『高所綱渡り師たち』石井達朗著を読む。

1日一回の外歩きの他、キッチンに座って中庭を眺めているという勝手気ままな私でも、日々の昏いニュースに心が重たくなる。

舞踊評論家の石井達朗さんから頂いた『高所綱渡り師たち』(青弓社刊)を、ハラハラドキドキしながら読了し、久しぶりに気持ちがスッカーとした。

「いまやこの星の住人はIT(インフォメーション・テクノロジー)という人口の森の住人となっている。学校教育から政治・経済、スポーツにいたるまでAIはまるで毛細血管のように行き渡り、その恩恵に浴さずにはもはや生活できない。………AIは監視社会を加速し、迷惑行為や多様な犯罪を増殖し、戦争のための戦略を更新しつづける。

そんな時代にあって、デジタルテクノロジーが及ばない最後の砦が生身(なまみ)の体である。………野外でおこなう高所綱渡りは、一本のワイヤーの上を生身の体が歩く、デジタルが遠く及ばない領域である。………長く重いバランス棒を両手に抱え………左右を微調整するように………一歩一歩進む。体の五感を全開にしてこそ可能な高所綱渡りは、まさにからだからだであり、それ以上でもそれ以下でもないことを見せてくれる。…………」  ( 著者の「あとがき」から抜粋)

紫陽花が咲き出した。梅雨入りかな? 今日も雨模様。朝の外歩きは断念……では、前に曲った重たい頭を肩にのせ、危ういバランスを保ちながら、家のなかを一歩一歩あるこう。
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朝食を外で………。

みな子さんから近況報告のLINE……朝のお散歩で撮った圓照寺さんの手入れの行き届いたお庭と門前の紫陽花の写真………清々しい初夏の青空が映っている。お元気そうでよかった。(西新宿の高層ビル街に、こんなに素敵なお寺さんがあるとは!)

私の朝の外歩きにちょうどいい距離(行き50分位かかる)なので、たまに朝食を府中街道沿いのファミレス・デニーズで摂ることがある。

昨日の朝、市の補助金を受けて造った新しい装具の靴に少しずつ慣れようと、履いてデニーズまで。土曜日のことなので、車椅子の人、仕事がお休みの人、お母さんと子どもたち、パパと息子、娘………結構賑わっている。わたしはいつもと同じモーニングセットとカフェラテ。叡は「肉にしようかな?魚にしようかな?」といつも迷う………どうぞごゆっくり……。遠くにガヤガヤと人々の声。にこにこ顔の私がいる。

今日は梅雨の前ぶれ? 蒸し暑く一日中雨模様。

 

 

 

 

 

杏子の実

 

すぐ近くで………ギャギャギャ………という鋭い鳥の声………すると、中庭の杏の木に鳥が集まって来た「早く来い。ここに美味しいものがあるぞぉ〜!人間に取られちゃうぞぉ〜」と仲間を呼んでいるのだろう。

ヘルパーさんが朱色に熟れた実を拾って来てくれたので一緒に味見をする。やわらかく甘くて美味しい。鳥さんたちもたくさん召し上がれ。

中庭で四年制のオイリュトミー学校を始めたのは1990年。その第1期生が植えた小さな杏の若木。今では立派な大木に成長し、初夏の風にわさわさと揺れている。今年は杏子の実がいっぱい実った。

一人歩き禁止令を言い渡されている私は、一日キッチンに座って、汗を流したダンサーたちが中庭の杏の木影で愉しげに会話しているのを眺めたり、杏の木に映される想い出に耽ったり………無私無欲の杏の木、なんと崇高なんだろう!………とても足元に及ばないな、と心のなかで思っていると……茜色の西陽の熱が一瞬杏の木を貫き、静かに木は闇にまぐれていった。

 

 

 

 

 

 

また、ひっくり返った!

また失敗。名古屋講座から帰った翌日の昨日、ひっくり返った。4月の名古屋ダンス講座に同行する前日もひっくり返ったが、翌日新幹線で名古屋に行った。自分で自分に呆れ返る。

1975年三男の瑞丈が誕生して以来、半世紀にわたって少しずつ進行してきた私のリウマチのカラダも、いよいよ終盤に向かっているようだ。関節リウマチによる骨の崩壊に、老化による骨粗鬆症が加わるから無理もない。物質体がいつまでもピンピンしていたら可笑しい。

緩慢な速度で自分の体の関節が変形するのと付き合ってきたので、今、あらためて自分の変形した掌を眺めて「よくやってきたね」と自分の体が愛おしくおもう。

視覚も聴覚も味覚も機能しなくなってきた今、体を通してやっと正直な自分に出会えた。ひそかに心のなかで自分ににっこり笑いかける。

ひっくり返るたびに、心の重心が軽くなり、わがままに好きなほうにふわふわと飛んでいく。さて、今夜はなにを読もうか……ことばは崩壊に向かう私の体から私を解放してくれる。

 

 

名古屋まで………原仁美さんと一緒に。

笠井叡オイリュトミー名古屋講座初日。明日、明後日と三日間実習と講義がみっちりと組まれている。

「今は、人類史的な時代です。/ これまでの時代の中で当たり前であったものが/もはや通用しなくなる時代です。/言葉も、人間関係も、自然に対する関わりも、歴史の原点に存在したダンスも、今日人間とともに、カラダの内部から変容していかなければならない時です。…………」 (今回の講座案内から抜粋)

会場は名古屋の名刹「長円寺」会館。年に一回もしくは二回、30年以上続いている講座。混迷する今日の時代に生きる人たちが何かを求めて集まってくる。車椅子のわたしは何もできないけど、みんなの動く姿を見ているだけで楽しく、嬉しい。今回は国分寺から参加する原仁美さんと一緒。心強い、ありがとう。

今回感激したのは、定宿のバスルームのバスタブにゴムの滑り止めをいれてくれたこと。コロナ禍の時も利用してきたホテル。前回、フロントの受付の人に帰りがけ、思い切って「バスタブに滑り止めを用意してくれるとありがたいのですが」とお願いしておいたのだ。物価高ですべてが節約ムードでも、身障者や高齢者にとっては風呂場は危険区域。今回やっと安心した。

今日のスケジュールは、13:45〜16:30  オイリュトミー実習① /17:30〜19:00 講義⓵

もうじきホテルから会場に向かう。松江から、京都から、九州から、東京から、新潟から、みんな元気かな………!

