吉増剛造「詩とは何か」

アキラの78歳の誕生日も過ぎた。日が経つのがどんどん早くなる。うっかりすると、いつの間にか、自分の存在が消えているかもしれない。2日前に会った友人は、誰れにも知られず、泡のように消えたい、と言ったので「消える少し前に、消えるわね、と言ってね、お引き留めしないから」と言った。
急激に体の機能が壊れてきた。まだ、頭の中はいろいろな言葉が蠢いている。もし、次の瞬間、体が崩壊したら、この言葉の蠢きはどこにいくのだろう?
先日、詩人の林浩平さんに、吉増剛造さんの新刊「詩とは何か」を頂いので、読み始める。凄い!どんどん吸い込まれて行く。どこまで行くのだろうか。言葉がはじけ生まれるところを覗いてみたい。消えるのはまだ早い。

私のまわりには 愛だけがあるのです。

急に寒くなった。これから冬に向かって心細いなぁと、少々落ち込み気味。
半世紀近く、私の命をのせて、一緒に走ってきた私のリウマチカラダも、いよいよ終末期に向かって、生きるための基礎ー食べること、歩くこと、話すことーが難しくなってきた。自分の十字架は自分で背負うべし、と勢いよく宣っていた、いつものヒサコサンは何処へやら……自然に訪れる老化+リウマチカラダの機能崩壊……はて、どうしよう、と思い倦ねていたら、千葉に住む50年来の知古舞踊家のキョウコさんから、ベニアズマのさつま芋が沢山届いた。歯を失った私にとって、嬉しい食べ物。ありがとう! 
早速、ホクホクの焼き芋を食べる。すると、落ち込み気味のヒサコサンは何処へやら⁉︎
ユルスナールの「ピラネージの黒い脳髄」を読みながら、肉体は牢獄?なんてあれこれと思い巡らして………そうだ! 久しぶりに、色遊びしよう と閃いた。

「私のまわりには 愛だけがあるのです」
「私のまわりには 愛だけがあるのです」

10月になってー日々の雑感

お馴染みの美容院で、7月中旬「夏の間は暑いから、次は10月、秋になったらね」と約束したので、 10月初め、早速、店に予約の電話を入れると「彼は亡くなりました。申し訳ございません」という女性スタッフの返事。えぇ⁉︎……突然頭の中に〈伸びましたねぇ〜短くしましょう〉という彼の明るい声が聞こえ、目の中に、いつも私の髪のカットをしてくれる、息子と同い年の、彼のニコニコ顔が現れ………。
台風一過の翌日、3年前に手術した人工関節の定期検診で、美しく晴れ渡った秋空の下、キャブ(障害者用タクシー)に乗って、アキラと相模原の病院に行く。一年前に予約した日がきたからだ。レントゲン写真を見ながら主治医の先生のお話に耳を傾け、お終いに「では、次は一年後の今日に」と言われ………そうかぁ………一年先かぁ………果たしてその時、私はいるかな?
倉庫にあった段ボール箱の中から、1982年2月にStuttgart 市で取得した、私の身体障害者証が出てきた。38歳の時のこと。楽しそうに笑っている写真が貼ってある。若かったね。間もなく77歳になる今でも身体障害者は続いているけど………思い煩うことなし。毎日祝祭。今日を生きれば、時は向こうからやってくる………なんて、コロナ禍でも、相変わらず、ケセラセラの日々。

Schwerbehindertenausweise  für Kasai Hisako  geboren am:10.12.1944
Schwerbehindertenausweise für Kasai Hisako / geboren am:10.12.1044

夏の終わり

8月の終わり天使館で、アキラがヨハネ黙示録のテキストで踊った。音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「ヨハネ受難曲」
夕方、アキラと散歩に出た。雨の後の空気が、しっとりと重たい。灰色の雨雲が、国分寺の森一帯に垂れ込めている。横にいたアキラがーあぁ 終末の風景だーと、ボソッと呟いた。
雨が降り出した。西の空が真っ黒………早く帰らなければ………私たちは家の方に向かって、急いだ。
 「子羊が、第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた」
                      (ヨハネによる黙示録 8章1節)
明日から9月。新しい月が始まる。

今再び、シモーヌ・ヴェイユの言葉

シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」を読む。岩波文庫の表紙カバーの文章に「ドイツ占領下の祖国再建のために起草した私的憲法案。亡命先で34歳の生涯を閉じたヴェイユ渾身の遺著」とある。
ヴェイユが亡くなった1943年の翌年生まれの私が34歳の頃、三人の男の子の子育て真っ最中の私にとって、ヴェイユの評伝から浮かんでくる、彼女の素晴らしい頭脳、容姿の美しさ、男勝りにタバコを吸うカッコ良さ、堪え難い偏頭痛持ちさえをも加えて、ヴェイユは、憧れの人だった。とはいえ、就寝前に読む「重力と恩寵」の数行は、私にとって、単なる甘美な睡眠薬だった。あれから、40数年経った今、コロナで閉じ込められ、壊れていくカラダを言い訳に、怠け者になりつつある私にとって、彼女の言葉は、私の魂の覚醒剤だ。
「根をもつこと」の第一部『魂の欲求』は「義務の観念は権利の観念に先立つ」と始まる。今日世の中で、先ず声高に叫ばれる「権利」は?と最初から考え込みながら「自分に救う手立てがあるときに、だれかを飢えの苦しみのうちに放置しない。これが人間にたいする永遠なる義務のひとつである」まで読んでほっとする。人間が創り出した文明に、いつの間にか人間自身が壊されていくような日々、ヴェイユの言葉から、諦めかけ眠りかけた私の頭に向かって、清々しい風がふいてくる。

カラダが壊れてきた

猛暑の日々。昨日も明日もない。今日の中に過去も未来も詰め込んで、今を生きている。
いよいよ、カラダが壊れてきた。指の関節が脱臼して力が失せ、冷蔵庫が開けられなくなった。これは由々しいことだ! 自分のカラダのどこもかしこも壊れていくのを横目で見ながらも、面白いことがあれば、観たい、読みたい、聴きたい、行きたい、と心が動く。サポートなしには立ち行かないと知りながら……カラダを携えて生きていくのは、容易なことではないなぁ……などと、あれこれ思い巡らしている。

嗚呼 ディートリンデ!

「ディートリンデが死んだ!」と、次男のレイジが伝えてきた。えっ………どうしたの? 何ですって⁉︎ ………「キルギスで。コロナで」………。
ディートリンデとどうやって知り合ったのか思い出せない。40年前、私たち家族がドイツに住み始めてから、彼女はいつも存在していた。彼女は出会った人に、分け隔てなく、自然に、当たり前に、心地よく、自分の存在を与える人だった。だから、私たちも自然に、当たり前に、心地よく、彼女の存在を呼吸してきた。
2年前の7月、20年振りに旅行でシュツトガルトを訪問して、ディートリンデに会った。少しも変わっていなかった。私は、知らず知らずのうちに彼女の大きな呼吸に包まれている自分に気づき………心の中で〈ディートリンデ あなたは、真に愛の人ね〉と呟いた。
別れ際、彼女は「ヒサコ 今度、キルギスの子どもたちに会いにいくの。一緒に歌って踊るのよ」と言って、私を強くハグした。それが最期だった。
ディートリンデは、美しい人、温かい人、優しい人、強い人、ドイツ人でもあり日本人でもあり、キルギスの人でもあり………愛の人。
今夜も私は、星空に広がったディートリンデの存在を呼吸している。

40年前、ディートリンデが私に編んでくれた。今でも暖かく美しく私を包んでくれる。
40年前、ディートリンデが私に編んでくれた。今でも暖かく美しく私を包んでくれる。

ユルスナールとトーマス・マン

トーマス・マンの「魔の山」の主人公ハンス・カストルプと、もう随分長く付き合っている。20代で読み始め、即、挫折。30代、40代、50代、60代と代を重ねる度に、読み返しと休止の繰り返し………。77歳になろうとする今も、ハンス・カストルプくんが気になる。どうしてかしら?
今年の春に須賀敦子さんに導かれて、マルグリット・ユルスナールの著作を読むうちに、私にぴったりの服に出会ったような嬉しさで、すっかりユルスナールに夢中になった。マンが頭から消えている時、古本で見つけたユルスナールコレクションの「目を見開いて」の中で、著者がトーマス・マンについて「マンの人柄のなかには私にとって不快な要素も無数にあります。私がこの作家を発見したのはかなり遅かったのですが、非常に違う見方から出発していながら、私たちの仕事のやり方というか方法がかなり近いとわかったときには、もちろん驚嘆しました」と語っているのを読んだ。他の箇所でも度々マンの名前が登場する。半世紀前からトーマス・マンを引っ張ってきた私が、後期高齢者になった今、ユルスナールに出会とは‼︎
ユルスナールは、圧倒的なイマジネーションの渦を、壊れかけた私のからだに流し込む。
トーマス・マンは、山の天気のように気まぐれな私の頭腦に、時折、明澄な風景を私に示してくれる。
共に19世紀末から20世紀にかけて生きた二人の先達が、今を生きる私を彼方の未来から見ていてくれる………。
「私たちはみんな似た者同士ですし、同じ終焉に向かって歩いているのです」
                        ーマルグリット・ユルスナールー
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自分の中に見えない他者が住んでいた。

ミツタケが、先日車で連れていってくれた秩父の町の食堂で、私がオムレツを食べているところを撮った(盗撮⁉︎)動画を、LINEで送ってきた。うひゃ〜これ誰? 黄色い小型ラグビーボール形のオムレツの上に、顔を突っ込まんばかりに近づけて、両手をちょこんとお皿の両脇に置き、ねじ曲がった指でスプーンを器用に動かし、何やらおしゃべりをしながら、子どものようにオムレツご飯を美味しそうに食べている。
自分のからだは、直接自分で見ることはできない。まして自分が動いている姿を見られるはずがない。
この度、自分が動いている姿を目撃して、びっくりするやら可笑しいやら………映像の中の、自分と全く結びつかない老女が限りなく愛おしくなってきて………自分の中に見えない他者が住んでいる!

