
朝、キッチンの机の上に、可愛い聖母マリアの虫・テントウムシがいた❣️
シュッツトガルトの銀の森のお菓子屋さんにテントウムシのチョコレートがいっぱい並んでいる頃だけど、今年は?……と、心と体が重たい弱虫の私に、小さな体の黄金虫は何か言ってる。
ずっと以前あなたが私を見つけたころ、
私は小さい、ほんとうに小さい子供でした、
そうして菩提樹の枝のように
ただ静かにあなたの中へ花咲いていました。
私はほんとうに小さくてまだ何の名前もありませんでした、
そうしてただほのかなあこがれに生きていました。
今あなたは言うのです、私がどんな名前にも
もう大きすぎると。
すると私は、神話と五月と海と
ひとつになっている私を感じます、
そして私は葡萄酒の香りのように
あなたの魂を含んで重いのです………
R.M.リルケ『初期詩集』より (高安国世訳)
花の香り
今日は母の日。ともすると、日にちも曜日も忘れてしまいそう。今日10日は朝起きたてに、骨粗鬆症の薬を飲む日。一ヶ月に一回の服用なので、忘れないように私の誕生日の日にちにしているのだが、ついうっかり飲み忘れることが多い。それにしても、果たしてこの薬の効果があるのかどうか分からないが、気にしても仕方がない。なるようにしかならないだろう。
毎朝ベランダから庭を見下ろすと、雑草の間からすっかり忘れていた花が、ちょこんと顔を覗かせているではないか!
名前も忘れてしまっているのに、草花はひたすら私に与え続けてくれている。
ほろ苦いけれど 優しい
それが土の匂いとまじりあい
なま暖かい真昼の風に乗って
もの静かな客人のように窓から入ってくるときは。
私はよく考えてみたー
この香りがこんなに貴重に思われるのは
毎年私の母の庭で
最初に咲く花だったからだと。
ースイセンの香りはー ヘルマン・ヘッセ (岡田朝雄訳)

地球船に乗って……。
朝、5月のまぶしいほどの光が差し込んでくると、なぜか悲しくなって、起きるより布団の中に潜り込みたくなる。相変わらず弱虫だなぁ……そろそろ起き上がらなければ……。
まず、朝日の朝刊を広げ「高齢者のフレイル予防大切」という記事から。「フレイル」とは「『健康な状態』と『要介護』の間をさまよう弱々しい状態』」つまり虚弱、つまり私のような弱虫状態のことを指すのかな?「対策をしないと悪化の可性」「終息後には要介護」などなど、恐ろしい言葉が並んではいるが、つまりは、元気にポスト・コロナを迎えよう!とはげましてくれているのだ、と思ったが、今はポスト・コロナの私にまで思いは及ばない。
次に、憲法記念日に関する記事「緊急事態宣言下 ネットで主張」を読むうちに、弱虫状態なんて甘えていられないわぁ〜。この度の感染拡大に対する政府の対応の遅れは、緊急事態の折、首相も知事も権利や自由を制限する命令権がないからで、早急に憲法に緊急事態条項を………。待てよ、よくよく考えなくては。
全人類のむき出しの命を乗せて、地球船は今、コロナウイルスに囲まれて宇宙の海で難破しかかっている。
「地球が病んでいると私の体が言っている」とニジンスキーは言っていたらしい。
いつの間にか夕日が庭をうっすらオレンジ色に染めている。さあ、弱虫の殻から脱皮して、体を動かして………。

「花」

1964年5月1日、アキラは都市センターホールで行われた第13回新人舞踊公演に「花」という作品で参加した。その日のパンフレットを見ると、三部に分かれていて各々10の作品が並んでいる。6時から始まって9時終演、1作品6分の作品だ。30人中、男はアキラともう1人の二人だけ。当時ダンスをする男の子は、珍しく、かつ貴重(!)な存在だったようだ。アキラの「花」は、音楽J.S.バッハ。経歴には、江口隆哉に師事、パントマイムをジャン・ヌーボーに師事、大野一雄に私淑。昭和38年、舞踊儀式「犠儀」を主宰と書かれている。
翌日、出演者全員が集められ、舞踊批評家の先生方の講評を伺う会があった。大きな座敷に長い机を一列に並べ、周りに前日踊った新人ダンサーたちが座って、一人一人に向けて話す先生の批評を自分の番がくるまで神妙な顔で待っている。いよいよアキラの番が来た。初老の男の先生がおもむろに「カサイ君のは、あれは蚤取りのダンスですか?」というと、周りから、クスクスと押し殺した笑い声が聞こえてきた。
やっとその場を終えて新宿までたどり着くき、ベンチに腰掛け、拳を握りしめ、肩を震わせ、アキラは泣いた。この時以外、後にも先にもアキラの涙を見たことがない。アキラ20歳の時。
そして、今年2月、榎本了壱さんのアトリエで、その新人公演の出演者のお一人村井千枝さんに再会した。当時千枝さんは江口先生の研究生で、アキラの大先輩。
「今日までずっと踊ることだけをやってきたの。あの頃から知っているので、カサイクンは今でもカサイクンよ。そう呼ばせてね」
偶然にも隣町にお住まいなので、今度ゆっくりお茶でも、とお誘いしたかったのに、コロナのおかげで先延ばし。でも、今はFBで繋がっている。
紗倉まなとシモーヌ・ヴェーユと
初夏の光。桜の若葉が風に揺れている。静かな日曜日の昼下がり。昨日友人が「外出規制で東京の空気がとてもキレイなったのよ」とLINEで言っていた。そういえば、今日の空の青は澄んでる。
新聞で紹介された紗倉まなの「春、死なん」を雑誌群像で読む。まなさんは、27歳のAV女優だそうだ。
面白い、スゴイ!一気の読んでしまった。
新聞のインタビューに「匂いも何もかも、雪でかき消されてしまう。この地で起きたことはすべて過去になってしまう気配がある。それが恐ろしくもあり、美しくもあり」と答える紗倉まなさんのことを、ちょっとネットで検索。なんとも可愛らしいお嬢さん。なんと爽やかで明るく温かい女の子なんだろう!パステルカラーのマシュマロみたい。とても「春、死なん」の冷徹な人間描写の作者と結びつかない。未来から明るい風が吹いてきた…元気がでる。
27歳の頃の私といえば、シモーヌ・ヴェイユに夢中だった。聡明で美しく、誰をも寄せ付けない強靭な意志力を持ち、不幸のどん底の中に光を見出だし、一生肉体の苦痛に耐え、神から一番遠くに離れたところで、消えるように亡くなったシモーヌ・ヴェーユの、思想とか哲学は横に置いて、人間存在に、私は絶大な憧れを抱いていた。子どもが生まれ、手造りで稽古場を建て始め、情熱だけはあるものの経済的裏付けがない生活の日々。ヴェイユは、私の唯一の味方だった。若い頃の美しい思い出!
紗倉まなとシモーヌ・ヴェーユ。何故か私の中で繋がっている。
たとえ、歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思えるときでも、
いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、あなたの魂にみなぎるものです。
シモーヌ・ヴェイユ