ホテルで準備で講座の準備中。

 

 

 

 

 

 

わたしの靴

 

市に申請して補助金を受けて作ってもらった靴がようやくできた。あまり期待していなかったが、案の定、私のお団子のような足にピッタリの靴は特別に誂えなくては無理、ということが分かった。あっちが出たりこっちが曲がったり日に日に変化する骨の形。いつまで走れるかわからない私のリウマチ🚗。その時々に応じた簡単な介護用履き物をネットで見つけることに決めた。

ピッタリの靴が出来るまでと、取り敢えず、履いていた履き物で、今日叡の名古屋オイリュトミー講座に同行した。着いた時は曇り空だったが、今は雨の音が聞こえる。

果たして雨降りの日、この簡単な履き物は雨に耐えられるだろうか? その時はその時、80年もよくそんな風に生きてこられたもんだ、と自分に呆れる私がいる。それでいいのだ、という自分がいる。明日も生きていこう!

 

 

 

カレー食堂「エッセン」

 

今でもあるだろうか?私も叡も学生だった頃、新宿駅南口甲州街道脇の路地裏に「エッセン」というカレー屋さんがあった。たっぷりのご飯にたっぷりのカレー+アイスクリームのデザート付きで百円。店内は手狭だが清潔でお客さんも少なく実質的で温かい。美味しいカレーたっぷり+安い+アイスクリーム。お腹がすくと「エッセン」にいく。何回行っても飽きることなくものすごく得した気分になったもんだ。後年「エッセン」とはドイツ語の「Essen」(食事)と知り、安くて実質的なドイツ人気質のカレー食堂に納得した。懐かしい!

杏の木と踊る。

洗濯物を取り込みに中庭に出たヘルパーさんが、杏の木を眺めて「あっ、アプリコットがなっている」と言ったので、キッチンから首を伸ばしてみたけど見えない。ベランダに下りることはできない。残念!でも、最近さまざまな鳥が杏の木に訪れて、チュチュチュと忙しく枝と枝の間を飛び交っている。アプリコットの甘い汁を飲みにくるのだな。暑い夏日、喉が渇くもの。今日は熱中症の人が病院に運ばれたとテレビのニュースで言っていた。

夕方、叡は依頼された日本女子体育大学のダンス部の振り付けに出かけた。さぁ、独り。夕陽を受けて気持ち良さそうにサワサワと風にゆれる緑の葉を眺めていたら、一緒に踊りたくなって……40年前、子どもたち(今はおじさんたち)が、シュタイナー学校で使っていた「シュトックマー」のWachsfarben(クレヨン)を持ち出して、踊っている絵を描いてみたら………

こんな変な絵になった。

日が暮れたので、アドリエンヌ・リッチ『女から生まれる』の続きを読もう。もう杏の木は闇のなか………静かな夜。。

テラに腸揉みをお願いした。

夏日。九州はもう梅雨に入ったとか。テレビで黴対策をやっていた。居間兼応接間兼私の寝室にある小さな籐の箪笥にオールシーズンの衣類が詰め込まれている。3年前、寝たきり状態になった時にとりあえず2階の私の箪笥から持ってきてもらった衣類がそのままで衣替えもしない。黴対策まではとてもできないなぁ。きっと見えるところだけ綺麗にお掃除して、今夏もそのままそっと過ぎていくだろう。

先日テラに腸揉みをお願いした。テラは次男のレイジと同い年で、ともにオイリュトミストの仲間。テラは兄貴と弟の三兄弟。わが家の男三兄弟と相似系。「テラのお母さんは幸せだねぇ」というと「そうですか? おふくろの顔をみると、なぜか邪険にあつかちゃうんんですよ。いつも後から悪かったと反省するんですけど。まだダメですね、ボクは」分かる、分かる、ダメじゃないよ。我が家男三兄弟もに似たり寄ったり。家族っていいもんだ。あってもよし、なくてもよし。

新しいCPAP

昨夜、突然CPAP(鼻から気道を通して空気を送り込む機械)が作動しないので、CPAPのマスクを装着しないで寝た。CPAPは私の狭い気道を広げて、睡眠中十分に空気を脳に送りこみ、ボケ防止をしてくれる。頸椎が変形し始めてから、私の体の一部となってどこにでも付いてくる。嬉しいことにCPAPの会社の人がすぐに新しいのを届けてくれた。今夜は深く眠れる。

午後、ヘルパーの小笠原さんが私の大好きなカブを煮てくれる。美味しそう!

心と体の危ういバランスで雨模様の日が暮れていく。

 

『魅惑、という部屋』 支倉隆子詩集から

浮かぶ部屋は / すこし   / 血をにじませている。

(いり頃です) / (入ってしまえば)   / ひとりでいる、賑やかさ。

裸でいる、賑やかさ。

わたしの全身を映すために / 水はどのあたりまで来ていますか。

静かに、にぎやかに。

 

 

カラダが枯れ木になっていく………。

最近、急速に体全体が枯れ木のようになってきた。目も口も耳も水分を与えても、即乾く。皮膚は乾燥して腕は枯れ枝のよう。

関節リウマチと合併して罹るシェーングレン症候群という難病指定の病気がある。わたしは乾燥病と言っている。目も口も鼻も、体のあらゆるところから潤いが消えていく。水を与えても、与えても、乾く、乾く………皮膚は薄くなり、指紋は消えて………カラダが枯れ木になっていく。

枯れ木になったカラダでも生きている限り重力は消えない。朝になると、ちゃんと目覚める。やれやれ、重たいリウマチ車に命をのせてノロノロ走りだす。自分勝手に、わがままに、怒ったり、悲しくなったり、淋しくなったり、優しくなったり、世の中を憂いたり………でも、何かいいことがあるかもしれないと思ってノロノロ走る。

 

 

二つの声が聞こえる

 

一日1回の朝の外歩きは貴重な時間。いつも同じコースだけど、いつも同じではない。いつまで、どこまで歩くことができるだろうか…………がんばらなくてもいいよ………がんばって………とふたつの声が重なって聞こえる。

今日は、いつも右に曲がるところを左に曲がった。周囲の家並みを見ることはできないけど、雰囲気はいつもと違う。東八道路に出る。カートを押して独りでよく歩いた道。懐かしさな微塵もない。あの頃の自分はいない………新しい今日の自分が歩いている。

ヘルパーの山内さんがわたしの食事をテーブルに並べると携帯を持って中庭に出て、少しして戻ってくると携帯で撮った写真を見せて「あの白い花はイノバラですって」と教えてくれた。今は植物図鑑を開く必要はないらしい。すごい!けど………?