大野チエさんのこと

先日、散歩の途中で、大野一雄先生の奥さまチエさんにそっくりの方にバッタリ。思わず近寄って、立ち話してしまった。
上星川の大野先生のお家に初めてお邪魔したのは、二十歳の頃だったと思う。
「夜空に流れる星の川」なんて、上星川とは、なんと素敵な地名なのだろう、などと思いながら、暗い上星川の駅から細い上り坂の道を丘の上の先生のお家まで、アキラと一緒にワクワクしながら登ったのは、昨日のことのよう。深い闇にすっぽりと包まれて、先生のお家があった。玄関を入ると暗い廊下の先に部屋の灯りが見えた。確か廊下の左側には、当時ご存命だった先生のお父様のお部屋があったように思う。灯りの見えた廊下の突き当たりの南に面した部屋は、6畳位の広さで、そこは、右側に小さな流し台と調理台、真ん中に大きな食卓があり、キッチン・茶の間・居間・応接間………人が集まる場としての全てが備わっていた。大野先生は、私たちにすき焼きをご馳走しようと、食卓の上に用意された牛肉、長ネギ、白菜、春菊などをコンロ上の鍋に突っ込み、豪快に味付けをする。ぐつぐつに煮え始めると「さあ、食べろ 食べろ」と勧める。そんな先生と背中合わせになって、チエさんは流しに向かい、黙々と野菜を刻んでいた。
いつ伺っても、突然、誰かが訪れても、いつもご飯が出てくるので、まるで手品のようでミラクルだ、などと呑気に思っていた私も、後で、あの大量の牛肉や野菜類の重たい買い出しを、毎回チエさんが一人で、細い上り坂の道を運でいたと知り、若い私が何のお手伝いもしないでご馳走になるばかり、自分の至らなさに呆れて、恥ずかしかった。そんな大人になりきれていない私とアキラの結婚の仲人を、大野先生とチエさんは喜んで引き受けてくださり、緊張しまくっている花嫁の私の手をそっと握ってくれたチエさんの優しさが忘れられない。
多く言葉を交わしたことがないけど、チエさんに会うといつも肌の温もりを感じた。
それからずいぶん経って、横浜郊外にできたテアトルフォンテという劇場に先生のソロ公演を観に行った時、終演後、ファンでごった返す楽屋の入り口に、チエさんが一人で座っているのを見かけた。その時ふと、珍しいなぁ、先生の公演にいらっしゃるなんて、と思ったのを思い出す。その後、先生の海外公演に慶人さんのご家族と一緒に行かれたとか。確かに、アキラの「花粉革命」北米ツアーでロスアンジェルスに行った時、劇場のオフィスの壁に貼ってあった「ラ・アルヘンチーナ」の大きなポスターの出演者やスタッフのサインの中に、小さな字で大野チエとあるのを見つけ、懐かしく、うれしかった。
最後にお目にかかったのは、高井富子さんの踊りを渋谷のジャンジャンに観に行った時だった。狭い会場の最前列に、チエさんは先生と並んで座っていた。終わって、地下から地上に出ると、薄曇りの春の夕暮れ時で、まだ昼間の暖かさが残っていた。叡と私は、先生と手を繋いで渋谷駅に向かって坂を下っていくチエさんの後ろ姿を見送った。
それから間もなくして、チエさんの訃報を聞いた。急いで、上星川のお家に向かい、玄関を開けると、突き当たりの部屋から慶人さんが出てこられ「母さんが亡くなってしまった………」と、少年のような美しい目に涙をいっぱいためて、悲しげに呟かれた。
チエさんも、大野先生も、高井富子さんも、慶人さんも、もういない。
目を閉じると、あの時この時の、光の色、匂い、人々の温もり……が、私のカラダのすみずみに広がり………ああ、美しい人たち‼️

復活祭

お友達が「この間まで、ピンクの花が並んでいたけど、きょうは黄色がおおかったわ」と言って、黄と白のマーガレットにレモンの輪切りまでついているお花のアレンジメントを持ってきてくれた。明日は復活祭だものね。
12年前、フランスのアンジェでの復活祭の日を思い出す。日本人も含めて7つの国からやってきたアキラのダンスWS生17人が狭い屋根裏部屋に集い、肩を寄せ合って卵に色付けし、ワインを飲み、お喋りをし、ワイワイ楽しんだ。イラン人のモハマッドとイスラエル人のヤイルも一緒。ブラジル人のミッシェル、ポーランド人のアグネッツッカ、インドネシア人のエマ、ポーランド人のマリア、日本人の芽里……みんな今どうしているかな………みんな自国の問題、自分の悩みを抱えながらも、ダンスを通して共に在ることに喜びを感じていた。落ち着いた佇まいの中世の古都アンジェで体験した復活祭。今日のコロナ禍にあっては、あれは遥かむかしの話なのだろうか。
日々、カラダの機能が失われていく。失ってみて、人間の体の機能の素晴らしさに気がつく。初め、誰がこの体を創造したのだろうか………などと考えながら、散歩に出ると、暖かな陽射しを受けて、桜の幹に可愛い若葉があちこちに見える。ああ、気持ちがいい……。明日はキリストが復活した日。

近所の空き地 たんぽぽの群生
近所の空き地 たんぽぽの群生

上村なおかのソロ

同じように、春が再び巡ってきた。桜の開花宣言と緊急事態宣言の解除と睨めっこしている。庭には春の陽光がいっぱい。いつの間にか、ライラックの濃紫色の芽の先は白味をを帯び………いつの間にか、壊れつつあるリウマチカラダの内に美しい春の光が差し込んで……。
天使館で、上村なおかのソロを観た。
気がつくと、中庭の扉から螺旋状にねじった体に自然を丸ごと引き連れて入ってきた。漆喰の白壁と白木の床の空間に、ダンサーの内なる自然が現れる。床の感触、微かな空気の揺れ、喉の奥底から聞こえる声、痙攣する指先、飛び跳ねる足先……窓を開ける。突然、闇が覗き込んできた。荒々しい呼吸、遠い体の記憶、幼い頃の……。
いつの間にか、私の体もダンサーの内なる自然のなかで、呼吸し、感じている。静かな時間。時間を超えた時の流れ……。宇宙を内包する女性存在の強さ……。
 
春爛漫。うれしくもあり、おそろしくもありのヨワムシヒサコさん。

国分寺の桜の園
国分寺の桜の園
明日はどんな天気かな?

あれから10年……

「天使館 VOL.II」は、2011年4月18日に上梓された。その【編集後記】を読む。
 
 1971年8月から79年8月までの8年間、その稽古場ではもっぱら舞踏の稽古が行われた。同年、笠井の渡独にともない天使館は休館。1985年春、オイリュトミーの研鑽を終えた笠井は、天使館をオイリュトミーの活動の場として再び開いた。
 昨年の秋ふと、文集「天使館.II」を出すのは、今だ、という思いが頭をよぎった。「VOL I」は35年前、当時天使館に舞踏の稽古に通って来ていた若者たちの文章を編んで出版した。VOL IIでは、オイリュトミーシューレ天使館の卒業生たちで結成されたペルセパッサ・オイリュトミー団の団員たちと、シューレ卒業後、様々な道でオイリュトミーを深めている人たちに、原稿を依頼した。
 今年2月になって、次々と手元に届く原稿からオイリュトミーが、ゆっくりと確実に、書く人の「いのち」に結びついていく様がうかがわれて、感銘を受けた。
 3月、南からの花の便りもうれしく、編集作業にも拍車がかかり始めた時の3月11日午後2時46分、東北関東大震災が起こった。一瞬にして多くの「いのち」が失われ、多くの方の生活の根拠が消え去った。
 今、深い悲しみの内にありながらも、35年ぶりに文集「天使館」に寄せられた「コトバ」が、根こそぎ消えた大地の底から、再び、「カラダ」が紡ぎ出す「いのち」に結びついた「コトバ」の芽となることを、私は信じたい。(H.K.)
あれから10年、私は何かを学ぶことができたのだろうか?