一日の苦労は 一日で足れり
寒かったり、暖かだったりの毎日。「医療崩壊」のニュース頻り。医療が崩壊したら、医療を必要としている人びと(私も含めて)は、どうすればいいのだろう。
近くのポストまで、英語翻訳の茅香子先生から頂いた提出課題を出しに行く。大幅に提出期限が遅れているにも関わらず、プリントアウトした訳文と、ほとんど自己満足だなぁ〜と思いつつもアクリル毛糸で編んだ手作りエコたわしまで入れて投函。
今は、キュー無しで、いつブラックアウトになるかもしれない。1日一回自分にできることをやらなければ!
明日のことを 思ひ煩ふな。明日は明日 みづから思ひ煩はん。
一日の苦労は 一日にて足れり。 ーマタイによる福音書ー

暴風雨の日
今日は朝から暴風雨。市役所から洪水警報が届いた。不要不急の外出自粛制限は、もう何日続いているのだろうか?
昨日は、いつも地方から天使館のWSに参加するマキコさんお手製の布マスクが届いた。中に「ゴムの長さは、好みの長さで結んでください。内側にポケットをつけましたので、あれば、ウイルス対策用シートなどを入れてください」と手紙が添えられてあった。彼女らしい優しい気の使いよう。ありがとう❣️ 間を置かず、また宅急便が届く。
隣県に住むアキコさんからだ。中は除菌スプレー。わぁ〜ありがたい。アキラも私も、二人でもたもたしているうちに、マスク、除菌スプレーはどこを探してもない。どうしよう〜。
ありがとう、アキコさん❣️ カラダの中に爽やかな風が通り抜け、重いカラダが軽くなる。
そして、雨の日の今日、軽くなった体で混乱状態の我が部屋の片付け。始めたはいいものの、いつ終わるだろうか。再びカラダが重くなり………。
雨上がり、夕日が差した。部屋を捨て外に出よう、マスクをして。


トリアージュ
朝の美しいひかり。遠くに鳥の囀りがきこえる。
FBで、また新しい言葉を覚える。
「トリアージュ」回復の見込みがある患者を優先的に選別すること、という意味らしい。「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」「パンデミック」などは、ここ一ヶ月の間で、もうお馴染みの言葉になった。毎日、様々な人が様々なことを発言している。どの人も必死だ。
私に何ができるだろうか? 今、もし私が転倒して骨折したら、コロナに感染でもしたら………。トリアージュで、私の命の選別を誰かがしなければならないかもしれない。その誰かは、とても、可哀そう。
今、私にできることは、静かに家にいること。さあ、ベランダで鳥たちのおしゃべりを聴きながら……環境に優しいエコタワシができた❣️ 誰か貰ってくれるかな。

いるのといないのとでは大違い!
「コロナ離婚」という言葉があるそうだ。コロナウィルス感染拡大防止で、外出がままならず、今まで上手く回っていた家族の歯車が狂ってしまい、父さん、母さん、子供たち、みんなイライラが沸騰して、コロナのせいで家庭崩壊が起こっているらしい。収入は減るし、子どもたちは煩いし、みんな朝昼晩としっかり食べるし………痛いほど、よく、わかるなぁ。でも、コロナのせいでとは涙が出てくる。
私も若い時、思い余って「エイ 離婚してやる!」と何度大見得を切ったことか。すると、いつも横で見ていた息子たちの「どんな奴でも、いるといないとでは大違い」という生意気な呟き声が聞こえてくるのだった。
言うことを聞かず、頑固で、うるさい子どもたちも、いつの間にやらオジサンに。
子どもたちとも、親しい友人とも、隣近所の人たちとも、会えない日々。人の心を分断していく見えないコロナに要注意。
「どんな奴でも、いるのといないのとでは大違い」の言を胸に秘め、愉しく、笑って、優しく、静かな時間に感謝、感謝。

メルケル首相
去年の夏、数十年ぶりに家族全員でStuttgartを旅行した時、建物の様子は面影があったが、街の雰囲気、人々の様子は随分トゲトゲして、前と違うな、というのが息子たちの感想だった。確かに、街の中心のケーニッヒ通りを歩くにも、昔のようなワクワク感がない。メルケルさん一人頑張ってどんどん難民を受け入れているからか、外国人が多いな………でも、待って。私たちだって、外国人。40年前、突然、家族五人でドイツに住み始めてからの5年間を支障なく暮らせたのは、ドイツ政府のおかげだったと思い出したてごらん。住民票を出すと直ぐに、3人の子ども手当てが銀行に振り込まれ、その上、住居手当も振り込まれた(それも毎月)。その時ばかりは「神の恩寵❣️」と喜んだ。もし、その援助がなかったら、私たち家族のドイツ生活は一ヶ月と持たなかったでしょう。
ドイツに住む多和田葉子さんのデジタル新聞記事を読む。
………今コロナで国境を閉鎖され、外出が規制されているベルリンの状況をまるで戦争中の光景だと落ち込む人もいるが、今実施されている規制の底を貫いているのは『全人類の健康を願う』という、ナチス時代とは全く逆の精神である。………
そして、多和田さんは、メルケル首相のことを「新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数を静かに語りかけていた」と書いて結んでいる。
ドイツで出会った友だちを想うと不思議と元気が出る。さあ、緊急事態宣言で規制のかかかっている間に、今度こそ、トーマス・マンの「魔の山」を最後まで読もう。

カラダの食べ物
今日は春の嵐。日本中が荒れていると天気予報が言っている。外出自粛が続いているので、訪れる人もなく静かな一日。この時とばかり、アキラは専ら机に向かって何か書いている。
この家に引っ越した時に、本棚の上段に置いたままの箱を取ってもらった。中身は、書きかけのノート数冊。雑草だらけの私の頭の中が出てきたような恐ろしさ。
お気に入りの詩句あり、意味不明の言葉、ニーチェ、シュタイナー、万葉集の歌、食料品の買い物メモ、ダンス公演の感想、思いついた言葉、友人とのアポイントメント、自分勝手な哲学まがいの気取った論考、ある日の日記………目まぐるしく、全く統一感がないではないか。頭の中の雑草は老化現象ではないらしい。恐る恐る読んでみる。
昭和52年2月5日(土)晴
……夜、大野先生の稽古に行く……ある部屋に入ると、真っ黄色な蝶がいて、いっせいにヒラヒラと飛んだ。腐敗した死体。蝶に喰われた肉体。蝶を踊るときには、蝶であってはならない。あてどもなく広がっていくイメージ……。自由であるはずの肉体が、こうも硬直して動かない。
帰り、豊田行きの電車の中に、すす汚れた中学生が一人座っていた。どこまでいくのだろうか。アメリカ人の酔客が、車内で大騒ぎしているのに目もくれず、彼自身でも抱えきれないほどのものを背負っているかのようだ。涙が出てくる。家に着くまで少年の面影が消えなかった。電車を降りる時、持っていたチョコレートをあげればよかった、と今でも悔やまれる。
子育て真っ最中の1年間、上星川の大野先生の稽古場に通っていた頃のこと。若かった。翌年春、リウマチの診断を受けた。以来「言葉」が、私のカラダの食べ物、いのち、ダンスになる。