困ったもんだ? 何が困ったの? そんな自問自答してないで、明日のために早く夢の中へ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「テルプシコール通信 No.205」

昨日は朝の外歩きができなかったので、今朝は史跡公園の天平の道を真っ直ぐ南に下って東八道路沿いのコンビニに寄って………2日分歩いた。よくやった!あとは、家のなかで自分のできることだけをすればよし。なんと贅沢なことか。

いつも楽しみにしている「テルプシコール通信」No.205 がきた。通信と一緒に「舞踏新人シリーズ出演者列記(第1弾〜第48弾)のチラシが入っていた。第1弾は1985年10/17〜20の3日間。第49弾は今月の22日〜25日行われる。

テルプシコール企画の「舞踏新人シリーズ」第1弾〜48弾までと、叡がドイツから戻って、日本でオイリュトミーの種蒔きを始めてから今日までと年代がぴったり重なる。最初の種まきは、秦宣子さんのテルプシコールの床をお借りしてはじまった。

今月の通信の記事に北里義之氏の「オイリュトミーから土方巽の方へ」ー鯨井謙太ろう 舞踏計画 剥製の光へvol. 1『 UBUSUNA 異聞』の舞台評が掲載されている。

土方巽さんが亡くなられたのは、叡がドイツから戻った翌年の1月21日。日本人のカラダにオイリュトミーの種蒔きを始めた頃だった。

長い年月をかけて育んできたオイリュトミーの種も舞踏家のカラダの食べ物になってきた。テルプシコール企画「舞踏新人シリーズ」も叡のオイリュトミー講座も粛々と続いていく。

 

子どもの日に

子供の日。外も内もとても静かだ。キッチンから初夏の陽光がいっぱいの中庭を眺めていると………あの光のなかに一人で自由に飛びめない自分に腹を立てている自分がでてきた………危ない危ない………深呼吸して………叡と外歩きに出た。

車椅子を押してデニーズまで歩く。ケーキとお茶を注文して、周りを見るとやっぱり子供の日、小さな子ども連れのお母さんたちがいっぱい。ザワザワキョロキョロ動く子どもたちの様子をみているだけで愉しい。自分に腹を立てた自分は何処にもいない(勝手なもんだ!)

ダンス学校に参加している加藤園子さんが昨日持ってきてくださった佐波ルイ詩集『蒼きイグアナ』を読む。表紙も中表紙も活字も縹色を基調にした美しい本。カメレオンのように変化する詩人の言葉に乗せられて一気に読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次姉 葉子さん

私と九つ上の次姉 葉子さんもリウマチだった。甥っ子と二人暮らしの彼女は、生前よく転んだ。ある日、私に「昨日の夕方、台所の上り框でクルゥとひっくり返ったの」と電話がかかってきたのでビックリ「えぇ〜、それでどうしたの? 一人で立ち上がれたの?」と慌てて聞いたら「息子が帰るまで、そこでそのまま待っていたの」あぁ、かわいそう!時々そういうことがあるのよ、と普通に話す。我慢強い人だな、と思った。

気丈な彼女は、いつもシャンとしてオシャレだった。「老人用カートなんて嫌、杖で充分」と、最寄りの駅まで歩いて出てきて、長姉の漠子さんも一緒に三人姉妹揃って、お茶、お喋り、時にはお食事も。今は、もうできない。

遅れて発病した私は次姉の行く手を後ろからついていった。

ある時、駅前の交差点で信号待ちの姉の前を車が右折し、その風圧で姉はひっくり返ってしまった。以来、あちこち骨の崩壊の速度が増し、ついに寝たきりになり81歳で亡くなった。よくがんばった!

今年、私も次姉が亡くなった歳になる。この先、最期まで気高くシャキッと生きた葉子姉のように生きていけるだろうか……甚だ自信が無い……情けない末っ子の甘えん坊のヒサコサン。

まずは、転倒しないように………。

五月のはじまり

中庭のツツジの花が開き始めた。つつじ、さつき、どっち?……何れにしても、紅紫色の大ぶりの花が一つ二つとキッチンから見える。随分以前に公演のお祝いに頂いた鉢植えのアジサイを土に下ろしたのが、今や、その後ろに植っているツツジや百日紅の前に堂々と広がっている。下の方からヒョロヒョロの紫式部の枝が伸びている。亡きおばあちゃんのおきみあげの真っ赤なボケも、その横のミツが植えたひめ椿も、花はもう散ってしまったけど、頑張っている。

今日は一人なので外歩きはなし。キッチンで溜まった新聞を広げて読む。

まず手に取った新聞を広げると、天井が吹き抜けの大きな円形劇場のような図書館の写真。金沢市の図書館だ!すごい、行ってみたいな。横に古風な洋館の写真。その下に「1906年に帝国図書館として建てられたルネサンス様式の洋館は、現在は子ども図書館となっている=東京都台東区」と解説文がある。これも素敵!行ってみたいな。4月30日は「図書館記念日」というのも初めて知った。

今日から5月。もうすぐ子どもの日………青空に大きな鯉のぼりが泳いでいるのが頭のなかに見える。暗いニュースは聞かないようにしよう……静かな一日が暮れて、明日がまたやってくる………。

 

 

 

ネット依存症

作家の雨宮処凛さんがTik Tok、K-Popにハマって体重が激減してしまった、という処凛さんのネット依存症の体験記を、千章さんがメールで送ってくれた。「ひとり外出禁止令」を受けている私にとってインターネットは大変ありがたい道具だ。でも、処凛さんの体験記を読んでみると、ネット依存症の恐ろしさは本当に恐ろしい………と言いながら、怖いもの見たさで、ちょっとだけのぞいてみようと思うヒサコさんがいるから、もっと恐ろしい!

もし、Tik Tokなるものに私がハマったら、背中に根が生えて寝たきりになるのが必定。リウマチ車は崩壊し、私の魂はInternetにスッカリ吸い取られてしまうだろう。

今日、私の靴の仮合わせに病院に行った。もうじき仕上がる………背中に根が生えてきたら大変。

ヒサコサン歩くことを忘れないように!

木々や虫や花々………みんないっしょに光とともに、歩く、歩く…。

タツノ先生の入れ歯

下の入れ歯が二つに割れてしまった。歯を失うことは命の半分を失うことに等しいと思う。その命の半分を補うために入れ歯を作るのだ。

3年前の秋、私がようやく寝たきり状態から脱出し、少しの時間椅子に座われるようになった時、訪問歯科医のタツノ先生が「入れ歯を作りましょう」と言った。「えっ!作れるんですか?」顎関節の変形で口が十分に開かない、上下の噛み合わせが悪い………などで寝たきりになった時、私はとうに入れ歯を作ることは諦めていたのに。タツノ先生はしずかに「頑張ってみましょう」と言った。その時、既に先生が末期癌と闘っていた、と後から知る。クリスマスを迎える頃、入れ歯つくりも最終段階に。先生は「次の訪問は私が治験で入院するので二週間先です」と言った。でも、何故か1週間後にできあがった入れ歯をもってきてくれた。「治験にも入れなかったんです」と言って、しずかに、的確に、助手に指示を与えているタツノ先生に、私は長男爾示の写真集『Stuttgart 』を「もしお時間のある時にでも」とそっと差し出した。1週間後の調整の予約日はキャンセルになった。その数日後病院からタツノ先生の訃報を聞いた。