「天使館 VOL.II   オイリュトミー」
「天使館 VOL.II オイリュトミー」

 

散歩にでる時

いつも散歩に出る時、エィっと自分で自分に気合を入れなくてはならない。ヨワムシだなぁ〜ナマケモノだなぁ〜ナサケナイなぁ〜ヒサコサン。でも、首にカラーを巻いて、靴を履いて、マスクをして、せつ子さんから頂いた超カッコいい帽子を頭に載せて、カートを出して……やれやれ、玄関を出ると、急に嬉しくなるのは何故だろう。
首の骨が頭を支えられないので、転倒しないように、前方を見ずにもっぱら自分の靴の動きを見ながら歩く。でも、春先の空気の匂いや、袖口からスゥーと入ってくる風が胸の辺りを通り過ぎるのを心地よく感じながら、今はまっているユルスナールを頭のどこかで思いながら歩いていると、自分の壊れかかった体のことが気にならなくなる。
史蹟公園の一本松の曲がり角まで来た時、私が曲がる方向に大きな車が止まっているのに気がついた。私が通り過ぎるのを待っているのだ、急がなくては!と思った途端、公園で作業をしていたおじさんが「おばあちゃん、大丈夫だよ、私がいるから」と言って、私の背に手を当てて、車が通り過ぎるまで守ってくれた。「ハイハイ、ご親切にどうも ありがとうございました」と、それまでユルスナールになっていた私から、急におばあちゃんになった私の体に、ゆっくりと温かさが行き渡る。また、しばらく行くと、前方からオートバイの音がして止まった。次男のレイジだ。「どこいくの、散歩?気をつけるんだよ!」まるで母親が子どもにでも云うような口振りでいうと、さぁと走り去っていった。……ハイハイ、充分気をつけます、ありがとう……。それからも、自分のペースでゆっくりカートを押しながら、自分の十字架は自分で背負わねば………などとぶつぶつ言いながら、背中を丸めて前屈みの姿勢で、ひたすら地面を見ながらあるいていると…極楽とんぼのヒサコサン。アナタはそれで充分幸せよ…と、どこかでもう一人のヒサコサンの声がする。ココロはカラダをいたわりカラダはココロを支え……沈丁花が香ってきた。明日も散歩に出よう。

ふにゃふにゃの指

今日は、寒い。いつの間にか、自分の手の変形が驚くほど進んでいるのに気がついた。始まりは20年ほど前の3月のこと、右手の中指が脱臼して、みるみる間にふにゃふにゃになってしまった。その時、私は頚椎固定手術を受けた後で、首にハローベスト(頚椎固定器具)を装着して病室のベッド上で寝ながら自分の指を眺めていたのだ。直ぐ、主治医にぶらぶらになった中指を見せると「よしよし、当て木でも当てて縛っとけ」と取り合ってくれない。指の関節より頚椎の方が重大事なのだろう。お陰で、今までもふにゃふにゃのままだ。
それから20数年、ゆっくりゆっくりと骨の崩壊が進み、今はマシュマロみたいに柔らかい小さいお団子が重なっているような掌に、ふにゃふにゃしたクラゲのような指が付いている手となった。それでも、私の思いをiPadのキーボードにペンシルで打ってくれるからありがたい。
このちょっと滑稽で可笑しい形の、私の愛しい指たち、いつまで私のために働いてくれかい?
昨夜、浅見裕子新作舞踊「コーボルト・スペーシー」を、天使館で観た。暗黒の地中からボソボソと地上に這い上がってきた四人のコーボルトたちが、一斉に色を纏い、カラダに音を響かせ踊る姿を観ているうちに、私の修理不能のカラダの内も、一緒に踊った。
いつの間にか消えてしまったクリスマスローズが、庭の片隅で一輪咲いている。クロッカスも水仙も伸びてきた。小鳥たちも飛んできた。風が吹いている。

クリスマスローズ。庭の片隅で咲いていた。
クリスマスローズ。庭の片隅で咲いていた。

私の靴

須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」に誘われて、すっかりマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」にはまってしまった。
……われわれはみな人間的条件の狭い限界からのがれたとと信じ、獣の姿で殺されるとも、人間の姿で獣を殺すとも見える神そのものに同化して、自分が自分自身であると同時に敵であるかのように感じた。………勝利も敗北も、同じ太陽から発するそれぞれ異なった光線として、まじりあいもつれあっていた。……(多田智満子訳)
なにしろ、我が家の庭に造った天使館は、ハドリアヌス帝が自身と一族のためにローマに建設した霊廟 聖天使城の名前に由来しているんだもん。それに、ローマの友人マリアピアは、私たちがローマに行く度に、車で市内をぐるぐると案内してくれた。彼女を訪ねて何度ローマに行ったことか………。光の色、微風の感触、木々の葉の微かなざわめき、人々の笑い声、テベレ川を巡る車の列、クラクションの音………トラステベレの落ち着いた小さなレストランのランチタイム。私の体に広がるローマの記憶。ああ また行きたい!
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」とはじまる「ユルスナールの靴」でも、私の足にきっちり合った靴はただ一足。両足10本の指がくねくねとからみあってお団子のように変形した足が履ける靴を、20年以上前に靴屋さんにオーダーメイドして以来、ローマ、ナポリ、シチリア、ドイツ、アメリカ………どこに行くにも、雨の日も、雪の日も、いつも唯一の靴で歩いてきた。
今私は、多田智満子さんの素晴らしい訳に魅せられて、2000年前のローマの光、微風、樹々の陰翳………の中で、賢帝ハドリアヌス帝、すでに四半世紀前に彼方の世界に旅立たれたユルスナールと共に歩いている。

私の唯一の靴
私の唯一の靴

晴れの日が続くと曇りの日が恋しくなる………

目が覚めると、雨が降っていた。「櫻の樹の下には」公演の前からも終わってからも、昨日まで、ずっと晴天続き。水温む春どころかお鷹の道の清流も枯れて、水の中の小さな魚たち、地中で春の光を待っている蟲たち、道端の雑草、庭の草花………みんなほっとひと息、よかったね 。
ときどき、自分が突然いなくなってもおかしくないな、と思ったりする。転倒による頚椎損傷で、クスリを喉に詰まらせて、誤嚥性肺炎で、コロナに感染して、地震に巻き込まれてetc. とはいえ、このような事を頭の中で思うだけで、身体にその実感は無い。
いつの間にか、乾涸びていた庭の土は、しっとりと雨水を吸って蘇っている。
あっ、白と茶の大きな野良猫が、堂々と庭を横切った。耳を澄ますと、春を待ちわびる地中の虫たち草花たちの歓びの声が聴こえ……雨も上がり、オレンジ色の薄日が差してきた。
ワクワクと身体が嬉しがっているな。さて、カートとマスクで散歩に出よう。

もう そこまで春はやってきた………
もう そこまで春はやってきた………

 
        
 

途上の人ー故山野博大氏にー

2月7日、吉祥寺シアターでの叡の新作公演「櫻の樹の下には」の最終日の幕が上がる直前、舞踊評論家の山野博大さんが5日の日にお亡くなりになった、とミツタケがラインで知らせてきた。
何言っているの!? だって私、4日の初日の開演前、シアターのカフェで山野さんにお目にかかって、お話をしたばかりよ!……随分長いことやって来ましたねぇ…だんだん ひとりひとりいなくなり、などと、淡々とお話ししたの。50年以上の時間がいっぺんに凝縮されて……10代の終わり アキラの踊り始めから……私たちの結婚式にも参列してくださり……踊りの公演会場では、必ず遠くにお見受けし……いつの間にか、美しい白髪に………いつも途上の人……奇しくも この世で最後にご覧になった舞台は、さくらの精の独白「時間は空間に 空間は時間に やがて劇場は消滅する」から始まった 死者の世界から立ち上るアキラの最新作とは! いつまでも途上の人であり続ける山野さん なんと清らかな後姿なのでしょう 。深い感謝の思いと温かさに満たされて、私も いつまでも 途上の人であり続けたい。

水越朋のダンス

昨夜、天使館で水越朋のダンスを観た。
木の床に置かれたメトロノームが音を刻む-カチカチ カチ-。スピーカーから聞こえるノイズ、水の音、鳥の鳴き声。混じり気のない、疑いを知らない、子鹿のような肢体、しなやかな動き………。さまざまな線が、曲線、円、直線、点、前に、後ろに、上に、下に描かれる。純粋な音とカラダと動きの透明空間から、仄かな香りと色が滲みでてくる。
今日の午後、史跡公園を一周り散歩しながら、ふと、水越朋のダンスする顔は、どことなくパウル・クレーの天使の顔に似ている、と心に浮かぶ。真っ青な冬空、冷たい風、大寒とはいえ、遠くの国分寺の杜の樹々は、確実に春のひかりを呼吸しるようだ。
 「青が深まるごと、なおいっそう人間に無限への思慮を呼び起し、純粋さや、ついに
  には超感覚的なものへの憧憬を喚起する。青は空の色なのだ」
            カンディンスキー 『芸術における精神的なもの』より

冬の蝿

昨日はキラキラするような春めいた冬日。今日は冷たい曇天の冬。
数日前、キッチンの入り口から小さな蝿がひらひらと迷い込んできた。昼間はどこにいるのか、夕方寒くなると、私のおでこ付近を通り過ぎる。最初、疲れ目に起こる飛蚊か、と思った。手で払っても、また、ふらふらとおでこ付近を通り過ぎる。五月蝿いなぁ、と思いつつ放っておくといつの間にかどこかに飛んでいってしまう。ところが就寝時にまた現れ、私から離れようとしない。やれやれ、困ったものだ。昨年一年は、withコロナ&リウマチのダブルパンチの日々だったが、今年からは、Fliesまで加わるか…?
翌朝、蠅はすでにキッチンの中を飛んでいた。庭の方にとガラス戸を開けも、素早く高みに逃げて見えなくなる。アキラと朝食を食べ始めると、降りて来て、食卓の隅の陽だまりに止まった。「アキラ、急いで!」と新聞紙を丸めて手渡すと、加齢性黄斑症で視野が歪むアキラ、小さな蝿めがけてパッシ。空振り。再び、食卓に止まったところを、今度は命中。思わず、やったね!と安堵したものの、蝿だって、寒い夜は人肌の温もりが欲しいだろう、冷たい朝は太陽の暖かい恵みに与りたいだろう……などと身勝手なことを考えながら、withコロナ&リウマチの日が過ぎていく。
  冬の蝿
 凍る夜
 一匹の蝿われにきて
 掌のぬくもり盗む哀れさ
      詩集「赤鴉」 吉岡実

