2008.9.6

8月は、15日間ほどブラジルに行ってきた。そしてまた来週の火曜日からシンガポールに出かける。
ブラジルの首都ブラジリアからサンパウロ、ニューヨーク経由で、約30時間の行程で成田に着き、家で一晩寝ると、赤道直下のマナウスで遊覧船に乗り、ニグ ロ川からアマゾン川へ進み、途中ジャングルの中に入ってワニを目撃、などなどは夢のまた夢。さあまた、15日前の国分寺の日常の続きが始まった。
主の留守の間にも、庭の木々は盛りの夏を謳歌していたのだろう、狭い所で一斉に葉を茂らせ目を細めて眺めれば、ジャングルと言えなくもない。8年ぐらい前 に大切な人から頂いたクリスマスローズの鉢植えを、出発前に地に下ろしてやったのが、留守の間に来てくれた草取りのおじさんが抜いてしまったのか、姿形が 見えない。毎年、純白の花弁のふちが幽かに薄紫色に染まり、贈り主にも似て清楚で美しく、特に好きな花だったのでいたくがっかりした。自分で草取りができ ないのだから仕方が無い。
2、3日して生活のリズムが戻ってくると、サンパウロで乗ったタクシーの日系2世の運転手さん、日本食堂「ひまわり」を経営しているおばさん、通訳をして くれた日系三世のお嬢さん等、ブラジルで出会った人たちが心の中に思い浮かんでくる。1927年頃日本から移住した方達を両親に持つ人たちだ。親の郷里を 尋ねると、長崎だったり群馬だったり様々だ。日本から初めて移住した人たちは、さぞかし苦労なさったことだろう。しかし、そこで生まれた二世の人たちは、 すでにブラジルに根を張り生活の基盤がそこにある。
ブラジルでは異民族同士のぶつかりは無いと聞いた。確かに皮膚の色の 違いを問題にしないおおらかさがある。格差社会で治安が悪いのは玉に傷。でもそれは”いづこもおなじ秋のゆうぐれ~”。
さて、シンガポールは初めて行く東南アジアの国。どんな人たちに出会うだろう。