クリスマス休暇で、日本に一時帰国したハノーバーに住む日本人の友人と電話で話した。
「今、ドイツもパリのテロ事件や難民受入れ問題で大変だけど、日本の報道とは、少し違うのよね。こちらでは、みんな、厳しい状況から逃れてきた人たちを快く受入れて、多くの市民が力を合わせて援助しているの。大半のドイツ人はそう思っていると思うわ」と言った。
そう言えば、家族でドイツに渡った時のことだ。驚いたことに、シュツットガルトに住み始めたその日から、3人の子どもたちの児童手当が市から支給されたのだ。外国人で、しかも学生の家族に、しかも3人の子ども全員に、児童手当(キンダーゲルト)が支給されるなんて、渡独前は思っても見なかった。その時ほど、人種を超えて子どもは守る、というドイツ人の意志を感じたことはない。今から、35年前のことだ。そのことを、ハノーバーの友人にすると、「今でも続いているの、それは」と、明るい声が返ってきた。
1980年10月1日
さて、先日の手紙にも書きましたが、レイジが遂に、学校から1時間かけて全行程を独りで帰ってきました。土曜日、ミツとスーパーの花屋で花を選んでいたら、市電の中に、赤いランドセルが見えたのです。よかった、よかった。ホッとしました。9月27日、28日は、ミツの幼稚園で,ミカエル祭がありました。その日、子どもたちの頭には、各々星、月、花の冠を冠り、手には、その年の収穫物を入れた小さなかごを持ち、一人一人、ミカエルの像の前に丁寧に並べていきます。うす紫のカペレの中に、秋の午後の柔らかな日差しが差し込み、おばさんとおじさんの奏でるフルートとトロンボーンの二重奏が、終始、静かな会堂に流れ、最後には、祭壇の前に、色とりどりの木の実、野菜、パン、果物が並び、それは美しい時間でした。ミツは、花の冠で、籠にはリンゴと葡萄と木の実を入れてあげました。それから、フラウ・マイヤーのこよなく美しい声で、ミカエルの話の歌い、子どもたちが輪になって、踊りました。翌28日は、学校の生徒のためのミカエル祭で、今度は、生徒たちが自分で作った弓と矢を持ってきて、庭に立てられた張りぼての龍を矢で射って、リンゴを貰うのです。その日もカペレでは、男の子と女の子のヴァイオリンとチェロの演奏があり、影絵の劇がありました。何から何まで初めての体験だったので、楽しく面白かったのですが、帰り際、数人のお母さんたちに囲まれて、質問されました。「あなたは、そんなに時間がないのですか?」と。何のことかと思ったら、レイジが独りで下校することを、とても心配してくれているのです。「大丈夫です」と答えたら、みんなびっくり。反対に、私が「車の送り迎えは何時までなさるのですか?」と尋ねたら「彼が独りで帰れるようになるまで」というお返事でした。私は、毎日レイジが独りで帰れるように訓練したのですが、その様な訓練は一切しないようです。自然に成長するのを待つということかもしれませんが、我が家の場合は、そんな悠長なことは言っていられないのです。きっと、日本のお母さんって「凄いなぁ」とドイツのお母さんは、さぞかしあきれたことでしょう。ではまた。お大切に。久子
手紙(80.9.26)秋のお祭り
11月13日の夜、パリで起きた同時多発テロ事件に、私の二人の友人が遭遇していたということを、後で聞いてびっくりした。ひとりはイタリア人で、もうひとりは日本人。二人ともたまたまパリに滞在していたという。二人とも無事だったからよかったとは言うものの、今では、何時何所で何が起こっても不思議ではない。そう思うと、35年前、家族5人で5年間ドイツで何事もなく暮らしていたころは、遥か昔のことに思えて来る。
言葉も出来ず、子どもたちの学校も決まらず、おまけにお金の蓄えもなく、それでも、「同じ地球の上、鬼が棲んでるわけでもあるまいし・・・」と言ってくれた人の言葉を信じて、自分でも、なんとかなるさ、と思い、夢をいっぱい膨らませて、ジャンプ!!それは、ついこの間の、たった35年前のことなのに、悲しいことに、なんと世の中は変わってしまったことだろうか。
1980年9月26日
いよいよレイジが独りで下校する練習を始めました。まず私が、リーデンベルクから市電のシャロッテン駅まで下って、そこで、学校のあるクレアヴァルトの丘から、バスで下ってくるレイジと落ち合うことにしました。練習の初日の朝、霧の深い肌寒い日だったので、チカシと二人が登校してから、迎えにいくまでとても不安でしたが、待ち合わせの時間に駅で待っていると、赤いランドセルを背中に、小さな体をチョコチョコ揺らして、無事にレイジが階段を下りて来るではありませんか。なにしろ、途中で何事かが起こっても、連絡するすべを持っていないと思うと、ヒヤヒヤですが、兎に角実行する他ありません。明日からは、全行程独りで帰宅すると、彼は張り切っています。さて、明日は、ミツタケの幼稚園で感謝祭です。小さな籠に収穫物を入れて、子どもたちが幼稚園に持っていきます。そして、その翌日は、ミカエル祭。手作りの弓と矢で、ドラゴンと戦います。さて、今週の火曜日にオペラ座に、クシシュトフ・ペンデレツキのオペラ「失楽園」を観に行きました。6マルクで購入した天井桟敷の席から舞台を見下ろし、伝統あるヨーロッパのオペラ座の観客とオーケストラの雰囲気に感動しました。では、また書きます。お大切に、久子
手紙(80.9.21) 学費免除のお知らせ
Stuttgartから国分寺の母(アキラのお母さん)に送った手紙のほとんどが、簡易封筒(いわゆるミニレター)に書かれている。ドイツの簡易封筒は、確か文房具屋さんで、何枚もまとまった一冊を購入したように記憶している。ブルーのミニレターの上に、60ペニッヒと50ペニッヒ(ベルリンの壁崩壊前のマルクの時代)を貼って、投函した。日本からのお母さんからの手紙もミニレターで、郵便局で購入したレターの上に、既に切手の図柄と120円と印刷されていた。時々、簡易封筒を買い忘れ、封書で出した手紙は、50ペニッヒを3枚貼った。ミニレターが1マルク10で、封書が1マルク50というのが、高いか安いか分からないが、当時は、その1マルク10に、出来るだけ細かく生活の思いをのせて書き綴った様子がうかがえる。メールでリアルタイムで相手に思いを伝えられる今日とは、随分違う。
9月21日(日曜日)
9月に入って、こちらは再び夏のような暑さと晴天に恵まれています。・・・・・・・さて、チカシとレイジの学校が始まって2週間目の日曜日。日本に居たときと違って、週末の嬉しさはひとしお。土曜日は、ミツの幼稚園がお休みなので、二人で市電とバスに乗り、クレアヴァルトまでレイジを迎えに行き、帰りに3人でNanz(スーパーの名前)で、2日分の食料を買い、手分けして家まで運ぶのです。こちらでは、土曜日の12時から翌日曜日丸一日何処もかしこも店は閉まってしまうのです。おまけに、ドイツ人は、土日は家族揃ってお出掛けしたり、友人を招待したりして愉しむ日。安息日ですものね。我が家でも、土曜の晩は、翌日は寝坊できるとあって、親子共々何となく、うきうき気分で、トランプをして夜更かし。今朝は、何と10時に、ロベルト君の呼び鈴で起こされました。彼は、家族でシュベービッシュアルプに、くろイチゴ採りに行くので、チカシを誘いにきてくれたのです。チカシが大喜びで出掛けてしまった後、おいてきぼりのレイジとミツは大層不満顔。そこで、アキラがジルベール・ヴァルト(銀の森)に、二人を連れて、お弁当を持って出掛けました。そこで、やっと独りになった私の出番です。基本的に安息日には、仕事をしないのが礼儀のようですが、キリスト教徒ではない私は、そうもいかず、1週間のチリホコリをすっかり掃除しなければなりません。(平日はその時間はありません)兎に角、彼らが帰ってくる前に、すっかりと爽やかにしておこうと、また、明日からの毎日に備えて、大忙しです。
さて、チカシもレイジも毎日元気に学校に通っています。チカシの今のエポック授業(基本授業)は絵で、レイジは、1年生なので基本授業だけでお終い。11月からは、英語とロシア語を勉強するそうです。ミツのお迎えは、毎日ですが、レイジのお迎えは、そろそろ1人で帰れるようにしようと思います。ドイツ人に言わせれば「何と非常識な親か!!」と言うでしょうけど、致し方ありません。私のリウマチは、今のところ、週1回の注射とクスリで何とか治まっています。規則正しい生活が何よりで、友達が、音楽会や講演会に誘ってくれるのですが、自分の身体のことを考えると、積極的になれず、情けないです。他の人から見ると、とても元気そうに見えるのでしょうね。でも、外国生活で母親が病に伏したら、子どもたちはとても可哀想だし、折角の新しい生活が楽しくありませんものね。安全第一と考えています。という訳で、日本に居たときのように、寝込むことも無く、朝の痛みを我慢する程度です。ではまた書きます。久子
追伸:クレアヴァルト・ヴァルドルフシューレのチカシとレイジの学費は、全額免除というお知らせがありました。ありがたいことです!!