お正月2日

昨年の暮れの25日に10歳年上の姉を亡くした。翌26、27日は天使館で、ピアニストの悠治さんとアキラのセッション、28日は、2月の公演「櫻の樹の下には」の稽古、引き続き、みんなで年の終わりの稽古納め乾杯。30日に亡くなった姉のお通夜、31日野辺送り。コロナ禍以来、時が動いたり止まったりの日々だったのに、突然の姉の訃報に、想いを馳せる時もなく、新しい年が明けた。
そして、今日は年が明けて2日目。私はいつものように、キッチンの椅子に座って、阪本さんに頂いた柚子茶を飲みながら、10歳年上の姉は、やっぱり立派だった……都立高校を優秀な成績で卒業したお父さん自慢の長女は、洋裁和裁お料理と花嫁修行で、小学生の私に、フリルのついた可愛い花柄のワンピース、ローウエストのちょっとおませな木綿のジャンバースカートなど、よく縫ってくれたなぁ……それなのに、末っ子の私は姉と正反対で、親きょうだいを心配させっ放しの逸れもので生きて来てしまったな。とうの昔父母を亡くし、下の姉も亡くし……、しだいに淡く消えていく冬の光をガラス越しに眺めていると、私のカラダのなかに決して交わることのなかった両親と姉たちの存在がスポッと入ってきて………。これでよかったんだ!と妙に深く納得した。
さて今年も、彼方から吹いてくる温かい風をいっぱい吸い込み、一歩一歩あゆんでいこう。
  すべてはすぎ去るものならば………
 すべてはすぎ去るものならば
 すぎ去るかりそめの歌を作ろう。
 わたしたちの渇きをしずめるものならば
 わたしたちの存在のあかしともなろう。
 わたしたちから去って行くものを
 愛と巧みをこめてうたおう。
 すみやかな別れより
 わたしたちみずからがすみやかな存在となろう。
          R.M.リルケ 『果樹園』より  高安国世訳

冬至

今日は冬至。一年前の今頃は何をしていただろうか?はるか昔のことで、気持ちは今と全く繋がらない。去年10月102歳のアキラのお母さんを、今年1月に大野慶人さんを送り………3月神奈川芸術劇場で「笠井叡 DUOの會」を一回だけ公演して、コロナのため残りは中止。それから今日まで、季節の巡りを楽しむ間もなく、その日その日を呼吸して………そして、今日は1年で一番夜が長い日。明日からは日毎に光の時が長くなる。
ハンナ・アレントの「人間の条件」から
『地球は人間の条件の本体そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家であるという点で、宇宙でただ一つのものであろう。たしかに人間存在を単なる動物的環境から区別しているのは人間の工作物である。しかし、生命そのものはこの人工的世界の外にあり、生命を通じて人間はほかのすべての生きた有機体と依然として結びついている』(志水速雄訳)
明日も大切に呼吸して………安らかに おやすみ ヨワムシヒサコサン。

キッチンの机の上で  〜神の御子は今宵しも〜
キッチンの机の上で 〜神の御子は今宵しも〜

記憶が、今のわたしを温めてくれる

クリスマスが近づくと、あぁ ドイツに行きたいなぁ〜、東京の冬の青空も好きだけど、空気が凍るように冷たくなり、日毎に夜の闇が深くなるドイツの冬もいいなぁ…‥と、心の中で、シュツトガルトの森を描いてみる。
ところで、明後日私は76歳になる。朝「びっくりするほどの歳の数だよね」と食卓の向こうのアキラに話しかけると「びっくりするほど中身は成長していないね」とおっしゃる……そう言うあなただって……と心のなかで言いかけたけど……。私がアキラと初めてあったのは、16歳の時。あっという間に60年が過ぎてしまった。その長い時間を私は何をして来たのだろうか。多くの素晴らしい人たちに出会い、教えられ、導かれてきたと思っていたけど、あまり深く考えずに生きて来てしまった結果だから、中身が未成熟なのは仕方がない、と自分に相変わらずの情けない言い訳をしながら、カートにつかまりながら散歩に出た。陽が傾いて冷たくなった風が顔に当たって気持ちがいい。歩いていくうちに、今まで出会った人たち、書物の中の人たち、どこかで耳にした言葉、読んだ言葉、詩の言葉……が頭の中を風になって過ぎって行く。太古からの死者たちの記憶が、今のワタシを温めてくれている。
   おまえはわたしたちの……
おまえはわたしたちの幾何学ではないか、
窓よ、わたしたちの巨大な生をう
やすやすと区切る
いとも単純な形よ。
わたしたちの愛する人が、
おまえの額縁に
囲まれて姿をあらわすときほど、
美しく見えることはない、ああ窓よ、
彼女をほとんど永遠にするのはおまえだ。
あらゆる偶然は除き去られ、存在が
愛のただなかに身を置いている、
まわりのすこしのこの空間と共に
人は存在をわがものとする。
       R.M.リルケ 『窓』より  高安国世訳

11月25日のこと

昨日11月25日はアキラの77歳の誕生日。三島由紀夫没後50年。その年の早春、長男チカシ誕生。その直後、アキラ我が家の庭に稽古場を作り始め、後に天使館と名付ける。
師走を前にした11月の末になると、何かと思い出すことが多い。
確か、1970年の11月25日の数日前、国分寺のアキラの3畳間の狭い部屋で、詩人の金井美恵子さんとアキラとわたしの3人顔を突き合わせ「なんだか皇居の方がきな臭いね」などと、コソコソとおしゃべりしていた。3人ともまだ30に満たない頃のこと。その数日後の25日のお昼前、生後10ヶ月のチカシを乳母車に乗せて、スーパーまで買い物に出かけ家に戻ると、庭で稽古場作りでブロック積みをしていたアキラが「都内で、大変なことが起こったらしい」と言いながら部屋に入って来た。「金井美恵子さんから電話があった。まだ彼女も詳しいことはわからないらしい」テレビがなかった我が家では、ラジオをつけるしかない。そのラジオの音声も人の怒号が飛び交っているのが聞こえてくるばかり。確かに大変なことが起こったのだ‼︎ その日の朝日の夕刊一面に、散乱状態の部屋の隅に転がっている人の首が、うっすらと写っている写真を見た。翌日の朝刊にはその写真は無かった。
71年手作りの稽古場天使館が建ち上がった。以来今日に至るまで、様々な人たちがカラダに向かって踊りの稽古をしている。

1970年春アキラ稽古場建築に着手。まず、整地から。空から、大地から、みんな応援している。
1970年春アキラ稽古場建築に着手。まず、整地から。空から、大地から、みんな応援している。

小春日和の日の散歩

自分で可笑しくなるほど、指先、手の動きが鈍くなってきた…ヒサコサン、モウスコシ マトモナ 字 ガカケタデショ、モウスコシ スバヤク ウゴケタデショ!…という声がする。努力が足りないのかなぁ〜とちょっぴり思ってみるが、ナマケモノのヒサコサン、シカタナイジャン と諦める。
今日は小春日和。お日様が暖かいうちに散歩しよう と張り切って、首にカラーの装具をつけて、やっと靴を履き、カートを出して、玄関の鍵を閉めて、やっと道路に出た時、あっマスクをしてない のに気がついた(出発準備段階でなんと30分は要する)。ヤレヤレ 鍵を開けて 靴を脱いで やり直し………きっと暖かなお日様は待ってはくれないだろう。えぃ マスクなしで行こう と…晩秋の昼下がり、静かな淡い陽射し…なんと心地よいことか……と国分寺史跡の広場をカートを押してノロノロ歩いていると、突然「ヒサコさん お久しぶり」と目の前にオイリュトミストのテラの顔が現れ……本当に お久しぶり……うれしいな、コロナでどうしてるかな、と思っていた、会えてよかったね…えっ もう47歳!「僕が天使館に来たのは23歳の時。我が初人生の半分以上ヒサコさんと一緒です」って……半分家族だね……と心の中で呟く。曲がり角で、大きなトラックの窓から男の人が首を出し私の方に向かって、何か叫んでいる。なんだろう、近づいてみると、宅急便のお兄さんだ「お散歩ですか?暗くなるから、気をつけて」ですって……アリガトウ マイニチ ゴクロウサマ と心の中で手を振り……わずかに残る小春日和の暖を背に受けながら家の方へ、ゆっくり ゆっくり歩いているうちに、何故か 視覚・聴覚・歩行機能すべてが衰えつつある自分の体が、無性に愛おしく思われてくる。
    秋
樹の葉が降る 樹の葉が降る、遠いところから降ってくるように、
空の中で 遠い庭がいくつも凋んでゆくかのように。
樹の葉が降る、否む見ぶりをしながら降る。
そして幾つかの夜のあいだに 黒い地球が
孤独の中へ沈み込む、他のすべての星から離れて。
われらみんなが落ちる。この手が下に落ちる。
君のもう一つの手もー見たまえ、どの手も落ちる。
しかし或るひとりの者が在って
これらすべての下降を 限りなく穏やかにその両手の中に保っている。
             R.M.リルケ『形象詩集』より 片山敏彦訳

小さな小さな歩みでも……。

もう11月かぁ〜。アドベント…酉の市…クリスマス…おおつごもり…どんどん昼間の時間が少なくなり、夜の時間が長くなる。
 自分でびっくりするほど、様々なことができなくなってきた。例えば、今日は料理しよう!と張り切って取りかかるが、包丁がうまく握れず、野菜を刻むのに四苦八苦。お皿を取り出すのも、脱臼した指は使い物にならず………というわけで、出来上がるまで長時間を要す。やれやれと思うのだが、1日一つ何か生み出すと、やったぁ〜という気分になり、何かが動く。ほとんど自己満足の小さな小さな歩みでも、自分が自分になれて嬉しい。そんな時、自分も、周りも、限りなく愛おしく、美しくなるから不思議だ。
毎日、そうあってほしいと願うのに、そう、うまくはいかない。日々の天気のように、晴れたり曇ったり。
   山羊
ぼくは山羊にはなしかけた。
草地にたった一匹、つながれていた。
草を食べあきて、雨にぬれ、
めえめえと啼いていた。
あの啼き声は、ぼくの哀しみにそっくりだった。
だから、ぼくは答えてやった。まず冗談半分に、
また、哀しみは永遠だし、
ひとつの
声、おなじ声しかないのだから。
その声が、淋しい山羊の
なかで、啼いていた。
ユダヤの顔をした、山羊のなかに、
この世のすべての痛みが、すべての
人生の、争いが、聞こえた。
         ウンベルト・サバ『家と田園と』より/訳・須賀敦子
 

