子どもの日 端午の節句 鯉のぼり 柏餅
外は静か。また、リルケの「マルテの手記」を読もう、アイホンの小さい画面で。
何度も何度も読んだのに……何時も、どの行も、初めて触れるコトバばかり。何時、読み終わるのだろう……何時、読み終われるのだろう。
子どもの日 端午の節句 鯉のぼり 柏餅
外は静か。また、リルケの「マルテの手記」を読もう、アイホンの小さい画面で。
何度も何度も読んだのに……何時も、どの行も、初めて触れるコトバばかり。何時、読み終わるのだろう……何時、読み終われるのだろう。
五月晴れ。南の方に目を移すと、ガラスを通して紺碧の青空。ああ 気持ちがいい‼︎
朝早く、ミツとなおかは、チャボと一緒に清里へ。
思いつくまま勝手気ままに記述した、雑草の庭のような私の「畑の中の野うさぎの滑走 一匹のトカゲが焼けた石の上を過った」を読んだ方から感想のお便りが届いた、
曰く「笠井さんが泣いた年は、僕の生まれた年。久子さんの『畑の中の…』の詩句は、私のた誕生日に書かれた。私たちも、3月3日に結婚しました」などなど。
雑草の中の小さな花々に、記憶の層が重なり、広がり、深まり……やがて、見えない流れになり…我が雑草の庭に美しい光が差し…記憶に新しい命が吹き込まれる。
人々と同じ時間を共に生きている。
なんと、素晴らしいことか!
朝食を食べさせてもらった後、アキラに、昨日の朝日の記事「日曜に想う」を読んでもらう。編集委員吉田純子は「戦争が芸術上の選択を支配する。そんな時代は過去の出来事と思っていた」が、今日のウクライナとロシアの紛争でも、同じことが繰り返されるのを憂いて「そもそも『個』の尊厳を踏みにじる戦争において、いったいどこまでその責任を『個』に負わせるのが可能だろうか」と続けた。全く、の通りだと思う。
随分前に友人から、井筒俊彦の「ロシア的人間」を貰って、すっかりハマってしまった。漆黒の大地の温かなぬくもり。あまりにも人間臭い魂の悦び、苦悩、祈り……。
私のカラダを導く西欧で学んだ美しい認識の光。
私のカラダに熱を与えてくれるロシアの魂。
私の内で二つが溶け合っている。
久しぶりに太陽の光。南に面した広間の大きなガラス扉を通して、美しい青空が見える。水平状態の私には、我が愛しい雑草の庭は、見えない。ダヴォスのサナトリウムでハンス・カストルプくんが勤しんだ横臥療法の気分。
スマホホルダーをベットに付けてくれたので、専ら、外のことは、小さなアイホンの画面から。
FBが「ハンナ・アーレント」の期間限定の無料配信を教えてくれたので、観た。少々誇張しすぎかな、と思ったが、まあまあ、面白かった。何しろ、悪は、目下の私のテーマ。ゆっくり、考えなくては……。
若いダンサーのカホちやんが、私の本のお礼にと、美しいラッパスイセンの写真をラインで送ってくれた。嬉しい!
外の時間は、どんどん速く過ぎていく。
それまでの我が家の生活の流れが、突然、ストップしてから二週間、次第に新しい水が流れ出した。
うれしいことだ!たとえ、私の幼な子のような、ベット上生活は変わらないにしても。
五月になろうというのに、曇り空の日々が続いている。
キッチンから、別棟に住むなおかさんが「筍ご飯ができましたよ」と言って、入ってきた。
水平に寝ながら、ふと中庭に目を移すと、大きな鳥が素早くよこぎり飛び去った。
「Ich kann nicht auferstehen!」と、私がちょっと呟いたら、すかさずレイジが「えぇ、ヒサコサン、復活できないの?」と言うので「起き上がれないだけよ」と言った。たまにカッコ付けやてドイツ語なんか口にするから、間違える。
auferstehenは復活. aufstehen は立ち上がる.
突然。寝たきり状態になるとは、私自身が驚いているのだから、周りの人たちは、もっとびっくりしただろう。致し方ないが、急遽介護ベットを借り、一階の居間にいれ、二階から四人がかりで、マットに包んだ私を運び、無事に寝たきり生活が始まる。
78年生きて来て、再び、幼な子に…⁉︎
なんて、麗しい日々は来ない。10日前の日常生活が、180度ひっくり返ったのだから。天井を眺めながら「洗濯機のボタンは」とか「切手の引き出しは」などと、家族のみんなに指示を出す日々が続いている。
あぁ、もうすぐ ”麗しの5月” 聖霊が降りてくる月。
明日も、美しい光がさしますように。
夏日のような陽気。もう桜は終わってしまった。
2日前、カズコさんが「史跡公園の枝垂れ桜、綺麗よ。今日が最後かもね」と教えてくれた。でも、史跡公園まで歩いていけるかな⁉︎。
つい7日前までは、史跡公園の一本松からその先の、ぶんバスの停留所まで行けたのに………。
相変わらずノロマのヒサコサン。ますますノロマになっていく。はて、困ったものだ! と思いつつも、ココロは意外に明るい。
私の主治医は「痛いのは生きている証拠」といつも言う。そうだよね、と、単純な私はすぐ納得。頭の中でマルグリット・ユルスナールに教わったピラネージの牢獄の版画と自分のカラダを重ねたり………それにしても、骨が壊れていく痛みに付き合っていくのは耐え難いなぁ。
爽やかな芽吹きの季節がやってきたというのに、毎日毎日、多くの人の命が失われていく。カラダをもって、やっとこの世に生まれてきた幼い子たちの命までも。辛いなぁ……痛ましいなぁ………。
朝、重たい頭をやっと持ち上げ、そろりそろりベランダに出ると、
ピィーピィピィピィ………ホーホケキョ ホーホケキョ ………
聴覚が怪しくなってきた私の耳にも、はっきり聞こえる。嬉しい。
みんなに似たり寄ったり……みんな同じところに行くのですから
どこかで誰かが呟いた。そうだよね。自分の命は死に至るまで自分のもの。
殺されたくない。
さあ今日も一日、たのしく、美しく、ゆっくり、止まらないこと。
朝から、冷たい雨。花冷え……貧しい庭で、やっと咲き出した水仙やクロッカスが震えている。
ウクライナとロシアの戦争は、まだ続いている。
どうして人は、線引きするのが好きなのだろうか?