今日、タツノ先生が命を注いで作ってくれた入れ歯を、タツノ先生の意思を受け継いだ先生がしっかりと補強してもってきてくれた。そして、タツノ先生は「入れ歯を作ればもっとしっかり歩けるようになる」と私のことを気にかけていたこと、写真集を大変喜んでいたことを話してくれ、携帯で生前のタツノ先生が写真集『Stuttgart 』を開いてみている映像を見せてくれた。

あの時の先生の「頑張ってみましょう」のことばがなかったら、今の私はいない。

 

 

 

みな子さん、バスク地方のチーズケーキをもって訪れる

「麗しの5月」を飛びこして「梅雨入り」かしら?と思わせる湿気を含んだ雨模様の日。今日は、久しぶりにみな子さんが一時にいらっしゃることになっているので、昨夜時間切れでできなかった私の仕事(洗濯物を畳む・散らかった新聞、郵便物の整理………)の片付けをノロノロしているうちに玄関のベルが鳴り、みな子さんが入ってきた。部屋の片付けなんかほっといてキッチンでお喋りを始める。ホームヘルパーの経験もある彼女は干し掛けの洗濯物を干して、手にしてきた可愛い花束を花瓶に挿し、お茶を淹れ、一緒に食べようと持ってきたバスク地方のチーズケーキ(濃厚で素晴らしく美味しかった!)を手際よく並べて、何もできない私を何気なくスゥーと温かく包んでくれた………昨夜、大好きなバスク地方の詩人フランシス・ジャムの詩を読みたくなって開いたのは霊感がはたらいたの 続きを読む “みな子さん、バスク地方のチーズケーキをもって訪れる”

水曜日は憂鬱な日

今日は雨の水曜日。毎火曜日、生協が叡と私(主に私)の1週間分の食料品と日用雑貨を宅配してくれる。買い物に行けない私にとっては大変ありがたいが、その翌日の水曜日には1週間先の火曜日からの1週間分をWEBで注文しなければならない。これがいつも頭痛の種だ。そんな先々の食事の献立など考えられないし、iPadの画面上のカタログから冷凍の煮魚や肉、果物、野菜………はるか先に食べたいものを想定して選ぶなんて、私にとっては一苦労。

水曜日は憂鬱だ………なんて、自分勝手なことをぼやきながら、制限時間木曜日の午前2時を睨みながら、今、申し込みを終えた。みんなに支えられながら生きているとを忘れるなヒサコサン………せめて生きる糧は自分でget せよ!

今や、気分もスッキリ………おやすみなさい😴

「なむあみだぶつ」

キッチンからベランダに降りて洗濯干をしたいけど、これだけは厳重に禁止されている。少しの段差でもバランスを崩して転倒したらベランダのコンクリに頭を打ちかねない。ガラス戸を開けて内から外を見ると、すぐそこの物干し竿は光をたっぷり浴びている。洗濯機がやってくれた洗濯物を、早くあの光のなかに広げたい………と思うのはいつも太陽の運行と競争してきた主婦の習性だが………今は、さあ早く車椅子につかまり安全を確保し私自身が太陽の光のなかに入っていこう。

無心に歩くことに集中する。気がつくと「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」の七つの音を頭のなかで唱えている、意味もわからないのに何故?………自然のなかに体が溶けていく不思議な感覚……心地よい「なむあみだぶつ」の7つの音。温かく、懐かしい。

桜の花もすっかり姿を消し、若草色に面変わりした樹々が静かに並び、草地にタンポポの黄色が点々と見える。初夏にむかって植物たちは自分の出番を待っている。

 

 

 

 

マリア・ピア

復活祭の翌日、ヴァチカンの教皇フランシスが88歳で亡くなったことをニュースで知った。ローマのマリア・ピアが、サン・ピエトロ広場に車で連れて行ってくれたのはいつのことかだったか忘れたけど、ベルニーニが設計した大きな楕円形の広場、その周りをとり囲む石柱の列の光景は今でもはっきり覚えている。私たちが訪れた時は、特別な祝祭日を控えているとかで、石柱の一本一本をドイツの清掃会社が大きな櫓を組んで煤払いをしていた。「全世界からパパに会いに、カソリックの信者たちがこの巨大なサン・ピエトロ広場を埋め尽くすのよ」とマリア・ピアが説明してくれた。「へぇ〜すごいね。ところでピアは信者なの?」と聞くと「ぜんぜん、そうではないわ!日本人がお葬式は仏教で、お正月は神道で、のようなもんね」と澄まし顔。

そういうマリア・ピアは、自分の車の運転席の脇に小銭を用意しておいて、信号待ちの時に車の窓を叩く物乞いの人に必ず小銭を渡す。レストランでは、勝手にテーブルに近寄ってくる花売りやアコーディオン弾き……から必ず花を買い、音楽のお礼を渡す………謙虚に、とても自然に。

「ミナサマ  トモダチ デスモノ」とイタリア語ができない私に日本語で話してくれるマリア・ピアのやさしく、温かい笑顔!元気かな………また会いたいな………。

また会いに行こう!………明日にむかってリウマチ車のエンジンが動き出した。

 

 

 

ついていない復活祭

毎日曜日の朝、骨の崩壊が進行しない注射を打つ。生物製剤の注射で最新のリウマチ治療らしい。リウマチの発症直後に注射を始めると効果があるらしい。50年来の私のリウマチ車に果たして効くのかわからない。リウマチは完治はしないが寛解状態になり、ドラック・フリーに向かっているというけど………。

今日は何も手につかない日。気がつくと驚くべき速さで注射の日になっている! 気分転換にたまに観るAmazonの無料プライムビデオを開くと「広告フリー登録」が出てきた。ウッカリ押してしまった。滅多に観ないのに月額390円が引かれていくらしい。また失敗!

全くもってついていない1日………「今日は復活祭。クヨクヨするなヒサコサン!」どこかで誰かが囁いた。

今日の自画像

外は夏日のように暑い日。午前中、叡がアメリカから来日したダンサーのインタヴュー依頼を受けていたので、外歩きは無し(折角のお天気なの……と残念に思う自分と、ホッとする自分がいる)。やっぱり心のなかに神さまが必要だ。

車椅子を押して歩きだすと、自然の中にすっぽり入った気分になる。自分に、全てのものに、優しくなれる自分がいる…………不思議なことに!

午後は、食事のヘルパーさんがテーブルに並べてくれた食事を、キッチンから中庭を眺めながら独りでゆっくり食べる。なんと贅沢な時間。杏の木に若草色の新芽がいっぱい伸びてきた。夕暮れの西陽をうけて茜色に染まった樹を眺めていると、心なしか哀しくなるのは何故?