受難の日
明日は聖金曜日、キリストの受難の日。そして、三日後復活祭を迎える。昨年10月に亡くなった義母の納骨式を今週末の日曜日復活祭の日に執り行う予定だったが、コロナ戦争のため延期となり、お母さんのお骨はすっかり我が家に落ち着いている。
「今の世界の現実を見ないまま穏やかに旅立たれてよかったね、お母さん! 大正、昭和、平成、令和、と一世紀を生きぬいたお母さんも、決していい時ばかりではなかったね。関東大震災や第二次世界大戦、洞爺丸で寅雄さんを失い………大変だったことでしょう。でも、今の戦争は、ちょっと違うみたい。地球上の体をもつ人たちすべてに例外なく目にみえない敵が襲ってきているの。性別、歳、国家、民族、宗教………の違いなんて言っていられない。今、あなたがいたら、何と仰るかしら? すべて神さまの思し召し、と、いつもの口癖かも。それにしてもお母さん、いい時に、神さま召されてよかったね」
あどけなさはわたしたちの気持ちをやわらげる。
わけもわからないまま子供が叱られて、とてもしょげている。
子供は喉が渇いて、ふるえながらわたしにコップを差し出す。
お飲み、わが子よ、おまえの頬はとても汚れているぞ。
「和解」フランシス・ジャム(手塚伸一訳)

エマニュエル・ユイン
パリのエマニュエル・ユインからメールが来た。彼女のお父さんはベトナム人、お母さんはフランス人。メールはドイツ語だ。
愛する ヒサコ アキラ、
げんき? 身体はどう? 子どもたちは?
こちらは みんな オーケーよ。でも、今は とても悲しい時。あなたたちをいつも思ってるわ。
心から愛を込めて! エマ
そして、Foto が3葉。
早速、私も頑張ってドイツ語で返信した。Fotoも一緒に。
ああ、懐かしい、エマ。彼女が、アンジェの国立振付センターのボスだった頃、何度もアンジェに赴いて、アキラとエマのDUO作品「Spiel」を一緒に創った。美しいアンジェの城には、数世紀に渡って織り継がれた黙示録のタペストリーが展示されていた。
あの小さな美しい静かな街の空気も、見えないコロナが拡散している………,⁉️
そう、今は、とても悲しい時、でも、いつか必ず………。
“Keep Calm and Carry on”
一昨年の夏、膝を人工関節に取り替え、一年経ってようやく自分の脚と思えるようになった去年の夏、二十年前に固定した頸椎が、次第に頭部を支えられなくなってきた。骨の専門医に相談すると「まず、頸椎の手術は全身麻酔です。あなたのその細い気道では………?手術が可能かどうか、可能としても高度な技術が必要です。しかし、あなたのリウマチが急に悪くなって、骨がずれるとも限らない。リスクはどちらも同じ」と言われた。要するに、どちらにしても死のリスクがあるというのでしょう!いつもセッカチの私は即座に「手術はしません」と言った。先生は「そうですかぁ……」と心なしかがっかりしたように見えた。以来、私は自分に緊急事態宣言を言い渡し、自分の体は自分で守るべしと心を決めてきたのだが、今回のコロナウイルスの緊急事態宣言は自分だけの問題ではなく、すべての人に共通にもたらされた緊急事態。
内からも外からも緊急事態宣言を言い渡されるとは……。
人間、この世に生まれた瞬間から「死」に向かって歩き出す。この宣言、今更のことではない。
この度のコロナ戦争には、この標語 “Keep Calm and Carry On”(あわてるな いつものとおり)
私に、ぴったり。さあ、庭に出て、今日の春を楽しまなくては❣️

緊急事態宣言
いよいよ、東京に緊急事態宣言が出るそうだ。日頃滅多に連絡をよこさないチカシから、LINEで「国分寺は大丈夫?アキラさんもヒサコさんも年をとっているんだから、絶対に出歩くなよ」というメッセージが来た。フムフム「緊急事態宣言」の効果が現れた! 大丈夫。今日は一日家の中で。
愛情に包まれたまま眠っている過去を
今に生まれかわらせる。
眼の窓をあけたまま
今と今と今を
過去に移し続けることによって。
美しい日々 ひと 出来事を
思い出すことによって。
新しく今を作り続ける
わたしという窓のある世界。 片山令子ー窓のある世界ーから
春が巡ってくると、2年前から空の住人になった令子さんに無性に会いたくなる。
「朝の用事を済ませると、国たちまでバスで行くの。お気に入りの喫茶店のお気に入りの席が空いていたら、とてもしあわせ。小さな窓からレースを通して朝の光が差し込んでくる席。コーヒーを楽しみながら色々思い巡らす時間よ」と、彼女は言っていた。
緊急事態は、いつまで続くのだろうか?
静かな日曜日
雨に打たれると、ラッパ水仙の黄色が一際美しく映える。横に植えたメリーベルの青い小さな花が爽やかで可愛い。日曜日だというのに、外も内も静かだ。お向かいの家の小学生の兄弟は、いつも少しでも晴れ間があるとガレージでボール遊びを始め、勢い余って我が家の庭にまで飛んできたボールを神妙な顔で「すいません、取らしてください」と言って、ぺこんと頭を下げて拾いにくるのに…。
みんな、自粛している。みんな、剥き出しの命に向き合わされている。
雨がとても長く続いて、わたしは思いにふける。
陽光を出し惜しむ毎日に心が重い。
忍冬がその魂を薫せながら雪と散る
申し分ない夜、星降る空は、一体いつ来るのだろうか。
「夜の光」フランシス・ジャム (手塚伸一訳)
外出自粛要請の日々
春爛漫。我が家の庭は今、オランダ鈴蘭、ラッパ水仙、すみれ、マーガレット、クリスマスローズが花盛り。数年前に挿し木したライラックが芽吹いてきたというのに。もうじき復活祭、ウサギたちが卵を探して草叢を忙しく駆け回る頃なのに。
今日はひっそりと静かな土曜日。外出自粛要請の日々……古いノートから。
若草色の箱ヒダスカート
クリーム色のカシミヤセーター(襟元の細いボーがお気に入り)
籐の丸い帽子(幼稚園の子どものような)
春爛漫の4月の陽光の下
郊外の
大学のキャンパスの
裏庭
ムンムンする草生きれ と
家畜の糞の 生暖かい臭い
草むらに 倒れて
秘密の遊び に耽る
おんなのこ
閉じた瞳の裏側は
はるか彼方の
胎児の夢
ニンフを追う
サテュロス
誰もいない
耳許で
豚の鳴き声
春爛漫の4月の陽光の下

