命の線引き

昨日は雪。今日は冷たい花曇り。ニュースで、志村けんさんがコロナで亡くなったのを知った。70歳! 私より6歳もお若いのに。
イタリアでは医療崩壊で、高齢の感染者には治療を施せないそうだ。もし私がコロナウイルスに感染したら………もともと、免疫抑制剤を常用し、その上、気道が狭く、呼吸が浅い、リウマチ持ちの私なので、これから先のある若い人々に治療ベッドを譲るのになんの躊躇いもないのだが、突然、外側から、いのちの線引きをされるとは思ってもみなかったこと。志村けんさんも、これからやりたいこと、やるべきことの計画を心の中にいっぱいお持ちだったことでしょうに。
あれこれ思い悩んでも致し方ない。心の中までコロナにやられないように。
心の中に
たくさん コトバの種を 植えよう。
美しい色 芳しい香り 透明な響き
壊れていくカラダを 恐れるな!
心の中のコトバたち 
光と熱になって
やがて 壊れたカラダは
青空の中に 溶けて流れていく。

目に見えない新型コロナウイルスの中で………。

ローマのマリアピアはどうしているだろう? フランスのエマニュルは? フライブルクのバーバラは? ニューヨークのヒメナとシゲは? シオヤサン、ミヤイサン………? みんなみんなどうしているだろう?
命の数が毎日毎日減っていく、地球上のあらゆるところで。
年老いた人も若い人も富んだ人も貧しい人も健康な人も病気の人もどこの国の人もどんな職業の人も、みんな同じ不安を呼吸して、剥き出しのいのちを生きている。
みんなどうしているかな?

お祈りの言葉

空気が冷たい。洗濯干し場のコンクリの上のあちこちに、桜の花びら。今日の太陽はよそよそしい。
昼食。五目ずし。青梗菜、ワカメ、とうふのスープ。かぶ、ミニトマト、きうり、サニーレタスのサラダ、胡麻ドレッシング。いたってシンプルな食事。メルボルンの公演を終えて帰国した川口隆夫さんが、来週横浜のKAATでの公演「DUOの會」の稽古に訪れる。朝からニュースは新型コロナウイルスのことばかり。わたしの友たちはどうしているだろうか。
何か根拠を探ったり、解釈したり、説明したり、いいわけしたり……せず、永遠の一瞬一瞬を、静かに丁寧に受け止めて………そして、祈りの言葉を唱える。
 「われらを試みに合わせず 悪より救いいだしたまえ」
ではなくて
 「われらを試みに合わせてください そして 悪を認識する目をお守りください」と。

春の夢

穏やかな春の日。昼食。アキラと二人。鮭、じゃがいも、人参、玉葱、大根、ブロッコリー、ウインナーのスープ。レンコンの金平。たくわん。ご飯。静かな時間。じっと動かない。秘めやかな空気。暖かな春のひかりに見え隠れする灰色。おずおずと外側を覗く気配。見えないコロナウイルス。不安と諦めと焦燥と。醒めた意識。心に差し込む光。記憶から。アイヒェンハイムの小径。緑の風。青空の白い雲。尖塔の見える遠い風景。雲雀の囀り。樹々のざわめき。老夫婦の散歩、犬を連れて。乳母車を押す若い母親。木陰で読書する若者。ブーメランに興じる子どもたち。笑い声。黄色、白、ムラサキ色の小花たち。透明な静かな時間。温かい息吹きに満たされる。

3月の雪

昨日は春爛漫の陽気で、今日は冷たい雨の冬日。キッチンのテーブルに座って、庭を眺めていたら、白いものが、あっ雪! 
2、3日前に、我が家の桜も開花し、さっそく鳥たちが花を啄みに飛んできていたのに。
新型コロナウイルスのニュースの毎日で、いつのまにか桃の節句も過ぎてしまい……。
雨の中で真っ赤なボケの花が咲き誇っている。昨年10月102歳で亡くなった義母君子さんが生前植えたボケの木。真っ黄色のラッパ水仙、クロッカス、ムスカリ…何の世話もしてあげないのに、狭い庭の大地から伸びてきて、雨に打たれている。
気が滅入る時は、読書に限る。明日は晴れるかな?
 
