2009.1.18

友人と岩波ホールでグルジア映画[懺悔」を観た。何処なのか,誰なのか,何時なのか、何も分からず話は進む。過酷な時代の暗部を、現実から離れて、イメー ジの白光のもと、出来事も人物も、時に滑稽に、軽やかに、時には深刻、残酷に、美しいカラー映像の中に映し出される。まるで、シュールリアリズムの絵画を 観ているようだ。映画が終わった時、アブラゼ監督が私に強く語りかけてきた。
“これは遠く離れた、見知らぬ国の過去の出来事ではないのだよ。何時の時代でも、何処でも問い続けなければらない人間の問題なのだ”と。
久しぶりに映画芸術の可能性に触れて、今年初の映画鑑賞はまずまずの滑り出しだった。
ただ一言,この映画のロシア語の題名は「パカヤーニエ(現象)」と言うそうだが、私にとってこの方がずっとしっくりする。[懺悔」のほうが、日本人好みであるにしてもだ!
家に帰って、一昨年秋ニューヨークに滞在していた時、ダンサーのアリサからプレゼントされた、アフマートヴァ(Akhmatova)の詩集を開いた。スターリンと同世代の彼女は、独裁政権の過酷な状況の中で
詩人として生き抜いたという。1934年に書かれた彼女の詩を、D.M.Thomasの英訳から訳してみると、こうしてはじまる。
最後のパン
わたしは 破壊された私たちの家のために祝杯をあげる/このすべての悪意のために/あなたのために ともにあるわたしたちの孤独のために/わたしは乾杯するー
そして 凍った死んだ眼のために/私たちを裏切る嘘/荒々しく 残忍な世界/神は私たちをお救けにな らなかったという事実
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「懺悔」の女主人公ケテヴァンとロシアの詩人アフマトーヴァは、わたしの中で重なっている。