angers舞台二日目

ダンスと演劇を比べるならば、言葉を中心とする演劇と、行為(動き)を中心にするダンスの違いということになるが、本質的には、「表現」と「現実」の違いという事になろうか。舞台で踊っていて常々感じるのは、なにかを表現しようとしているのではなく、ひとつの現実を創りだそうとしている、ということであり、そしてこの「生み出された現実」が日常的現実よりも、遥かににリアリティーを有しているというという事を確認しようとしている自己自身である。演劇におけるリアリティーが「変身」のリアリティーであるとするなら、ダンスは変身ではなく、ただ真の自己自身であろうとする。「鉄」という素材で何を創りだせるか、ではなく、ただ、「鉄という素材が何か」ということだろう。
ダンス空間は表現と現実、変身と自己、表現と暴力の両極を行き来いしているように思える。犯罪者にとって、しばしば犯罪自体が表現である場合がある。
ダンスが演劇空間に接近するにしたがい、ダンスは弱体する。反対に現実、自己、暴力、犯罪的であればあるにしたがい、ダンスはその強度をます。
という意味で、どうも二日目の舞台は演劇的空間のベクトルへと傾いていたとのではないかな?