民族と民族、国と国、宗教と宗教、内と外…………。
昔読んだことがある。パレスチナは土地の名前。そこに住んでいる人はみんなパレスチナ人ーアラブ人もユダヤ人もー。共に共存していたという。世界大戦後、土地を線引きし、国境ができ、イスラエルとアラブの争いはいつまでも終わらない。
3月3日から6日まで、50年前に我が家の庭に手造りで小さな稽古場を建て「天使館」と名付けた。以来初めて、天使館の床で稽古した人たちが16人集い、天使館ポスト舞踏公演『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』を行った。世田谷パブリックシアターの、一つの舞台空間の中で、即興で、振付で、ブトウで、コンテンポラリーで、オイリュトミーで、みんなそれぞれが自由にカラダに向かって、自分を踊った。
これから、地球星はどうなってしまうのだろうか? 共食い星になっていくのだろうか⁉︎
毎日、曇空のような気分の中で、びっくりするような嬉しいことがあった。長年、勝手気ままに書き散らしてきた雑草のような私の文章が一冊の本になったのだ。制作、編集、装丁、全てを引き受けてくれた、マコト、ヒトミ、モッズ、ナカゾウは、若い有能なクリエーターたち。『カリオストロの夢……』の初日に合わせて、楽屋に出来立ての本を持ってきてくれた。
タイトル『野うさぎの滑走 一匹のトカゲが 焼けた石の上を 過ったー昭和・平成・令和を笠井叡と共に生きる』 笠井久子
若い人たちの温かさに触れて、わたしの心に美しい光が差し込んで………。
装丁のナカゾウさんは、詩人片山令子さんのご子息。
そして、 今日は、2018年の春「さよならはいらない」と言い残して、ひかりの国の住人になってしまった令子さんのご命日。
あれから毎日、私は、空の白い雲で旅する令子さんとおしゃべりしている。
ひかりと微風と白い雲、小鳥たち、花々、小さな虫たち………人々の温かい心………みんな一緒に歩んでいる。
明日から三月。春がやってくるというのに、何故か心が縮こまっている。暖かな昼下がり、散歩に出る。小鳥も草花も雲も風も、いつものように私の心を温めてくれる。
ロシアとウクライナの戦争が早く終わりますように………。
家に戻ると、玄関に世田谷武術館に注文しておいた「グランマ・モーゼス展」のカタログが届いていた。うれしいな。さっそく開いて見る。穏やかで、温かい、人々の姿。呼吸するように聞こえてくる人々の会話。いつの間にか、芳しい花の香りに包まれて………。
金子文子と金子みすゞは、ともに1903年に生まれ、文子は、1926年二十三歳の時、獄中で縊死し、みすゞは、1930年二十六歳の時、服毒自殺する。
一方は、大逆事件で死刑宣告を受け、自死するまでも自分自身を生きぬいた「おんなのこ」。
一方は、小さな動植物や幼い子たちの魂を深く慈しみ、悲しみをともに、真の言葉に生きた「おんなのこ」。
私の孫ともいえる歳の若い二人は、訳がわからない今日の状況の中で、ぐずぐず自分の中で空回りして途方に暮れる七十七歳の私を、少しも囚われのない澄み切ったことばで、力強く引っ張ってくれる。一人は、人間存在を客観的に見つめる眼差しを持って。一人は、深い透明な愛の眼差しを持って。この二人の衒いのない生きたことばは、私をホッとさせてくれる。ありがたいこと。
立春とはいえ、今日は真冬の寒さ。夕方散歩に出る。冷たい風の中を、私の壊れていくカラダが、歩く、歩く………生きていることを実感しながら……歩く、歩く…………彼方から若い二人が、私の魂を引っ張ってる………茜色の美しい日没の空に向かって、ひたすら歩こう。
それにしても、二人は同い年に生を受け、苛酷な人生を送り、二人とも若くして自死するとは!
もう一つ。昨年出会ったマルグリット・ユルスナールも1903年生まれ。まだまだ、私には知らないことが多すぎる。
横浜に住む建築家 の村山雄一さんからお便りが届いた。
「去年 ヨチヨチ歩きの道すがら 拾い集めた落ち葉をば、もう捨てちまえと思いきや、チョットマッテクダサイ、と、ヨリ集マリテ 何トヤ ガサガサ ゴソゴソ コレハ ドウデスカ ⁉︎⁉︎ ……………………」
と、毛筆で書いた言葉と落ち葉を重ねて印刷したお手製の便箋に、ペンで「久子さんは末期とありましたが、お互い朽葉のように 地に落ちて行きましょう」と添えてあった。
筆もペンもままならない私は、心の中で「お久しぶり!40年前、Stuttgart でお目にかかって以来かしら……。長い道のりでしたけど、本当にお互い、美しい色を纏った落ち葉のように、風の中をひらひらと、たのしく自由に舞いながら、地に落ちて行きましょうね」とお返事しながら、冷たい風のなかに、春の予感を思いながら、カートを押して散歩に出た。
ぼぉ〜としていたら、もうそこまで春が来ている気配がある。はやいなぁ〜、時間がどんどん飛んでいく。52年前の今頃、我が子が生まれる日が、モーツァルトと同じ誕生日1月27日でありますようにと真剣にを祈っていた若かった自分を思い出す。祈りは叶えられず27日を通り越して、節分に男の子が生まれ、チカシと名付けた。写真家になった彼は、今年1月25日私を被写体にして撮った写真集『Stuttgart 』を出した。長い道のりだったようだけど、時間は消えて、全ての記憶が美しく私のカラダの内側を満たしている。世の中は、相変わらず、オミクロン オミクロン………。散歩もままならない日は、本でも読んで………。
パレルモでゲーテがカリオストロの家を訪ねる箇所。何度読んでも面白い。大嘘つき(?)のカリオストロに負けず劣らずゲーテも大嘘つき⁉︎ イギリス人に成り済ましたゲーテが、カリオストロの家族の中に入って、カリオストロの母親に、堂々と嘘を言う場面。それを涙ながらに聞き入るカリオストロの母親。ラテン人のオーバーな仕草を観察するゲーテ先生。聖なる涙とちゃらんぽらんな陽気さ。ラテン民族とゲルマン民族とアングロサクソン人が一緒にお芝居をしているのを観ているようで、嬉しくなる。大文豪ゲーテのお茶目な人間性! 好きだなぁ〜。
生まれて初めて、お餅なしのお正月。お雑煮、磯部焼き、きな粉餅……ウゥ〜ン、食べたいなぁ………遥か昔亡くなった実家の母の紅白なます、干し柿がたっぷり入って……煮物は、大きな椎茸、筍、八つ頭、蒟蒻、にんじん………塗りのお重じゃなくて、大皿にどっさり。いつも豪快。元日玄関を開けると「さあさあ早くあがって、どっさりお食べ」と、お年始の挨拶もそこそこに………農家出の母さんらしいなぁ、懐かしいなぁ、美味しかったなぁ、食べたいなぁ……なんだかんだと言いながらも、食いしん坊のヒサコサン。
新しい年が無事に動きだし………食いしんぼうのヒサコサンが、限りなく愛おしくなってくる。
令和3年大晦。携帯が壊れた。いよいよ外界との繋がりもフェイドアウトしていくのかな……⁉︎ 新しい年がやってくる……それもいいだろう………でも、倒れたら自力で起き上がれないし………今や、携帯は私の命綱(少々オーバーかな……) と、あれこれ思い巡らしていたら、私の携帯が繋がらないと言って、心配して電話をくれた方がいた。そうだよね、私の携帯は必需品だ。という訳で、やっと稽古なしの日がやってきたアキラがauショップにかけつけてくれた。ありがたいこと!
さて、どのような新しい年がやってくるのだろうか。
年の終わりに、また、ユルスナールの「ピラネージの黒い脳髄」の、私のカラダをワクワクさせてくれるあの文章を読みたくなる。
さて、問題の《牢獄》を見つめてみよう。…………夢の特徴とはつまり、時の否定、空間のずれ、空中浮揚状態の暗示、不可能と和解した、あるいは不可能をのりこえた陶酔感、外側から幻視者の作品を分析する以上に恍惚に近い恐怖、夢のもろもろの部分および人物のあいだの目に見えない接触ないし関係の欠如、そして最後に、宿命的かつ必然的な美。さらに、ボードレール的公式にもっと具体的意味をもたせるとして、これはまさに「石の夢」なのだ。
来春3月世田谷パブリックで行う天使館公演「牢獄天使城でカリオストロがみた夢」を頭の中で夢想していると、まもなく、新しい年が巡って………。
今日は、キリスト降誕祭。自分の部屋にすっぽりと入り、静かに目を閉じると懐かしいドイツのクリスマスの情景が、頭の中にいっぱい広がる。漆黒の夜、外気の冷たさ、静けさ、星々の輝き……毎年、雪山にクリスマスツリーを伐りに行く近所のパゾットさんが、日本人の学生家族である私たちに、新鮮なツリーをプレゼントしてくれたり、お向かいのバーバラ・ベルガーさんが、手作りのシュトーレンやマルチパンを持ってきてくれたり……。早速、ツリーのまわりに子どもたちと一緒に座って、頂いたお菓子を食べながら、子どもたちの大好きな絵本「さむがりやのサンタ」を読んであげ………。遠い記憶が、今の私にリアルに蘇り、壊れていくカラダを温めてくれる。

今日は冬至……クリスマス……大つごもり……そして、新しい年が………。それにしても、あまりにも痛ましく、悲しい出来事が多すぎるよ。
今までずーっとキッチンが私の居場所だったが、この度、キッチンから玄関脇の私の部屋に引っ越した。どうして、そういう気分になったのかな。今まで、ガラス戸を通して中庭に差す陽の光の移ろいを眺めたり、素早く飛び交う小鳥や、のっそりと現れるノラ猫を見て面白がっていたのに。でも、引っ越して小さな箱のような自分の部屋におさまるとホッとするような温かさに包まれ、よかったね、と自分で自分のカラダに話しかけた。
書架から、読み忘れの本を引っ張って読み始める。
「春の盛り、日曜日の午前だった。河沿いに背の低い、粗末な造りの家々がつづ
いて………」 カフカ短篇集から『判決』池内紀訳
面白そう! と、よかったね、とまた自己満足。
一日一日が祝祭でありますように。
福山知佐子さんから、画集「花裂ける、廃絵逆めぐり」を頂いた。チューリップ、タンポポ、アネモネ、スイセン、コスモス………が、朽ちていく様を描い素描が、ページをめくるごとに次々と現れる。花弁は縮れ、葉は捩れ、茎はくねくね曲がっている。彼女が描く鉛筆の線の一本一本を丁寧に見ていると、不思議に私の壊れていくカラダが踊り出す。死に向かって、私は永遠の時間を生きている。凄いな!