手紙(80.9.16)クレアヴァルト・ヴァルドルフシューレに入学の頃
9月16日
さて、こちらは、チカシとレイジが、目出度くヴァルドルフシューレに入学して、通い始めてから2週間経ちました。まず、入学式の日のことを書きますね。
その日は、家族5人揃って、クレアヴァルトのヴァルドルフシューレに行きました。学校の敷地に入ると、直ぐに10歳くらいの男の子たちが、駆け寄ってきて、チカシに「きみは、僕たちのクラスに入るんだよ。こいよ!」と言って、みんなでチカシの手を引っ張って、教室の方に連れて行ってしまいました。チカシの担任のライン先生が、5Bのクラスの子どもたちにチカシのことを既に話してくれていたみたい。5Bの教室を覗くと、コチコチに固まっているチカシの周りを、体が一回りも大きく見える男の子や女の子が取り囲み、あれこれと教えてくれている様子。チカシは分かっているのかなぁ、ドイツ語が通じているのかなぁ、などと心配してもどうしようもありません。まあなんとかなるわ、とあっさりとチカシを置き去りにして、4人でレイジの入学式場に行くと、ホールの舞台上に、新入生の両親、おじいちゃん、おばあちゃんなどの席があり、観客席に新入生と在校生たちが並び、対面していました。そこで、レイジは観客席に、アキラと私は、ミツを連れて舞台上に上がると、いよいよ式の始まり。上級生のヴァイオリン二重奏に続いて、先生のお話。そのお話の真っ只中、ミツが突然、話をしている先生の前にちょこちょこと出て行き、どこにレイジがいるのか舞台の上から探してい様子。観客席の生徒たちからはクスクスと笑い声。舞台上の先生、親たちは、ニコニコ顔。新入生の中に埋もれ、丸まっている小さなレイジは、と見ると、「ミッちゃん、やめてくれよぉ〜」と、顔を歪めて困り顔。面白い一幕でした。それから、クラス担任の発表があり、まず、A組の女の先生のクラスから、一人一人子どもの名前が呼ばれ、呼ばれた子どもは前に行って先生と握手します。レイジは緊張のあまり、上を向いたり、下を向いたり、ため息をついたり・・・。B組になって、ついに「REIJI KASAI」と呼ばれると、しっかりした足取りで前に進み、ヘルムート・リントハイマー先生と握手。目出度くヴァルドルフシューレの1年生に入学しました。やれやれです。
そして今や、毎朝、6時45分に、やっと白み始めた冷たい空気の中にふたりを追い出すと、勢いよく市電の駅までふたりして走って行きます。彼らにとって何より嬉しいのは、お菓子を持って学校に行けること。日本では考えられませんよね。そんな訳で、こちらは皆毎日忙しく、でも、元気です。日本の秋が懐かしいぃ〜!!
また書きます。お大切に。久子
手紙(1980.9.4) Stuttgartから国分寺へ
1980年4月19日に渡独し、家族5人で西ドイツのStuutgart Isolde-kurz str.52 で生活を始めた。ドイツ語も出来ず、飛行機にも初めて乗り、韓国→フィリピン→ドバイ→サウジアラビア→チューリッヒの南回りで約30時間の飛行。そこから列車で4時間。アキラが探してくれた家族5人の住処に着いたのは、夜もとっぷり暮れた真夜中だった。4月とはいえ、凍るような寒さのなかで見渡した夜空の星の煌めきの美しさは、忘れられない。それから、約5年半、真新しい日々の生活を書き綴り、国分寺に独り暮らす姑に送り続けた。
9月4日 夜9時30分
今やっと、3人をベットに入れたところ。レイジは既にスヤスヤ。ミツは1人でおしゃべりしています。昨日、不足の衣類についてのお葉書を頂いたので、早速今日デパートに行って、衣類を調べました。これから初めてのドイツの冬。どのくらいの寒いのか覚悟をしていますが、最初に日本から送った冬の衣類だけでは少々不安です。なにしろ4月から約5ヶ月経ちましたが、その間の子どもたちの成長はめざましく、ズボンなどは、3人とも既にツンツルテンです。欲しいものは、消耗が激しいズボン類とズボン下です。真冬のオーバーは、デパートの安売りを狙って、アノラックを買おうと思っています。9月中旬から、アキラのオイリュトミーシューレが始まり、子どもたちが、ヴァルドルフシューレに通い始めると、買い物に行き時間はなくなります。朝6時に起床。7時にチカシとレイジを送り出し、7時半にアキラが出掛け、8時半にミツを幼稚園に届け、直ぐに丘の向こうのクレアヴァルトのヴァルドルフシューレまで、市電とバスを乗り継いで,約1時間、10時までに、レイジを迎えにいきます。レイジを連れてトンボ帰りして、12時にミツを迎えに行きます。こちらは車社会ですから、親たちは全て自家用車で、低学年の子どもたちの送り迎えをするのが当たり前で、市電とバスで迎えに行く親は、たいそう珍しいようです。まして、日本人の小さな男の子ふたりが、朝は親なしで通って来るなんて!きっと、ドイツ人はあきれていることでしょう。でも致し方ありません。何時までレイジのお迎えが必要か、分かりませんが、当分はこのスケジュールで行きます。
さて家の方も大分部屋らしくなり必要な物も次第に揃ってきました。昨日は、子どもたちだけで、市電の5番に乗って、1時間以上かけて終点まで行きました。先日服部さんから、5番の終点にドイツ赤軍派の連中が入っていた刑務所があると聞いたので、チカシは見学に行きたくて行きたくて、弟たちを連れて行ったのです。夕方興奮して帰宅すると、「刑務所で、本桃の銃を見た」とか、途中下車して、ミツをトイレに連れて行ったとか・・・。家の中ではけんかばかりですが、外に出ると、頼りになるお兄ちゃんのようです。そのチカシ、お隣に住む、ローズマリ―という10歳の女の子と友達になり、彼女がお迎えに来ると、いそいそと出掛けて行きます。では、おやすみなさい。久子
手紙
来年5月の誕生日で99歳になるアキラのお母さんは、今老人介護施設で暮らしている。そのお母さんの、かつての部屋の押し入れの片隅から、四半世紀前に私がドイツからお母さん宛に書き送った手紙の数々がでてきた。丁度25年前の今頃書いた手紙。お母さん63歳。久子36歳。
1980年10月28日
買い物から帰ると、お母さんから手紙と小包が(毛布のカバーとスリッパ)が届いていました。小包を見ただけで元気百杯!!ありがとう。まずお母さんの質問に答え、私の希望を書きます。1)粉ふるいはこちらにもありますので、不要です。2)歯の痛み止めは、中山先生のがいいのですが、無理でしたら、セデスとかでも結構。3)クリスマスツリーの飾り。もし余裕があれば、ツリーも入れて下さい。こちらで、ツリーを買うと20マルク〜40マルク位で、まあ1年に一回のことだからと思いますが、生木を買うと、入れ物から土から、何から何まで用意しなければならず、この際、日本にあるイミテーションのツリーでがまん、がまん。3)食料品は、ラーメンがもうすぐなくなりますので、カレーのもとと一緒にお願いできますか?4)おろし金。ドイツにもありますが、日本の製品の方が使いやすいので。以上船便でお願いできますか?