芸術とは呪文であり魔術であるーこれが芸術の体験のいちばん始めの形であったに違いない。  ースーザン・ソンタグー

桃の節句ー二人の私

今日は3月3日お雛さまの日。今から52年前、私はアキラと結婚し、以来今日のこの日まで、よくぞ一緒に生活してこられたことか!と、思ったとたん、頭の中で52年前の3月3日に時間がワープした。そして、24歳と23歳の、まだまだ世間知らずの若い私たちの結婚式を温かく見守ってくださった、大野一雄ご夫妻、土方巽氏、澁澤龍彦氏、矢川澄子氏、吉岡実氏、加藤郁乎氏、森谷均氏、常住郷太郎氏、高井富子氏………と久しぶりに邂逅し、ひとしきり楽しくお話した。
その日も今日と同じように、ほんのりと冷たい空気の中に、春の陽光が溢れて……
一瞬にして、52年後の今日に戻ると、新型コロナウィルスの不穏なニュースばかり。免疫力のない私にとっては、危ないなぁ!
街の花屋さんにピンクや黄色や白など甘い香りの花々がいいち早く並ぶ嬉しい時なのに。
今では、大野先生ご夫妻も土方さん、澁澤さん、澄子さん………誰も見えないけど、私のカラダのなかには、彼らの温もりが確かにある。その温もりに包まれて、23歳と75歳の2人の私が同居している。。

いつの間にか、クリスマスローズが咲いている

だんだん体の機能が働かなくなってきて、何ごとにも時間がかかり、いつも時間切れ。
数日たまった新聞をまとめて読む。コロナウィルス、みあちゃん虐待死の裁判、教員間の暴力事件、「桜を見る会」のこと、ドイツの右翼過激派の銃撃テロ事件………やれやれ……と私の手に余る大きな紙面をガサガサと広げて読み進むと「障害があっても限界はない。限界を作るのは自分の心だ」と話すポーランドに住む39歳の青年の言葉に出会って、ほっとする。「時間切れだ」と自分に言い訳をして、読むのを放棄しなくてよかったな。
もうすぐ三月。我が家の庭の雑草も動き出し、よく見ると、紫陽花とさつきの間の奥で、一昨年アキラに植えてもらったクリスマスローズの白い花が一輪咲いているではないか‼️

家族って不思議で面白い

令和2年元旦。静かで穏やかなお正月。晴れ。
ミツとなおかは、車で三重県方面に(チヤボ2羽も一緒に)出かけた。レイジとひろ子はお正月から仕事。チンはどうしているかな? 18歳になった一人娘と一緒にご飯を食べるんだとか、久しぶりに去年の暮に顔を見せた時、言っていったけ。
それぞれがそれぞれのところで、自分自身を生きている。家族って不思議なもの。
固ったり、離れたり、見えたり、消えたり、赤だったり、青だったり、………ない方が良かったり、やっぱりあって欲しかったり。
家族って不思議な生きもの。

役立たずの私に与えられた贅沢な時間

年の瀬も押し迫まった今頃は、毎年、窓拭き、空調の掃除、戸棚の掃除、日頃ほったらかしの庭掃除など、太陽の傾きを横目で見ながら、一日中大掃除に明け暮れしていたものだが、雑巾も絞れず、しゃがむことも出来なず、包丁も握れない‥…ああ、情けない全く役立たず私………でも自分の頭の中の大掃除はできるよね。暖かな冬陽が差し込む居間の椅子に座って、日頃の積読本を読むことにしよう。なんという贅沢な時間な時間が与えられたことか!
黒川創「鶴見俊輔伝」を読み始める。約550頁の私の手には負えないほどの分厚さだ。最初の一節「福岡県門司生まれの秋山清という十八歳の若者は、………六本木の新聞店に住み込んで、配達の仕事を始めたばかりだった」という文章を読んで、いっきに頭の中に懐かしい思い出が蘇った。
1967年頃、神田神保町の出版社昭森社で編集の見習いをしていた頃、社主の森谷さんのところによく訪れるお客さまの中に小柄なおじさんがいた。お帰りになった後「あいつは詩人でね。ああ見えても筋金入りのアナーキストだ。また木遣が上手くてね」と森谷さんが教えてくれた。それから間もなく、なぜかそのおじさんと一緒に新宿歌舞伎町の飲み屋で一杯。その時の記憶は鮮明だ。江戸の鳶職を思わせる粋でいなせ浴衣掛け。突然木遣を歌い出した。張りのある美しい歌声。世の中の右も左も分からない当時23歳の私にとって、40歳以上も年上の秋山清は、そばにいて温かく寛く心地いいおじいちゃんのような人だった。
その先「鶴見俊輔伝」を読むと「有島武郎に続き‥‥大杉栄も死ぬ。その二人の死は、秋山清という若者を震撼させた。これなどがきっかけとなり、まもなく、彼は『詩らしきもの』を書きはじめる」と書かれていた。
関東大震災の大正12年、鶴見俊輔はまだ1歳だった。第二次世界大戦の末期に生まれの私の頭の中で、時空がどんどん広がっていく。大正から昭和、平成27年鶴見俊輔の死、そして、令和………。
面白い‼️ 役立たずの私に与えられた贅沢な時間。感謝、感謝。