宙ぶらりんの時間

朝、友だちから「どうしている、この頃?」というメールが届いた。のそのそと起き出して、久しぶり秋の光が差し込んでいる明るいキッチンに行くと、アキラがウロウロ探しもの〜メガネを探すのに眼鏡が要るぅ〜とぶつぶつ言いながら………。こんなふうな今日という日が始まり、変わりばえのしない時間が、私の内で、ふわふわと過ぎていく。
 昼食後、提出期限が疾うに過ぎた翻訳塾の課題プリントに顔を埋めて、うつらうつらしていると、稽古場から背の高い男性が出てきて、ガラス戸をトントンと叩き、ニコニコ笑っている。そうだ!もう、来年2月の吉祥寺シアターのアキラの新作公演の稽古が始まっている。女性ダンサー6人を振り付けた「今晩は荒れ模様」の公演は5年前のこと。今回は、男性ダンサー5人+アキラの男ばかり、どうなることやら。面白そう。宙ぶらりんのふわふわの時間の外側には、確実に、熱い熱のエネルギーが流れ、進んでいる。
 
 

車でちょっと、恵比寿ガーデンプレイスまで。

金木犀のほのかな匂いが漂ってきた。すっきりした青空はまだだけど、やっと秋がやってきた。
昨日、すっかり諦めていた東京都写真美術館で開催中の「森山大道の東京 ongoing」展展に、レイジが車でアキラと私を乗せて連れていってくれた。Gott sei Dank!! ヨカッタネ‼︎
以前は、美術館、映画館、芝居、ダンス……ちょっとおめかししたりして、一人で出かけるのが好きだった。今では、自分の命を乗せる自分の車が、いよいよポンコツになってしまったので、恵比寿のガーデンプレイスまで自分の車で走るのは、不可能。自粛するしかない。
森山大道の東京の歓楽街の写真は、幼い私の周りにあった、匂いであり、空気であり、色であり、音であり、男と女のかたちであり……。歌舞伎町で育った子どもの頃の私が今でも私のなかで生きている。楽しい一日。

東京都写真美術館に到着
東京都写真美術館に到着

9月になったら……

もう9月2日も終わろうとしている。8月末に、9月になったら、と自分に言い聞かせて、美容院に出かけボサボサの髪をカットし、さっぱりしたはずなのに………。
暑い暑い8月の間、朝目覚めると、あの本もこの本も読もうと自分に発信するも、なんのかんのとー例えば、特に高齢者はコロナ、熱中症に要注意などなどー自分に言い訳して、全て「既読スルー」の繰り返し。というわけで、9月になったら、と意気込んでいたのに、もう二日も経ってしまった。アブナイ、アブナイ!
今日は、再読を始めてストップしていた稲垣足穂の「弥勒」の続きから……
………窓こそは日々の新しい読書のページではないか。われわれはこうして常に、無限なる精神的宝庫の真っ只中に坐っているのだ。………地上のことを考えるよりも、星の運行や雲の色彩を眺めるように生まれ付いたこのわたし? ーなら、時の経つのも忘れてしまう雲が、ー「向こうを行くあの雲が好きだ」と仏蘭西詩人が謳ったいろんな雲がとおる………
やっぱり、江美留はいいなぁ〜。地獄の底から一足飛びに宇宙に連れていってくれる。
身に付いた「既読スルー」から抜け出せそうだ。

おお〜い 雲よ 何処に行く……
おお〜い 雲よ 何処に行く……

35年前の夏の日

御巣鷹山の飛行機墜落事故から今年は35年目の夏。その日も今日のように暑い日だったのをよく覚えている。
その年(1985年)の春、私たち家族は、5年間一緒に暮らしたリーデンベルクの丘の家を離れ、アキラとミツタケは国分寺へ、チカシはStuttgartの郊外のハーメニング家の半地下の部屋へ、レイジと私は市内のホイベルク通りの屋根裏部屋へと、家族がバラバラになった。そして、その夏、私とレイジは、夏休みを利用して、アキラ、ミツ、おばあちゃんのいる国分寺の家に、Stuttgartから一時帰国。成田に迎えにきてくれたアキラとミツの顔を見た時は、心底ほっとして嬉しかった(やっぱり家族っていいもんだ!)。
それから、楽しい 楽しい日本の夏休みの日々が始まったのだが、あの飛行機墜落の大惨事が起る。ちょうどお盆で帰省する家族、会社の休暇で、久しぶりに妻子、両親の顔を見るのを楽しみに我が家に戻る単身赴任のお父さん………みんなそれぞれがそれぞれに、目の前に迫った喜びの時間を信じていただろうに………。なんとも言い表しがたい悲しみ、痛みが日本中を覆った。
事故の直後のことなので、飛行機の旅に些か不安があったが、時間の流れは止められない。御巣鷹山の惨事から一週間後、私とレイジは、アキラ、ミツ、おばあちゃんに「またね!」と約束して、酷しい残暑の日本からドイツへ飛んだ。
Stuttgart はすっかり秋だった。冷たい空気、澄み切った青空。金色に色付き出した銀の森の木々の葉……。ドイツがすっぽり私の中に入ってきた。地球の向こう側に、アキラ、ミツ、おばあちゃんがいる。チカシは隣町にいる。私とレイジはここにいる。みんな一緒に生きている!と思った。35年前、パソコンも携帯もFAXもメールも無かった。手紙を出すと返事が来るまで2週間、胸を躍らせてじっと待った。
あの頃を思い出すと、なんとのんびりとしていたことかと、懐かしく、切なく、愛おしくなる。
WITH CORONAの今日、近くても遠くても、親子でも、兄妹でも、友だちでも、会うことも、お喋りすることも、一緒にご飯を食べることも、ままならない。いつまで続くのだろうか?
   わたしたちの最後から一歩てまえの………
  わたしたちの最後から一歩手前の言葉は
  みじめな言葉かもしれない、
  しかし、母なる良心を前にして
  わたしたちの言葉は美しいにちがいない。
  なぜなら、どんな苦さも
  押さえることのできない
  ひとつの望みのすべての努力を
  ひとつの言葉に要約しなければならないのだ。
            R.M.リルケ『果樹園』より  高安国世訳

琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。
琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。

夏の記憶

やっと 夏が来た! でも、テレビのニュースは、日に日に増えるコロナ感染者の数の話ばかり。後期高齢者は、誰にも会わずに家に篭っていなければならないの………?
子どもの頃の夏休みは、楽しかったなぁ。
「夏の記憶」ーノートからー
 朝
 目覚めると
 大きな夏の青空が
 私の、リウマチで
 歪んだカラダの内側に
 するりと入り
 七十年前の朝が
 今日の朝と重なる
 幼い目に映った
 あの青空
 顔より大きい くし形のスイカ
 甘い香りが あたりに漂い
 小さな口から
 溢れ出る
 赤い果汁が
 洗濯したての 白い
 木綿のワンピースの胸もとを
 真っ赤に染める
 容赦なく
 照りつける
 真夏の太陽の光
 夢中でスイカに食らいつく
 汚れを知らない子どもらの皮膚を
 じりじりと 焼く
 ひまわりの黄色い花弁に 目が眩み
 ミツバチがぶんぶんうなる
 スイカの種 一番遠くに飛ばしたのは
 だあれ?
 明るい声が
 彼方の世界に木霊する
 無限の時間が 凝固する
 畑の中の
 野ウサギの滑走
 一匹の蜥蜴が
 焼けた石の上を
 過った
 未来から
 記憶の風が吹いてくる

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。
田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

「詩は生命から生まれる/生命は詩からうまれる」

ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」を読む。
私のカラダのすみずみまで差し込んでくる美しい光……透明で目に見えないど………。
 私の身体が痛みと闘っている時は
 私の心は必死で それに耐えている
 私の心が苦しみと闘っている時は
 私の身体は一生けん命 それに耐えている
 ああ いつになったらお前達二人
 手をとりあって喜びあう日がくるのだろう     10/6
 
 迷子の小鳥は
 わたしの窓辺にとんでおいで
 私の手の中で
 お前はきっと忘れた歌を思い出す
 迷子のそよ風は
 私の窓ガラスを叩いておくれ
 私はお前にふるさとへの道を教えてあげる
 
 迷子の流れ星は
 私の窓辺に落ちておいで
 私はお前を赤いローソクにともして
 この世の闇を照らしだそう            11/18
 失うという事を
 知らない人がいる
 得るという事を
 知らない人がいる
 なんだか最近は
 そんな可哀そうな人ばかり            1/21 
   
    ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」より 
1945年3月20日生まれの詩人は、1944年12月10日生の私とほぼ同い年。同じ頃、大学を卒業し、不安と希望とともに自分の人生を歩み出し、結婚し、病を得て………。癌のため28才で早逝した詩人の魂は、光の言葉を纏って、私のカラダに命の食べ物を与えてくれる。

懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった
懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった

  
 

「マルテの手記」

いつになったら、梅雨が明けるのだろうか? 今日も雨降り………。何か明るいニュースはないかなぁ〜。まだ30歳なのに突然自殺した青年俳優のこと、筋萎縮症に苦しむ女性を自殺幇助し逮捕された医師達のこと、増え続けるコロナ感染者の数。「人間は生まれた瞬間から死に向かって歩き出す」なんてよく言うことだけど、からだの中に抱えてきた自分の死が、自分のからだで支えられないほど重たくリアルに感じられるようになったら………死を実行するほうが、生きるより容易いのだろうか?などと頭の中で思考を空回りさせているより、友人に電話しよう。
「わたし、死ぬのはいいとしても、コロナでは死にたくない!」と訴えると「同感!苦しいのは嫌よね」と、私より10歳も年長で、その上、心臓疾患を抱える私のお姉さん的存在の友だちの、明るい温かな声が返ってきた。それにしても、年若い人たちの死ー自死ーのニュースを聞くと、心が痛み哀しくなる。
         