目に見えない戦争
4月になって、コロナウイルス感染拡大の勢いは増すばかり。天使館の活動も暫くの間ストップ。汗ばむほどの暖かな陽光を受けて、花のあとの桜の枝に柔らかな若緑の葉っぱが一斉に伸びてきた。鳥が楽しげに飛んでくる。誰も来ない静止した時間。うっとりするような甘美な一瞬、色が色でなくなり全てが反転したような……。
先日の「DUOの會」で、写真家の高橋恭司さんから写真集を頂いた。見開きのページに「写真はいつも世界の終わりを続ける」とあった。不思議な光の色。私の好きな色合い。輪郭が溶け合い、反対側から見ているような………。胎児の目に映った世の中の風景みたい………などなど、と勝手な想像が膨らんでいく。
高校生の時に読み始めて、何度も挫折を繰り返して、いまだに読み続けているトーマス・マンの「魔の山」。今や、ハンス・カストルプ青年と一緒に呼吸しているつもりに…。
目に見えない戦争の只中でも、やっぱり愉しく生きていたい。
命の線引き
昨日は雪。今日は冷たい花曇り。ニュースで、志村けんさんがコロナで亡くなったのを知った。70歳! 私より6歳もお若いのに。
イタリアでは医療崩壊で、高齢の感染者には治療を施せないそうだ。もし私がコロナウイルスに感染したら………もともと、免疫抑制剤を常用し、その上、気道が狭く、呼吸が浅い、リウマチ持ちの私なので、これから先のある若い人々に治療ベッドを譲るのになんの躊躇いもないのだが、突然、外側から、いのちの線引きをされるとは思ってもみなかったこと。志村けんさんも、これからやりたいこと、やるべきことの計画を心の中にいっぱいお持ちだったことでしょうに。
あれこれ思い悩んでも致し方ない。心の中までコロナにやられないように。
心の中に
たくさん コトバの種を 植えよう。
美しい色 芳しい香り 透明な響き
壊れていくカラダを 恐れるな!
心の中のコトバたち
光と熱になって
やがて 壊れたカラダは
青空の中に 溶けて流れていく。
目に見えない新型コロナウイルスの中で………。
ローマのマリアピアはどうしているだろう? フランスのエマニュルは? フライブルクのバーバラは? ニューヨークのヒメナとシゲは? シオヤサン、ミヤイサン………? みんなみんなどうしているだろう?
命の数が毎日毎日減っていく、地球上のあらゆるところで。
年老いた人も若い人も富んだ人も貧しい人も健康な人も病気の人もどこの国の人もどんな職業の人も、みんな同じ不安を呼吸して、剥き出しのいのちを生きている。
みんなどうしているかな?
お祈りの言葉
空気が冷たい。洗濯干し場のコンクリの上のあちこちに、桜の花びら。今日の太陽はよそよそしい。
昼食。五目ずし。青梗菜、ワカメ、とうふのスープ。かぶ、ミニトマト、きうり、サニーレタスのサラダ、胡麻ドレッシング。いたってシンプルな食事。メルボルンの公演を終えて帰国した川口隆夫さんが、来週横浜のKAATでの公演「DUOの會」の稽古に訪れる。朝からニュースは新型コロナウイルスのことばかり。わたしの友たちはどうしているだろうか。
何か根拠を探ったり、解釈したり、説明したり、いいわけしたり……せず、永遠の一瞬一瞬を、静かに丁寧に受け止めて………そして、祈りの言葉を唱える。
「われらを試みに合わせず 悪より救いいだしたまえ」
ではなくて
「われらを試みに合わせてください そして 悪を認識する目をお守りください」と。
春の夢
穏やかな春の日。昼食。アキラと二人。鮭、じゃがいも、人参、玉葱、大根、ブロッコリー、ウインナーのスープ。レンコンの金平。たくわん。ご飯。静かな時間。じっと動かない。秘めやかな空気。暖かな春のひかりに見え隠れする灰色。おずおずと外側を覗く気配。見えないコロナウイルス。不安と諦めと焦燥と。醒めた意識。心に差し込む光。記憶から。アイヒェンハイムの小径。緑の風。青空の白い雲。尖塔の見える遠い風景。雲雀の囀り。樹々のざわめき。老夫婦の散歩、犬を連れて。乳母車を押す若い母親。木陰で読書する若者。ブーメランに興じる子どもたち。笑い声。黄色、白、ムラサキ色の小花たち。透明な静かな時間。温かい息吹きに満たされる。
3月の雪
昨日は春爛漫の陽気で、今日は冷たい雨の冬日。キッチンのテーブルに座って、庭を眺めていたら、白いものが、あっ雪!
2、3日前に、我が家の桜も開花し、さっそく鳥たちが花を啄みに飛んできていたのに。
新型コロナウイルスのニュースの毎日で、いつのまにか桃の節句も過ぎてしまい……。
雨の中で真っ赤なボケの花が咲き誇っている。昨年10月102歳で亡くなった義母君子さんが生前植えたボケの木。真っ黄色のラッパ水仙、クロッカス、ムスカリ…何の世話もしてあげないのに、狭い庭の大地から伸びてきて、雨に打たれている。
気が滅入る時は、読書に限る。明日は晴れるかな?
芸術とは呪文であり魔術であるーこれが芸術の体験のいちばん始めの形であったに違いない。 ースーザン・ソンタグー
桃の節句ー二人の私
今日は3月3日お雛さまの日。今から52年前、私はアキラと結婚し、以来今日のこの日まで、よくぞ一緒に生活してこられたことか!と、思ったとたん、頭の中で52年前の3月3日に時間がワープした。そして、24歳と23歳の、まだまだ世間知らずの若い私たちの結婚式を温かく見守ってくださった、大野一雄ご夫妻、土方巽氏、澁澤龍彦氏、矢川澄子氏、吉岡実氏、加藤郁乎氏、森谷均氏、常住郷太郎氏、高井富子氏………と久しぶりに邂逅し、ひとしきり楽しくお話した。
その日も今日と同じように、ほんのりと冷たい空気の中に、春の陽光が溢れて……
一瞬にして、52年後の今日に戻ると、新型コロナウィルスの不穏なニュースばかり。免疫力のない私にとっては、危ないなぁ!
街の花屋さんにピンクや黄色や白など甘い香りの花々がいいち早く並ぶ嬉しい時なのに。
今では、大野先生ご夫妻も土方さん、澁澤さん、澄子さん………誰も見えないけど、私のカラダのなかには、彼らの温もりが確かにある。その温もりに包まれて、23歳と75歳の2人の私が同居している。。
いつの間にか、クリスマスローズが咲いている
だんだん体の機能が働かなくなってきて、何ごとにも時間がかかり、いつも時間切れ。
数日たまった新聞をまとめて読む。コロナウィルス、みあちゃん虐待死の裁判、教員間の暴力事件、「桜を見る会」のこと、ドイツの右翼過激派の銃撃テロ事件………やれやれ……と私の手に余る大きな紙面をガサガサと広げて読み進むと「障害があっても限界はない。限界を作るのは自分の心だ」と話すポーランドに住む39歳の青年の言葉に出会って、ほっとする。「時間切れだ」と自分に言い訳をして、読むのを放棄しなくてよかったな。
もうすぐ三月。我が家の庭の雑草も動き出し、よく見ると、紫陽花とさつきの間の奥で、一昨年アキラに植えてもらったクリスマスローズの白い花が一輪咲いているではないか‼️
家族って不思議で面白い
令和2年元旦。静かで穏やかなお正月。晴れ。
ミツとなおかは、車で三重県方面に(チヤボ2羽も一緒に)出かけた。レイジとひろ子はお正月から仕事。チンはどうしているかな? 18歳になった一人娘と一緒にご飯を食べるんだとか、久しぶりに去年の暮に顔を見せた時、言っていったけ。
それぞれがそれぞれのところで、自分自身を生きている。家族って不思議なもの。
固ったり、離れたり、見えたり、消えたり、赤だったり、青だったり、………ない方が良かったり、やっぱりあって欲しかったり。
家族って不思議な生きもの。
役立たずの私に与えられた贅沢な時間
年の瀬も押し迫まった今頃は、毎年、窓拭き、空調の掃除、戸棚の掃除、日頃ほったらかしの庭掃除など、太陽の傾きを横目で見ながら、一日中大掃除に明け暮れしていたものだが、雑巾も絞れず、しゃがむことも出来なず、包丁も握れない‥…ああ、情けない全く役立たず私………でも自分の頭の中の大掃除はできるよね。暖かな冬陽が差し込む居間の椅子に座って、日頃の積読本を読むことにしよう。なんという贅沢な時間な時間が与えられたことか!
黒川創「鶴見俊輔伝」を読み始める。約550頁の私の手には負えないほどの分厚さだ。最初の一節「福岡県門司生まれの秋山清という十八歳の若者は、………六本木の新聞店に住み込んで、配達の仕事を始めたばかりだった」という文章を読んで、いっきに頭の中に懐かしい思い出が蘇った。
1967年頃、神田神保町の出版社昭森社で編集の見習いをしていた頃、社主の森谷さんのところによく訪れるお客さまの中に小柄なおじさんがいた。お帰りになった後「あいつは詩人でね。ああ見えても筋金入りのアナーキストだ。また木遣が上手くてね」と森谷さんが教えてくれた。それから間もなく、なぜかそのおじさんと一緒に新宿歌舞伎町の飲み屋で一杯。その時の記憶は鮮明だ。江戸の鳶職を思わせる粋でいなせ浴衣掛け。突然木遣を歌い出した。張りのある美しい歌声。世の中の右も左も分からない当時23歳の私にとって、40歳以上も年上の秋山清は、そばにいて温かく寛く心地いいおじいちゃんのような人だった。