花とは何か? 花は、生けるものが世界に向けてかくも開かれてあるところ、生けるものが我を忘れているところにある
ージョルジュ・アガンベンー
「花ー福山知佐子の絵画のために」より
数日前の朝、起きようと思っても、頭が重く、体を垂直にできなかった。前から医者に言われていた通り、いよいよ頸椎の何処かがずれたらしい。ずれた骨が神経に当たって、首を動かす度に強烈な痛みが走る。とりあえず、座薬で痛みを止めて、既に運命共同体的に私のリウマチを診てきた主治医の所に、アキラと一緒に行った。診察の順番がくると、先生は、ベット上にうつ伏せになった私の首から肩にかけて、骨格の位置を矯正し始めた。その間1時間以上、次の患者さんは待ちきれず帰ってしまうし、訃報を知らせる電話はくるし、そばで見ているアキラはヤキモキ、私はトンカチで叩かれているような痛さで、イタイ イタタ………と悲鳴を上げっぱなし。やっと荒療治⁉︎が終わったら、体がスッキリした。とはいえ、頚椎の変形が治ったわけではない。骨は次第に脆くなって行くだろう。
今日の夕方、重い頭をカラーで支えて、カートを押して散歩に出た。西空に低く浮かぶ黄褐色の太陽に向かって………史跡公園も、一本松も、国分寺の森も、重たい私の体と一緒に、歩いている。
昼下がり、鳥の声を聴きながら散歩する………ピィピィ・・・ピイピィィィ・・・ジィジィ〜ジィィィ・・・ピィ〜〜〜ピィピ! カォ〜カォ〜……………愉しそうなお喋り。かあさん鳥たちの井戸端会議かな? 道端の小さな白い花が、前屈みに頭を下げてカートを押して歩く私に………コンニチハ、ゴキゲン イカガ。オヒトリ? ワタシモ ヒトリ。デモ サミシクナイワ。アナタニ アエタカラ………と可愛い笑顔を私に向ける。
後ろからブゥブゥゥ・・・と軽トラックがやってきて、私の脇で止まって、………ひとりで散歩かい? 気を付けてね………と、アキラの小学校の時の一年上級ホンダのおじさんが、窓から首を出した。みんな一緒に動いている………
家に戻ると、長いこと、音沙汰がなかったアキコさんから、焼き芋が届いた………ツメタイママデモ ヤキイモアイスデモ オイシイ⁉︎………早速食べてみる。ねっとり甘く、美味しい〜。
やっぱり、前を向いて、みんな一緒に歩いている………穏やかな今日という日。

アキラの78歳の誕生日も過ぎた。日が経つのがどんどん早くなる。うっかりすると、いつの間にか、自分の存在が消えているかもしれない。2日前に会った友人は、誰れにも知られず、泡のように消えたい、と言ったので「消える少し前に、消えるわね、と言ってね、お引き留めしないから」と言った。
急激に体の機能が壊れてきた。まだ、頭の中はいろいろな言葉が蠢いている。もし、次の瞬間、体が崩壊したら、この言葉の蠢きはどこにいくのだろう?
先日、詩人の林浩平さんに、吉増剛造さんの新刊「詩とは何か」を頂いので、読み始める。凄い!どんどん吸い込まれて行く。どこまで行くのだろうか。言葉がはじけ生まれるところを覗いてみたい。消えるのはまだ早い。
急に寒くなった。これから冬に向かって心細いなぁと、少々落ち込み気味。
半世紀近く、私の命をのせて、一緒に走ってきた私のリウマチカラダも、いよいよ終末期に向かって、生きるための基礎ー食べること、歩くこと、話すことーが難しくなってきた。自分の十字架は自分で背負うべし、と勢いよく宣っていた、いつものヒサコサンは何処へやら……自然に訪れる老化+リウマチカラダの機能崩壊……はて、どうしよう、と思い倦ねていたら、千葉に住む50年来の知古舞踊家のキョウコさんから、ベニアズマのさつま芋が沢山届いた。歯を失った私にとって、嬉しい食べ物。ありがとう!
早速、ホクホクの焼き芋を食べる。すると、落ち込み気味のヒサコサンは何処へやら⁉︎
ユルスナールの「ピラネージの黒い脳髄」を読みながら、肉体は牢獄?なんてあれこれと思い巡らして………そうだ! 久しぶりに、色遊びしよう と閃いた。

お馴染みの美容院で、7月中旬「夏の間は暑いから、次は10月、秋になったらね」と約束したので、 10月初め、早速、店に予約の電話を入れると「彼は亡くなりました。申し訳ございません」という女性スタッフの返事。えぇ⁉︎……突然頭の中に〈伸びましたねぇ〜短くしましょう〉という彼の明るい声が聞こえ、目の中に、いつも私の髪のカットをしてくれる、息子と同い年の、彼のニコニコ顔が現れ………。
台風一過の翌日、3年前に手術した人工関節の定期検診で、美しく晴れ渡った秋空の下、キャブ(障害者用タクシー)に乗って、アキラと相模原の病院に行く。一年前に予約した日がきたからだ。レントゲン写真を見ながら主治医の先生のお話に耳を傾け、お終いに「では、次は一年後の今日に」と言われ………そうかぁ………一年先かぁ………果たしてその時、私はいるかな?