生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。
………………
詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって………、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。……… 詩は本当は経験なのだ。………
               R.M.リルケ「マルテの手記」 大山定一訳

「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)
「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)

今年も、カサブランカが咲いた………

秘めやかな雨の梅雨日も、やがてくる夏の太陽が予感されて、昔は嫌いではなかった。荷風の「梅雨のあとさき」も、なぜか梅雨の頃になると題名に惹かれてか、読みたくなったりしたもんだが、昨今の日々は、押し付けられた静寂の下で、じっと我慢している自分がいる。先が明ける兆しが見えず………。
シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を読む。
『代数』
………人間を自分の手でつくり出したものの奴隷とするにいたった罠を、確実な方法で明るみに引き出そうと努力すること。方法的な思考や行動の中に、いったいどこから無自覚なものが忍びこんで来たのだろうか。原始生活への逃避は、怠惰な解決法である。わたしたちが現に生きているこの文明のただ中で、精神と世界との原初的なつながりをふたたび発見しなければならない。……… わたしたちはみな、獄中で殺されるのを待ちながら、竪琴をひく練習をしていたソクラテスとよく似た境遇におかれてる………
ともかくも、よく生きたといえるように……… (田辺保訳)
まだ降り続いている雨の中で、気がつくと、伸び放題の雑草の合間から、数年前に植えたカサブランカが、今年も花をつけていた。初めは、純白で、もっと大輪だったのに、年を追うごとに花弁にうっすらとピンクを載せ、小振りになっていく

雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!
雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!

バーバラからの手紙

外出規制が緩和されても、相変わらず、高齢者及び基礎疾患のある人は要注意。コロナに感染したら、重症化する恐れあり、という文言がどのニュースにも、見え隠れする。
高齢者+基礎疾患有り+身体障害者 の私は、さてどうしたものか。外側の日常と私の日常がだんだんと離れてくるなぁ……。
バーバラ・ベルガーから手紙が来る。40年来のドイツ人の親友。不思議なことに、私の心に、ふっとバーバラが過ぎると、数日後、彼女から電話がある。いつもそうだ、いつも。日本語が全くダメな彼女と片言のドイツ語の私とが、どうしてそんなに長話できるの?と周りのものが呆れるほど、私たちは握り締めた受話器を離さないで、長話?する。私の拙いドイツ語一言で、バーバラは私の言いたいことをドイツ語で的確に言ってくれる。地球の向こう側で、電話線を通して、私の内側をまっさらに受け取ってくれる。なんと爽やかなことだろう。
私たちは、シュットガルトのイゾルデ・クルツ通りで、たまたま五年間のお隣同士だったにすぎないのに……。あの頃、森を歩きながら、随分色々なことー愛について、男と女について、結婚について、教育について、信仰について、経済について、病気について、東洋と西洋について、人間について………などなどーを語り合った。今でも、その不思議な時間が、生き生きと蘇る。気がつくと、遠く離れているバーバラと地下水でいつも繋がっている。
今回の手紙も、バーバラはコロナの日々をどうしているかなぁ〜と思い描いていたら、届いた。もう、会えないかもしれない。寂しいなぁ、でも、寂しくはない。

バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる
バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる

私は、歌舞伎町が好きだ!

またもや、梅雨前線の猛威で各地で多くの被害が出ている。九州に住むクララちゃん、カワバタさん、エハラさん、ムラカミさん、ミレイさん………みんなご無事かな? ご無事でありますように、とお祈りするしかないのだが……。
毎日毎日、夜の町歌舞伎町がニュースにのぼる。歌舞伎町は私の育った町。私は、小学1年生からアキラと結婚するまで新宿区役所通りに住んでいた。今から70年前のことだ。家族と一緒に住み始めた頃、今の区役所はなく、コマ劇場もなく、鬼王神社から大久保小学校につづく一本道は、ジャリ道で、途中に伊勢丹の倉庫があっり、あちこちに雑草だらけの空き地があったように記憶している。夏になると、風鈴やさん、キャンディーやさん、金魚やさんが、天秤棒を担いで大声で「キンギョォー、キンギョ。キンギョォー、キンギョ」などと叫びながら通っていく。
やがて、コマ劇場ができると、その周辺の映画館が、我が大久保小の夏休みの映画鑑賞会会場になった。前夜の繁華街の熱気がようやく鎮まり、まだ町全体が深い眠りに沈んでいる真夏の早朝、私はワクワクして、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、映画館に急いだ。
「ダンボ」「白雪姫と七人の小人」「シンデレラ姫」「砂漠は生きている」「野ばら/ウィーン少年合唱団」……。夢のような不思議な世界!楽しかったな。今でも思い出すと、そのワクワク感が体の中に蘇る。歌舞伎町には、八百屋のヤエコちゃん、料亭のケイコチャン、お勤めのナミちゃん、学者のフクハラくん、中国人のラさん、美容師のヤマノくん………ありとあらゆる職業の、お金持ちの家の子も、貧しい家の子も、みんなごちゃ混ぜになって住んでいて、一緒に遊んだ。親たちは、町の戦後復興に夢中で、子どもたちのことに構っていられない。青線地帯、売春婦、パンパン・ガールとGI、シスターボーイ、ヤクザの親分とおかみさん、警察、花園神社のお酉さま、バナナのたたき売り………哀しくも、懐かしい思い出。
朝まだき、区役所通りに斜めに差す淡い透明な光を背にうけて、私は、仙川の女学校に六年間通った。
人間の、あまりにも人間臭い町/私を育ててくれた町。私は、歌舞伎町が好きだ❣️

文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。
文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。

純粋であること

昨夜、天使館で鈴木ユキオくんのダンスを観た。夜、夢で「純粋であること」という声を聞いたような気がした。ユキオくんのダンスと関係があるのかないのか分からないけど…………。
天使館という白いキャンバスの上に、ダンサーは、B5の鉛筆でひたすら線を描いていた。意図を消し、解釈せず、薄暗い闇の中で、ただひたすら………。
今日、梅雨前線の大雨で、九州地方の人々が、コロナ禍の上、またしても大きな被害を受けている。どう考えても、心が重い。
久しぶりに、リウマチの整形外科の主治医の診察を受けた。人工関節を入れた右膝はバッチリ。左膝はグラグラ。崩壊するのは時間の問題、と主治医は言う。
さてどうするか?with コロナの新しい生活様式をどう生きていけるだろう。帰り、車のフロントガラスを叩きつける雨の音を耳にしながら、うつらうつらしていると、目の前に前夜のユキオくんのダンスがあらわれた。
意図せず、解釈せず、ただひたすら………純粋であること。
心のなかで、何時もそうありたいと願ってはいるものの………
    二つの牧草地に………
  二つの牧草地にはさまれて
  どこへも通じていない道、
  まるで、じょうずにその目標から
  そらされてでもいるように。
  しばしば自分の前に
  純粋な空間と
  季節よりほか
  何も持たない道。
        R.M.リルケ「フランス語の詩」より 高安国世訳
   
   
           

eine Tüte Bitte‼️

今日からレジ袋が有料になるそうだ。もう久しくスーパーへ買い物に行っていないなぁ!コロナで外出自粛ではなく、もっと以前から、私の外出自粛は始まり………あぁ、ゆっくり一人で、好きな菓子とか果物とか探したいな、などと時々思ったりするのだけど………。
40年前、家族でドイツに移り住み、初めて近所のスーパーに食料品を買いに出かける時、アキラに「レジのおばさんに、グリュス ゴット(Glüß Gott )アイネ テュテ ビィッテ( eine Tüte bitte)とニコッと笑いかけ、最後に、チュス(Tschüß)と言えば、完璧、大丈夫」と言われた。ほんとかな? と思ったが、先ずは、10、6、5歳の男の子たちの胃袋を満足させなければ、とアキラが教えてくれた三つの言葉を口の中でモグモグ唱えながら、スーパーに向かったのを懐かしく思い出した。
Tüteはレジ袋。その当時から、ドイツではレジ袋が有料だったのだ。レジ袋をお願いするとレシートの一番下に〇〇ペニッヒと、ちゃんと記載されているのを後で知った。
Grüß got は、南ドイツ、オーストリアでの 「こんにちは(Guten Tag)」。私がベルリンでグリュス ゴットと挨拶したら、ベルリーナたちは「ヒサコがグリュス ゴットと言った❣️」とおお笑い。みんなにハグされた。北ドイツでは言わないそうだ。古臭く大袈裟な言い方なのだろう。でも、素敵な響きで私は好き。笑われても構うものか、今でもドイツ人に会うと「Glüß got!」が出てきてしまう。
    
  「ウィーン、旧市街の小路にて」  長田弘
  …………………………
 
  グリュス・ゴット!
  挨拶のなかに神さまのいる街
  小広場のカフェで、メランジュを啜る。
  刻がくると、塔の鐘の音が、
  波紋のように、夕空にひろがった。
  鐘の音は、天翔ける
  ウィーンの死者たちの足音だった。
  

