EURYTHMIE WS in TENSHIKAN 2 akira kasai

WS  2
時計を見ると、もうすでに、20時を回っています。で、皆さんこんばんは。今日1日いかがお過ごしでしょうか。私は今日は1回だけ、夕方に近くのポストに郵便物を出しに行っただけ、あとは家でのんびり。でも、外は裏寒い、小雨の降る1日でした。
さて、今日のWSは、日本語の「を」と「お」についてやりたいと思います。日本人にとって、この二声はすっかりカラダの中に入っていて、その違いは、無意識のうちに了解しています。「あなたを」「私を」という言葉を、「あなたお」「私お」、と発声すると、何か変です。声のやわらかさが消えてギスギスします。辞書で調べますと、「大人」は「おとな」で、「幼い」は「をさない」と記されています。「面白い」は「?もしろい」・・・・「おかしい」は」「?かしい」・・・さーて、どちらでしょうか。答えは、「おもしろい」と「をかしい」です。まあ、金田一京助さんはそう言ってるのです。
一般的に「大きいもの」に対しては、「お「を使い、「小さなもの」に対しては「を」使うといっていいと思います。が、動物が吠える時の声はイメージからして、「おーーー」ではなくて、「をーーー」になりますね。「おーーー」と 吠えられると、なんか優しさまで感じ、逃げる気がしません。「を~~~」は本能的で、何されるかわからない恐怖心を感じます。「おー」は空間的には、しだいしだいに、大きく広がっていき、世界を包むような柔らかさ、愛情、優しさを感じますが、「を~」は、外に広がるというよりも、反対に、内にこもり、引き込まれるれるような感じがします。極端な言い方をすれば、ブラックホールの内部の音みたいです。(ちょっと単純ですかね!)
「お」を取る時の腕の形は、できるだけ肘に角度をつけずに、やわらかい曲線で、手の指も観音様のように優しく、指の間をあけずに、親指も離さず、空気のような円形を・・つくり・・ま・す。・・・・・・・・・・・・(眠ってしまいました)
(一夜明けて、)
それでは、(を)の身体動作についてですが、これは、(お)ほど単純ではありません。微妙で、いくつか取り方が細かくいえばあります。
1  「を」をW行の「を」として取りますと、両手を円形にして、両手を下方から上方に、少し腕の力を抜いて、腕の中の空気を抱くように、両手を円形に動かします。(ここで何度か、「お」と「を」を交互に行いながら、「感覚の違い」を、味わってみてください。)
2  次は動物が吠えるような「を~」です。単純に「お」とやわらかく発声するのではなく、少しカラダの奥の方から方から出てくる声です。発声の時に、喉と同時に、肺を絞るように出します。腕の動きとしては、この時、肺を絞るような力とともに腕を持ち上げます。
肺を使った発声は、「お」声には全然、向いていません。つまり、「を」は肺、「お」は喉にむいており、発声において、上下の違いが、ありますね。この「を」と「お」の違いを、カラダの中で、探っていきますと、誠に興味深い人間のカラダの構造に出会うことになるのです。人間のカラダの中には、動物的な部分と人間的な部分の両方がはっきりと、存在します。「を」をカラダとともに、繰り返し繰り返し発声するのです。そうしますと、ゆっくりと、人間のカラダの中に眠っている「動物領域」が目覚め始めるのです。これまで自分でも気がつかなかった動物が、動き始めます。。。反対に「お」を明瞭に明るく発声しますと、「人間領域」が、明確に意識されます。ですから、この違いは、単に人間と動物の違いであるというだけではなくて、カラダの中の「自我」の領域と「アストラル体」(アストラル体 とは、惑星のことです。人間は眠っている間は、無意識感情がだんだん広がっていって、七つの惑星領域まで広がっていきます。この拡大したカラダのことそ、アストラル体と言います) の領域の違いなのです。
自我とアストラル体の違いは、コトバの概念の違いとして、理解するのではなく、身体感覚の違いとして、としてはっきりと、掴む必要があります。もちろん、この違いは、「を」と「お」の違いだけにあるわけではありません。もっと単純化していってしまうならば、自我の力は「喉頭部」に集中し、アストラル体の部分は肺に集中しています。肺と喉から全く異なったエネルギーがカラダに流れ出すのです。このことはさらに深い人間と動物のカラダの違い、ひいては神様が「動物」を造った根拠と、人間を創った根拠の違いにまでさかのぼっていく程、深いのです。
少し時間をかけますので、この先は、明日にいたしましょう。
今日はまだ少し曇っていますが、安らかな1日をお過ごしください。