そんな時、ひとりで笑顔をつくって世界中の人と一緒に笑っているような想いに浸る。

顎関節の変形で下顎が落ち込んでいるため食べ物をよくこぼすので、木綿の手拭いを首に小さいクリップで止める。要するに赤ちゃんのアブちゃんのように。長方形の日本手拭いは、細長いので口も拭けるし、こぼしたものも拭けるし、洗濯するとキッリとするので私の愛用品。 続きを読む “今日の自画像”

再会

先日の名古屋WSで、何年振りかで芽里さんに再会した。拙著『畑の中の野うさぎの滑走〜』によると、彼女は「2009年4月アンジェのフランス国立現代舞踊センターアンジェで1ヶ月間の叡のWS生で、ちょうど復活祭の頃」と書いてある(『畑の中の野うさぎの〜』は日付や季節やその時の匂い、香り、色など………を思いだすときに便利)。

フランスの美しい古都、アンジェの旧い石造の建物の細い螺旋階段を登った頂上の、狭い屋根裏部屋で、WS生たちとみんなで復活祭の卵に絵の具で絵を描いた。そのなかに芽里さんもいた。さまざまに異なる国から集まったWS生、国が敵対している者同士も、自国の貧しさを嘆く人もいた。その中で日本人の芽里さんはいつもみんなの和を思う人だった。一ヶ月のWSの仕事が済んで大都会東京に戻ってから、彼女の消息を失ってしまった。

アンジェで芽里さんたちと過ごした二度とない復活祭の時間を想い浮かべながら………今年の復活祭を迎える。

三日振りの外歩き。

昨夜、無事に名古屋から帰宅した。不安定な天候にも関わらず、行きも帰りも東京駅と名古屋駅は海外からの旅行者が(それも家族連れが多い)でいっぱい。その雑踏の中でわたしも含めて車椅子利用者をエレベーターの前で列をつくるほど多く見かけた。障害者待合室には、おしゃれな電動車椅子を颯爽と自分で運転する素敵な女性、頑固そうなおじいちゃんにお弁当を買ってくる優しい孫娘、その横に疲れ切った様子のお母さん(わたしの勝手な想像)、室の隅でじっと俯いて車椅子に座っている若い男性がいた。それぞれの人の発車時刻が近づくと、ケアの駅員がきて、列車の乗り口まで案内し、列車とホームの間に乗車板を置いてくれる。車内には別のケアの女性乗務員が迎えてくれ、席まで案内してくれる。仕事とはいえ大変な仕事だ、ありがたい。

いつも中庭を眺めて暮らす私は、無味乾燥な障害者待合室で偶然であった見ず知らずの人に親しみと安心をを感じる(わたしの思い込みではあるけど)。 この狭い室には想像を絶するさまざまな人生が詰まっている………。

家を離れて三日、また中庭を眺める日々に戻った。市役所から私の障害者用の靴の申請がやっとおりた(もう一ヶ月前に申請書提出)知らせがきたので病院の装具科に予約の電話を入れたが「電話が混み合っているので………」というメッセージが流れて一向に繋がらない。テレビのニュースでは逼迫する介護保険の状況をやっている。ホームヘルパーの賃金が下がったためヘルパーの事業所が立ち行かず廃業せざるを得ないらしい。一人暮らしの老人はどうしたらいいのだろう⁇

夕方、三日振りにあきらと外歩きに出た。空気が少し湿っていて初夏を思わせる暑さ。東に向かってコンビニまで。西陽が歩く私の影をつくる。私の影が私の体を引っ張っていく。遠く東の空に灰色の雲。明日は雨かしら………?

 

 

 

WS初日を描いてみた。

名古屋ダンスWS12日のようすを描いてみる。

うれしい再会、出会いがあった。わたしのコブはきえた。WSを見学しながら、私の体も踊った! やっばり来てよかった。

次は、今年11月末に初めての発表会をするという。また、来られるかな?いや、また来よう!

 

 

 

転倒する。

昨日の11日から13日まで、年一回の名古屋のアキラのダンス講座に同行することに決まっていた(かれこれ30年くらい続いている)。ところが10日の夜、キッチンで大失態、転倒し、おでこにコブができた。大きな物音を聞きつけ、書斎から降りてきたあきらはビックリ。そのまま床に横になっておでこを氷で冷やしてくれた。リウマチの専門医から「転倒したら頚椎が大動脈を直撃して首から下は麻痺、場合によっては死ぬ……」と言われていたので「転倒だけはしまい」と固く心に誓っていたので、今回転倒した時は「もうダメか!」と一瞬心によぎったが、不思議なことに自分の内的感覚では「大丈夫」という確信があった。訪問看護士のさかたさんに電話すると「久子さんがちゃんと喋っているから、まず安心。後になって急に痺れや、はきけ、頭痛が出てきたら、即、救急車を呼ぶこと。明日の朝診にいきます」とのこと。明日の午後には名古屋に行く予定………果たしてどうなることやら………ということで、11日の朝、さかたさんにおでこのコブを診てもらい………二日後の今日名古屋のホテルでこのブログを書いている。まもなくダンスのWSがはじまる。

今回は「いつもスレスレセーフの人生だったなぁ〜私は」とつくづく思った。「でもこうしかしようがなかった」との言い訳も少しはある。今や、自分のことの大半を他人にやってもらはなけば何もできない身。

昨日の東京駅は人々で溢れていた。JRの障害者ケアにお願いしたので安心して、無事に名古屋まで。途中、整然と区画された畑の中にこんもりした森(鎮守の杜かしら?)の春めいた樹々の濃緑、若草色のグラデーションが美しく、ところどころにピンク、白の桜の樹が点在しているのが見える。なんと気持ちがいいことか!

看護士のさかたさんによると、脳内の内出血は時間とともに徐々に広がって、赤く腫れ、ついには歌舞伎の隈取のようなることもあらしい。また転倒したことを忘れてしまった頃、急に症状が出てくることもあるとか。

今のところ、幸いに何の症状もない。

 

 

 

『ニジンスキーの手記』

「私はロシアの少年としてロシアで育ちました。私は父と同じポーランド人ですが、私はロシアを愛しています。私は革命がきらいです。この方法でかち得た勝利には恐怖を感じます。ー私は革命を無神論動物の勝利だと思います。私は人々を愛しているので、かわいそうに思います。私自身は人間で、人間性を尊びます。革命で人々が殺されたと聞いて泣きました.私はアナキストではない。どの党派にも属していないのです。私の政治的態度はすべての人に親切であることです。」『ニジンスキーの手記』(市川雅訳)から