6月から7月へ

あぁ、6月もあとI日。7月になると、子どもたちは、あと半月もすればやってくる夏休みを、毎日毎日楽しみに待っている。少なくとも私の子どもの頃は、そうだった。
夏休みといえば、海水浴、山登り、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家にお泊まり、花火大会、鎮守の森の夏祭り………。懐かしく、楽しかった思い出が目に浮かぶ。どれもこれも、濃厚接触、三密有りで、コロナ時代の夏休みスタイルにはそぐわないだろうなぁ〜などと思いながら、梅雨の晴れ間の洗濯干しをしていると、雑草の間から、チョロチョロと可愛い蜥蜴が2匹、干場のコンクリの上を横切った。親子だ!上を見ると、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。道路でお向かいの子供たちがボール遊びをしている。あかるい笑い声が聞こえて来る。
中庭から、ナオカさんが「ひと口一緒に食べませんか?」と、大きなお盆にざる蕎麦と卵焼きを載せて持ってきた。梅雨の晴れ間の昼下がり、思い煩うことはない。
   わたしは動物の………
  わたしは動物の目のなかに
  永続する穏やかな生を見た。
  冷静な自然の
  公平無私の静かさを。
  動物も恐れを知らぬのではない。
  けれども彼らはすぐ前に進み、
  その充溢の野の上で
  他処の味のしない
  現前を草はむ。
        R.M.リルケ <フランス語の詩>より 高安国世訳

梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。
梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。

私は、何時も空を眺めている。

メールアドレスを新しくするにあたって、思い切ってメールサポートに電話する。こういう電話はいつも苦手。嫌だなぁ〜と思いつつ携帯で電話すると、女性の声が「コロナ対策でオペレーターの人数が少なく、ご迷惑をおかけします………今ですと15分ぐらいでお繋ぎできると………」と言う。やれやれではあるけど、どうせ自粛中の身、待つことにした。ぼんやり庭を眺めていると、雨水をたっぷり含んで重たくなった桜の葉の繁みの中から、黒い鳥がわたしの目の前を、左から右にスゥーと横切った。すると、屋根の上の方でキィキィと鋭い鳴声がする。すると、さっきの鳥だろう、今度は右から左にサァーと横切り、もう一羽がその後を追って上方に飛び去った。その素早さに驚いていると、携帯電話が繋がり、オペレーターの「今日は何のご相談でしょうか?」と言う声が聞こえた。それからの私は、しどろもどろ。必死に指示通り携帯の小さなキーボードに入力するもミスばかり。私の理解能力のなさ、スローな動作に、若いオペレーターはよく我慢してくれている……などと思い始めると、ますます、頭が混乱して、ああ、もうダメだ「またの日にお願いするわ、アリガトウ」と程よく言って、電話を切って、ホッとする。
庭に出て上を見ると、梅雨の雲間に青空が透けて見えた。
     人の権利   長田 弘
     木立の上に、
     空があればいい。
     大きな川の上に、
     風の影があればいい。
     花と鳥と、光差す時間、
     そして、おいしい水があれば。
     僅かなもの、ささやかなものだ、
     人の生きる権利というものは。
     朝、お早うと言う権利。
     食卓で、いただきますという権利。
     日の暮れ、さよならまたねという権利。
     幸福とは、単純な真実だ。
     必要最小限プラス1。
     人の権利はそれに尽きるかもしれない。
     誰のだろうと、人生は片道。
     行き行きて、帰り着くまで。
                   

私は、いつも空を眺めている。
私は、いつも空を眺めている。

止まらないように

雨が降ったりやんだり、今日は朝から梅雨冷え。自粛規制も解けたようで、みんな自由に移動できるらしい。でも私の自粛はまだまだ……解除の見通しは未定。
巣篭もり状態だった天使館も徐々に起き出して、昨夜は、なおか×ミツタケ企画「ダンス現在」再開、叡がソロを踊った。観ていただく方は15名。みなさんマスクをして、手の消毒を済ませて、間隔を置いた客席に黙して座る。みんな協力して場を作る。オソノさん、ミヤコサン、ジョウサクさん、バラバさん、ヨシコさん……遠くからも近くからも、知ってる人も知らない人も、同じ場で、ダンスを共有できる喜び、嬉しさ、楽しさ、ありがたさ………。どんなことがあっても、止まらないように。

天使館の来訪者たち
天使館の来訪者たち

紫陽花

6月になって、少しづつ天使館も動き出してきた。とはいえ、これから先、ダンスはどうなっていくのだろうか………?などと思っていると、名古屋に住むマキコさんから、お庭に咲いた額紫陽花(何とも美しい薄紫色の清楚なアジサイ)の写真を添えたメールを頂いた。
そして、今日、都内に住むミナコサンから愛猫ミミを素描した、素敵な梅雨見舞いのお葉書が届いた。
今日はミツの誕生日。45年前の分娩台の上で「あらあら、またおちんちんを付けたかわいいあかちゃん!」と言った助産婦さんの声が聞こえる。その彼も、何時の間にか踊る人になっている。
新聞の連載小説は、うっかり読み忘れるので苦手な私なのに、なぜか、先週金曜日から始まったジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」柴田元幸訳を楽しみにしている。遥か昔の時間が未来からやってくるようなワクワク感があるみたい。
どんな時でも生きることは祝祭でありますように。
 「水色のあじさい」    R.M.リルケ/高安国世訳
 
 これらの葉は絵具壺の底に残った緑のようだ、
 水気を失い、葉尖も鈍く、ざらざらしている。
 その前にある花房の水色も
 在るというよりは、ただ遠くの反映にすぎぬかのよう。
 その反映も涙にとけ、模糊として、
 今にもまた消えてしまいそう。
 古い水色の書簡箋のように
 黄色や、菫色や灰色の斑ができている。
 
 子供の前掛けのように洗いざらしで、
 もう着られなくなって、どこかへつっ込んでしまったもののよう。
 小さな生命のはかなさが何と胸に沁みることだろう。
 だが、とつぜん、水色はよみがえってくる様子、
 花房の一つに。緑を背景に歓びをとりもどした
 水色のかたまりを見ていると心がふるえてくる。

我が家の庭の紫陽花を描いてみた。
我が家の庭の紫陽花を描いてみた。

雨の日に

いよいよ梅雨入りのようだ。まだ陽があったお昼前「駅に新しいパン屋さんができたので、散歩がてら買ってきたの。食べてみて」と久しぶりに玄関先に現れた和子さんが、疾風のように去っていった後、何時の間にか音もなく雨が降ってる。ミツが中庭から「市役所に行くから、何か買い物ない?」と聞きにきたので「ジャガイモと葡萄ジュース」を頼む。テレビでは国会中継をやっている。
書架の端にあった黒田三郎詩集をとって読む。
けし
 I
 私の上にのしかかる
 私の重さに
 耐えかねて
 憤然として立ち上る
 や否や
 貧血を起してぶっ倒れる
 ああ 何時かとおい日に
 私は立っていたことがある
 ただひとり
 白い果てしない野の中に
 真昼
 微かにけしが匂っていた
         黒田三郎「失われた墓碑銘」から
ああ 懐かしい黒田さん! 神保町の路地裏の古びた建物の二階の狭い昭森社の編集室で、詩人の清岡卓行さんと長田弘さんと貴方と三人の編集で「詩と批評」誌を刊行し始めた時、私はまだ何も知らない新入社員でした。お酒が入ると、優しく温和な紳士の黒田さんが、突然、おどろおどろしい黒田さんに変貌、びっくりでした。でも、その翌日は何時も、狭い13階段を音もさせず上ってきて、編集室の扉を開け、大きな背中を丸めて、ショートケーキのお土産をそっと差し出すのでした。またもや、びっくりする変貌ぶり。でも、何と優しい温かな人なのだろうか……!?
今日、忘れていた黒田さんの言葉に触れて、あの時の温もりが今も私を温めてくれているのに気がついた。相変わらず、のろまだなぁ〜わたしは。

あまりうまく描けなかった。でも、いいか。
あまりうまく描けなかった。でも、いいか。

おしいれのぼうけん

「おしいれのぼうけん」の著者の訃報をネットで知った。何度子どもらにせがまれて、この田畑精一のお話しを読んで聞かせたことか。懐かしい愛読書のひとつ。かつての我が家の六畳間の押入れも三人の男の子たちの格好の遊び場だった。夜、寝る時間だよぉ〜と言って、部屋いっぱいに三つの布団を敷き詰めると、そこは途端に大海原になり、砂漠になり、コンバットごっこの戦場になる。子どもらは、何度も押し入れからジャンプして大海原に飛び込む。風呂敷のマントを首に巻き、カッコいい仮面ライダーになり切って「トォー!」と掛け声をかけて、天井めがけて飛び上がる。ある時は、お兄ちゃんが弟を中に閉じ込めて、外から押し入れの戸を叩いて脅かす。やがて、ケンカがはじまり、下の子の泣き声が、上の子たちのクスクス笑いがもれ聞こえる。私は、さあみんな、お布団に入って………と号令をかけ、明かりをパチンと消す。押し入れの熱も鎮まり、眠りについた子どもたちの夢が、宇宙の果てまで広がっていく。
50年前の子どもたちの風景。コロナ時代の子供たちはどんな風景を生きるのだろうか。