さて、クリスマスにおばあちゃんが来るんだと、子どもたちは、今から首を長くして待っています。そこで、子どもたちへのクリスマスプレゼント。出来れば、美しく、面白い本を1冊づつ(もし重たければ、食料品と一緒に船便にして下さい)。ヴァルドルフ学校では、プラスティック製のもの、例えば、レゴのような物は、賛成しません。それがいいとか悪いとかではなくて、私は、折角こちらに来て、日本のガラクタがない状態なので、少しづつ、おもちゃを選んで子どもたちに与えようかと思います。先日、木製の電車とレールのセットを買ったら、3人とも大喜び。毎月少しづつ、電車もレールも増やしていくのも楽しみです。また、木製のチェス(高価ですが、長いこと使えます)、トランプ(とても美しい色の絵のもの)小さい機織機(ミツの幼稚園で使っていて、私も楽しめそう。ミツが特に好きそうで、クリスマスプレゼントの候補の一つ)木製のままごとセット、大工道具セットなどなど。見ているだけでも楽しいので、お母さんがいらしたら、是非一緒におもちゃ屋さんに行きましょうね。
アキラから聞いたと思いますが、ミツのお友だちのロビン君を毎週水曜日に預かる仕事を始めました。ロビンのお母さんのザビーネは、独りで子育てをしていて、強烈な人ですが、とても優しくて、面白い人。1日につき、25マルク。ランチから夕方6時まで。つきに100マルクになるかならないかですが、子どもたちにおもちゃを買ってやれるかもしれないので、頑張ります。それにザビーネが、大好きになったのです。
ところで、今日は、ドイツ滞在の先輩、Y夫人の家を訪問しました。もう1人在独の日本人の奥さんも加わって、あれこれとおしゃべりしましたが、ドイツに来てまだ間もない新参者の私は、会話について行かれず、話しを聞きながら、外国で日本人家族と付き合うのは、大変だと痛感しました。ともすると、とても狭い世界の中での人間関係になり、他の家庭の悪口の言い合いになりそうで、嫌な感じがしました。幸いにも、私の周りは、日本の若い人たちばかり。子持ち家庭は、我が家だけです。外国で暮らすということは、よほど心を開いて、大らかにならないと、まったく自分にプラスにならず、中途半端な日本人になる恐れがあるのでは、などと考えながら帰りました。今は、むしろ日本人である私が、どれだけ人間として外国人(ドイツ人に限らず)共通の意識を持ち得るかが、緊急課題です。ではまた。久子
読み返してみると、随分調子のいいことを言っているのに、我ながらあきれてしまった。国分寺で、家族6人で暮らしていて、突然、お母さん独り残して、5人で渡独。あれこれと、注文の多い料理店さながら、姑におねだりする嫁。ププラスティックは止めようと言いながら、大切なクリスマスに、イミテーションのクリスマスツリーでよしとする感覚。何と浅はかなことよ、とお恥ずかしいが、事実だからしかたがない。それにしても、ドイツ滞在の5年間、よく手紙を書き続けたと感心する。当時はパソコン、スカイプなど無かったし、国際電話はとても高くて、緊急時のみ使用。唯一の通信手段は手紙を書くことだった。今にして思えば、懐かしい時間の流れの中の暮らしだった。
ローマ・B&B「I PALADISI」のキッチンで
前回のブログを見ると、昨年秋のメキシコ公演から戻ってからの書いたものだった。それから今日まで何と8ヶ月の時間が、あっという間に過ぎ去り、今は、ローマのボローニャ広場駅の近くにあるB&B 「I PALADISI」のキッチンに座っている。もうここに来て10日が過ぎ去り、後4日でこことも「さよなら」するのだと思ったら、急に胸に迫るものがやって来た。私は、今までローマに、何回来ただろうか?
昨年5月にも、ここ「I PALADISI」のキッチンに座っていた。「蝶たちのコロナ」公演ののために12人のメンバーと共に滞在した。そして今年も再び、同じメンバーで「蝶たちのコロナ・イタリア語ヴァージョン」公演と、ワークショップのためにやって来た。ローマ側のメンバーであるマリアピア、サマンサ、アレクサンドラ、シュテファノ、シシリーに住む絹子、通訳のダイスケ。みんなと出会ってから既に15年以上過ぎた。毎回ローマに来ると、彼らと会い、食べ、呑み、おしゃべりをし、「またね!」と言って別れ、また当然のように再会を繰り返して来た。
また今回も「またね!」と言って、ハグして、次を約束して、別れるのだろうか。果たして、その次がくるのだろうか。
そんなことを、夢うつつの中で想い巡らしてると、ローマの友人、ローマの遺跡、空、風、街路樹、果物、パスタ、ワイン・・・が、はかりしれない大きな贈り物のように、圧倒的な勢いで私の身体の中に流れ込んでくる。情けないことに、リウマチの間接の変形に、加齢も加わって、次第に身体の不自由を感じて来た私に、果たしてその贈り物を受け止めることができるのだろうか、と思うと心もとないが、心の中で贈り物を開けると、不思議なことに不自由な身体が温かくなってくる。嬉しいな。感謝。感謝。
あんな時代、こんな時代
先日、バレエの会の会場で、知らない方から「お帰りなさい。お元気そうですね」と声をかけられた。どうして、私がメキシコに行っていたのをご存知なのだろうか?一緒にいたなおかさんが「ツイッターで、ミツタケがヒサコサンの写真をアップしたからでしょう」と言う。帰り道、彼女はメキシコ版「ハヤサスラヒメ」のメンバーが、それぞれにFacebookやTwitterに載せた画像を見せてくれた。成田に向かう時、飛行場で、ホテルで、ホテルの食事、グアナファトの道路の様子、楽屋で・・・楽しく、面白く、懐かしい画面が、限りなく目に飛び込んで来た。数千キロ離れた所にいながら、リアルタイムで仲間同士が共通体験をもてるんだぁ!と今更ながら、びっくりした。私の頭の上に、どこにでも行ける目に見えないネットワークが張り巡らされていて、そのネットワークに乗ると遠くにいる友人とも直ぐにも繋がれる、と思うと嬉しくもあり、恐ろしくもある。
昔、家族で西ドイツに住んでいた頃(ベルリンの壁の崩壊より前のこと)、ある寒い冬の夜、町の電話ボックスの電話が壊れていて、日本人の誰かが10マルク(当時はマルクだった)入れて日本に電話すると、そのまんま日本と繋がりっぱなしになっている、という噂が聞こえて来た。「それ行け」とばかり電話ボックスに駆けつけると、既に日本人の留学生たちが長い列をなして、寒空の下に並んでいるではないか。遠く離れた故郷のお母さん、恋人の声を少しでも聴きたいと願う貧乏学生たちにとって、何よりの天の恵みだった。たった数分間のコトバのやり取りが、身体を温めてくれる。でも、受話器を置くと、瞬時にドイツに独りでいる自分に気づく。そして、凍てつく冬空に煌めく、無数の星を見上げながら、遠く離れた故郷の人たちとこの宇宙の中で、共に呼吸しているのを感じ、限りなく愛おしい気分に満たされる。こんな時代もあった。
コスモス
無事にメキシコ公演ツアーから戻って来た。10月11日メキシコに発つ前日に、アキラが庭に植えてくれた小さなコスモスの苗がどうなっているだろうかと心配していたが(というのも、13日には本年度最大級の台風19号が、関東甲信越に到来することになっていたので)、嬉しいことに、ピンク色のかわいい花がちらほらと、けなげにも風に吹かれているではないか。よく頑張ったね、と思わず話しかける。どのくらい激しい台風だったか想像できないが、庭の隅のゴミ箱のふたはすっ飛び、立てかけてあった掃除用具も倒れていたので、植えたばかりで、まだ大地にしっかり根を下ろさない幼いコスモスたちは、風雨に堪えるのに必死だったことだろう。コトバをもたない、こよなく愛おしい植物たち!