倉庫にあった段ボール箱の中から、1982年2月にStuttgart 市で取得した、私の身体障害者証が出てきた。38歳の時のこと。楽しそうに笑っている写真が貼ってある。若かったね。間もなく77歳になる今でも身体障害者は続いているけど………思い煩うことなし。毎日祝祭。今日を生きれば、時は向こうからやってくる………なんて、コロナ禍でも、相変わらず、ケセラセラの日々。

8月の終わり天使館で、アキラがヨハネ黙示録のテキストで踊った。音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「ヨハネ受難曲」
夕方、アキラと散歩に出た。雨の後の空気が、しっとりと重たい。灰色の雨雲が、国分寺の森一帯に垂れ込めている。横にいたアキラがーあぁ 終末の風景だーと、ボソッと呟いた。
雨が降り出した。西の空が真っ黒………早く帰らなければ………私たちは家の方に向かって、急いだ。
「子羊が、第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた」
(ヨハネによる黙示録 8章1節)
明日から9月。新しい月が始まる。
シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」を読む。岩波文庫の表紙カバーの文章に「ドイツ占領下の祖国再建のために起草した私的憲法案。亡命先で34歳の生涯を閉じたヴェイユ渾身の遺著」とある。
ヴェイユが亡くなった1943年の翌年生まれの私が34歳の頃、三人の男の子の子育て真っ最中の私にとって、ヴェイユの評伝から浮かんでくる、彼女の素晴らしい頭脳、容姿の美しさ、男勝りにタバコを吸うカッコ良さ、堪え難い偏頭痛持ちさえをも加えて、ヴェイユは、憧れの人だった。とはいえ、就寝前に読む「重力と恩寵」の数行は、私にとって、単なる甘美な睡眠薬だった。あれから、40数年経った今、コロナで閉じ込められ、壊れていくカラダを言い訳に、怠け者になりつつある私にとって、彼女の言葉は、私の魂の覚醒剤だ。
「根をもつこと」の第一部『魂の欲求』は「義務の観念は権利の観念に先立つ」と始まる。今日世の中で、先ず声高に叫ばれる「権利」は?と最初から考え込みながら「自分に救う手立てがあるときに、だれかを飢えの苦しみのうちに放置しない。これが人間にたいする永遠なる義務のひとつである」まで読んでほっとする。人間が創り出した文明に、いつの間にか人間自身が壊されていくような日々、ヴェイユの言葉から、諦めかけ眠りかけた私の頭に向かって、清々しい風がふいてくる。
猛暑の日々。昨日も明日もない。今日の中に過去も未来も詰め込んで、今を生きている。
いよいよ、カラダが壊れてきた。指の関節が脱臼して力が失せ、冷蔵庫が開けられなくなった。これは由々しいことだ! 自分のカラダのどこもかしこも壊れていくのを横目で見ながらも、面白いことがあれば、観たい、読みたい、聴きたい、行きたい、と心が動く。サポートなしには立ち行かないと知りながら……カラダを携えて生きていくのは、容易なことではないなぁ……などと、あれこれ思い巡らしている。
「ディートリンデが死んだ!」と、次男のレイジが伝えてきた。えっ………どうしたの? 何ですって⁉︎ ………「キルギスで。コロナで」………。
ディートリンデとどうやって知り合ったのか思い出せない。40年前、私たち家族がドイツに住み始めてから、彼女はいつも存在していた。彼女は出会った人に、分け隔てなく、自然に、当たり前に、心地よく、自分の存在を与える人だった。だから、私たちも自然に、当たり前に、心地よく、彼女の存在を呼吸してきた。
2年前の7月、20年振りに旅行でシュツトガルトを訪問して、ディートリンデに会った。少しも変わっていなかった。私は、知らず知らずのうちに彼女の大きな呼吸に包まれている自分に気づき………心の中で〈ディートリンデ あなたは、真に愛の人ね〉と呟いた。
別れ際、彼女は「ヒサコ 今度、キルギスの子どもたちに会いにいくの。一緒に歌って踊るのよ」と言って、私を強くハグした。それが最期だった。
ディートリンデは、美しい人、温かい人、優しい人、強い人、ドイツ人でもあり日本人でもあり、キルギスの人でもあり………愛の人。
今夜も私は、星空に広がったディートリンデの存在を呼吸している。

トーマス・マンの「魔の山」の主人公ハンス・カストルプと、もう随分長く付き合っている。20代で読み始め、即、挫折。30代、40代、50代、60代と代を重ねる度に、読み返しと休止の繰り返し………。77歳になろうとする今も、ハンス・カストルプくんが気になる。どうしてかしら?
今年の春に須賀敦子さんに導かれて、マルグリット・ユルスナールの著作を読むうちに、私にぴったりの服に出会ったような嬉しさで、すっかりユルスナールに夢中になった。マンが頭から消えている時、古本で見つけたユルスナールコレクションの「目を見開いて」の中で、著者がトーマス・マンについて「マンの人柄のなかには私にとって不快な要素も無数にあります。私がこの作家を発見したのはかなり遅かったのですが、非常に違う見方から出発していながら、私たちの仕事のやり方というか方法がかなり近いとわかったときには、もちろん驚嘆しました」と語っているのを読んだ。他の箇所でも度々マンの名前が登場する。半世紀前からトーマス・マンを引っ張ってきた私が、後期高齢者になった今、ユルスナールに出会とは‼︎
ユルスナールは、圧倒的なイマジネーションの渦を、壊れかけた私のからだに流し込む。
トーマス・マンは、山の天気のように気まぐれな私の頭腦に、時折、明澄な風景を私に示してくれる。
共に19世紀末から20世紀にかけて生きた二人の先達が、今を生きる私を彼方の未来から見ていてくれる………。
「私たちはみんな似た者同士ですし、同じ終焉に向かって歩いているのです」
ーマルグリット・ユルスナールー


ミツタケが、先日車で連れていってくれた秩父の町の食堂で、私がオムレツを食べているところを撮った(盗撮⁉︎)動画を、LINEで送ってきた。うひゃ〜これ誰? 黄色い小型ラグビーボール形のオムレツの上に、顔を突っ込まんばかりに近づけて、両手をちょこんとお皿の両脇に置き、ねじ曲がった指でスプーンを器用に動かし、何やらおしゃべりをしながら、子どものようにオムレツご飯を美味しそうに食べている。
自分のからだは、直接自分で見ることはできない。まして自分が動いている姿を見られるはずがない。
この度、自分が動いている姿を目撃して、びっくりするやら可笑しいやら………映像の中の、自分と全く結びつかない老女が限りなく愛おしくなってきて………自分の中に見えない他者が住んでいる!