私の1日の始まり

何となく変だなぁ、と思いつつ、時間が飛ぶように過ぎていく。世の中がだんだん壊れていく速度と、私の体が壊れていく速度が、だんだん近づいてくるようで恐ろしい。一人での外出が危うくなってから、家で過ごす時間が多くなった。
長年付き合ってきたリウマチの体も、ご主人さまである私の言うことをだんだん聞かなくなってきた。
困ったな……とあれこれ思い悩んでも始まらない。
朝、目覚めと同時に、思う前にカラダを縦にしよう、そして、未来から訪れる未知の時でカラダを満たそう。
私の1日は、こうしてスタートする。

君子さんとフィンランド

今年の10月102歳で亡くなったアキラの母君子さんは「私の誕生日はフィンランドが独立した年なの。だから是非フィンランドに行って、シベリウスの「フィンランディア」を聴きたいの」とよく言っていた。
確かに、君子さんの誕生日1917年(大正6年)は、調べてみると確かに、その年ロシアの支配下から独立た年だ。
三重県の津で育った君子さんは「子どもの頃一人でよく津の海岸にでかけて海を眺めながら、この海を渡っていけば外国に行ける。よし、大きくなったら絶対に外国に行こう。といつも小さな胸を踊らせていたの」と話していた。そしてその通りに、80過ぎまで仕事と仕事の間には、新聞広告の海外ツアーを申し込み、一人で海外に飛び出していった。ほんとうに、君子さんは自由で意欲に満ちた飛んでる女性だった。
そこで、私はベランダから美しい冬空に向かって、心の中で報告した。
お母さぁ〜ん、今日、フィンランドに34歳の若い女性の首相が誕生しましたよぉ〜‼️

令子さんのあたらしい本

画家の片山健さんの添え書きとともに、片山令子さんの新しい本「惑星」が届いた。健さんの添え書きには「………病がわかる前から編集がはじまっていましたが、………先日ようやく完成しました。………」と書かれていた。
……………
あたらしいおおきな白い雲
こんにちは。
そしてさようなら。
ほんとうはさよならはいらない。
ひとびとと永遠が住んでいる 空の時間の中では。
令子さんは、昨年2月「ひかりのはこ」にこんな言葉をのこして、翌月春の光のなかに消えていってしまった。一言も言葉を交わすことなく、どうして? 
私は、とてもかなしかった。
あれから一年半。 こんにちは、令子さん。あなたのあたらしい本が届いた。あなたの心
に刻まれたコトバの数々。健さんの絵。あなたの大好きなカスタードプリンのクリーム色の装丁。美しく、温かな、温かな………戻ってきてくれたのね、令子さん。
嬉しかった。
ほんとうにさよならはいらない。

