昨日の金曜日で、叡のワークショップもめでたく最初の一週間が終わり、また、復活祭の前祝をしようとポーランド人のアグネッツィカの部屋に皆で集まること になった。旧い石造りの建物の狭い入り口を入ると目の前に螺旋階段があり、誰かが「7階よ」と叫んだ。やれやれ、黙々グルグル昇りつめた屋根裏部屋がアグ ネッツィカの部屋。台所の流し台と、食卓と、ちいさなソファーが二つ。去年10月に結婚したばかりの彼女の可愛い愛の巣だ。その狭い部屋にフランス人、ブ ラジル人、ポーランド人、イスラエル人、イラン人、ポルトガル人、インドネシア人、日本人のみんなで14人の仲間が集った。復活の日には、ゆで卵に絵を描 くというポーランドの習わしにならって、大皿に一杯もられたゆで卵を思い思いに彩色する。様々な色に塗られた卵を見ながら、ああだこうだと、たわいないこ とを言い合って楽しむ平和なひと時。
ユダヤ人のヤイルは、今はイラン人のモハマッドやブラジル人のミッシェルと一緒に住んでいるが、将来イラン,シリアには行くことは絶対にないし、モハマッ ドもイスラエルに来ることはない,と言い、CNDCでのダンスのコースが終わっても、両親の住むイエルサレムに帰らない、と強調した。
去年10月に結婚したばかりのアグネッツィカも、故郷ポーランドに帰ることはないと言う。「自分は5人兄妹だが,両親もバラバラでみんなひとりひとり。 ポーランドには孤児がいっぱいいる。どうやったら家族が集まれるの?インドネシア生まれの自分に彼はフランス人の家庭に貰われて、とてもいい人間関係をも つことができたの。ヒサコ、結婚生活は勉強よね。男女の愛は長く続かないかもしれないけど、でも人間関係は勉強よね」と、既に彼との別れを予感して、でも 必死にそれを否定しているかのように,真剣なまなざしで問いかける。
クリチバ生まれのミッシェルは、去年私がブラジルに行ったと言うと,とても喜んでくれが、直ぐに「ブラジルを旅行するのは難しいでしょ?」と訊いて来た。 「なぜ?」「ブラジルはとても広いし、皮膚の色もみんな違うし・・・。ヒサコが行ったブラジリアってどんなところ?」と逆に質問されてしまった。
小さな空間に身を寄せ合って歓談しながらも、みんなそれぞれ故郷をでて,内に苦しみを秘めながら、他者との出会いに確かな絆を求めているようにみえた。ここには現代地球のひとつの小さな縮図のような空間があった。