わたしがー肉体と神ーという副題を持つ『ニジンスキーの手記』を手にしたのは、初版が発行された1971年、天使館を創設した年。この愛すべき本の訳者 市川雅さん、発行者 現代思潮社の石井恭二さん、装幀 の中西夏之さん、編集 の川仁宏さん、みんなさんが鬼籍に入られてから随分経った。

 

 

ほんとうのこと

いつも失敗してきた。81歳になってもだ。

私の小学6年生の担任のS先生は厳しい指導で有名で、生徒の父兄(当時は父兄会と言った)たちにとても人気があった。ある日、授業の始まりの「起立・礼・着席」の号令でみんなが椅子に座ると、先生は開口一番「みんなはわたしが出す宿題が多すぎて大変か」と問いかけ「そう思うものは手を上げろ」と言ったので、私はいち早く手を挙げるた。すると、間髪入れず私の頭に先生の持っていた白墨が飛んできた。曰く「お前が私立中学の希望校に受かる様にと思って俺はやっているんだぞ!」と大声でこっぴどく叱られた。わたしは心のなかで(そうか、でも遊ぶ時間がないほど多い宿題は大変なんだ)と呟いた。本当のことを言ってはダメナンダ……おまけに、大人たちの先生に対する信頼度は揺るぎない………その時、わたしは絶対に教師にはならないと決意した。

今思えば、1950年代。親たちは戦後の日本復興に夢中で子どもたちの教育まで目が届かず学校の先生にお任せ。子供たちはどの子も混ぜこぜになって遊びに夢中。先生に頭を小突かれても、怒鳴られても、頭を下げて素直に謝り………子ども同士のいじめ、嫌がらせ、女の子のスカートめくり………いっぱいあったけど「捨てる神もあれば拾う神もあり」の方程式で………子ども同士で丸くおさまった。

今日はそうはいかない。パワハラ、セクハラ、コスハラ………ハラスメントが並んでいる。81歳になった今でも、ホントウのことを口走って失敗すること度々。でも、気にするな、ホントウのことを言おう、と思っている。

 

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不思議な繋がり

アドリエンヌ・リッチの『女から生まれる』を読みすすみ………「子供をもつ女ははるかに複雑で、破壊的な感情にとらわれる.愛情と怒りは同時に存在することができるからだ」まできた時、心のうちで「まったくその通り!」と懐かしい自分を思いだした。

リッチがこの本を書いたのは半世紀前。わたしが三人の息子の母親となり来る日も来る日も子供たちと共にあることの幸せと母親になれない自分との矛盾のうちに過ごしていた頃のこと。今はもうわたしの母親業は終わり来年は、2012年春82歳でリウマチの合併症で亡くなったアドリエンヌ・リッチの歳になる。

今春『女から生まれる』高橋茅香子訳(復刻版)が晶文社から上梓され………不思議に繋がっていく………。

 

 

 

 

 

国分寺の夜桜

 

もう4月も2日。エイプリルフールも過ぎてしまった。時間がどんどん飛んでいく。

先月の末、ミツタケが史跡公園の夜桜見学に誘ってくれた。冬のように寒い夜だ………でもこの機を逃して次があるかな?………と思い………雪山に登るみたいな重装備の格好で車椅子に座り押してもらう。

朝の外歩きで慣れた道のさきに………ライトアップされた史跡公園にピンクや白のさまざまに異なる微妙な色合いの桜が闇のなかに美しく幻想的に浮かび上がって見えてきた。

いったい私は何年ここに住んでいるのだろう……かれこれ60年近く住んでいるけど初めて見る光景だ。あの頃は、原っぱに国分尼寺の礎石が幾つか散在していて道端には天平時代に建てられた国分寺の屋根瓦のかけらが転がっていた。

時間が進むにつれて桜の木も植樹されたのだろうか? あの頃からあったのかなぁ。

すぐ近くに3人の息子が通った幼稚園が今も健在。あの頃、わたしのリウマチカラダも元気で自転車で飛びまわっていた。

ますます外気が冷えてきた………初めて見る史跡公園の夜桜………わたしの心のうちに美しく刻んで……ミツタケに車椅子を押してもらい家路につく。

 

 

ポーランド詩人・シンボルスカ

ショパンを生んだ国・ポーランドのことを知りたいと思い、カオス状態の私の部屋の本棚から、ノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『終わりと始まり』を取りだし開いてみると、朝日の夕刊の切り抜きが挟んであった。紙面の上に(2012/2/7)と私が書いた鉛筆のメモがあり、記事は2月1日に88歳で亡くなった詩人シンボルスカの、詩集の訳者でロシア東欧文学者の沼野充義の追悼文だった。

「ポーランド詩人・シンボルスカを悼む」寄稿・沼野充義

潔癖なまでに人前に出ず、雑文の注文にも一切応じないシンボルスカだが、昨年四月、私の求めに応じて、例外的に日本の被災者へのメッセージを送ってくれたことがある。それは『日本列島で自然の持つ力の攻撃に常にさらされている皆様がどのような気持ちでいるのか、容易に思い描くことはできません(中略)。皆様の勇気と忍耐力に対して、共感と驚嘆の言葉をお送りします』と言う短いながらも誠実なものだった。この言葉を書いたとき、詩人はすでに病に深く侵されていたのだろうか。しかし、病も死も、すでに創り出された作品の輝きを消すことはできない。

どんな生であっても/不死の瞬間が/ほんのちょっとだけある。/死はいつだって/その一瞬だけ遅れてやってくる。(「死について誇張せずに」)

 

 

 

京王ストア栄町店閉店

数週間前の早朝、次男の禮示からラインが入った………こんなに早くから何、何かあったの⁉︎………朝はいつも眠そうな声の禮示が………京王ストアが今月末に閉店する……と低い声でゆっくりと悲しげに言った。

1970年生まれの長男の爾示と京王ストアとは同い年。スーパーマーケット……そこに行けばなんでも揃う………子育て中の主婦にとっては正しくスーパー!