頭の中は雑草だらけ

十一月も後一日。先日市役所から後期高齢者医療書が届いた。高齢者の気分は全くないけど、リウマチの体は確実に立派な高齢者、やれやれ!
一人でできないことにぶつかると、あらゆる手を使って乗り越えようと力んでいる自分がいる。歯を使い、百面相で頑張る自分の姿を想像して、思わず、ぷっと笑ってしまう。きっと他の人が見たら「この人何を、どうしようとしてるのかしら?」と笑いを堪えるに違いない。そう思うと、また私は可笑しくなる。
文庫本を持つことが困難になって来たので、読みたい本はiPad miniのキンドルで読むことにした。目によくないなんて言っていられない。書物の内容より、美しい装丁、活字、紙、ほんの形……が好きで、本が体の近くにあると不思議に落ち着く私だったので、iPadの香りも、色もない本は私にとって書物とは言い難いけど、そんな呑気なことは言っていられない。私の頭の中は雑草だらけ、と体が不自由になって気がついた。75年近くも生きて来て、書物から何を学んできたのだろう。でも、気がついたのだからいいか、と、呟く自分がいて、ダメダメ、今からでも遅くないよ、と、囁く自分がいる。
歳を重ねていくのも、すてたもんではないよネ‥…と自問自答したりして……。
クリスマス そして 新しい年 がやってくる。

及川廣信先生のこと

及川廣信先生が、9月5日93歳で旅立たれた。先生とは、生前一度だけお目にかかっただけなのに、私の心にはなぜか先生が住んでいた。というのは、国分寺の北口にあった伊庭野眼科の伊庭野先生は、及川先生のお姉さまだったからだかもしれない。天使館を造り、子育て真っ最中の頃、生来眼が弱い私は、目に異常をきたすと直ぐに伊庭野先生に診ていただいていた。先生は、私が大野先生や土方さんと面識があると知ると、とても嬉しそうに弟の及川先生のことを話してくれた。
「あの子はね、優しくて、明るくて、とてもひょうきんで………よく私の息子を相手に、面白い話をして笑わせたり………。フランスに留学する時、友だちを信頼してお金を預けて行ったのに、その友だちがお金を持って逃げてしまって、彼はスッカラカン。人がよすぎたのね。当時外国送金はとても難しく、真っ黒に塗りつぶした新聞紙にドル札を包み込んでフランスに送ってやったものだわ」
伊庭野先生のお話ぶりは、まるで目に入れても痛くない愛する我が子のことを話す母親のようだった。小柄な伊庭野先生は、ノリのきいた白衣を着て、キュッと締まったブラウスの襟元にブローチを付け、背筋を真っ直ぐに伸ばして診療室の中で素早く的確に治療してくださった。優しさと温かさと冷静な判断力と厳格さをあわせ持った上品で素敵なお医者さまであり、若い私にとって憧れの女性だった。
何がきっかけだったのか知らないが、三男のミツタケがダンスを始めた頃、暫くの間、及川先生の稽古場に通っていたことがあった。随分年を経たつい先日のこと、ミツタケが、ふとその当時の及川先生のことを口にした。稽古の前に受講料をお渡しすると、先生は稽古の後でいつも「これで帰りに美味しいものでも食べなさい」と言って受講料をそっと返してくれたそうだ。それを聞いて数日後、先生の訃報を知った。
私の大切な人生の先輩たち。いつまでも先を歩いてくれていると思っていたのに、私のカラダのなかに温かなぬくもりをそっと残して消えてしまった。
心もとなくさみしいけど、この温もりに感謝して育みながら、大切に先に進もう。

君子さん 逝っちゃった………

10月18日 アキラの母・君子さんがこの世で102年の時を生き、静かに彼方の世界に飛んでいってしまった。私の人生の内60年の、君子さんの人生の半分以上の時間をともに歩んできた。これ程長いこと付き合いが続いた女性は他にいない。
私にとって君子さんは言葉にできないほど破格な人。その魂の振り子の振幅は絶大で、左右前後に自由に飛び回わるので、近寄ると、その振り子に打ちのめされてしまう。自分の意思を貫いて自由に生きた人。溢れる愛情の人。母であり、クリスチャンであり、教会のオルガニストであり、聖歌隊の指揮者、指導者であり………君子さんの魂の色は、万華鏡のように輝いている。私は、そんな強い君子さんと何度ぶつかったことか。そして何度、人間の生き方について、神様について、話し込んだことか。話はいつも曖昧に終わった。そんな時思わず見せる君子さんの子どものような自信のなさ、人間の弱さ、純粋さが、私は好きだった。雨の日も風の日も、日曜礼拝に必ず出掛ける君子さんだった。君子さんの魂の振り子の支点には、神さまがいらっしゃったのだろう。
カラダの振り子から自由になって大空を飛び回っている君子さん。今、ともに歩んだ時間が宇宙大の空間になって私を包んでくれる。ありがとう 君子さん❣️

