2008.5.3

今日から連休が始まる。
高椅悠治夫人の八巻美恵さんから、彼女が忘れた物を送ってあげたら、無事届いたとメールが来た。お礼の言葉の後―連休はシゴト、シゴト。いつになったら優雅な暮らしができるんでしょうね。。。(笑)ーとあった。全く同感!
ピアニスト、ダンサーなどの類は連休とは縁遠い。ましてダンサーは身体が呼吸している限り休みはない、ということは毎日休みとも言える、などとブツブツ独り言を言って新聞を広げたら、「常に鍛えるそれがプロ」という見出しで、有名な喜劇役者の話が載っている。毎日が仕事それが活力。さすがプロだ。
1966年に叡の処女公演「磔刑聖母」から、何回公演を重ねて来ただろうか。今日のように、アートマネージメントとか助成金制度のなかった時代だから、家内工業的な公演ではあったが、今のように複雑でなかったことは確かだ。私の役は、専ら人の手配、切符の配分、宣伝、チラシまき、電話番、劇場費の支払いなどお金のことに終始し、公演日が迫まると、作品を生みだす産みの苦しみの傍で、とにかく幕が上がるまで身体が無事にと、出演者を心の中で叱咤激励し、お金については良い作品のためならスッテンテンになっても仕方が無いなどと、独り善がりの覚悟も決め、公演日に突入する。要するに私は制作をしたのではなく、公演を生む時のお産婆さんをしていたのだ。
実際に、私が息子たちを出産した時のお産婆さんの存在は、大きく素晴らしい。苦しむ私の傍らで、優しく、時には厳しく、一緒になって呼吸をし、力を込めて手を握ってくれた。新しい“いのち”が生まれる瞬間をともに共有できるお産婆さんとは、なんと果報者。でも“いのち”の証人に連休は無い・・  
今日のように全てが細分化され専門化されていくなかで、しかも全てが市場原理優先の経済構造の中で、舞台公演の制作に携わる人たちは様々な困難な問題に直面するだろう。しかし、どんなに時代が進んでも、私は制作活動の中にあるお産婆さんの役割を一番大切に思っている。