先日、散歩の途中で、大野一雄先生の奥さまチエさんにそっくりの方にバッタリ。思わず近寄って、立ち話してしまった。
上星川の大野先生のお家に初めてお邪魔したのは、二十歳の頃だったと思う。
「夜空に流れる星の川」なんて、上星川とは、なんと素敵な地名なのだろう、などと思いながら、暗い上星川の駅から細い上り坂の道を丘の上の先生のお家まで、アキラと一緒にワクワクしながら登ったのは、昨日のことのよう。深い闇にすっぽりと包まれて、先生のお家があった。玄関を入ると暗い廊下の先に部屋の灯りが見えた。確か廊下の左側には、当時ご存命だった先生のお父様のお部屋があったように思う。灯りの見えた廊下の突き当たりの南に面した部屋は、6畳位の広さで、そこは、右側に小さな流し台と調理台、真ん中に大きな食卓があり、キッチン・茶の間・居間・応接間………人が集まる場としての全てが備わっていた。大野先生は、私たちにすき焼きをご馳走しようと、食卓の上に用意された牛肉、長ネギ、白菜、春菊などをコンロ上の鍋に突っ込み、豪快に味付けをする。ぐつぐつに煮え始めると「さあ、食べろ 食べろ」と勧める。そんな先生と背中合わせになって、チエさんは流しに向かい、黙々と野菜を刻んでいた。
いつ伺っても、突然、誰かが訪れても、いつもご飯が出てくるので、まるで手品のようでミラクルだ、などと呑気に思っていた私も、後で、あの大量の牛肉や野菜類の重たい買い出しを、毎回チエさんが一人で、細い上り坂の道を運でいたと知り、若い私が何のお手伝いもしないでご馳走になるばかり、自分の至らなさに呆れて、恥ずかしかった。そんな大人になりきれていない私とアキラの結婚の仲人を、大野先生とチエさんは喜んで引き受けてくださり、緊張しまくっている花嫁の私の手をそっと握ってくれたチエさんの優しさが忘れられない。
多く言葉を交わしたことがないけど、チエさんに会うといつも肌の温もりを感じた。
それからずいぶん経って、横浜郊外にできたテアトルフォンテという劇場に先生のソロ公演を観に行った時、終演後、ファンでごった返す楽屋の入り口に、チエさんが一人で座っているのを見かけた。その時ふと、珍しいなぁ、先生の公演にいらっしゃるなんて、と思ったのを思い出す。その後、先生の海外公演に慶人さんのご家族と一緒に行かれたとか。確かに、アキラの「花粉革命」北米ツアーでロスアンジェルスに行った時、劇場のオフィスの壁に貼ってあった「ラ・アルヘンチーナ」の大きなポスターの出演者やスタッフのサインの中に、小さな字で大野チエとあるのを見つけ、懐かしく、うれしかった。
最後にお目にかかったのは、高井富子さんの踊りを渋谷のジャンジャンに観に行った時だった。狭い会場の最前列に、チエさんは先生と並んで座っていた。終わって、地下から地上に出ると、薄曇りの春の夕暮れ時で、まだ昼間の暖かさが残っていた。叡と私は、先生と手を繋いで渋谷駅に向かって坂を下っていくチエさんの後ろ姿を見送った。
それから間もなくして、チエさんの訃報を聞いた。急いで、上星川のお家に向かい、玄関を開けると、突き当たりの部屋から慶人さんが出てこられ「母さんが亡くなってしまった………」と、少年のような美しい目に涙をいっぱいためて、悲しげに呟かれた。
チエさんも、大野先生も、高井富子さんも、慶人さんも、もういない。
目を閉じると、あの時この時の、光の色、匂い、人々の温もり……が、私のカラダのすみずみに広がり………ああ、美しい人たち‼️
お友達が「この間まで、ピンクの花が並んでいたけど、きょうは黄色がおおかったわ」と言って、黄と白のマーガレットにレモンの輪切りまでついているお花のアレンジメントを持ってきてくれた。明日は復活祭だものね。
12年前、フランスのアンジェでの復活祭の日を思い出す。日本人も含めて7つの国からやってきたアキラのダンスWS生17人が狭い屋根裏部屋に集い、肩を寄せ合って卵に色付けし、ワインを飲み、お喋りをし、ワイワイ楽しんだ。イラン人のモハマッドとイスラエル人のヤイルも一緒。ブラジル人のミッシェル、ポーランド人のアグネッツッカ、インドネシア人のエマ、ポーランド人のマリア、日本人の芽里……みんな今どうしているかな………みんな自国の問題、自分の悩みを抱えながらも、ダンスを通して共に在ることに喜びを感じていた。落ち着いた佇まいの中世の古都アンジェで体験した復活祭。今日のコロナ禍にあっては、あれは遥かむかしの話なのだろうか。
日々、カラダの機能が失われていく。失ってみて、人間の体の機能の素晴らしさに気がつく。初め、誰がこの体を創造したのだろうか………などと考えながら、散歩に出ると、暖かな陽射しを受けて、桜の幹に可愛い若葉があちこちに見える。ああ、気持ちがいい……。明日はキリストが復活した日。

同じように、春が再び巡ってきた。桜の開花宣言と緊急事態宣言の解除と睨めっこしている。庭には春の陽光がいっぱい。いつの間にか、ライラックの濃紫色の芽の先は白味をを帯び………いつの間にか、壊れつつあるリウマチカラダの内に美しい春の光が差し込んで……。
天使館で、上村なおかのソロを観た。
気がつくと、中庭の扉から螺旋状にねじった体に自然を丸ごと引き連れて入ってきた。漆喰の白壁と白木の床の空間に、ダンサーの内なる自然が現れる。床の感触、微かな空気の揺れ、喉の奥底から聞こえる声、痙攣する指先、飛び跳ねる足先……窓を開ける。突然、闇が覗き込んできた。荒々しい呼吸、遠い体の記憶、幼い頃の……。
いつの間にか、私の体もダンサーの内なる自然のなかで、呼吸し、感じている。静かな時間。時間を超えた時の流れ……。宇宙を内包する女性存在の強さ……。
春爛漫。うれしくもあり、おそろしくもありのヨワムシヒサコさん。
「天使館 VOL.II」は、2011年4月18日に上梓された。その【編集後記】を読む。
1971年8月から79年8月までの8年間、その稽古場ではもっぱら舞踏の稽古が行われた。同年、笠井の渡独にともない天使館は休館。1985年春、オイリュトミーの研鑽を終えた笠井は、天使館をオイリュトミーの活動の場として再び開いた。
昨年の秋ふと、文集「天使館.II」を出すのは、今だ、という思いが頭をよぎった。「VOL I」は35年前、当時天使館に舞踏の稽古に通って来ていた若者たちの文章を編んで出版した。VOL IIでは、オイリュトミーシューレ天使館の卒業生たちで結成されたペルセパッサ・オイリュトミー団の団員たちと、シューレ卒業後、様々な道でオイリュトミーを深めている人たちに、原稿を依頼した。
今年2月になって、次々と手元に届く原稿からオイリュトミーが、ゆっくりと確実に、書く人の「いのち」に結びついていく様がうかがわれて、感銘を受けた。
3月、南からの花の便りもうれしく、編集作業にも拍車がかかり始めた時の3月11日午後2時46分、東北関東大震災が起こった。一瞬にして多くの「いのち」が失われ、多くの方の生活の根拠が消え去った。
今、深い悲しみの内にありながらも、35年ぶりに文集「天使館」に寄せられた「コトバ」が、根こそぎ消えた大地の底から、再び、「カラダ」が紡ぎ出す「いのち」に結びついた「コトバ」の芽となることを、私は信じたい。(H.K.)
あれから10年、私は何かを学ぶことができたのだろうか?
いつも散歩に出る時、エィっと自分で自分に気合を入れなくてはならない。ヨワムシだなぁ〜ナマケモノだなぁ〜ナサケナイなぁ〜ヒサコサン。でも、首にカラーを巻いて、靴を履いて、マスクをして、せつ子さんから頂いた超カッコいい帽子を頭に載せて、カートを出して……やれやれ、玄関を出ると、急に嬉しくなるのは何故だろう。
首の骨が頭を支えられないので、転倒しないように、前方を見ずにもっぱら自分の靴の動きを見ながら歩く。でも、春先の空気の匂いや、袖口からスゥーと入ってくる風が胸の辺りを通り過ぎるのを心地よく感じながら、今はまっているユルスナールを頭のどこかで思いながら歩いていると、自分の壊れかかった体のことが気にならなくなる。
史蹟公園の一本松の曲がり角まで来た時、私が曲がる方向に大きな車が止まっているのに気がついた。私が通り過ぎるのを待っているのだ、急がなくては!と思った途端、公園で作業をしていたおじさんが「おばあちゃん、大丈夫だよ、私がいるから」と言って、私の背に手を当てて、車が通り過ぎるまで守ってくれた。「ハイハイ、ご親切にどうも ありがとうございました」と、それまでユルスナールになっていた私から、急におばあちゃんになった私の体に、ゆっくりと温かさが行き渡る。また、しばらく行くと、前方からオートバイの音がして止まった。次男のレイジだ。「どこいくの、散歩?気をつけるんだよ!」まるで母親が子どもにでも云うような口振りでいうと、さぁと走り去っていった。……ハイハイ、充分気をつけます、ありがとう……。それからも、自分のペースでゆっくりカートを押しながら、自分の十字架は自分で背負わねば………などとぶつぶつ言いながら、背中を丸めて前屈みの姿勢で、ひたすら地面を見ながらあるいていると…極楽とんぼのヒサコサン。アナタはそれで充分幸せよ…と、どこかでもう一人のヒサコサンの声がする。ココロはカラダをいたわりカラダはココロを支え……沈丁花が香ってきた。明日も散歩に出よう。
今日は、寒い。いつの間にか、自分の手の変形が驚くほど進んでいるのに気がついた。始まりは20年ほど前の3月のこと、右手の中指が脱臼して、みるみる間にふにゃふにゃになってしまった。その時、私は頚椎固定手術を受けた後で、首にハローベスト(頚椎固定器具)を装着して病室のベッド上で寝ながら自分の指を眺めていたのだ。直ぐ、主治医にぶらぶらになった中指を見せると「よしよし、当て木でも当てて縛っとけ」と取り合ってくれない。指の関節より頚椎の方が重大事なのだろう。お陰で、今までもふにゃふにゃのままだ。
それから20数年、ゆっくりゆっくりと骨の崩壊が進み、今はマシュマロみたいに柔らかい小さいお団子が重なっているような掌に、ふにゃふにゃしたクラゲのような指が付いている手となった。それでも、私の思いをiPadのキーボードにペンシルで打ってくれるからありがたい。
このちょっと滑稽で可笑しい形の、私の愛しい指たち、いつまで私のために働いてくれかい?