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2018年冬  101歳

阿賀神社合宿に行く

先月の末 「金鱗の鰓を取り置く術」の合宿に行くため、京都まで新幹線に乗った。もちろんアキラと一緒だ。一人外出禁止令が出てから、もう一年以上経つかしら?
久し振りに、車窓から広々とした田園風景を眺めながら幕の内弁当を食べよう……みんなに会えるのはこよなく嬉しい……合宿場の阿賀神社参集殿までは、70段の石の階段を上らなくてはならないのは知ってはいたものの、何とかなるだろう……来年は行けないかも……などと色々心で描いて、思い切って出かけたのに……… 新幹線が東京駅を出ると、直ぐに腰に拳銃をつけた警察官が通路を通る。案内のテロップに新聞のニュースが流れる。そのうちに ー座席を離れる時の注意/不審物を見つけた時の対処法/突然の 危険時には、座席の下のボタンを押して………!?    などの注意が黄色い活字で表れ、 さらに先頃から話題になっている「あいちトリエンナーレに対する文化庁の補助金不交付決定 」というニュースが、淡々とと流れた。その間も、先の警察官が何度も通路を往復している。
呑気に幕の内を食べながら列車の旅をたのしむ時代はもう終わったのかな、と思われるような京都までの時間だった。
阿賀神社の参集殿から眼下に広がる阿賀山の裾野を眺め、深呼吸。
来てよかった、また来よう!

Stuttgart家族旅行 2019年夏

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今年の8月のStuttgart 家族旅行 ーかれこれ40年程前、背後の集合住宅の一室に、家族5人で5年間住んでいました。建物も周りも当時のまんま、さすがドイツ⁈    懐かしい〜!
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3388E9A4-AC05-4574-AF55-960A731C3206その頃の三兄弟。まだまだ、幼かったね。

夏の終わり

今夏、7月末から8月上旬にかけて、家族全員で、ドイツのシュツットガルトを旅行した。旅行といっても、かつて住んでいた懐かしい思い出の地を訪ねて、という意味合いで、三人の息子たちが当時よく食べに通ったという、お気に入りのケバブ屋さん、オモチャ屋さん、ハンバーガー屋さん、アイスクリーム屋さん…………三人でコンバットごっこをして、暗くなるまで遊んだアイヘンハイムの森(その昔、詩人シラーがその森で詩作を練ったというが、観光客にお目にかかったことは一度もない)、三人が通ったクレアヴァルトのシュタイナーシューレ………など、市電に乗り込み、バスに乗り継ぎして、大人になった家族(しかも私は車椅子) がゾロゾロと町中を歩き回った。実に楽しかった。
今回が最初で最後。家族だからこそ一回限りがいい!
8月も今日でおしまい。夏の終わりと秋の始まり。なにか特別の気分がある。そして今晩、間も無く、天使館で「ダンス現在vol.7 瑞丈×香帆 カラダの庭」が始まる。夏の最後の公演。
明日から9月。新しい時がやってくる。

映画「主戦場」を観て

渋谷のイメージフォーラムで映画「主戦場」を観た。
私が、西早稲田の 早稲田奉仕園敷地内のビルの一室にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ったのはいつのことだったか。確か、爽やかな秋の始まりの頃だったように思う。まだ資料館が開設されて間もない頃だった。その時の閲覧者は私ひとり。美しい秋の日差しが差し込む部屋に「女性国際戦犯法廷」、アジア各国の『慰安婦』被害、日本兵の証言、戦時性暴力……などのパネルがいっぱい並んでいた。その1つ1つを時間を忘れて読んでいくうちに、いつの間にか日が暮れていた。
家の窓から目撃した光景。私が五歳だった頃のこと。
私の家の東側の空き地の、向こう側の道路の向こうに、お城(子どもの私にはそう見えた)みたいな洋館があり、ある日その玄関前に、屋根のない大きな自動車が走ってきて止まった。すると、制服を着た巨大な体のアメリカの男の人が二人、ドアを跨いで道に出ると、突然、後ろに乗っていた派手な格好をした日本の女の人二人をそれぞれ抱き上げ、素早くお城の中に消えた。その時の異常に浮きたった男の人たちの雰囲気。圧倒的な何かに胸が潰された私が、その時に感じた目撃してはいけないものを見てしまったという理不尽な後ろめたさが、今でも心の奥に残っている。
まだ赤線地帯の廃止が施行(1957/8年)される以前、今日の新宿区役所、今はないコマ劇場が建つ前、私は家族と共に歌舞伎町との境の西大久保に引っ越して来て、暮らし始めた。