そして、我が家の桜の葉も色づき始めた。今年の冬から始まったメキシコ版「ハヤサスラヒメ」も、極暑の夏を経て、再び訪れる冬を前に終わり、新たに次の春に向けて、アキラの新作「今晩は荒れ模様」が既に始まり、再びカラダの内が静かに温まって来た。
メキシコ版「ハヤサスラヒメ」公演に向かって
横浜赤レンガで行なった、メキシコ版「ハヤサスラヒメ」のゲネプロも無事終わった。いよいよ12日に成田からメキシコに、39人のメンバーと共に飛び立つ。
ゲネプロの会場には、初演の時の大駱駝艦の男性4人のダンサーも駆けつけてくれた。舞台が終わってから、会場で、今回男性に代わって踊った女性ダンサー4人と大駱駝艦の4人、そこに、麿さんに代わってサスラヒメを踊ったミツタケも加わり、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、何やら楽しそうにおしゃべりをしている。がたいの大きいおにいちゃんたちが可愛い妹たちに向かって「しっかりやれよ、おまえたち!!メキシコ公演、がんばれよ、ボクたちが付いているからね」などと言っているのかな、何とも和やかで愉しい空気が流れてくる。それから、お決まりの写真撮影。そこに居合わせた多くの面々にカメラを向けられ、仲良く兄妹同士カメラにおさまっていた。
一昨年、50年来同い年の友人でありながら、交わることなく自分のおどりを踊り続けてきた麿さんとアキラが、同じ舞台で踊ること自体とてもびっくりした出来事だったが、それ以来とても自然に、若いダンサーたちの輪が広がって来た。私にとって、それは何より嬉しいことであり、楽しみだ。
39人という大人数と海外ツアー公演をするのは初めてで、どうなることやらと思っていたが、若い人たちのがんばりと明るさの溢れる空気の中にいると、自然と、まあ、何とかなるよ、とひどく楽観的になってくる。ありがたいことだ。
相変わらず、極楽トンボのヒサコサン、ガンバレヨ!!などと、ぶつぶつ呟きながら、すでに気分はメキシコに向かって・・・。
秋の日に
久しぶりに爽やかな秋の日。午前中、アキラに北口の美容院まで車で送ってもらう。途中、秋祭りの御神輿に出会ったり・・・気分もルンルン。ごま塩色の私の髪をカットしてくれるのは、二男のレイジと同い年の、最近ちょっとお腹が出てきた店長さん。「いつものように、短くしますか」というと素早い鋏さばきで、チョキチョキと手際がいい。「はい、如何ですか?」と後ろに鑑を当てて、カット具合を見せてくれる。えっ、もう終わり!と心で思いながらも「ありがとう」とにこやかに礼を言って、外に出ると、秋の陽が、軽くなった私の頭の上に溢れるように降って来た。
家に帰って、山本ふみこさんの「暮らしと台所の歳時記」を開と「9月13日〜17日ごろ セキレイが鳴きはじめるころ」とあった。鶺鴒って、どんな鳥だったっけ? 辞書を引くと「・・・水辺でみられ、スズメより大形。尾が長く上下に振る習性がある。・・・」なるほど。涼しくなると、活字が恋しくなるなぁ。
アルテミス
東京芸術劇場のシアターイーストで、「黒田育世とBATIKダンサーによる日替わりデュオ!」と銘打ったBATIKの公演を観た。まあ凄かった。昨年お母さんになられた育世さん、もう、以前の「おどりが踊りたいの」と叫び続ける女の子には戻れない。
ストラビンスキーの「春の祭典」の強烈な曲に乗ってダンスする彼女に、私は、いつの間にか、数年前ナポリ国立考古学博物館で観た古代メソポタミアのエフェソス神殿の女神アルテミスを重ねて観ていたような気がする。
ナポリ国立考古学博物館のディオニソスの間に置かれた漆黒のアルテミス像は、身体に多くの乳房と動物たちをくっ付けていた。ローマの友人は、それは乳房ではなく、牛の睾丸でもあると言い、アルテミスは、命を生み出す大地母神のような存在なの、と付け加えた。
また、ギリシア神話では、アポロンの双生の妹で、美しく若い、処女の狩人。ローマ神話では月の女神・・・などと話してくれた。
終演後、叡と一緒に楽屋を訪ねると、そこに現れたのは、エフェソスの女神ではなく、ニコニコ明るい顔をした、いつもと変わらない育世さん。傍らに、まるまるとした赤ちゃんを抱っこしたジロさん。この光景も,なんと素晴らしいことだろ!
秋のはじめ、幸先のいい、実りに恵まれた一日だった。
頭上に 極上を。
憎らしいほど暑い夏日がやっと収まって、爽やかな秋の日が始まった。
昼下がり、打ち合わせに来たハイウッドの高樹さんが「これ」と言って、大きな包みをアキラに差し出した。開けてみると、なんと、今アキラが一番欲しがっていた純白のパナマ帽ではないか。
2年前の夏、シシリー島のエリチェで、あまりの暑さに耐えきれず、道ばたで1000円で買った白い帽子が気に入り、冬でもかまわず愛用していたが、ついに先日へなへなになって、捨ててしまったという。いくらイタリアで買ったとは言え、夏の日よけの麦わら帽にすぎないのだが、型がどことなく粋なのだ。最近では、半ばアキラのトレードマークになっていた白いパナマ帽。それがなくなったとあっては、アキラの心中思いやられるなぁ〜と案じていた矢先のこと。
包みの中に、「あきら先生受賞おめでとうございます。BATIK一同心よりお祝い申し上げます」と書かれた薔薇の花形のメッセージカードと、Borsalinoの説明書が入っていた。どうも、今年の貰った、芸術選奨の文部科学大臣賞のお祝いのつもりらしい。若い女性のダンサーのみなさんの優しい心と勘のよさに感動する。
実は、昨年11月アキラは古希のお祝いに旧天使館の面々から、やはりBorsalinoの紳士帽をプレゼントされた。でもこれは焦げ茶の冬用。これで、夏冬いつでも安心になった。うれしいこと!!
曰く「頭上に 極上を。」
夏の終わり
子どもの頃、夏休みの始めは、時間のことなど考えもなく、毎朝目覚めると同時に飛び起きて、ひたすら遊びに没頭して過ごした。でも夏の終わりになると、突然時間との闘いが始まる。宿題だ!! 今日は8月31日。もうここまで来ると万事休す。不思議なことに、翌9月1日になると、思い詰めた気分もすっかり消えて、秋の新学期に向かって、久しぶりに友達に再会できるのが嬉しく、意欲が出て来る。
夏の終わり。子どもの頃はよかったね!!
さて、今の私。およそ40年にわたって付き合ってきたリウマチで、いよいよ指が変形してきて、今では、箸を持つのもやっと、ペンで字を書くのはとても困難、という情けない状況だが、幸いなことに、左右の人差し指だけは使用可能なので、パソコンの入力は出来る。
そこで「わが愛しい指よ、お前たちはいつまで私のために働いてくれるかしら・・・・」などとぶつぶつ言いながら、庭の桜の木の幹で、夏の終わりを告げるミンミンゼミのうるさい鳴き声を聴きながら、パソコンに向かっている。またブログ再開です。
三月になって
2月の大雪で庭に積もった雪が消えると、初冬に植えたムスカリの芽が並んで土から頭を出していた。春がくるのだなぁ〜、ホッとするのもつかの間、今日はまた冷雨の一日だ。
春になると、お花やさんの店先は、優しい淡い色合の、香り豊かな花々が溢れるほど並び、心もうきうきと街に繰り出して、映画でも観て、お茶でもして、などという気分になったものだが、そんな楽しい気分にならないのは、年のせいもあろうが、そうでもない。
3年前の3月11日の東日本大震災以来、的を得た言葉を見失い、言葉が相手に届かなくなり、次第に不安な気分が日々の基調となりつつある。
思えば、東京大空襲、地下鉄サリン事件、イラク戦争開始、東日本大震災、そして今日のウクライナ情勢悪化、なぜか全て3月に起こっている。
雪に覆われた冷たい大地から、健気に光に向かって伸びてくる小さな植物の芽を見ながら、R・シュタイナーの「魂のこよみ」を心に響かせてみる。
Im Licht, das aus Weltenhoehen/Der Seele machtvoll fliessen will,/Erscheine,lösend Seelenrätsel,/Der Weltendenkens Sicherheit,/Versammelnd seiner Strahlen Macht,/Im Menschenherezen
Liebe weckend.
宇宙の高みから力強く/魂の中へ流れこむひかり、/その光の中には魂の謎を解く/宇宙思考の確かさがある。/この光線の力を結集して/人の心の中に愛を目覚めさせよう。(高橋巖訳)
グリュス・ゴット!