昨夜、浅見裕子新作舞踊「コーボルト・スペーシー」を、天使館で観た。暗黒の地中からボソボソと地上に這い上がってきた四人のコーボルトたちが、一斉に色を纏い、カラダに音を響かせ踊る姿を観ているうちに、私の修理不能のカラダの内も、一緒に踊った。
いつの間にか消えてしまったクリスマスローズが、庭の片隅で一輪咲いている。クロッカスも水仙も伸びてきた。小鳥たちも飛んできた。風が吹いている。

須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」に誘われて、すっかりマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」にはまってしまった。
……われわれはみな人間的条件の狭い限界からのがれたとと信じ、獣の姿で殺されるとも、人間の姿で獣を殺すとも見える神そのものに同化して、自分が自分自身であると同時に敵であるかのように感じた。………勝利も敗北も、同じ太陽から発するそれぞれ異なった光線として、まじりあいもつれあっていた。……(多田智満子訳)
なにしろ、我が家の庭に造った天使館は、ハドリアヌス帝が自身と一族のためにローマに建設した霊廟 聖天使城の名前に由来しているんだもん。それに、ローマの友人マリアピアは、私たちがローマに行く度に、車で市内をぐるぐると案内してくれた。彼女を訪ねて何度ローマに行ったことか………。光の色、微風の感触、木々の葉の微かなざわめき、人々の笑い声、テベレ川を巡る車の列、クラクションの音………トラステベレの落ち着いた小さなレストランのランチタイム。私の体に広がるローマの記憶。ああ また行きたい!
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」とはじまる「ユルスナールの靴」でも、私の足にきっちり合った靴はただ一足。両足10本の指がくねくねとからみあってお団子のように変形した足が履ける靴を、20年以上前に靴屋さんにオーダーメイドして以来、ローマ、ナポリ、シチリア、ドイツ、アメリカ………どこに行くにも、雨の日も、雪の日も、いつも唯一の靴で歩いてきた。
今私は、多田智満子さんの素晴らしい訳に魅せられて、2000年前のローマの光、微風、樹々の陰翳………の中で、賢帝ハドリアヌス帝、すでに四半世紀前に彼方の世界に旅立たれたユルスナールと共に歩いている。

目が覚めると、雨が降っていた。「櫻の樹の下には」公演の前からも終わってからも、昨日まで、ずっと晴天続き。水温む春どころかお鷹の道の清流も枯れて、水の中の小さな魚たち、地中で春の光を待っている蟲たち、道端の雑草、庭の草花………みんなほっとひと息、よかったね 。
ときどき、自分が突然いなくなってもおかしくないな、と思ったりする。転倒による頚椎損傷で、クスリを喉に詰まらせて、誤嚥性肺炎で、コロナに感染して、地震に巻き込まれてetc. とはいえ、このような事を頭の中で思うだけで、身体にその実感は無い。
いつの間にか、乾涸びていた庭の土は、しっとりと雨水を吸って蘇っている。
あっ、白と茶の大きな野良猫が、堂々と庭を横切った。耳を澄ますと、春を待ちわびる地中の虫たち草花たちの歓びの声が聴こえ……雨も上がり、オレンジ色の薄日が差してきた。
ワクワクと身体が嬉しがっているな。さて、カートとマスクで散歩に出よう。

2月7日、吉祥寺シアターでの叡の新作公演「櫻の樹の下には」の最終日の幕が上がる直前、舞踊評論家の山野博大さんが5日の日にお亡くなりになった、とミツタケがラインで知らせてきた。
何言っているの!? だって私、4日の初日の開演前、シアターのカフェで山野さんにお目にかかって、お話をしたばかりよ!……随分長いことやって来ましたねぇ…だんだん ひとりひとりいなくなり、などと、淡々とお話ししたの。50年以上の時間がいっぺんに凝縮されて……10代の終わり アキラの踊り始めから……私たちの結婚式にも参列してくださり……踊りの公演会場では、必ず遠くにお見受けし……いつの間にか、美しい白髪に………いつも途上の人……奇しくも この世で最後にご覧になった舞台は、さくらの精の独白「時間は空間に 空間は時間に やがて劇場は消滅する」から始まった 死者の世界から立ち上るアキラの最新作とは! いつまでも途上の人であり続ける山野さん なんと清らかな後姿なのでしょう 。深い感謝の思いと温かさに満たされて、私も いつまでも 途上の人であり続けたい。
昨夜、天使館で水越朋のダンスを観た。
木の床に置かれたメトロノームが音を刻む-カチカチ カチ-。スピーカーから聞こえるノイズ、水の音、鳥の鳴き声。混じり気のない、疑いを知らない、子鹿のような肢体、しなやかな動き………。さまざまな線が、曲線、円、直線、点、前に、後ろに、上に、下に描かれる。純粋な音とカラダと動きの透明空間から、仄かな香りと色が滲みでてくる。
今日の午後、史跡公園を一周り散歩しながら、ふと、水越朋のダンスする顔は、どことなくパウル・クレーの天使の顔に似ている、と心に浮かぶ。真っ青な冬空、冷たい風、大寒とはいえ、遠くの国分寺の杜の樹々は、確実に春のひかりを呼吸しるようだ。
「青が深まるごと、なおいっそう人間に無限への思慮を呼び起し、純粋さや、ついに
には超感覚的なものへの憧憬を喚起する。青は空の色なのだ」
カンディンスキー 『芸術における精神的なもの』より
昨日はキラキラするような春めいた冬日。今日は冷たい曇天の冬。
数日前、キッチンの入り口から小さな蝿がひらひらと迷い込んできた。昼間はどこにいるのか、夕方寒くなると、私のおでこ付近を通り過ぎる。最初、疲れ目に起こる飛蚊か、と思った。手で払っても、また、ふらふらとおでこ付近を通り過ぎる。五月蝿いなぁ、と思いつつ放っておくといつの間にかどこかに飛んでいってしまう。ところが就寝時にまた現れ、私から離れようとしない。やれやれ、困ったものだ。昨年一年は、withコロナ&リウマチのダブルパンチの日々だったが、今年からは、Fliesまで加わるか…?
