ゆきがふる

数日前、新聞で死刑囚永田洋子さんが獄中で病死したとの記事を目にした時、こころのどこかが哀しく、また「そうだったの」とどこかが軽くなった。親戚でも友人でもない私が、凄惨なリンチ殺人の犯人の彼女を「洋子サン」と親しげに呼んでしまうのは、ただほぼ同じ時に生まれた二人の女の子が、ある時から一方は死刑囚となり、もう一方は結婚して母親となり、同じ時間を同じ空気を吸って生きてきた、という見えない繋がりを感じるからだと思う。
洋子サンが、1972年2月群馬県の山岳アジトで逮捕されてから、死刑囚となり、留置所の独房の中で病死する今年の2月5日までの40年間を、何を思い、何を見つめ、どのように生きていたか、私には想像できない。
きっと女学生だった頃の彼女は、平和な世界を願って、夢と希望をたくさんもっていたのだろうに。(私もそうだった。)その女の子が、どうしてあのような恐ろしい事件を起こしてしまったのだろうか? 極限状態、権力欲、男女問題、性格、嫉妬、いじめ、弱さ、虚栄心・・・。外側からは、どのようにでも言うことができようが、その当時、事件を新聞で読んだ私は、その事件の首謀者が、自分の年齢とたった2ヶ月しか違わない女性であると知って、何故か哀しみでいっぱいになったのを憶えている。
これから、この人はどうやって生きていくのだろうか? 独房の中で、死刑囚として自分の死に向かいながら、ひたすら犯した罪をカラダの中に深く刻印し、罪の償いをし続ける・・・。果たして罪を償いきれるのだろうか?
そんな風にして、子育てを始めたばかりの当時28歳の私の心の片隅に、洋子サンの存在が住み始めた。
今日、東京は珍しく雪。午後から「ザ・高円寺」に、今村昌平の「にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活」を観に行く。戦後25年の歴史のドキュメントタリー映画だ。安保闘争、学園紛争、ヘルメットをかぶった学生たちと機動隊とのはげしい攻防戦。火炎瓶が炸裂する。ゲバ棒をもつ洋子サンも、あの渦の中にいたのだ。それから2年も経たない2月、春を待つ冷たい山の中で・・・・。
国分寺に戻ると、雪はみぞれに変わっていた。そうだ!駅の花屋で梅の枝を買っていこう。もうすぐ春がくる。