2008.7.10

二、三日前の新聞に、9歳の女の子が「殺す」とインターネットの掲示板に書き込みをしたという記事を読んだ。やれやれ、私の孫娘も間もなく8歳。彼女が9 歳になった頃は、7歳の子が同じような書き込みをするようになるのでは・・・。無意識の中に蒔かれた種は、感染症の菌のように知らない内に増殖する。これ は、決して書き込みをした9歳の女の子の責任ではない。では誰の責任?
私が息子三人を連れてドイツに渡った時、長男は10歳、次男は7歳、三男は4歳だった。それまで、各々が国分寺で学校や幼稚園で親しい友だちもでき、家に 帰れば隣近所の子どもたちと一緒になって戸外で走り回り、「ゆうやけこやけで日が暮れて・・・」と市の放送が聞こえてくると、3人揃って帰って来る、とい う彼らにしてみれば楽しい毎日だっただろうに、親の都合で友だちからも学校からも離され、言葉もチンプンカンプンの土地に連れてこられてしまったのだか ら、たまったものではなかっただろう。
4月にStuttgartにやってきて、三男だけは近所の幼稚園に入れたが、上の二人は9月の新学期を待たなければならず、さて困った。部屋には全く遊び 道具はない。友だちは無し。しかし、母親の心配をよそに、早速家を飛び出した三人は、格好の遊び場を見つけて来た。我々の住居から3、400メートルのと ころに、自然保護地区、通称Eichenheim(樫の里)があったのだ。Gott sei Dank!
お陰様で、彼らは日がな一日、森の中で“コンバット”遊びとか、“あしたのジョー”の登場人物になりきってボクシングのトレーニングをするのに費やして、 4月から9月までの5ヶ月間の母親にとっては魔の空白時間を乗り切った。ともかく“子どもはどの子も一緒、外で元気に遊ぶもの”と単純に考えていた私とし ては、遊ぶ場がない子どもたちを見ているのは辛かったのだ。
今日、国分寺には幸い史跡公園や広い緑地帯があるが、そこで遊ぶ子どもたちを見かけることが少なくなった。時代が私を呑気な母親でいさせてくれたのかもし れないが、小さかった息子たちと共に決定的に物質欠乏生活ができたことは、懐かしい喜びである。心から”Gott sei Dank!”