夕陽
夕陽

煌く彗星

栗の花が咲く6月。私が子育て真っ最中の頃、我が家の周辺に栗林や柿園が多くあったのに、いつの間にか消えて、広い更地になっている。秋の実りの頃には、地主さんが近所の子どもたちを集めて栗拾をして楽しんだものだが……いまはひっそりとして、子どもたちの明るい笑い声も聞こえない。さみしいなぁ。
アメリア・イアハートという名前を、茅香子先生の英語翻訳の課題で初めて知った。1937年世界で初めて世界一周飛行に挑んだ女性飛行士。同年7月彼女の飛行機は、目的達成寸前に太平洋上で消えてしまう。その後の消息についてはあれこれと語られているが確証がない。宇宙に向かっていち早く飛び出し、彗星のように見えなくなったアメリアは、今でも多くの人の心に煌く星となって生きている。
大空を鳥のように飛びたいという人間の切なる希望が実現しはじめてから、まだ100年しか経っていないのに、今日の地球を取り巻く宇宙環境は、なんと嘆かわしいことか。絶え間なく人工衛星は回り続け、目に見えない電波は飛び交い、人々は飛行機でグローバルにどこにでも移動できるようになったが、その結果、今やコロナ禍が地球上全てに広がり、飛行機は飛べず、燃料はあまり、国と国とがギスギスしはじめ………。ついこの前100年前は、満点の星空に向かって人々の心は、夢と希望で輝いていたというのに………。
課題の翻訳作業はお休みして、その頃のことを調べてみる。
ライト兄弟 1903年世界で初の飛行機を発明。
アメリア・イアハート 1897年〜1932年。1932年女性として初めて大西洋単独横断飛行成功
「翼よ あれが巴里の灯だ」のチャールズ・リンドバーグは、1902年生。1929年プロペラ機でニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行に初めて成功する。
そして、何より嬉しかったのは、懐かしい飛行少年イナガキタルホと「星の王子さま」のサン=テグジュペリが同じ1900年生まれだった❣️
 星を食べた話 
   ある晩露台に白ッぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシュームみたい
  な味がした
   何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落とされた とたん 口の中から星のよ
  うなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへみえなくなってしまった
   自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた
                             稲垣足穂「一千一秒物語」
1968年6月のある日、京都伏見桃山の婦人更生寮に志保夫人とお住まいの稲垣足穂をお訪したことがある。更生寮に向かう道すがら、辺り一面栗の花の匂いがいっぱいだった。何のお喋りをしたのだろうか、時間も忘れて話し込み、結局、志保さんにお世話になり一泊した。思い返すと何と礼儀知らずだったかと恥ずかしい。温かい先達たちに心から感謝。

タルホと一緒に月を見上げて
タルホと一緒に月を見上げて

空に浮かぶ星の王子さまのヒツジ
空に浮かぶ星の王子さまのヒツジ

    

庭の花に

夏に向かって、庭の雑草が日に日に勢いを増してきた。自分で草取りもできないのに、生協で苗を注文し、アキラに植えてもらう。市場から黒いビニールのポットに入れられ運ばれてきた疲れ果てた様子の小さな苗も、土に戻してやるとホッとしたように生気を取り戻す。石ころだらけの大地でも、雑草に埋もれそうになっても、黙々と新しく生まれ変わり……健気だなぁ!
緊急事態宣言の解除の後は、コロナ時代を生き抜くために、コロナと生きる新しい生活がやってくる。40年以上リウマチと共に生きてきて、それに加えて、コロナとも共に生きていくとは、と思いあぐねていると、庭でアキラが花の水遣りをしている。昼間の太陽でぐったりした花が気になったのだろう(自分で植えた花でもあるしね) 。たっぷり水をもらった今日の花は、明日の花ではなく………やがて……。

蕾が膨らんできた
蕾が膨らんできた

   いそぐ水、走る水……
いそぐ水、走る水、ーぼんやりした大地に
すいこまれる忘れやすい水、
わたしたちのくぼめた手のひらに、しばしとどまれ、
    思い出すがいい。
きよらかな、すみやかな愛、無関心、
走りすぎるほとんど不在といっていいもの、
おまえの慌しい到着と出発のあいだで
ふるえる僅かな滞在.       R.M.リルケ『果樹園より』(高安国世訳)
オレンジ色が可愛い
オレンジ色が可愛い

夕暮れの散歩

久しぶりに朝の光。いつものように、空に向かって、おはようぉ〜と呼びかけたが、空も雲もよそよそしい。目を閉じて、たっぷり空気を吸い、太陽の温かいぬくもりを体の隅々まで感じよう………少しづつ、私も世界も動き出し、鳥の囀りが聞こえる。
エッセイスト大平一枝さんが、チカシの花の写真に寄せた文章をネットで読む。写真も美しいが、文章がとても素敵だ。
 だれかには見えていて、自分には見えないもの。
 あなたには見えなくて、私には見えるもの。
 同じ風景なのに、私達の目は不思議だ。
 見ようと思うと見えて、みようと思わないと永遠に見えない。
夕暮れ時、二日ぶりに、アキラと散歩に出た。雨でたっぷり水を含んだ道端の名も無い小さな花々が、うれしそうに風に揺れている。
      森の大きな樹の後ろには、
      過ぎた年月が隠れている。
      日の光と雨の滴でできた
      一日が永遠のように隠れている。
      森を抜けてきた風が、
      大きな樹の老いた幹のまわりを
      一廻りして、また駆け出していった。
      どんな惨劇だろうと、
      森のなかでは、すべては
      さりげない出来事なのだ。 
      ……………       長田弘 「森のなかの出来事」より

大きな樹 国分寺にて
大きな樹 国分寺にて

     
      

ポスト・コロナ

雨の日が続いて……。
ポスト・コロナの生活形態についてのニュースが多くなってきた。もう今までのような生活は戻らない。慣れ親しんだ習慣、感覚、価値観、人間関係のあり方……着なれた服をやめて、まったく新しい服を着る。私にできるだろうか?
40年前の今頃、私たち(アキラと私)は、突然(彼らにしてみれば)三人の息子たちを、あたかも、うららかな春の陽が差し込む小川で、愉しく泳いでいた淡水魚たちを、突然、網で救い上げ、塩辛い海に投げ込むようにドイツに投げ込み、塩水の海にやっと慣れた頃、予告なしに、また淡水の川に戻した………。ずいぶん、身勝手なことをしてきたなぁ、息子たちにとっては、さぞ迷惑なことだったろう、などと、今更ながら自分に呆れたり……。
 
  たえまなくあちらへこちらへ
  花盛りの枝が風に揺れ動く
  たえまなく ゆらゆらと
  私の心が子どものように揺れ動く
  晴れた日と曇った日のあいだを
  欲望と諦めのあいだを。
  花々が風に散って
  枝が実をつけるまで
  心が幼年期に飽きて
  おちつきを得て こう告白するまで
  不安にみちた生のたわむれは
  喜びにみち むだではなかったと。  
            「花盛りの枝」 ヘルマン・ヘッセ/岡田朝雄訳

樫の森の子供たち ミツ5才チカシ10才レイジ6才
樫の森の子供たち ミツ5才チカシ10才レイジ6才

  
   

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」

梅雨のような雨の日。毎日桜の木に飛んでくる小鳥たちも今日は来ないなぁ……。稽古場の窓に灯りがついた。誰か一人で稽古しているらしい。三密を守って、ひっそりと静かに。
今の時間、やってくる新しい時を考えるより、今までやってきたことを振りかえって見る方が、弱虫ヒサコにとって、今を生きる力になるのでは?と思いながら………。
私が医者からリウマチ性関節炎と診断されたのは、1978年3月3日(なんと10回目の結婚記念日)
その当時の日記を読むと、我がことながら面白い。その年の1月から各月1週間の「エーテル宇宙誌のための天使館における連続公演」が始まり、3月末の1週間は「エーテル宇宙誌」の第Ⅲ期が予定されていたから、私のリウマチ診断は想定外の出来事だったが、すぐに色々な方面の方々から「西洋医学はダメ、玄米と胡麻塩で体質を変えこと」「まず断食療法をすること」「薬は漢方薬で」等々、温かいご意見をいただき、それまで健康だけには自信があり、医者要らずの私だったので、一つ一つ教えに従って実行した。朝手首、膝がこわばり痛む、生活が苦しい、などと愚痴を言いながらも、断食に向かい、1日の食事、野菜スープ、生野菜のサラダ、さつまいもだけ。肉が好きな私としてはかなりがんばっている。8才、5才、3才の男の子の母親である私は、午後になると下の二人を引き連れて、スーパーに買い物に行く。子どもらを寝かし、「エーテル宇宙誌」公演真っ最中の天使館からもれてくるバッハのピアノ曲「フーガの技法」ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴きながら、高橋たか子の小説を夢中になって読だり、子どもたちの寝顔を眺めて「3人とも全く手に負えない腕白になった。でも、あと2年もすれば、状況も変わるだろう。焦ることはない」などと自分に言い聞かせたり………。
「がんばっていたなぁ〜」と思わず声を出すと、机の向こう側から「子どものままおとなになったような人だからね、あなたは」とアキラが言った。えっ………それどういう意味⁉︎ 聞き捨てならない、と思ったが、ひょっとしたら当たっているかもしれない。今だに成長しない私がいる。

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに
「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに

絵を描く

また、絵を描いた。次第に体が壊れて行く速度が増してきた。特に頭部を支える頸椎の変形が進み、歩行時のバランスが危うくなり……などなど、いろいろあるが、私にとっては40年来の、私のリウマチの体と私の意識の共存生活の流れのうちなので、あまり驚いてはいないものの、身体的な辛さや苦しさが増すと、いい加減、自分を放棄したいな、と心の中に住んでいる弱虫が頭をもたげてくる。アブナイなぁ〜。
絵を描いている時、頭の中に、ローマで見た黒々とした松の色と風にそよぐポピーの群生、パリの街をおおう薄紫の光、ドイツの銀の森の黄金の紅葉、奥入瀬渓流の若緑の空気、春はあけぼの大和三山の黎明、真夏の国分寺の杜……記憶の底から生まれてくる色がいっぱいに広がり、そんな時、私は体を忘れている。色の中に私がすっぽり入ってしまっている。イマジネーションが私をリウマチの体から解放してくれる。
ポスト・コロナの社会がどうなるのか、想像がつかない。今までのように人にも自然にも直接触れて、目に見えない何かを共有し歓び合うような時はもう来ないのだろうか………?
  「貧しさは内面にさす美しい光」       R.M.リルケ

花と女の子と猫と蝶々
花と女の子と猫と蝶々