その先「鶴見俊輔伝」を読むと「有島武郎に続き‥‥大杉栄も死ぬ。その二人の死は、秋山清という若者を震撼させた。これなどがきっかけとなり、まもなく、彼は『詩らしきもの』を書きはじめる」と書かれていた。
関東大震災の大正12年、鶴見俊輔はまだ1歳だった。第二次世界大戦の末期に生まれの私の頭の中で、時空がどんどん広がっていく。大正から昭和、平成27年鶴見俊輔の死、そして、令和………。
面白い‼️ 役立たずの私に与えられた贅沢な時間。感謝、感謝。
私の1日の始まり
何となく変だなぁ、と思いつつ、時間が飛ぶように過ぎていく。世の中がだんだん壊れていく速度と、私の体が壊れていく速度が、だんだん近づいてくるようで恐ろしい。一人での外出が危うくなってから、家で過ごす時間が多くなった。
長年付き合ってきたリウマチの体も、ご主人さまである私の言うことをだんだん聞かなくなってきた。
困ったな……とあれこれ思い悩んでも始まらない。
朝、目覚めと同時に、思う前にカラダを縦にしよう、そして、未来から訪れる未知の時でカラダを満たそう。
私の1日は、こうしてスタートする。
君子さんとフィンランド
今年の10月102歳で亡くなったアキラの母君子さんは「私の誕生日はフィンランドが独立した年なの。だから是非フィンランドに行って、シベリウスの「フィンランディア」を聴きたいの」とよく言っていた。
確かに、君子さんの誕生日1917年(大正6年)は、調べてみると確かに、その年ロシアの支配下から独立た年だ。
三重県の津で育った君子さんは「子どもの頃一人でよく津の海岸にでかけて海を眺めながら、この海を渡っていけば外国に行ける。よし、大きくなったら絶対に外国に行こう。といつも小さな胸を踊らせていたの」と話していた。そしてその通りに、80過ぎまで仕事と仕事の間には、新聞広告の海外ツアーを申し込み、一人で海外に飛び出していった。ほんとうに、君子さんは自由で意欲に満ちた飛んでる女性だった。
そこで、私はベランダから美しい冬空に向かって、心の中で報告した。
お母さぁ〜ん、今日、フィンランドに34歳の若い女性の首相が誕生しましたよぉ〜‼️
令子さんのあたらしい本
画家の片山健さんの添え書きとともに、片山令子さんの新しい本「惑星」が届いた。健さんの添え書きには「………病がわかる前から編集がはじまっていましたが、………先日ようやく完成しました。………」と書かれていた。
……………
あたらしいおおきな白い雲
こんにちは。
そしてさようなら。
ほんとうはさよならはいらない。
ひとびとと永遠が住んでいる 空の時間の中では。
令子さんは、昨年2月「ひかりのはこ」にこんな言葉をのこして、翌月春の光のなかに消えていってしまった。一言も言葉を交わすことなく、どうして?
私は、とてもかなしかった。
あれから一年半。 こんにちは、令子さん。あなたのあたらしい本が届いた。あなたの心
に刻まれたコトバの数々。健さんの絵。あなたの大好きなカスタードプリンのクリーム色の装丁。美しく、温かな、温かな………戻ってきてくれたのね、令子さん。
嬉しかった。
ほんとうにさよならはいらない。
頭の中は雑草だらけ
十一月も後一日。先日市役所から後期高齢者医療書が届いた。高齢者の気分は全くないけど、リウマチの体は確実に立派な高齢者、やれやれ!
一人でできないことにぶつかると、あらゆる手を使って乗り越えようと力んでいる自分がいる。歯を使い、百面相で頑張る自分の姿を想像して、思わず、ぷっと笑ってしまう。きっと他の人が見たら「この人何を、どうしようとしてるのかしら?」と笑いを堪えるに違いない。そう思うと、また私は可笑しくなる。
文庫本を持つことが困難になって来たので、読みたい本はiPad miniのキンドルで読むことにした。目によくないなんて言っていられない。書物の内容より、美しい装丁、活字、紙、ほんの形……が好きで、本が体の近くにあると不思議に落ち着く私だったので、iPadの香りも、色もない本は私にとって書物とは言い難いけど、そんな呑気なことは言っていられない。私の頭の中は雑草だらけ、と体が不自由になって気がついた。75年近くも生きて来て、書物から何を学んできたのだろう。でも、気がついたのだからいいか、と、呟く自分がいて、ダメダメ、今からでも遅くないよ、と、囁く自分がいる。
歳を重ねていくのも、すてたもんではないよネ‥…と自問自答したりして……。
クリスマス そして 新しい年 がやってくる。
及川廣信先生のこと
及川廣信先生が、9月5日93歳で旅立たれた。先生とは、生前一度だけお目にかかっただけなのに、私の心にはなぜか先生が住んでいた。というのは、国分寺の北口にあった伊庭野眼科の伊庭野先生は、及川先生のお姉さまだったからだかもしれない。天使館を造り、子育て真っ最中の頃、生来眼が弱い私は、目に異常をきたすと直ぐに伊庭野先生に診ていただいていた。先生は、私が大野先生や土方さんと面識があると知ると、とても嬉しそうに弟の及川先生のことを話してくれた。
「あの子はね、優しくて、明るくて、とてもひょうきんで………よく私の息子を相手に、面白い話をして笑わせたり………。フランスに留学する時、友だちを信頼してお金を預けて行ったのに、その友だちがお金を持って逃げてしまって、彼はスッカラカン。人がよすぎたのね。当時外国送金はとても難しく、真っ黒に塗りつぶした新聞紙にドル札を包み込んでフランスに送ってやったものだわ」
伊庭野先生のお話ぶりは、まるで目に入れても痛くない愛する我が子のことを話す母親のようだった。小柄な伊庭野先生は、ノリのきいた白衣を着て、キュッと締まったブラウスの襟元にブローチを付け、背筋を真っ直ぐに伸ばして診療室の中で素早く的確に治療してくださった。優しさと温かさと冷静な判断力と厳格さをあわせ持った上品で素敵なお医者さまであり、若い私にとって憧れの女性だった。
何がきっかけだったのか知らないが、三男のミツタケがダンスを始めた頃、暫くの間、及川先生の稽古場に通っていたことがあった。随分年を経たつい先日のこと、ミツタケが、ふとその当時の及川先生のことを口にした。稽古の前に受講料をお渡しすると、先生は稽古の後でいつも「これで帰りに美味しいものでも食べなさい」と言って受講料をそっと返してくれたそうだ。それを聞いて数日後、先生の訃報を知った。
私の大切な人生の先輩たち。いつまでも先を歩いてくれていると思っていたのに、私のカラダのなかに温かなぬくもりをそっと残して消えてしまった。
心もとなくさみしいけど、この温もりに感謝して育みながら、大切に先に進もう。
君子さん 逝っちゃった………
10月18日 アキラの母・君子さんがこの世で102年の時を生き、静かに彼方の世界に飛んでいってしまった。私の人生の内60年の、君子さんの人生の半分以上の時間をともに歩んできた。これ程長いこと付き合いが続いた女性は他にいない。
私にとって君子さんは言葉にできないほど破格な人。その魂の振り子の振幅は絶大で、左右前後に自由に飛び回わるので、近寄ると、その振り子に打ちのめされてしまう。自分の意思を貫いて自由に生きた人。溢れる愛情の人。母であり、クリスチャンであり、教会のオルガニストであり、聖歌隊の指揮者、指導者であり………君子さんの魂の色は、万華鏡のように輝いている。私は、そんな強い君子さんと何度ぶつかったことか。そして何度、人間の生き方について、神様について、話し込んだことか。話はいつも曖昧に終わった。そんな時思わず見せる君子さんの子どものような自信のなさ、人間の弱さ、純粋さが、私は好きだった。雨の日も風の日も、日曜礼拝に必ず出掛ける君子さんだった。君子さんの魂の振り子の支点には、神さまがいらっしゃったのだろう。
カラダの振り子から自由になって大空を飛び回っている君子さん。今、ともに歩んだ時間が宇宙大の空間になって私を包んでくれる。ありがとう 君子さん❣️
阿賀神社合宿に行く
先月の末 「金鱗の鰓を取り置く術」の合宿に行くため、京都まで新幹線に乗った。もちろんアキラと一緒だ。一人外出禁止令が出てから、もう一年以上経つかしら?
久し振りに、車窓から広々とした田園風景を眺めながら幕の内弁当を食べよう……みんなに会えるのはこよなく嬉しい……合宿場の阿賀神社参集殿までは、70段の石の階段を上らなくてはならないのは知ってはいたものの、何とかなるだろう……来年は行けないかも……などと色々心で描いて、思い切って出かけたのに……… 新幹線が東京駅を出ると、直ぐに腰に拳銃をつけた警察官が通路を通る。案内のテロップに新聞のニュースが流れる。そのうちに ー座席を離れる時の注意/不審物を見つけた時の対処法/突然の 危険時には、座席の下のボタンを押して………!? などの注意が黄色い活字で表れ、 さらに先頃から話題になっている「あいちトリエンナーレに対する文化庁の補助金不交付決定 」というニュースが、淡々とと流れた。その間も、先の警察官が何度も通路を往復している。