加藤典洋さんの「9条入門」を読む

去る5月16日に亡くなられた加藤典洋さんの「9条入門」を読み終え、今、以前に書かれた「敗戦後論」を読んでいる。加藤典洋さん、などと親しげに書いてしまったが、実際に面識があるわけではなく、ご著書をキチンと読んだこともなく、時折朝日新聞の紙面に書かれた文章を読んでいたくらいなのに、今になって急にー加藤典洋の著作ーに惹かれる自分って何なのだろう⁇  と相変わらず、私の気付きの遅さに呆れるばかり。
加藤さんの「9条入門」の物語は、『出生の秘密ー敗戦から憲法制定まで (1945〜47年)』から始まる。ということは、1944年の暮れに生を受けた私の始まりにぴったりと当てはまる。75年生きてきて、今、振り返って思うと、子ども時代に、戦後の復興  復興で、大人達が子どもたちもそっちのけにして異常に沸き返っていた頃の新宿の西大久保周辺の空気を吸って育ったということが、私の原点にあり、それ以降、昭和から平成、令和と時代が進んでも、私の心の奥に燠火となって静かに息づいていたのが、この度、この「9条入門」の「ねじれ」の構造に触れて、私の心の中で未解決だった私の「ねじれ」が、再びパチパチと燃え出してきたようだ。
自分って何だったのだろうか? という、いたって素朴な疑問ーもう西の空に太陽が傾きかけているいるという今になってー向き合うことになってしまった。

ことば

15D4527B-BB3E-4332-975D-C67851D4138B詩梨ちゃん、心愛ちゃん、結愛ちゃん、羽月ちゃん………。なんと美しく、愛のこもった、可愛いいなまえなんだろう‼️
トツキトウカ ーやがて生まれてくる命にどんな名前をつけようか、どんな字にしようか、どんな響きがいいか、、、、、頭の中に、漢字、ひらがな、色、音までもいっぱいに広げて、ことばを生み出す作業に没頭する至福の時間。全てが愛と光に包まれていたはずなのに、何故?
2歳になったコトリチャンは、もうこの世にはいない。ユアチャンも、ミアチャンも、ハヅキチャンも、もういない。
毎日、痛ましいことが多すぎるよ。
昨日、アキラが生協で買ったポーチェラカの苗を、庭に植えてくれた。夏の日差しに強く、初心者向き。暑さにも乾燥にも、たとえ過酷な環境でも次々と赤、黄色、白などの可愛い小さな花を咲かせる、と書いてある。花言葉は「いつも元気」
彼方に行ってしまったみんな、 夏が来たら青空に向かって、可愛い花たちが手を振るから、白い雲に乗って見に来てよぉ〜。

大失敗

以前にも何回かあったたことだが、先日長男のチカシに送った(と、思っていた)メールが、英語翻訳塾のチカコ先生のところに行ってしまった。ありがたいことに、先生が早速私のメールを転送してくださったので、私の失敗が判明して一安心。 いよいよ、視覚、聴覚、その他諸々、カラダのあちこちの機能が壊れてきたようだ。
箸を持つのもままならない今では、ペンで文字を書くのは一苦労。そんな時、パソコンメールは有り難いが、次第に指の力が失せてきてキーボードの文字入力がきつくなり、ガラケイ携帯をアイホン、ノートパソコンをiPadに変えてタッチパネルに。紙の本を持つのも不自由になってきたので、Kindleに……。いよいよ便利なものが生まれてくるのはありがたけどね〜。
朝、起きると真っ先にベランダに出て「おはよう〜みんな元気〜‼︎」と庭の雑草に挨拶をすると、小鳥たちがお喋りしに飛んでくる。きっと、私の聴覚が衰えを知っているのだろう、と勝手に思っている。風薫る五月の青空が、私のカラダの中に広がった。
F54F8BAD-DD6F-486D-B7B8-6A2FDF5FC386 我が家の庭の雑草たち。