思いつくまま気の向くまま、頭の中のおそうじをするように・・・今年初めてのブログです。
長田弘さんの「ウイーン、旧市街の小路にて」という詩のなかに、
グリュス・ゴット!/挨拶のなかに神さまのいる街。
という一節を見つけて、嬉しくなった。「グリュス・ゴット」とは、今から34年前の春、私が家族と共にシュッツトガルトに渡って初めて知った挨拶の言葉だ。「神さま、こんにちわ」なんとステキな、なんと美しい響きなのだろう。それからの5年のドイツ生活の間、友だちでも、八百屋さん、魚屋さん、郵便局、銀行、学校、お隣さん、市電の運転手さんなどなど、いつでも何処でも人との出会いは「グリュス・ゴット」から始まった。
5年後日本に戻ってから、20年近く経った2005年春、叡の振付けの仕事で、一ヶ月ベルリンに滞在する機会があった。久しぶりのドイツというので、私は胸をわくわくさせながら、集まったベルリン在住の若いダンサーたちに向かって、大きな声で「グリュス・ゴット」と挨拶すると、「ヒサコガ、グリュス・ゴット、デスッテ!」とみんなに大笑いされてしまった。何がおかしいのかなぁ?ともじもじしていると、ルノワールの少女を想わせるダンサーのひとりコリーナが、私の耳元で「ベルリンでは、誰もグリュス・ゴットとは言わないの」と囁いて慰めてくれた。でもどうして言わないの、こんなにステキな挨拶の言葉を・・・。
その一ヶ月、私たちはブランデンブルグ門の南の旧東ベルリン側にあるアパートの8階に滞在した。5月19日ベルリン到着の翌朝、北の窓から外を覗くと、灰色の四角形のコンクリートの立方体が整然と幾つも並んでいて、立方体と立方体の間には、細い通路が縦横に走っているのが見えた。上から見ると、同じ大きさの四角形だけが並んで見えるが、立方体に差した影を見ると、高さは微妙に異なっているようだ。一体これは何だろう? コンクリートに挟まれた狭い通路をひたすら歩く人がみえる。若い夫婦が子どもを石の上で遊ばせている。前も後ろもないような、終っているようで終っていない、なにもない空間。
それは、5月12日に完成したばかりのホロコースト記念碑だった。そして、6月1日、イスラエルのシャロン首相が記念碑に訪れるというので、前日から私たちがいる建物の周辺は厳戒態勢にはいった。稽古場で、コリーナは私に「ヒサコ、明日は絶対に窓を開けて外を見てはダメ。即座に拳銃で撃たれるわよ」と厳重に忠告してくれた。翌日私は、忠告を守って窓を開けずにガラス越しに外を覗いて見た。至る所に警察官や兵士たちが配置されていて、地上では警察犬が植え込みをせっせっと嗅ぎ回り、ビルの屋上からは、銃を携えた兵士たちが双眼鏡を覗いてまわりの様子を伺っている。あまりの物々しさに、その必要も無いのに、私はしばらくの間、物音を立てないように息を潜めてていた。
ベルリン在住のダンサー8人に振り付けた叡の作品「蜃気楼」の初演は、ブランデンブルク門から続いて広がる ティーアガルテンの中の世界文化の家で行なわれた。終演後、コリーナは私に「私の父も母もドイツ人。私は時々自分がドイツ人であるのが恥ずかしく思うの・・・」と話した。私は心の中で、えっ、何で?と思ったが、その時私は、20代の若いコリーナが背負っている存在の重荷を受け止める言葉を見つけることができなかった。
翌日日本に向かう飛行機の中で、コリーナの顔を思い浮かべながら、「コリーナ、あなたのなかの神さまにこんにちわ。グリュス・ゴット!」とつぶやいてみた。
先日の BankART における大野一雄フェスティバルでの、「笠井叡日本国憲法を踊る」に、多くの方々が参加していただき、ありがとうございます。自民党の新しい憲法草案に対して反対するというより、ごくごく個人的な憲法と自分との繋がりを、カラダを通して確認してみたかったというところが、本音です。そして、踊ってみて、ますます強く憲法の根幹にある、「言葉の理念」とカラダの結びつきを、感じることができました。できれば、1回だけのパフォーマンスではなく、時と場所を見つけて、2回3回と続けて行えれば、また別の側面が見えるのではないか、と思ってます。今、時代は大きく変化しており、この時代の動きに対し、常にカラダで反応していきたいと思います。「この訳の分からない時代」と「国のカラダ」と「個人のカラダ」が、いよいよ一つに結びつく予感がします。
秋の日
どうなることやら、と思っていた「笠井叡 日本国憲法を踊る」も先週の日曜日に無事終わった。その日は、奇しくも大野一雄先生のお誕生日。台風一過の翌日、澄み切った秋の空から「カサイサン、カサイサン(生前大野先生は,アキラをそう呼んでいた)もっと静かに、静かに、ゆっくり、ゆっくり・・・」などと呟かれていたのではないだろうか。取りあえず、多くの方にご覧頂き、感謝、感謝。
秋になると、5年間暮らしたドイツのStuttgartが無性に恋しくなる。透明に張りつめた空気の中で、Silber Wald(銀の森)の樹々の葉は、黄金色に染まり、その1枚1枚の重なりの隙き間から、美しく淡い陽の光が差し込む。冬支度に入る前の秋の一日、子どもたちのお楽しみ、Strasse Fest(ご近所祭りとでも言おうか)が行なわれる。隣近所のお父さんたちは、協力してテントを張り、グリルの炭火を熾して肉を焼く準備をする。とりどりの秋の実りの果実で、おいしいケーキを焼くのは、お母さんの仕事。一時の楽しみが過ぎ去ると、冬が一気にやってくる。
もうかれこれ30年以上まえの風景。でも秋になると、その時の空気の冷たさ、匂い、光の色,風の音が、からだのなかに蘇って・・・などと、心地いい秋の陽だまりで夢想に耽っていると、名古屋の中村眞貴子さんからメールが届いた。
曰く「いよいよ、『蝶たちのコロナ』の名古屋公演です」そうだ!名古屋で初めての天使館オイリュトミー公演が、間もなく幕開きする。
11月8日(金) 18:30開場/19:00開演 愛知芸術文化センター小ホール 前売り2700円 当日3000円
30年前のある秋の日、シュツッガルト・オイリュトメイム日本公演で来日された、叡のオイリュトミーの師、故エルゼ・クリンク女史は、叡の舞踏の師である故大野一雄先生と対面なさった。対極の、偉大なふたりの師。このおふたりも透明な秋空のむこうで、静かに幕開きを待っていらっしゃるような・・・。
乞うご期待!!
この黙示録的現代社会の特徴は、もう、すでに生も死も重なってしまったということだろう。
行き交へる男女が一瞬かさなれるはかなき情死をうつす硝子戸(春日井建)
このような硝子戸の世界において、天皇制の社会であろうと、共和制の国であろうと、もはや本質的な違いはないのかもしれない。もちろん言葉の上では、対極である。しかし、生と死が重なった社会は、どこか「劇場国家風」なのである。すべての人間が死の中から、生を演じているかのように。共和制であろうと、天皇制であろうと、演じられる台本の違いであるにすぎない。いずれにしても、どこかに虚構が忍び込んでいる。
そのような黙示録的社会において、憲法はその台本の筋書きの中にあるのか、劇場国家台本の外側にあるのだろうか。もし、憲法が台本の中に組み込まれているならば、憲法は単なる虚構に過ぎない。憲法が台本ではなく、台本を支える原理であり、劇場国家を支える原理であるならば、憲法は、生者の世界のみならず、死者の世界にも有効であろう。私にとって憲法とはそのようなものだ。憲法が劇場内の台本であるならば、ファシズムであろうが、共和制であろうが、無政府主義であろうが、結局は同じことなのである。そして、この生者にも死者にも有効な憲法とは、ただ、カラダの中から現在進行形で生み出される、言葉の領域、言葉の理念の中にしか、存在しないのかもしれない。
事後報告になりますが、9月19日(「蝶たちのコロナ」の公演日)に、45分番組の「吉増剛造と笠井叡のセッションおよびインタビュー」番組がテレビ放映されました。そのDVDを、企画したテレコムスタッフから今日 送られてきたので、初めて見てみました。
改めて、 DVD で吉増剛造氏の現在進行形の詩の作業を見て、その内容のすごさに驚かされました。彼は、人の口を通して日本語が生まれるその根源の、声としての言葉あるいは詩が生まれる瞬間を、真に生きている、と思います。そして、動きが生まれる瞬間と、言葉が生まれる根源が同一であるということを、改めて確信させられるました。
この番組は見てない人が多いと思います。いつか機会を作って、天使館で公開したいと思います。
今世においても前世においても、舞踊家ではなかったルドルフ・シュタイナーが、「オイリュトミー」という身体技法を生み出してから、100年がたった。彼は一体、カラダとダンスに関して、何を知っていたのか?
彼は、ダンスについて、たった一つのことだけを確信していた。人間の「身振り」というものは、カラダに張り付いている。このカラダに張り付いている「身振り」を、カラダから引き離すために、「オイリュトミー」を創始したのだ。ダンスについての唯一の原理とは、「身振り」を天地に供犠すること。
「身振り」を天地に供犠するためには、「身振り」は、カラダから引き離さなされなければならないのだ。
今日、朝日新聞で国際化とグロ-バリズムの違いについて,述べておりました。スポーツで言えば、サッカーは、グローバリズム、柔道剣道は、国際化という感じでしょうか。グローバリズムは、デジタルで、国際化はややアナログ的なのかもしれません。
ダンスにおいても、アートマネージメントが主導するならば、グローバリズムに成りやすく、個人レベルで、人と人が出会えるるならば、国際化と言えるかもしれません。
来週の月曜日、セッションハウスでヨーロッパ在住のトランペッター、沖至と天使館の4人の男性ダンサー寺、定、謙、禮の4人が、沖さんと共演いたします。前日のリハーサルが取れずに、当日ぶつけに近い公演ですが、お暇な方、どうぞおいでください。
笠井叡 日本国憲法を踊る
9月末の、琵琶湖合宿のテーマも「日本国憲法」だった。今度は、カラダで「日本国憲法]を踊るという。果たしてどうなる事か。
40歳の若さで青函連絡船洞爺丸の海難事故に遭い、あえなく亡くなった叡のお父さん(寅年生まれなので寅雄という)は、ごく普通の家に育った人らしいが、誰に聞いても、頭がとびきりよく、当時最年少で司法試験に合格し、裁判官になった。今、タンスの上に置いてある法衣を着た寅雄さんの遺影を見ても、我が三男と同じくらいの歳とは思えないほど、立派に見える。その奥さん、つまり、叡のお母さんの話によると、めっぽう頑固で厳しい人だったという。そのころ、ターザン遊びに熱中していたアキラ少年は、よく寅雄さんにお目玉を食らったらしい。寅雄お父さんにとって叡は長男。法律学者ならまだしも、まさかダンサーになろうとは!!
