現代を生きている私たちが忘れているさまざまな大切な事柄を真剣に話し合うことができた。ここでも短い時間だが、深い時間があった。
夜の闇にすっぽり覆われた嵐山の真上にかかる満月を眺めながら、新幹線の最終に間に合うように、桂川の川べりをタクシーで京都駅に向う。