初めてのパレルモ

10月28日付け朝日新聞夕刊に「マフィアのナンバー2逮捕」という記事を読んだ。見出しの下に、南部シチリアを拠点とする犯罪組織「コーザ・ノストラ」のナンバー2、メッシーナ容疑者の顔写真が載ってる。38歳の彼は、11年の逃亡の末,逮捕直前まで、隠れ家で映画「ゴッドファーザー」を再現したゲームソフトで遊んでいたらしい。
私がこの記事に目を止めたのは、きっとその1ヶ月前の9月の末、パレルモ公演のためにシチリアのパレルモにいたからだ。
ナポリの国立考古学博物館の「ファルネーゼの部屋」での公演を終えてパレルモに向かう機内で、通訳の真人さんが教えてくれた。「パレルモ空港からリムジンバスに乗って暫く走ったら、右側にポールが見えます。そこを通る時、大抵のイタリア人は感情を露にします。ぼくの妻のダニエラなんて涙を流すんですよ」「ヘェ〜。なぜ?」「十数年前に、公然とマフィアと闘う判事さんがいたのですが、ある日彼が空港から市内に向かう途中、道路に埋め込まれた爆弾が炸裂し死んだのです。マフィアたちは、正確に判事の行動を計算して、道路からはるか離れた山間から判事の乗った車を双眼鏡で追跡して、爆弾にスイッチを入れたのです。その現場にポールを立てたんです」彼の話を聴きながら思わず、映画「ゴッドファザー」の、車が爆弾で木っ端みじんにぶっ飛ぶシーンが目に浮かんだ。
以前,イタリア人の友人から「シチリアに行ったら、マフィアという言葉は口にしない方がいいよ」と言われたことがあった。庶民の生活の隅々にまで,マフィアの力が及んでいるのだろう。たとえば、車を盗まれても,その筋の人に頼めば,翌日ちゃんと戻ってくる。そうしない限り、盗難事件は永遠に迷宮入り。しかし頼んだ限りは,永遠にその関係は切れなくなる。切ろうとすれば死を覚悟しなければならない。まさにコッポラの映画そのものだ。ファミリーの内と外の違いは、生きるか死ぬかの違いでもある。
私たちのパレルモ公演の主催者のジョゼッぺ・カニツォ氏は、弁護士という肩書きをもつ一方、「友愛」という標語のシチリア・ジャポネーゼ文化協会の会長を既に5年間も務める、実直で温厚な紳士である。
公演が終わって、ジョゼッぺ氏は、私たちと別れるとき「私は,イタリア人ではなくパレルモ人です。」ときっぱり言った。困難な問題があっても、誇りを持ってパレルモを愛している彼の熱い思いがそこにあった。
ローマ,ナポリ,シチリアと南に行くに従って,トマト,オレンジ,ワインの香りと色が濃くなっていくように,人々のカラダの内に流れる血液も、次第に濃縮されていくのだろうか。
ローマに戻り、「一番の問題は,イタリア人自身の内に、マフィア的要素があるということです」と言ったイタリアの友人の憂いを含んだ顔が、今でも深く印象に残っている。
狂ったように暑かった今年の夏、8月の末の「バッハのフーガの技法とオイリュトミ―」公演、9月10、11、12日の「カルミナ・ブラーナ」公演、引き続きナポリ、パレルモ、ローマ公演と、自然界にまけず劣らず、わたしの夏も熱かった。
国分寺の秋も、美しく深まっていく。やっと静かな時間を得て、これから何が生まれてくるのだろうかなどと思い巡らしている。