2009.6.10

先日、CAVEのシゲさんと、バス通りのマンハッタン通りを曲がって、静かな住宅街の道を歩いていると、前方の角から全長8メートルもあろうかと思われる 長くてデッカいはしご車が、狭い四つ辻をぎりぎりに大回りしてノロノロ走って来た。シゲさんがいうには、消防署の運転手は勤務中何があっても車から離れて はならないそうだ。たとえドーナツ一つ買いに行くにしてもだ。ヘェ~ホントなの?マンガみたいな話だねぇ!すると図体のおおきなあの車、今どこに行くのだ ろう。タバコでも買いに行くのか?
Bedfordから地下鉄に乗ると必ず誰かが私に席を譲ってくれる。混んでいる時でも、席が空くと座ろうとする人を制して、遠くから私に手招きして「ここ に座れ」と合図を送ってくる。そのようにするのは、何故か老若男女を問わず黒人が多い。日本の優先席で席を譲られる時の雰囲気とは随分違う。
宿の女主はマルタというポーランド人。その名のごとく親切で働き者だ。初めは分からなかったのだが、なんと宿の主夫婦は、調度品で飾られた大きな寝室や居 間や書斎のある、我々に貸している部屋の真下の半地下に住んでいた。ある日マルタは、その半地下に私を連れて行き、そこから通じる中庭を見せて「ここに 座ってパソコンをおやりなさい。気持がいいわよ。いつでもどうぞ」と言ってくれた。狭い中庭にはクレマチスが今を盛りと咲いている。紫の濃淡が爽やかな風 に揺れて美しい。「ポーランドに、貰い子で育てた息子と娘がいて、もう二人とも家庭を持ち、孫も3人いるの。戦争前のポーランドは、ドイツになったりポー ランドになったり大変だったわ。ロシア語、ポーラン語、ドイツ語だけしか許されなくて。全く自由はなかった。でも今は夫と二人で世界のどこにでも出掛ける わ。ついこの間私たちキリマンジェロに登ったの」「えぇ!すごい」と話は尽きない。そしてマルタは「私たち、いろいろな人に出会うの好きなの。それはとて もいい事だわ」と結んだ。
4月フランスのアンジェで出会った人たちと異なった在り方をマルタの内に見た。欧米諸国と一言で言うけれど、“欧”と”米”とは全く異質だ。
さて、ニューヨーク在住の日本人はみな、ブッシュからオバマに変わって人々の気分が目に見えて明るくなったと言う。うれしいことだ。
前回のニューヨーク滞在はマンハッタンだったが、今回はカジュアルな地区Brooklyn(10年位前までは近寄ってはならない無法地帯だったそうだ)での2週間。摩天楼のニューヨークではなく、庶民の生活の中のニューヨークを感じる事ができた。