翌朝、蠅はすでにキッチンの中を飛んでいた。庭の方にとガラス戸を開けも、素早く高みに逃げて見えなくなる。アキラと朝食を食べ始めると、降りて来て、食卓の隅の陽だまりに止まった。「アキラ、急いで!」と新聞紙を丸めて手渡すと、加齢性黄斑症で視野が歪むアキラ、小さな蝿めがけてパッシ。空振り。再び、食卓に止まったところを、今度は命中。思わず、やったね!と安堵したものの、蝿だって、寒い夜は人肌の温もりが欲しいだろう、冷たい朝は太陽の暖かい恵みに与りたいだろう……などと身勝手なことを考えながら、withコロナ&リウマチの日が過ぎていく。
冬の蝿
凍る夜
一匹の蝿われにきて
掌のぬくもり盗む哀れさ
詩集「赤鴉」 吉岡実
昨年の暮れの25日に10歳年上の姉を亡くした。翌26、27日は天使館で、ピアニストの悠治さんとアキラのセッション、28日は、2月の公演「櫻の樹の下には」の稽古、引き続き、みんなで年の終わりの稽古納め乾杯。30日に亡くなった姉のお通夜、31日野辺送り。コロナ禍以来、時が動いたり止まったりの日々だったのに、突然の姉の訃報に、想いを馳せる時もなく、新しい年が明けた。
そして、今日は年が明けて2日目。私はいつものように、キッチンの椅子に座って、阪本さんに頂いた柚子茶を飲みながら、10歳年上の姉は、やっぱり立派だった……都立高校を優秀な成績で卒業したお父さん自慢の長女は、洋裁和裁お料理と花嫁修行で、小学生の私に、フリルのついた可愛い花柄のワンピース、ローウエストのちょっとおませな木綿のジャンバースカートなど、よく縫ってくれたなぁ……それなのに、末っ子の私は姉と正反対で、親きょうだいを心配させっ放しの逸れもので生きて来てしまったな。とうの昔父母を亡くし、下の姉も亡くし……、しだいに淡く消えていく冬の光をガラス越しに眺めていると、私のカラダのなかに決して交わることのなかった両親と姉たちの存在がスポッと入ってきて………。これでよかったんだ!と妙に深く納得した。
さて今年も、彼方から吹いてくる温かい風をいっぱい吸い込み、一歩一歩あゆんでいこう。
すべてはすぎ去るものならば………
すべてはすぎ去るものならば
すぎ去るかりそめの歌を作ろう。
わたしたちの渇きをしずめるものならば
わたしたちの存在のあかしともなろう。
わたしたちから去って行くものを
愛と巧みをこめてうたおう。
すみやかな別れより
わたしたちみずからがすみやかな存在となろう。
R.M.リルケ 『果樹園』より 高安国世訳
今日は冬至。一年前の今頃は何をしていただろうか?はるか昔のことで、気持ちは今と全く繋がらない。去年10月102歳のアキラのお母さんを、今年1月に大野慶人さんを送り………3月神奈川芸術劇場で「笠井叡 DUOの會」を一回だけ公演して、コロナのため残りは中止。それから今日まで、季節の巡りを楽しむ間もなく、その日その日を呼吸して………そして、今日は1年で一番夜が長い日。明日からは日毎に光の時が長くなる。
ハンナ・アレントの「人間の条件」から
『地球は人間の条件の本体そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家であるという点で、宇宙でただ一つのものであろう。たしかに人間存在を単なる動物的環境から区別しているのは人間の工作物である。しかし、生命そのものはこの人工的世界の外にあり、生命を通じて人間はほかのすべての生きた有機体と依然として結びついている』(志水速雄訳)
明日も大切に呼吸して………安らかに おやすみ ヨワムシヒサコサン。

クリスマスが近づくと、あぁ ドイツに行きたいなぁ〜、東京の冬の青空も好きだけど、空気が凍るように冷たくなり、日毎に夜の闇が深くなるドイツの冬もいいなぁ…‥と、心の中で、シュツトガルトの森を描いてみる。
ところで、明後日私は76歳になる。朝「びっくりするほどの歳の数だよね」と食卓の向こうのアキラに話しかけると「びっくりするほど中身は成長していないね」とおっしゃる……そう言うあなただって……と心のなかで言いかけたけど……。私がアキラと初めてあったのは、16歳の時。あっという間に60年が過ぎてしまった。その長い時間を私は何をして来たのだろうか。多くの素晴らしい人たちに出会い、教えられ、導かれてきたと思っていたけど、あまり深く考えずに生きて来てしまった結果だから、中身が未成熟なのは仕方がない、と自分に相変わらずの情けない言い訳をしながら、カートにつかまりながら散歩に出た。陽が傾いて冷たくなった風が顔に当たって気持ちがいい。歩いていくうちに、今まで出会った人たち、書物の中の人たち、どこかで耳にした言葉、読んだ言葉、詩の言葉……が頭の中を風になって過ぎって行く。太古からの死者たちの記憶が、今のワタシを温めてくれている。
おまえはわたしたちの……
おまえはわたしたちの幾何学ではないか、
窓よ、わたしたちの巨大な生をう
やすやすと区切る
いとも単純な形よ。
わたしたちの愛する人が、
おまえの額縁に
囲まれて姿をあらわすときほど、
美しく見えることはない、ああ窓よ、
彼女をほとんど永遠にするのはおまえだ。
あらゆる偶然は除き去られ、存在が
愛のただなかに身を置いている、
まわりのすこしのこの空間と共に
人は存在をわがものとする。
R.M.リルケ 『窓』より 高安国世訳
昨日11月25日はアキラの77歳の誕生日。三島由紀夫没後50年。その年の早春、長男チカシ誕生。その直後、アキラ我が家の庭に稽古場を作り始め、後に天使館と名付ける。
師走を前にした11月の末になると、何かと思い出すことが多い。
確か、1970年の11月25日の数日前、国分寺のアキラの3畳間の狭い部屋で、詩人の金井美恵子さんとアキラとわたしの3人顔を突き合わせ「なんだか皇居の方がきな臭いね」などと、コソコソとおしゃべりしていた。3人ともまだ30に満たない頃のこと。その数日後の25日のお昼前、生後10ヶ月のチカシを乳母車に乗せて、スーパーまで買い物に出かけ家に戻ると、庭で稽古場作りでブロック積みをしていたアキラが「都内で、大変なことが起こったらしい」と言いながら部屋に入って来た。「金井美恵子さんから電話があった。まだ彼女も詳しいことはわからないらしい」テレビがなかった我が家では、ラジオをつけるしかない。そのラジオの音声も人の怒号が飛び交っているのが聞こえてくるばかり。確かに大変なことが起こったのだ‼︎ その日の朝日の夕刊一面に、散乱状態の部屋の隅に転がっている人の首が、うっすらと写っている写真を見た。翌日の朝刊にはその写真は無かった。
71年手作りの稽古場天使館が建ち上がった。以来今日に至るまで、様々な人たちがカラダに向かって踊りの稽古をしている。

自分で可笑しくなるほど、指先、手の動きが鈍くなってきた…ヒサコサン、モウスコシ マトモナ 字 ガカケタデショ、モウスコシ スバヤク ウゴケタデショ!…という声がする。努力が足りないのかなぁ〜とちょっぴり思ってみるが、ナマケモノのヒサコサン、シカタナイジャン と諦める。
今日は小春日和。お日様が暖かいうちに散歩しよう と張り切って、首にカラーの装具をつけて、やっと靴を履き、カートを出して、玄関の鍵を閉めて、やっと道路に出た時、あっマスクをしてない のに気がついた(出発準備段階でなんと30分は要する)。ヤレヤレ 鍵を開けて 靴を脱いで やり直し………きっと暖かなお日様は待ってはくれないだろう。えぃ マスクなしで行こう と…晩秋の昼下がり、静かな淡い陽射し…なんと心地よいことか……と国分寺史跡の広場をカートを押してノロノロ歩いていると、突然「ヒサコさん お久しぶり」と目の前にオイリュトミストのテラの顔が現れ……本当に お久しぶり……うれしいな、コロナでどうしてるかな、と思っていた、会えてよかったね…えっ もう47歳!「僕が天使館に来たのは23歳の時。我が初人生の半分以上ヒサコさんと一緒です」って……半分家族だね……と心の中で呟く。曲がり角で、大きなトラックの窓から男の人が首を出し私の方に向かって、何か叫んでいる。なんだろう、近づいてみると、宅急便のお兄さんだ「お散歩ですか?暗くなるから、気をつけて」ですって……アリガトウ マイニチ ゴクロウサマ と心の中で手を振り……わずかに残る小春日和の暖を背に受けながら家の方へ、ゆっくり ゆっくり歩いているうちに、何故か 視覚・聴覚・歩行機能すべてが衰えつつある自分の体が、無性に愛おしく思われてくる。