呑気に幕の内を食べながら列車の旅をたのしむ時代はもう終わったのかな、と思われるような京都までの時間だった。
阿賀神社の参集殿から眼下に広がる阿賀山の裾野を眺め、深呼吸。
来てよかった、また来よう!
Stuttgart家族旅行 2019年夏
夏の終わり
今夏、7月末から8月上旬にかけて、家族全員で、ドイツのシュツットガルトを旅行した。旅行といっても、かつて住んでいた懐かしい思い出の地を訪ねて、という意味合いで、三人の息子たちが当時よく食べに通ったという、お気に入りのケバブ屋さん、オモチャ屋さん、ハンバーガー屋さん、アイスクリーム屋さん…………三人でコンバットごっこをして、暗くなるまで遊んだアイヘンハイムの森(その昔、詩人シラーがその森で詩作を練ったというが、観光客にお目にかかったことは一度もない)、三人が通ったクレアヴァルトのシュタイナーシューレ………など、市電に乗り込み、バスに乗り継ぎして、大人になった家族(しかも私は車椅子) がゾロゾロと町中を歩き回った。実に楽しかった。
今回が最初で最後。家族だからこそ一回限りがいい!
8月も今日でおしまい。夏の終わりと秋の始まり。なにか特別の気分がある。そして今晩、間も無く、天使館で「ダンス現在vol.7 瑞丈×香帆 カラダの庭」が始まる。夏の最後の公演。
明日から9月。新しい時がやってくる。
映画「主戦場」を観て
渋谷のイメージフォーラムで映画「主戦場」を観た。
私が、西早稲田の 早稲田奉仕園敷地内のビルの一室にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ったのはいつのことだったか。確か、爽やかな秋の始まりの頃だったように思う。まだ資料館が開設されて間もない頃だった。その時の閲覧者は私ひとり。美しい秋の日差しが差し込む部屋に「女性国際戦犯法廷」、アジア各国の『慰安婦』被害、日本兵の証言、戦時性暴力……などのパネルがいっぱい並んでいた。その1つ1つを時間を忘れて読んでいくうちに、いつの間にか日が暮れていた。
家の窓から目撃した光景。私が五歳だった頃のこと。
私の家の東側の空き地の、向こう側の道路の向こうに、お城(子どもの私にはそう見えた)みたいな洋館があり、ある日その玄関前に、屋根のない大きな自動車が走ってきて止まった。すると、制服を着た巨大な体のアメリカの男の人が二人、ドアを跨いで道に出ると、突然、後ろに乗っていた派手な格好をした日本の女の人二人をそれぞれ抱き上げ、素早くお城の中に消えた。その時の異常に浮きたった男の人たちの雰囲気。圧倒的な何かに胸が潰された私が、その時に感じた目撃してはいけないものを見てしまったという理不尽な後ろめたさが、今でも心の奥に残っている。
まだ赤線地帯の廃止が施行(1957/8年)される以前、今日の新宿区役所、今はないコマ劇場が建つ前、私は家族と共に歌舞伎町との境の西大久保に引っ越して来て、暮らし始めた。
加藤典洋さんの「9条入門」を読む
去る5月16日に亡くなられた加藤典洋さんの「9条入門」を読み終え、今、以前に書かれた「敗戦後論」を読んでいる。加藤典洋さん、などと親しげに書いてしまったが、実際に面識があるわけではなく、ご著書をキチンと読んだこともなく、時折朝日新聞の紙面に書かれた文章を読んでいたくらいなのに、今になって急にー加藤典洋の著作ーに惹かれる自分って何なのだろう⁇ と相変わらず、私の気付きの遅さに呆れるばかり。
加藤さんの「9条入門」の物語は、『出生の秘密ー敗戦から憲法制定まで (1945〜47年)』から始まる。ということは、1944年の暮れに生を受けた私の始まりにぴったりと当てはまる。75年生きてきて、今、振り返って思うと、子ども時代に、戦後の復興 復興で、大人達が子どもたちもそっちのけにして異常に沸き返っていた頃の新宿の西大久保周辺の空気を吸って育ったということが、私の原点にあり、それ以降、昭和から平成、令和と時代が進んでも、私の心の奥に燠火となって静かに息づいていたのが、この度、この「9条入門」の「ねじれ」の構造に触れて、私の心の中で未解決だった私の「ねじれ」が、再びパチパチと燃え出してきたようだ。
自分って何だったのだろうか? という、いたって素朴な疑問ーもう西の空に太陽が傾きかけているいるという今になってー向き合うことになってしまった。
ことば
詩梨ちゃん、心愛ちゃん、結愛ちゃん、羽月ちゃん………。なんと美しく、愛のこもった、可愛いいなまえなんだろう‼️
トツキトウカ ーやがて生まれてくる命にどんな名前をつけようか、どんな字にしようか、どんな響きがいいか、、、、、頭の中に、漢字、ひらがな、色、音までもいっぱいに広げて、ことばを生み出す作業に没頭する至福の時間。全てが愛と光に包まれていたはずなのに、何故?
2歳になったコトリチャンは、もうこの世にはいない。ユアチャンも、ミアチャンも、ハヅキチャンも、もういない。
毎日、痛ましいことが多すぎるよ。
昨日、アキラが生協で買ったポーチェラカの苗を、庭に植えてくれた。夏の日差しに強く、初心者向き。暑さにも乾燥にも、たとえ過酷な環境でも次々と赤、黄色、白などの可愛い小さな花を咲かせる、と書いてある。花言葉は「いつも元気」
彼方に行ってしまったみんな、 夏が来たら青空に向かって、可愛い花たちが手を振るから、白い雲に乗って見に来てよぉ〜。
大失敗
以前にも何回かあったたことだが、先日長男のチカシに送った(と、思っていた)メールが、英語翻訳塾のチカコ先生のところに行ってしまった。ありがたいことに、先生が早速私のメールを転送してくださったので、私の失敗が判明して一安心。 いよいよ、視覚、聴覚、その他諸々、カラダのあちこちの機能が壊れてきたようだ。
箸を持つのもままならない今では、ペンで文字を書くのは一苦労。そんな時、パソコンメールは有り難いが、次第に指の力が失せてきてキーボードの文字入力がきつくなり、ガラケイ携帯をアイホン、ノートパソコンをiPadに変えてタッチパネルに。紙の本を持つのも不自由になってきたので、Kindleに……。いよいよ便利なものが生まれてくるのはありがたけどね〜。
朝、起きると真っ先にベランダに出て「おはよう〜みんな元気〜‼︎」と庭の雑草に挨拶をすると、小鳥たちがお喋りしに飛んでくる。きっと、私の聴覚が衰えを知っているのだろう、と勝手に思っている。風薫る五月の青空が、私のカラダの中に広がった。
我が家の庭の雑草たち。
5月1日のこと
1968年にアキラと結婚して以来、祝日とか連休とかに全く縁のない生活をしてきたので、この度の国を挙げての祝賀ムードの大型連休も、さほどいつもと変わりない日々なのですが、今年の5月1日は、私にとって喜ばしい日でありました。
その一つは、1917年5月1日生まれのアキラのお母さんが、お元気で、めでたく102歳のお誕生日を迎えられたこと。大正、昭和、平成、令和 と走り続けて、今や時間をはるかに超えて、一瞬 一瞬が永遠の、無限空間のなかで穏やかに過ごしています。ありがたいことです。
それからもう一つ。5月1日と2日に西国分寺のいずみホールで、オイリュトミーシューレ天使館第5期生の卒業公演を観られたこと。雨の日も風の日も、オイリュトミー オイリュトミーで明け暮れた4年間を走り抜けた14人の卒業生たち。サナギから美しい蝶になって、爽やかな五月の青空に向かって飛んで行け❣️
私はと言えば、天候不順とは言いながら、雨の次の朝暖かな陽光を受けて、狭い庭で、雑草たち、赤、黄、紫や白の小さな花たちが、一斉にお喋りし始めたように、頭をもたげてくるのを楽しみする日々が続いています。
アキラのお母さん もうじき 102歳❣️
春 うらら
シューレの一期生が我が家の 庭に植樹してくれた桜の蕾がほころび始めた。春だなぁ〜 と朝二階のベランダで伸びをする。昨日、6年前さっさと大空の彼方に飛んで行ってしまったミヨコさんの愛娘ヨシノちゃんからーそろそろ春、遊びに行きたいなぁーと書かれた絵葉書が届いた。
今日は美容院に行って、伸びてきた白髪を 思いっきり短く カットしてサッパリしよう。その帰り お気に入りの小物屋さんに寄って、明日お誕生日のナオカちゃんへのプレゼントをさがそう……一人外出は、いささか不安ではあるものの、春の光をカラダいっぱい受けて 出かけよう。。
人生をりかいしようとはしないがいい、
そのときそれは祝祭のようになる。
ちょうど子供が歩いて行くとき
風が吹いて来るたびごとに
たくさんの花びらをもらうように。 (リルケ/高安國世訳)