1975年生まれの三男の瑞丈が歩き出すと………家から30分かけ……爾示が小学校に行っている間、禮示とヨチヨチ歩きの瑞丈を連れて三人で………植木がいっぱい植っている植木交換会通りからキャベツ畑の方に曲がり………黒い土に子どもの坊主頭のように並んでいるキャベツにむかって「キャベツさん、キャベツさんこんにちは、キョォ〜モ 元気におかいもの、ランランラッラン、ランランラッラン」と二人一緒に歌のあいさつをする………それからスーパーに。

スーパの前には10円入れると上下に動くゾウさん、キリンさん、消防自動車が並んでいて………好きなものに一回だけ乗ってもいいよ………とそれぞれに10円玉を渡すとそれはそれは大喜び。そのすきに大忙しで買い物を済ませ……再び同じ道を帰る。

今やオジサンになった三人の息子たち。各々が共有できる思い出をもてる幸いを想う。

戦禍の子どもたち、帰る場のない子どもたち、自殺する子どもたち………悲しいことが多すぎる………今は。

 

 

指が曲がっている自画像

「………。私が子供たちに激しい愛情を感じ、子供たちのからだにも心にも喜びを見いだし、私自身は子供たちのすべてを自分を抜きにして愛しているわけではないのに子供たちは私を愛しつづけてくれるという驚きを感じる、そういうときは、私の心のなかの分裂はいっそう鋭くなるのだった。」

アドリエンヌ・リッチ『女から生まれる』高橋茅香子訳(晶文社 復刻版)より

 

指が曲がっている自画像

 

今日の自画像

視覚も聴覚もままならなくなった。その上、自分の歯を失い………顎関節が変形し………要するに、頭から足までゆったりと捻れている。水平状態が一番、穏やかで、安らかで、安定している。でも、春の光を見るとふわふわと外にいきたくなる。

「ヒルマ・アフ・クリント展」東京近代美術館で既に始まっている。「オディロン・ルドン展」パナソニック汐留美術館 4月6日から。「ミロ展」上野・東京都美術館で開催中。

先の楽しみは心にしまって(今の世の中、先ってあるの?)………初夏のような今日……ひさしぶりに朝食は近場のデニーズまで………。

青い手ぬぐいを胸につけて食事する今日の自画像

 

 

 

 

 

 

曲がった鼻の自画像

昨日、朝の外歩きから帰ると、前に予約注文しておいたアドリエンヌ・リッチ著『女から生まれる』高橋茅香子訳 (晶文社)の復刻版が玄関に届いていた。さっそく読み始める。

「地球上の人間はすべて女から生まれる。………」(はじめに)

今日は、昨日より気温が10度高いそうだ(フェミニストの千章さんがメールで教えてくれた)。静かな昼下がり、時おり中庭の杏子の花の花吹雪を見ながら、キッチンで昨日の続きを読む。

曲がった鼻の自画像

独りでお絵描き

今日は5月の陽気だという。午前中、穏やかな春の陽光のなかを車椅子を押して桜を見に行く。まだもう一息だ。史跡公園は夜桜のライトアップの準備をしている。焼きそばなどの屋台も出るらしい。子どもも大人も一緒に楽しむ春祭り、今流行りのイベントだな。桜をライトアップするなんて60年前にはなかった。準備中のイベント会場から離れて静かな道路を歩いていくと、コンクリートの道に蝋石で一人で夢中になって絵を描いてる女の子を見た。静かな路地裏に女の子の夢がいっぱい広がって………一瞬、子どもの頃に時間が逆戻り。

世界中が混沌として渦巻き状態。心のなかに夢をいっぱい生み出さなければやってられない!

我が家の杏子は満開………今日はメジロの夫婦(かな?)がやって来て………甘い蜜をチュチュ チュチュ吸っていった………ベランダにはもう桜色の花びらが………今日の暖かさでもうすぐ新芽がで伸びてくるだろう。

  1. 子どもの頃のお絵描き遊び。

 

雪がふる日

目が覚める……雪だ! 朝の外歩きは無理。やったぁ!………と内心で言い訳をする怠け者のヒサコサン………歩きたいの?歩きたくないの?……と自分に問いかける。

早朝、雪のなか自転車で仕事場に急ぐホームヘルパーさんのことを思う。仕事とはいえ私と同年輩のヘルパーさんたち………坂道の多い国分寺………雪道で滑りませんように。

木偶の坊のようにキッチンから中庭に降るボタ雪を眺めていると……次第に雪が雨に変わり………サァと陽がさしてあかるくなった………よかった………と思う反面………もっともっと雪が降って……辺り一面すっぽり雪に包まれて銀世界になればいいのに………などと思ったりしている相変わらず曖昧なヒサコサンよ!

ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」

 

賢治の「雨ニモマケズ………」を口の中で唱えながら絵を描いた。

 

外歩きと脚の筋力の関係

昨日、装具士が石膏で私の足の型をとって、出来上がるまで4、5週間かかるという。楽しみというより、緊張の日々………外歩きの時間と脚の筋力は正比例しているから。

今日の火曜日は忙しい……生協の配達……ケアマネさんと月一の面談……家事介助のヘルパーさん………爪切りの介護看護士さん………食事介助のヘルパーさん。りんごを一口に切って、八朔の皮を剥いて、明日の朝のスープの具を刻んで……「タッパーに入れて冷蔵庫に入れておきますね。夜にでも召し上がれ」と、まだ陽がある春の夕暮れどきに我が家を後にした。みんな、温かい!
今日の絵、やっぱりヘンテコになった。

 

 

 

 

 

ヘンテコなものが踊っている

雨の日。傘をもって叡が出かけた。しばらくしてLINEが入った。「雪が降りそうな寒さ。手足、硬直!」やれやれ、心配してもどうしようもない、無事を祈るのみ。

中庭のベランダに、昨日咲きはじめた杏子の花びらがチラホラ雨に濡れて張り付いている。今まで気にしていなかったクリスマスローズに純白の花がいくつも見える。

絵を描いたら、ヘンテコなものが踊っているような絵になった。わたしがダンスしているのかなぁ…………!

考える前に動きだすこと。

あっ、冷たい!朝外に出ると……寒の戻りかな?……昨日は穏やかな春日だったのに、何故かこころが混乱して………家に籠もり……悶々としていたので…………今日こそは考えるより先に動け……と外に出た。

高齢者用の柔らかいシューズは、左右の脚の長さが違う私には少々心許ないけど、足の指が痛くないので………まぁいいか………ひんやりする風を体で受けとめセッセと歩く。久しぶりに通る道……途中………ブロック塀の道端に並んだプランターや鉢植えに、水仙が咲き新芽がすくすく伸びている。2月に見た時は真っ黒な土ばかりだったのに………通りがかりにその家の人が大きな檸檬色の八朔をもいで「無農薬よ」と言って下さったのも、その時だ………新鮮で、瑞々しくて、美味しかったこと! 温かく、無造作で、飾らない笑顔。

3年前のちょうど今頃、お料理が大好きで、人のおもてなしが大好きだった文子さんが亡くなられた。10歳年上のお姉さん、文子さんも、いつも温かく、無造作で、飾らない笑顔の人だった。

鳥と兄妹になる

鈴木俊貴『僕には 鳥の言葉が わかる』を読んでから、朝歩きの時に鳴いている鳥の声が急に鮮明に耳に入ってくる。おもしろいし、たのしい! 春めいた今朝、車椅子を押して2、3メートル歩くと、直ぐ近くで………ジジジジ………と私を迎えてくれた………シジュウカラだな………勝手な思い込みかもしれないけど………鳥たちと兄妹になった気分。草地に屯しているハトたちとも………目の前を堂々と低高飛行で横切るカラスとも………グッとお近づきになれた。