朝の食卓で、私が「寅雄さんが生きていらしたら、憲法について聞きたいわね]と言うと、叡は「地上の法は宇宙の法。宇宙の法は地上の法。寅雄さんと僕は同類項だ」と言いながら、抗がん剤を服用する。ヤレヤレ、どうなることやら・・・・。
昨夜、澁澤龍彦氏の最晩年の著述を読んでいた時、ふと頭の中で、「澁澤氏は、いま天皇制についてどう考えているのだろうか。」という思いがよぎった。
どう思い起こしてみても、氏と天皇についてしゃべった記憶はない。
しかし、昨夜読んだ箇所において、20歳代に自分はフランス革命をいつも考えており、とりわサンジュストに対する思いは熱烈であった、と述べている。だからといって、澁澤龍彦氏は日本が共和制の国なればいい、と考えてはいなかった、と私は思う。
澁澤氏が政治的な天皇を嫌っていた事は確かである。また皇居を解放して、大きな公園にしたらいい、とも語っていたらしい。また戦争なんかくだらない、「じゃんけん」で決めればいいと、心から思っていた。
私は今、澁澤龍彦氏といつも、「沈黙の言語」で話をしている。氏は、肝心なところでは、きっぱりと事を決めるか、笑い飛ばして終えてしまうか、どちらかである。三島由紀夫氏と同様、政治的なことが大嫌いな澁澤氏に、あえて「いま天皇についてどう考えているのですか?」と問うならば、、、、、、、、、、、
今日の夜は、「日本国憲法を踊る」のための第1回リハーサル。
テキストには、古事記、日本国憲法、大日本帝国憲法、フランス人権宣言、ルドルフ・シュタイナーの言葉、三島由紀夫の言葉等、様々な歴史的背景を持つテキストを選んだ。
一体この憲法を、未来3000年先の人々はどのように受け取るだろうか。1時間の間に、古事記から宇宙的未来に至るまでの人間の歴史を凝縮してみたい、と思う。
5月に手術して以来、今日初めて、本格的に動いてみた。カラダは病んでいるが、カラダの中の言葉は、決して病んではいない。朗読は、尾崎若菜、山口奈緒子、川上晶子の3名。
今回の自民党の憲法改正案に対しては、生きている人間だけではない、死者たちもそれに最大の関心を寄せている。とりわけ第2次世界大戦で亡くなった、何百万もの人々の魂が、その行方を凝視しつつ、その魂が憲法改正させるか、否かを決定する大きな力である。
これからの時代、死者たちの声を無視して、人間はもはや何の事もなし得ないし、なすべきではない。死者たちとともにこの歴史を創っていかなければならない。
今日、たまたま書庫の中から見つけた,昭和44年の11月に行われた三島由紀夫と石原慎太郎の対談を読んだ。
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石原 三島さん,変な質問をしますけど,日本では共和制はありえないですか。
三島 あり得ないって、そうさせてはいけないでしょ。.あなたが共和制を主張したら、おれはあんたを殺す 。
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この対談がなされてから、44年の年月が過ぎ去った。今改めて、この自民党の憲法改正草案の時期に、「日本国憲法」を読んでつくづく感じるのは、この憲法が、フランスの人権宣言を元にしているということ以上に、例えば、マルキ・ド・サドがヴァスティーユ牢獄の中で書いた「フランス人よ、共和主義者たらんとすれば、今一息だ。」という言葉に至るまで、日本国憲法の中で謳われている「自由、平等、博愛」の根は深い、といういことである。
地球上で、日本ほど共和制から遠い国はない。なぜなら、ここには天皇制が存在するからである。日本国憲法は、このマルキ・ド・サドの言葉にまで根を降ろしている共和制理想主義と、天皇制という、北と南のふたつの極を、奇跡的に結び合わせているのだ。
この両極を結びつけることは、言葉の領域ではもはや不可能である。再び言葉をカラダに戻すときに、カラダの中でのみ、この二つの極は出会うことができる。「日本国憲法を踊る」というのは、この一点に賭られている。
ミイラを作っていたエジプト人は、この世よりも彼方の世界の方が、はるかにリアリティがあったらしい。
その後、リアリティは物の世界の方に移動したけれど、再び今日おいて、ゆっくりと歴史は、死者たちの世界の中に入っていっているのだろう。この世に生まれるということ。それは自分の中の差別意識を克服する、ということか知れない。生と死、男と女、私とあなた、この差別を乗り越えなければならない。
先日の講演会で、賃金契約は、人類最後の奴隷制度と言ったけれど、賃金契約に変わる分担契約は、完璧な社会保障制度が一方に存在しなければならない。「所得のために働くのではなく、社会の必要に応じて働く人間になりうるようにするためには、どのようにしたらよいのでしょぷか?」と先月の舞台で、踊った。
分担契約というのは、多分意識の問題である。だから、賃金契約による労働であっても、意識の上で分担契約と思えれば、ちょうど死と生とが、重なっていると思えるならば、二元論を越えられるように、賃金契約の労働意識も超えられるかもしれない。
滋賀県の琵琶湖における3日間のオイリュトミー合宿が終わりました。
今回のテーマは「オイリュトミーを通して、日本国憲法をカラダの中から創り出す」でした。硬いテーマなので、どのくらい参加者があるか、初めは心もとなかったのですが、多くの方々がこの合宿講座を通して日本国憲法について改めて関心を寄せ、また、今回の自民党による憲法改正がどのような意味があるのかを、カラダを通して理解することができたと思います。
憲法は国の中から生まれるものより、もむしろ外側から与えられたものです。故郷喪失者が憲法の出発の立場に立てるのではないか、と思えるくらいです。憲法は、生きてる人間にとってもまた、死者にとっても同じように有効に働きかける、一つ生きた理念であると思います。
10月27日、横浜の BankART にて、「笠井叡日本国憲法を踊る」という会を行います。興味のある方、ぜひご参加くださiい。
琵琶湖合宿
今年4月9日、叡が胃癌の診断を受けてから、ほぼ半年が過ぎた。叡の癌のおかげ、と言ってはなんだが、今では、三分の一になった叡の胃袋を上手く満たすには、どんな食べ物がいいのかなど、料理上手な友達からの様々な食材や、アドバイスを頂いて、私のもっとも苦手な分野のお料理に挑戦しながら、新鮮な発見に喜んだりしている。叡の癌のおかげで気づいたことが、もうひとつ。それまで、フツウに「ガン」と発していた単語が、急に身内に乗り込んで来てからというもの、世の中に「ガン」という単語が如何に多く渦巻いていることか、ということに気づいた。新聞、雑誌、単行本、「ガン」の叩き売りのように「ガン」という単語が飛び回わっている。これぞガンの治療法、ガンの撲滅、ガンからの生還、ガンの花道・・・。ガン患者は、ガン情報でガンじがらめにされてしまう。冗談を言っている場合ではない。
昨日から、琵琶湖湖畔での合宿にやって来た。全国から30人以上の方が参加している。「オイリュトミーにより、日本国憲法をカラダの中から、創りだす」が今回のテーマだ。今日問題の憲法改正のことを考えながら、ふと「人は生まれた瞬間から、死をカラダの中で育て始める」というフレーズを思い出した。人は、生きる権利とカラダの中で豊かな死を育む権利があるのに、そのどちらも同時に奪ってしまう戦争は、最悪の行為で、絶対に許せない。たとえ、病気といえども、自分のカラダの中の死を育む時間を与えられることは幸いではないか。
昨日と今日、消化器系の具合が極めて悪し。 胃を3分の2、取ってまったので、ほとんど口が十二指腸と直結している感じで、食べ物を充分に消化することができません。口が胃の役割をしなければなりません。これが私にはほとんどできないのです。
食べたものが腸に直結していて、しばしば食べたものを吐いたり、或いは腸捻転を起こしたように痛みが走り、そのためにも、食べ物をゆっくりと時間をかけ、充分咀嚼するということを実行しなければだめなのです。食べた後は、いつもひっくりがえっています。
夕方、外に出ると、目に映る風景が薔薇色の光の中に包まれていて、この世の風景ではないような感じがしました。歩いている時間感覚が、ほとんどなく、夢の中にいるようでした。こんな美しいバラ色の風景と空気は、初めての経験。そして家に戻って、また床の上にひっくり返ってました。
今日、久しぶりに,有料老人介護施設にいる,母のところに行きました。
立川に出て、モノレールに乗り、帝京大学前でおり、そこから15分ほど,のんびりと坂を登って,施設にまで秋の日を堪能しながら、歩きました。着いてみると、母は、病院で治療を受けている、とのこと。1時間ほど待つと、車椅子に乗って帰ってきました。足からばい菌が入って、ふくらはぎが膨らんでいました。
家で見つけた、東京女子大入学当時の写真を持っていくと、懐かしそうに眺めながら、80年前がまるで昨日のようだ、と語っています。帰りは、立川で天ぷらを食べ、久しぶりに日本酒を吞みました。腹にしみるよう。抗癌治療中なので、一合だけにしました。国分寺につくと、もう、すでに辺りは真っ暗。久しぶりに外出したという感じです。
あ お う え い 秋は 遠く 深く 天に 広がり