秋
樹の葉が降る 樹の葉が降る、遠いところから降ってくるように、
空の中で 遠い庭がいくつも凋んでゆくかのように。
樹の葉が降る、否む見ぶりをしながら降る。
そして幾つかの夜のあいだに 黒い地球が
孤独の中へ沈み込む、他のすべての星から離れて。
われらみんなが落ちる。この手が下に落ちる。
君のもう一つの手もー見たまえ、どの手も落ちる。
しかし或るひとりの者が在って
これらすべての下降を 限りなく穏やかにその両手の中に保っている。
R.M.リルケ『形象詩集』より 片山敏彦訳
もう11月かぁ〜。アドベント…酉の市…クリスマス…おおつごもり…どんどん昼間の時間が少なくなり、夜の時間が長くなる。
自分でびっくりするほど、様々なことができなくなってきた。例えば、今日は料理しよう!と張り切って取りかかるが、包丁がうまく握れず、野菜を刻むのに四苦八苦。お皿を取り出すのも、脱臼した指は使い物にならず………というわけで、出来上がるまで長時間を要す。やれやれと思うのだが、1日一つ何か生み出すと、やったぁ〜という気分になり、何かが動く。ほとんど自己満足の小さな小さな歩みでも、自分が自分になれて嬉しい。そんな時、自分も、周りも、限りなく愛おしく、美しくなるから不思議だ。
毎日、そうあってほしいと願うのに、そう、うまくはいかない。日々の天気のように、晴れたり曇ったり。
山羊
ぼくは山羊にはなしかけた。
草地にたった一匹、つながれていた。
草を食べあきて、雨にぬれ、
めえめえと啼いていた。
あの啼き声は、ぼくの哀しみにそっくりだった。
だから、ぼくは答えてやった。まず冗談半分に、
また、哀しみは永遠だし、
ひとつの
声、おなじ声しかないのだから。
その声が、淋しい山羊の
なかで、啼いていた。
ユダヤの顔をした、山羊のなかに、
この世のすべての痛みが、すべての
人生の、争いが、聞こえた。
ウンベルト・サバ『家と田園と』より/訳・須賀敦子
朝、友だちから「どうしている、この頃?」というメールが届いた。のそのそと起き出して、久しぶり秋の光が差し込んでいる明るいキッチンに行くと、アキラがウロウロ探しもの〜メガネを探すのに眼鏡が要るぅ〜とぶつぶつ言いながら………。こんなふうな今日という日が始まり、変わりばえのしない時間が、私の内で、ふわふわと過ぎていく。
昼食後、提出期限が疾うに過ぎた翻訳塾の課題プリントに顔を埋めて、うつらうつらしていると、稽古場から背の高い男性が出てきて、ガラス戸をトントンと叩き、ニコニコ笑っている。そうだ!もう、来年2月の吉祥寺シアターのアキラの新作公演の稽古が始まっている。女性ダンサー6人を振り付けた「今晩は荒れ模様」の公演は5年前のこと。今回は、男性ダンサー5人+アキラの男ばかり、どうなることやら。面白そう。宙ぶらりんのふわふわの時間の外側には、確実に、熱い熱のエネルギーが流れ、進んでいる。
金木犀のほのかな匂いが漂ってきた。すっきりした青空はまだだけど、やっと秋がやってきた。
昨日、すっかり諦めていた東京都写真美術館で開催中の「森山大道の東京 ongoing」展展に、レイジが車でアキラと私を乗せて連れていってくれた。Gott sei Dank!! ヨカッタネ‼︎
以前は、美術館、映画館、芝居、ダンス……ちょっとおめかししたりして、一人で出かけるのが好きだった。今では、自分の命を乗せる自分の車が、いよいよポンコツになってしまったので、恵比寿のガーデンプレイスまで自分の車で走るのは、不可能。自粛するしかない。
森山大道の東京の歓楽街の写真は、幼い私の周りにあった、匂いであり、空気であり、色であり、音であり、男と女のかたちであり……。歌舞伎町で育った子どもの頃の私が今でも私のなかで生きている。楽しい一日。

もう9月2日も終わろうとしている。8月末に、9月になったら、と自分に言い聞かせて、美容院に出かけボサボサの髪をカットし、さっぱりしたはずなのに………。
暑い暑い8月の間、朝目覚めると、あの本もこの本も読もうと自分に発信するも、なんのかんのとー例えば、特に高齢者はコロナ、熱中症に要注意などなどー自分に言い訳して、全て「既読スルー」の繰り返し。というわけで、9月になったら、と意気込んでいたのに、もう二日も経ってしまった。アブナイ、アブナイ!
今日は、再読を始めてストップしていた稲垣足穂の「弥勒」の続きから……
………窓こそは日々の新しい読書のページではないか。われわれはこうして常に、無限なる精神的宝庫の真っ只中に坐っているのだ。………地上のことを考えるよりも、星の運行や雲の色彩を眺めるように生まれ付いたこのわたし? ーなら、時の経つのも忘れてしまう雲が、ー「向こうを行くあの雲が好きだ」と仏蘭西詩人が謳ったいろんな雲がとおる………
やっぱり、江美留はいいなぁ〜。地獄の底から一足飛びに宇宙に連れていってくれる。
身に付いた「既読スルー」から抜け出せそうだ。

御巣鷹山の飛行機墜落事故から今年は35年目の夏。その日も今日のように暑い日だったのをよく覚えている。
その年(1985年)の春、私たち家族は、5年間一緒に暮らしたリーデンベルクの丘の家を離れ、アキラとミツタケは国分寺へ、チカシはStuttgartの郊外のハーメニング家の半地下の部屋へ、レイジと私は市内のホイベルク通りの屋根裏部屋へと、家族がバラバラになった。そして、その夏、私とレイジは、夏休みを利用して、アキラ、ミツ、おばあちゃんのいる国分寺の家に、Stuttgartから一時帰国。成田に迎えにきてくれたアキラとミツの顔を見た時は、心底ほっとして嬉しかった(やっぱり家族っていいもんだ!)。
それから、楽しい 楽しい日本の夏休みの日々が始まったのだが、あの飛行機墜落の大惨事が起る。ちょうどお盆で帰省する家族、会社の休暇で、久しぶりに妻子、両親の顔を見るのを楽しみに我が家に戻る単身赴任のお父さん………みんなそれぞれがそれぞれに、目の前に迫った喜びの時間を信じていただろうに………。なんとも言い表しがたい悲しみ、痛みが日本中を覆った。
事故の直後のことなので、飛行機の旅に些か不安があったが、時間の流れは止められない。御巣鷹山の惨事から一週間後、私とレイジは、アキラ、ミツ、おばあちゃんに「またね!」と約束して、酷しい残暑の日本からドイツへ飛んだ。
Stuttgart はすっかり秋だった。冷たい空気、澄み切った青空。金色に色付き出した銀の森の木々の葉……。ドイツがすっぽり私の中に入ってきた。地球の向こう側に、アキラ、ミツ、おばあちゃんがいる。チカシは隣町にいる。私とレイジはここにいる。みんな一緒に生きている!と思った。35年前、パソコンも携帯もFAXもメールも無かった。手紙を出すと返事が来るまで2週間、胸を躍らせてじっと待った。
あの頃を思い出すと、なんとのんびりとしていたことかと、懐かしく、切なく、愛おしくなる。
WITH CORONAの今日、近くても遠くても、親子でも、兄妹でも、友だちでも、会うことも、お喋りすることも、一緒にご飯を食べることも、ままならない。いつまで続くのだろうか?
わたしたちの最後から一歩てまえの………
わたしたちの最後から一歩手前の言葉は
みじめな言葉かもしれない、
しかし、母なる良心を前にして
わたしたちの言葉は美しいにちがいない。
なぜなら、どんな苦さも
押さえることのできない
ひとつの望みのすべての努力を
ひとつの言葉に要約しなければならないのだ。
R.M.リルケ『果樹園』より 高安国世訳
