チベットで騒乱が起った。中国当局の鎮圧で犠牲者が出て、中には16歳の少女も含まれているらしい。何と痛ましいことか。
「ルポ 貧困大国アメリカ」の著者堤未果は、今日のアメリカの貧困地域で栄養不足による肥満児、肥満成人が急増していると報告している。その結果、加工食品産業が目ざましい利潤を得るという。いまや「貧困」=「肥満」になりつつあるらしい。
遠い国の遠い話ではないだろう。恐ろしいことだ。
経済的弱者が経済的強者を富ませる。
大きな国が小さな国を攻撃する。
戦争がないと儲からない。
平和のために戦争をする。
こんな文脈があっていいのだろうか!
2008.3.14
私の心の中にいつも大切にしている詩句がある。
―貧しさは、内面からさす美しい光である―リルケ
“内面からさす美しい光”は、どんな色をしているのだろう?
先日、嵯峨野にお住まいの志村ふくみ先生から、4月に東京で行われる展覧会のご案内を頂いた。久しぶりにお会いできるのはとても楽しみだ。その上、先生の“色”に直接触れることが出来ると思うと、今から心が踊る。
ふくみ先生からは、多くのものをいただいてきた。その“色”から、その“ことば”から、そして先生の存在そのものから。
何年も前、私は極度の鬱病を患い、数年間を「死の世界が私の生きる世界」という世界で過ごした。自分の外側は、全て色を失ったモロクロの世界。人からも 世界からもはぐれてしまい、言葉も失い感情も失い、硬く閉ざされた世界の中で、石のように固まってしまった私の身体の中に、何かが流れ始めたと感じたの は、春先に咲いた水仙の黄色い花を目にした瞬間。闇の身体に光がさし込む。不思議な体験だった。それは正しく志村先生の「草木の精は、命ある色を内に宿し て、いつでも人間のために捧げる用意をしていてくれる」というメッセージそのものだと思った。
私が全てのものから切り離されて、たった独りで闇の中に沈んでいた時でも、草木の精たちは、内なる光を限りなく降り注いでいてくれたのだろう.
「草木から命をいただく」という先生のことばには、うつくしく生きる人間のあるべき姿が込められている。
2008.3.12
63年生きてきて、自分の日記を公開するなんて考えもしなかったこと。未知の惑星に飛び移る気分だ。でも面白いかもしれない。やってみよう!
今日は大根のおみおつけを作る。お味噌汁ではなく、おみおつけ。亡き母は何時もそう言っていた。因に私は大根のみそ汁が一番好きだ。あのシャキとした歯触り、ちょっと青臭い甘さ、なんとも言えない。聞いた話だが、最近子どもたちのみそ汁ばなれが加速しているとか。トーストのバターのほうが香ばしくて、しかも簡単なのかな?
昨年、夏の初めに母を送った。享年九十四歳。亡くなる一ヶ月前から食べなくなり、ひたすら夢うつつの状態がつづき、時折出てくる言葉は子どもたちに食べさせるご飯のことばかり「ごはんとおみおつけさえあれば・・・」
大正二年農家の三女として生まれた母はにとって、私たち5人の子どもたちに腹一杯白いご飯とおみおつけを食べさせたいといつも心を砕いていたのだろう。
“大根のおみおつけ”で思いだすのは、子どもの時に見た映画「ノンちゃん雲に乗る」だ。朝、原節子扮するかあさんが台所で「トントントン」と大根を刻んでおみおつけを作っているそのまな板の音をを、ノンちゃん役の鰐淵晴子が蒲団の中で聞いているシーンだ。早朝の朝の光と、トントントンの軽快な響き、プ~ンと匂ってくるみそ汁の香り。まだまだ貧しかった戦後日本の庶民の美しい朝の風景。
ご挨拶
本日ブログを開設いたします。宜しく.笠井久子