い え う お あ 光と 熱が 貫く この カラダ
今日は突然に秋が深まり、夜になると一瞬、冬の寒さを思わせる空気。一日中、部屋にこもっていたので、夜、西国分寺の泉ホールへ、ワークショップを見に行きました。講師は、尾崎梓。11名ほどの受講者が、ちょうど「遺された黒板絵」の「結晶」のテキストに取り組んでいる最中でした。
無限に多様な結晶形態の中には、
霊的存在者たちの姿が開示されています。
その存在者たちは、数学的=空間的な形姿をとって
結晶の中で生きているのです。
私たちは、結晶体を見iているつもりで、
実は神々を見ているのです。
オイリュトミーのワークショップですが、参加者がそれぞれこのテキストを、即興的な「魂の動作」で動いている姿は、とても新鮮でした。鉱物の結晶と人間のカラダの結びつきは、本当に魅力的です。オイリュトミーのすべての力は、この鉱物とカラダの結びつきに集中しています。その二つが結びついたカラダを「碧玉体」(へきぎょくたい)と言います。碧玉はヨーロッパでは、ヘリオトロープと呼ばれています。「へリオ」は太陽,「トロープ」は「近づく」という意味です。つまり、「碧玉体」とは、[太陽と一体になったカラダ]のことです。
今日は一日、憲法について思いをめぐらしておりました。
自民党の憲法改正草案を読んでつくづく思うのは、今、主権在民から主権国家の方に移りつつあるのということです。憲法は本来、国民が憲法によって、国家権力を縛るということ以上に、「1人の個人」が国家権力を縛ることができる、という「個」としての人間を最大で生かすことであると思います。
「1946年11月3日に公布された日本国憲法は、その意味では、抽象的な人間ではなく、個としての人間において、最大限に憲法が生かされるということを、徹底しているという意味において、一つの理念と理想主義が生かされています。憲法は国の内部で生まれるのではなく、「故郷喪失者」が、国の外側からもたらしてくる、「真の言葉」の力であります。自民党の憲法改正草案は、習慣法の域を出ていない、理念と理想主義を持たない憲法です。筑紫哲也氏が言う如く、理念と理想主義を持たない国家は、やがて没落していくでしょう。
9月27日の金曜日から3日間、琵琶湖湖畔において、「オイリュトミーにより、日本国憲法をカラダ体の中から、創り出す」というワークショップを行います。続いて、10月27日、横浜のBANKart NYK3階で、18時から「笠井叡 日本国憲法を踊る」という会を行います。今、憲法について興味のある方は、どうぞご参加ください。
オイリュトミー公演「蝶たちのコロナ」が昨夜で無事に終わりました。皆様の有形無形の様々なサポート、ご助力を心から感謝申し上げます。
この後、5人の女性のオイリュトミストによるワークショップが西国分寺いずみホールでございます。興味のある方は、ぜひ参加なさってください。今日からまた、天使館で初伝講座が始まりました。
講座が終わった後、お茶を飲みながらの、5分間講義。内容は、鉱物学です。有機科学的な鉱物学では、鉱物も一つの生命体です。これは重要な宇宙的現実です。真の理念(憲法)を持たない国が滅びていくように、理念を持たないカラダも滅びゆきます。カラダにとっての理念とは、「有機的な鉱物学」ではないでしょうか。有機的な生きた地球の中において、人間の死体は、鉱物とともに生き続けます。問題は、どのようにしたら、この生ている鉱物としてのカラダと、人間の魂が結びつくことができるのか、ということではないでしょうか。
ゲネプロ
今日、9月18日、「蝶たちのコロナ」のゲネプロが終わりました。
いよいよ、明日明後日と本番です。作品を作っている時感じることですが、ゲネプロがゲネプロでなくなり、それが一つの新しい「現実」であると、感じられた時に、「夢と現実」が重なる瞬間が生じます。
過去に作った作品でも、例えば名古屋で行った「恋人形」とか、数年前に池袋の劇場で上演した泉鏡花の「歌行燈」などは、もう二度と再演する事はできませんが、これらの本場で感じた、舞台を超える、一つの現実が現れた瞬間は、忘れがたいものです。
今回どのような現実が生まれるのか、不安と期待で明日を迎えます。「表現を超えた現実を生み出すこと」、それこそダンス真骨頂です。
今日、最後の「蝶たちのコロナ」のための通し稽古を終えました。
外に出てみると、すっかり秋らしい夜で、急に寒さを覚え、再び秋が来たことを、肌で感じました。
この公演は、東京以外に名古屋でも行なわれます。できれば、東北でも、公演したいと思っています。
いや、日本だけではなく、他の国でもできれば、と願っています。
人間の体は、「第2の自然」と呼ばれています。自然との関わりは、なんといっても、自分の体との、新しい関わりを見いだすことです。
舞台そのものが、新しい自然であるといえます。どうぞ、「 蝶たちのコロナ」を応援してください。
ブログ再開
5月から,ブログがストップしていました。先日の講演会で、申し上げたことですが、この4月に医師より,癌の告知を受けました。5月のエマニエル・ユインさんとのDUO公演の後、5月22日に手術を受け、胃の3分の2をとりました。今は抗がん剤治療を続けております。なかなか副作用にはなれませんが、半年は続けようと思っています。
9月19日20日の、いずみホールにおけるオイリュトミー公演「蝶たちのコロナ」も、いよいよ押し迫り、今日と明日で「通し稽古」が終わります。11名のオイリュトミストと全員、全力を傾けての稽古です。内容は、宇宙、自然、社会、身体との新しい結びつきを、様々なイマジネーションを通して創っていくための場です。表現するというより、公演自体が新しい宇宙、自然、社会、身体であることを願っています。私も短いSOLOを三作品、踊ります。ご来場を心より、お待ち申し上げております。
シュピール公演最終回
いよいよ本日,フランスのダンサーエマニュエル及び音響のマチュウ来日。
今回の公演は、浅草の三社祭りと重なり、浅草は大変な人の混みようの中、明日から3日間のリハーサルが始まる。
これまでヨーロッパで10数回重ねたこの「シュピール」公演は、今回の東京公演で、最終回。ダンスはやはり場の影響を大きく受ける。
今回、東京浅草という場で、「シュピール」がどのように変容するか、どうぞお見逃しなく。
駈ける女
POWER OF ART DANCE SERIS VoL 2を青山のスパイラルガーデンでみる。
ダンサーは上村なおか。森下真樹。振付は黒沢美香。
一見、宇宙を駈ける金魚人間のごと。白と濃いピンクで縁取られた装束の上村なおかが、あらゆる方向に光を発しながら、金平糖のようなダンス。夜の国。
続いて、同じ装束の森下真樹、駆け込んガーデンを何周も走る。2人とも背中には、宇宙の軸をバラバラにして背負い、カタカタと音を立てながら、動く。2人とも、ま白い前髪を目の下まで垂らし、顔を直接には見せない。
けれども、その高貴なカラダ。性を超えた、男性意志。
宇宙の庭で、すべての記憶を超えてカラダの持つ夢を、天の水に移しながら、1人でありながら2人。2人でありながら1人。垂直でありながら水平。媚がない。双子でありながら姉妹、姉妹でありながら全くの赤の他人。ダンスというよりも、2人が醸し出した宇宙の生活。乱心、気まぐれ。人々に花を散じ、駈け抜けてゆく。
この公演、今から3日前の4月29日日曜日の夜、しかし、目の中に移動したその夢風景は3日間たっても、過ぎ去らない。
4月26日 早朝
雀啼く この朝に土 崩れんと
谷底に 切り立つ壁に 我ひがし 彼にしに立ち こだまする声
走馬灯
昨日、SISカンパニー公演、いのうえひでのり演出、原作尾崎士郎、脚本宮本研「今ひとたびの修羅」を新国立劇場で観る。もろ100パーセント任侠物。
偶然にも、隣の席には麿兄弟と洋子さん。
昭和初頭の東京は深川のはずれ、渡世人の飛車角(堤真一)こと小山角太郎は、義理の上から加担した出入りで人をあやめ、警察に追われる身となる。逃げ込んだ民家で出会ったのは、伝説の侠客の血を引く男吉良常(風間杜夫)。飛車角には、横浜のあいまい宿から足抜きさせ、命からがらともに逃げて、所帯をもったおとよ(宮沢りえ)がいたが、、、、おとよは飛車角が務所勤めの間に、子分の宮川(岡本健一 好演)とできてしまう、、、、、
大殺陣あり、濡れ場あり、花吹雪あり、男と女の間には黒く深い水があり、ひさかたぶりに昭和の気分に浸る。
終わってから、新宿に出、久子の実家の船橋屋でてんぷらと酒を呑む。店を出ると、霧雨。50年前の新宿の街が朧に浮かんでくる。あのころは路地の入り口には、やーさんが足を開いて仁王立ちしていたな。久子のおとっさんはそんな新宿でやーさんと戦いながら新宿を復興した。
人生、走馬灯のようだな。
笠井家9名初顔合わせ
三日ほど前のこと。長男の爾示の娘、つまり我々の唯一の孫娘、那珠が目出度く志望の中学校に受かり、初めて笠井家全員揃って、お祝いの食事会を渋谷ひかりえのレストランで。その顔ぶれは、
那珠そして爾示、美花。禮示、その連れ合い裕子。瑞丈となおか。そして叡と久子。全員9名。写真を撮りまくりまり。そのあと3兄弟とその女たちは、さらにどこやらへ呑みに、我々は井の頭線で吉祥寺へでて、帰宅。
次回9名顔を合わせられるのは、一体何時?