チューリップと女の子と子ねこ
春
3月は、いろいろなことが始まる月だ。アキラと結婚したのも3月3日、今から51年まえ。天使館を作り始めたのも春。リウマチと診断されたのも3月。3年後民族大移動みたいに一家五人でドイツに渡ったのもまだ冷たい春のはじめ。初めての地でいち早く目に飛び込んできたレンギョウの輝く黄色が忘れられない。それからドイツ生活6年目の春、国分寺に帰ってきた。久しぶりに畳の上に寝て、お隣さんの梅の香りに誘われて目がさめると、鳥の声が耳の近くで聴こえる。ドイツの春の鳥の囀りは、冷たい空気をつんざくように、天の高みから垂直に響いてきたものだ。
日本の春は香りから、ドイツの春は色からはじまる。
アキラ、庭に稽古場を作り始める。先ず整地から。正面の木はメタセコイヤ。物干しには、長男チカシのおしめが早春の風にはためいている。池の周りの芝桜が美しい。天使館のはじまり。以来、毎年春が来ると、何かが新しくはじまる。
ヒヤシンス
2019年はニューヨークで始まった。
冬の昼下がりの闖入者
今日の昼下がり、キッチンのテーブルで制作のあゆみさんにメールを打っていると、中庭からおばあさんの可愛い顔がこちらを覗いているのが見えた。誰だろう? ガラス戸を開けると、「玄関が閉まっているんだもの。こっちから入れてね」と言う。
「えぇ……と、どなたでしたっけ‼️」どこかであったような気がするけど、私もボケたのかしら、思い出せない。
「ここに嫁に来たスギヤマエイコの母親よ」「えええっ…。うちはカサイでスギヤマではありません」と言ってはまたものの全く通じそうにないので、ひとまずお上がり頂いてお話を伺うことにした。その可愛いおばあさんの言うことには、名前はスギヤマシズコ(スに点々ではなくツに点々と注意された)さん。大正11年3月生まれで、今95歳。お昼を食べて、大田区から電車でここまで来たそうだ。意識もカラダも何もかもシャンとしていらっしゃる。お話も面白いので、ついつい暖かな冬の日差しの中で二人でおしゃべりをしてしまい……。日も暮れてきて、寒くなってきた。お家の方はさぞ心配しているだろう。どうしよう。結局は小金井警察のおまわりさんに保護してもらい、大田区ではなく東府中のご自宅までパトカーで送ってもらった。今頃は、ご家族とニコニコされているだろう。かわいいおばあさんだったな、と思いつつも明日は我が身か、と思わず身を引き締めた。
今年5月から始めた 笠井叡 迷宮公演「高丘親王航海記」もいよいよ大詰め。臨月の産みの苦しみの時。
だんだん体の自由がなくなってきたが、新たなものが生まれつつ途上に居られることは何よりのこと。

