2008.4.28

4月24日に、バッハの『フーガの技法』全曲によるオイリュトミー公演を、西国分寺のいずみホールで行った。今年二月初めのトラムでの公演の再演である。それにしても、一昨年6月セッションハウスでの4夜にわたる『透明迷宮』ーdance笠井叡×piano高椅悠治ーで始まって、バッハの『フーガの技法』を悠治さんに何回弾いていただいただろうか?少なくとも本番は今回で10回目だから、リハーサル、通し、ゲネなどを入れると50回は下らない。ダンサー、オイリュトミストたちにとって、生のピアノ演奏で(しかも悠治さんの演奏で)バッハを踊れるというのは、大変に貴重な体験だったに違いない。
26日、叡と新宿小田急デパートの美術画廊に山本美智代作品展を観に行く。案内状に40年以上にわたる初期から近作までの作品が出品されているとある。実はおよそ40年前、私が駿河台下の三省堂の裏の、月刊誌『本の手帖』を出していた森昭社の森谷さんの所で勤めていた頃、美智代さんも図書出版南北社で文芸誌『南北』表紙デザインと編集に携わっていて、叡の舞踏公演を知らせると「チケット20枚送って」と言って、当日多くの仲間と観に来てくれた。1968年の新宿厚生年金小ホールで叡のソロ公演「稚児之草子」でのこと、開演間際に美智代さんが受付にやって来て、「付けられているの、巻きたいから裏から逃がして」と私に小声で囁いた。動転してモタモタしたのは私で、彼女は落ち着いて素早く奈落を通り楽屋裏から外へ・・・。正面の入り口にびっしりと張り込んでいた公安を、まんまと巻くことに成功した。私はその時初めて知った。彼女は東大全共闘議長山本義隆夫人だと。それからも公演は必ず観て下さり、私たちのドイツ時代には、ポーランドの帰りだと言ってシュツットガルトにお母さまと訪ねてくださり、ご自分の作品集がでると署名入りで送って下さる。特に会ったり話したりは殆ど無い。でも繋がっている。
4、5年前のこと、国立の本屋で山本義隆著『磁力と重力の発見』と言う本が目に入った。いつもだったら間違いなくこの手の書物には手を出さないが私が、その時は磁力が働いたのか、全三巻を購入して、その日から重力に身を任せたように読み始め、一ヶ月足らずで全巻を読破した。我ながら不思議とは思うが、それほど面白かったのだ。暫くして、この本がパピルス賞、毎日出版文化賞、大佛次郎賞をとったと聞いて、嬉しくなり久しぶりに美智代さんにお祝いの電話をかけた。「あら、久しぶり!あなたあれ読んだの。へぇ~えらいわねぇ。面白かった?ワタシ読んでないの。長いしね」と美智代さん。そこですかさずミーハーの私「義隆さんの署名が欲しいの」と言っら「いいわよ。三冊全部送って」と美智代さん。
些か恥ずかしかったので1巻だけを送ったら、丁寧に署名して送り返してくれた。それが初版本だったのをとても喜んで下さったそうだ。
同じ空気を呼吸しながら同じ時代を自分の信念を貫いて生きてきた人々とのつながりは、なんと素晴らしいことか!