桜の蕾が膨らんできた。欅も青空に向かって大きな伸びをしている。私のカラダも一緒になって伸びをする。すべては光に向かって動いている………と思い込みながら!暖かい春の日差しのなかで。

 

 

 

 

 

世界でただ一つの靴

朝一番、国立市障害者福祉センターに向かう。私の靴を作る第一歩。右足指の変形が進み唯一の靴が履けなくなった。冬が終わって春になると一斉に世の中には、春めいた美しい色合いのカッコイイ靴が無数に溢れ出るけど、私の履ける靴は一つとしてない。

昭和62年(1987年)11月2日に国立市障害者福祉センターで身体障害者手帳を交付されてからの私は世間の靴屋さんと縁はないのだ。今までの靴も私だけの物だった。

今日から、2回目の、世界で唯一つの、私のための、靴造りが始まった。市役所に申請ー医師の判定ー装具屋ー見積もりー許可ー型取り開始………まだまだハードルはいっぱいある。ここでめげてはダメ!花が舞って新芽が吹き出す頃には出来上がるかなぁ〜。

唯一で最後(たぶん)の私の靴のために未来に楽しみをいっぱい作っておこう。

東京大空襲の日

1945年3月10日の東京大空襲の日から80年。その前年の暮れに生まれた私は物心ついた頃、母や姉たちからその日のことをよく聞かされた………お父さんは軍に狩り出されて風船爆弾を作りに工場に行っていて留守。家には母さんと90過ぎの寝たきりおばあちゃん、10歳のお姉ちゃんをかしらにあなたも含め子どもら5人………遠くから空襲警報が聞こえてくると……生まれて3ヶ月のあなたと寝たきりおばあちゃんを座敷に布団を並べてねかして、母さんと姉兄4人は庭に造った小さい防空壕に急いだの…………上の姉ちゃんは上の兄ちゃんをおんぶして、下の姉ちゃんは一人で歩き、母さんは下の兄ちゃんをおんぶして………いっぱいいっぱいだったの………おばあちゃんと赤ちゃんのあなた。ふたりだったら淋しくないよね……と思って………狭い防空壕の中で母さんと4人の子どもは抱き合って……座敷に置いてきた2人の無事を必死で祈りながら………恐ろしい焼夷弾の炸裂音を耳を塞いで聞いていた………低空飛行で攻撃してくるB29の連隊がやっと去って行き………辺りが静かになると急いで外に出て……あった、家が、よかった!………でもお隣さんは焼夷弾の爆撃を受けて燃えている……もし、我が家だったら、あなたは今ここにいないの………哀しい話だけど………。

そんな話から80年の時が過ぎた。祖母も父母も2人の姉ももうここにはいない。

80年の間今日まで、戦争技術、武器………恐ろしいほど発展し止まらない………相変わらず人間同士の殺し合いは続いている。

新しい靴

朝目覚めると………カーテン越しに明るい日差しがいっぱい………歩きたい!
右足の親指の関節が変形して火山のように盛り上がり唯一の靴が履けなくなった。朝の外歩きができない。どんどん脚の力が萎えてくる。「歩こう」という意思も薄くなる。枕に重たい頭を委ね……漆喰の天井を眺めていると………体がゆったりして………日に日に混迷していく世界を思うと………もう歩かなくてもいいかな………などと知らぬ間に考えたりしている。あぶない!

中庭の杏の枝に薄桃色の蕾がほころびかけて来た………史跡公園の桜を見にいかねば。

指を痛めない高齢者用の室内ばきを履いて………車椅子につかまり………叡と一緒に外に出る………おお、なんて冷たくて美味しい空気でしょう!「ジュジュ」と四十雀が鳴いている。真っ青の空に綿毛のような白い雲が一点浮かんでいる。

私の足に合った靴を装具士さんが作ってくれる。復活祭の頃にはできるだろう。そうしたら、新しい靴を履いて、車椅子にのって、3月4日から国立近代美術館で始まっている「ヒルマ・アフ・クリント展」を観に行こう。

 

 

 

 

 

 

雪の日

千章さんから「ミモザが早くも五分咲きです」というメールがきた。

春先のローマの夜のくらい街灯に照らされたミモザの黄色……国分寺からはるばるStuttgart にやってきた時に初めて目にしたレンギョウの黄色………長い鬱病の闇の底から救い出してくれたラッパ水仙の黄色………。

昨日は、久しぶりに中野のテルプシコールに舞踏公演『UBUSUNA異聞』を観に行く。幸い暖かい春日。目の前で踊る4人のダンサー。光の方に向かって生み出そうとしている。純な眼差し………真摯に世界に向かって………新しい芽が確実に伸びていく。うれしい! 続きを読む “雪の日”

ゼレンスキーとトランプの話し合い

ウクライナのゼレンスキー大統領とアメリカのトランプ大統領の会談の様子をテレビで観た。

大河の急流を下っていく筏の上での国を背負って2人が話し合う………どちらも譲れない………バランスを崩すと急流にぽちゃんと投げ出される………いつも最初に投げ出されるのは筏の端に乗っている子どもや女たち………流れはいよいよ激しくなっていく………筏がひっくり返りませんように祈るばかり。

 

東京ドームへ行く。

昨日、知り合いに招かれて、車椅子で叡と、東京ドームに行ってきた。

5万人入るというイベント会場。想像を絶する………この機を逸して行くことはない、行かなくては!と意を決してでかけた。幸い春風が心地よい日和………JR水道橋駅から、ぞろぞろドームに向かう若者たちに混じってドームの近くまで行くと、巨大な昆虫の背中の一部が見えてきて………さて、どうやって入り口を見つけたらいいやら………あちこちで尋ねると、腰にたくさん携帯をつけたアテンドの方が入り口まで誘導してくれたので、大助かり………それからは、警備員の方や案内係の方にお任せしてイベント会場内の車椅子席まで無事到着………自分が何処にいるのかわからない………大きなすり鉢状の向こうの客席にいっぱい豆粒のように人の顔が並んでいる………ショーが始まる………歌うひと、踊るひと、演奏するひと、観るひと………巨大なドームの中で一体となって熱の塊になっていく。すごい!

ドームのイベントは………多くの雇用を生み………多くの企業の収益をあげ………全て経済構造の効果の中に組み込まれているのだが………ここで有事が起こったら………なんて考えることもなく………観る人たちは、差別もなく、いじめもない世界で、自由に自分の夢をゆだねられる時………演じる人は、自分を全開してそれに応える………その純粋な交換関係に感動!………わたしも自分の歳も体も忘れてドームの揺らぎに身をまかせる。

こんな体験は二度とないだろう。やっぱり思い切ってよかった!