12月の朝日
阿賀神社合宿に参加して
先週、思い切って、滋賀県東近江市の阿賀神社合宿に参加した。
9月12日に退院してから、ひとり歩きは、家の前の道50メートル位を行ったり来たり、それも歩くうちに人工関節を入れた左膝が次第に重くなり痛くなってくる。一年は、がまん、がまん。骨にとっては「必要痛?」と思ってみても、痛いことは変わらない。合宿に参加するには、電車に乗って、東京駅の雑踏の中を歩いて、新幹線のホームまで行いって……ああ恐ろしい!
でも、行ってしまった。後で知ったのだが、阿賀神社(太郎坊宮)は、三角形の赤神山が御神体の有名なパワースポットとのこと。確かに、この私が、三日間70段の石段を上り下り出来たのも、九州から、仙台から、新潟から、北海道から、広島から……集った30数名の参加者の温かな応援と赤神山の神 さまのお力が合わさって、尋常じゃないパワーが働いたおかげ、と感謝している。
やっぱり、思い切って行ってよかったな。参集殿から眺めた空の美しかったこと❣️

退院してから7日目
退院してから今日まで蒸し暑い曇りの日が多かったが、今日の国分寺の夕方の空は美しかった。
家に戻ってみると、相変わらず我が家の日常は忙しい。春から夏にかけて懸命にカラダの中に育くんだものが、秋から冬に向かって実りとなって現れてくる。そんな、みんなのワクワク感、緊張感が稽古場から流れてくる。
夕方の空を眺めていたら、
ーまだまだ「歩きはじめたミヨちゃんが……」みたいだけどね、頑張んなくちゃねー
と、悠々と浮かんでいる白い雲が、わたしに向かって大声で言っているではありませんか⁉️j
そう言えば一ヶ月の入院生活の間、私は病室の窓から見える夏の空の白い雲に、毎日、自分勝手なお喋りを聞かせていたっけ。白い雲は私の無言の声を辛抱強く聴いててくれたらしい。

病室の窓から空を眺めて
澄んだ青空に雲が流れていく。いつまで見ていても飽きない。
羊の毛のようにもっこりした雲。真っ白なレース糸のような雲。綿毛のようにふわふわした雲。
いっときも休まず、形を変え、悠然と、淡いブルーの大空を右から左に流れていく。
なんと豊かな時間なのだろうか……などと、病室の窓から空を眺めてのんきな時を過ごせるのもあと数日。来週半ばに、忙しい日常の日々がやってくる。
病院という所は、日常とは全く異なる空間だ。トーマス・マンのあの主人公ハンス・カストルプが従兄弟を訪ねてたアルプスのサナトリウムのよう、とまでは言わないが、数日の入院ならまだしも、一ヶ月もいると、身体はともかく、この保護空間に心までも慣れてきてしまうから恐ろしい。でも、窓から見える美しい空の雲を眺めているとー私はこれからどこにいくのだろうか?ー などと、日頃あまり真面目に考えないことが頭を巡り、このかけがえのない時間から離れられない。
首尾よく部品交換をして貰った私の愛するポンコツ車、果たして上手く路上運転できるのかしら?いささか不安でもあるのだが………。
そうだ! あの白い雲のようにー悠々と、たっぷりと、ゆたかにー行こう。