Offenbarungについて
ゲーテは「顕現Offenbarung」という観点に基づいて、ニュートンとは異なった、もうひとつの「科学」を打ち立てた。
「顕現」とは、宇宙創造の一切の秘密が自然界の表面に現れていると言うこと。
それは鉱物を「硬いもの」としてではなく「人間」として、植物を、動物を人間として観察すること。
否、風、雪、雨、嵐、津波をひとりの人間の動作として観ることだろう。ゲーテの創造した「霊視科学」はこの全人間主義に基づいて造られている。だから、鉱物は宇宙意志の発現であり、植物はその理解者であり、動物はその存在の「喜び」の「産声」そのものである。
裏口死
死とは、神から人間に与えられた、ひとつの挑戦状のようなものではあるが、では神は何をどう、人間に向かって挑んでいるのか?
受動的に人間に与えられた死、いはば道を歩いているとき、「偶然」にも上からコンクリートが落下して起きる事故を、人間の側で「必然」に変えられるか、と言うような挑戦か?
カラダと魂が離れることによっても死は生じるが、魂が過剰にカラダの中に入り込み、客に「どうぞ、中へ、中へ」と言って、客が裏口から、庭に落っこちるように、魂がカラダを突き抜ける場合もある。
その時は、カラダが消える。とすれば、死はもともと無かったものなのだ。
境域
人類が境域を超えてしまったのは、すでに一つの事実と言える。
今日において、確かに、ここまでが生きていて、ここから先は、死んでしまったという境目はあるが、しかしこの境目そのものが次第に意味を失いつつある。
向こうからやってくる死そのものを、絶対化することが、生そのものを見えなくさせ、生そのものの持つ意味を覆い隠してしまう時代なのだ。
人は死がやってくるよりも以前に、みずからの力で死そのものを創造しなければならないという課題を担わされている時代なのだろう。また死者自身が、自分の死を容認することが、できずにいる。
生と死が重なってしまったということは、生の裏側が死であり、死の裏側が生というよりも、もはや生も死もともに、私たちは失ってしまった状態なのだ。
にの音ふるへ、ゆらゆらかく祈りせば、まかるともさらに生きなんと、をしえ給うふ
この「布留御魂の言」は今日、新たな装いのもとに復活する。
蝶たちのコロナ
「蝶たちのコロナ」第2回リハーサル。
死から次の誕生に至る間の死者たちの生活において、まさにこれから地上に受肉しようとしている者は、地球のオーラとともに、蝶たちの発するコロナにいざなわれて降りようとする。
鳥たちのコロナは、反対に地上に降りようとする魂を、もう一度、死者たちの世界へ送り返そうと働いている。
蝶や鳥たちと人間の関係は、これから地上に降りようとする魂にとって、全く地上の時のそれとは異なった、内的で内密な関わりがある、というイメージ。
また、明日から三重県の椿大神社でのオイリュトミー合宿です。もうあれから、1年が経つのだ。あの、すがすがしい椿の林の香りが次第に近づいてくる。
テキスト選び
午後、「蝶たちのコロナ」のためのテキストを、「遺された黒板画」から、20点程選んで、公演のためのテキスト作りを行う。百数十点あるテキストの中から、20点に絞るのは非常に困難。あれも入れたい、これも入れたいという感じで、入れられなかったものが沢山ある。「織り成された太陽の光」もその一つである。
蚕の繭は、いわば織りなされた太陽の光なのです
太陽の光が絹をつむぎ出す幼虫の成分の中で物質化されているのです。
或いは、「大切なのは牡羊座の牡羊が振り返って見ていることなのです」
牡羊座の場合には、振り返って見ています。
牡羊がふり返って見ていることが大切なのです。
それは、人間がうちに生きている宇宙を振り返ってみている図なのです。等々
夜、久しぶりに国分寺北口の自然食のレストラン、デメテルで食事。北口も随分昔と変わった。周りに知らない店が沢山できている。ファミレスばかり行かないで、これからは、北口で滋養になるものを食べよう。
ブログ再開
今日、オイリュトミー新作「蝶たちのコロナ」の練習初日。この作品は9月、11月に東京と名古屋において上演します。テキストはルドルフ・シュタイナーの「遺された黒板画」から十数点を取り出し、それにピアノと弦楽器による音楽作品を加えたものです。
すでに10年ほど前に、一度取上げたことのある作品ですが、この十年の間、私たちを取り巻く状況はあまりに大きく変化し、改めて今もう一度、取り組んでみたいと思います。なぜなら、数多くあるシュタイナーの言葉のうち、「遺された黒板画」ほど人間と宇宙的なるものの繋がりを感じさせてくれる言葉はないからです。
「速佐須良姫」第七回日本ダンスフォーラム賞大賞。昨日、その受賞パーティーで久しぶりで麿赤児氏と大駱駝艦
の四人のダンサー、田村,塩谷、バラバ、小田の4氏に逢う。懐かしさと共に、また、あの「激しい季節」の感覚が蘇ってきました。
先日、夢に澁澤龍彦氏現れる。ポツリと「、、、、最近、ものが書けなくなったよ、、、、」と。ああ、澁澤さん
は向こうの世界でも、本を書いていたのか、、、。本当にいまは、生と死の境域が消滅したのだ、、、、。
海とクジラ
今夜、笠井瑞丈と上村なおかダンス、高橋悠治によるピアノ演奏のダンス公演「海とクジラ」のゲネプロを見る。
久しぶりにふたりの、悠治さんのピアノへの体当たりの動きに心を揺すぶられた。
今日23日は18時、明日24日は15時、横浜の赤レンガ倉庫1号館です。(開場はその30分前)
3月11日の催し(天使館)について
先日、岩手県の北上市に、今から20年程前に創設された日本現代詩歌文学館いおいて、林浩平氏のプロデュースによるイベントが催されました。第一部は氏の司会による吉増剛造氏と笠井の対談。二部は吉増氏の詩の朗読と笠井のダンスのDUOパ^フォーマンス.
この時、初めて平成23年3月11日の震災とオイリュトミーの「動き」が結びついたのではないか、と思えました。
流されて
もうないはずの
橋朧(おぼろ) 永瀬十悟さんの句
この縁で、来る3月11日(月曜日)、国分寺天使館において、ささやかな「催しの時」を持ちたいと思います。「未来からの声が聴こえる」と題された日本現代詩歌文学館から出版された俳句と短歌を、「語り」を交えた笠井叡のオイリュトミーとして、皆様に体験していただければと思います。午後7時半ころから始めます。参加は無料ですが、喜捨は感謝。
参加ご希望の方は、本人一名にて、メールでお申し込みください。
info@akirakasai.com まで。