5月1日のこと

1968年にアキラと結婚して以来、祝日とか連休とかに全く縁のない生活をしてきたので、この度の国を挙げての祝賀ムードの大型連休も、さほどいつもと変わりない日々なのですが、今年の5月1日は、私にとって喜ばしい日でありました。
その一つは、1917年5月1日生まれのアキラのお母さんが、お元気で、めでたく102歳のお誕生日を迎えられたこと。大正、昭和、平成、令和 と走り続けて、今や時間をはるかに超えて、一瞬 一瞬が永遠の、無限空間のなかで穏やかに過ごしています。ありがたいことです。
それからもう一つ。5月1日と2日に西国分寺のいずみホールで、オイリュトミーシューレ天使館第5期生の卒業公演を観られたこと。雨の日も風の日も、オイリュトミー オイリュトミーで明け暮れた4年間を走り抜けた14人の卒業生たち。サナギから美しい蝶になって、爽やかな五月の青空に向かって飛んで行け❣️
私はと言えば、天候不順とは言いながら、雨の次の朝暖かな陽光を受けて、狭い庭で、雑草たち、赤、黄、紫や白の小さな花たちが、一斉にお喋りし始めたように、頭をもたげてくるのを楽しみする日々が続いています。

アキラのお母さん もうじき 102歳❣️

HED45024F-AEA5-4581-A790-2A90A089150F今、老人介護施設で元気に暮らすアキラのお母さん キミコさんは、この5月1日に102回目のお誕生日を迎える。大正、昭和、平成、そして、明日から新しい元号に。ずいぶん長いこと生きてきたね、お母さん。
ますます 美しく 輝いて………素晴らしいなぁ!

春 うらら

シューレの一期生が我が家の 庭に植樹してくれた桜の蕾がほころび始めた。春だなぁ〜 と朝二階のベランダで伸びをする。昨日、6年前さっさと大空の彼方に飛んで行ってしまったミヨコさんの愛娘ヨシノちゃんからーそろそろ春、遊びに行きたいなぁーと書かれた絵葉書が届いた。
今日は美容院に行って、伸びてきた白髪を 思いっきり短く カットしてサッパリしよう。その帰り お気に入りの小物屋さんに寄って、明日お誕生日のナオカちゃんへのプレゼントをさがそう……一人外出は、いささか不安ではあるものの、春の光をカラダいっぱい受けて 出かけよう。。
人生をりかいしようとはしないがいい、
そのときそれは祝祭のようになる。
ちょうど子供が歩いて行くとき
風が吹いて来るたびごとに
たくさんの花びらをもらうように。       (リルケ/高安國世訳)
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チューリップと女の子と子ねこ

3月は、いろいろなことが始まる月だ。アキラと結婚したのも3月3日、今から51年まえ。天使館を作り始めたのも春。リウマチと診断されたのも3月。3年後民族大移動みたいに一家五人でドイツに渡ったのもまだ冷たい春のはじめ。初めての地でいち早く目に飛び込んできたレンギョウの輝く黄色が忘れられない。それからドイツ生活6年目の春、国分寺に帰ってきた。久しぶりに畳の上に寝て、お隣さんの梅の香りに誘われて目がさめると、鳥の声が耳の近くで聴こえる。ドイツの春の鳥の囀りは、冷たい空気をつんざくように、天の高みから垂直に響いてきたものだ。
日本の春は香りから、ドイツの春は色からはじまる。0224BD62-EF7D-421B-BE46-5DCE6664C695
アキラ、庭に稽古場を作り始める。先ず整地から。正面の木はメタセコイヤ。物干しには、長男チカシのおしめが早春の風にはためいている。池の周りの芝桜が美しい。天使館のはじまり。以来、毎年春が来ると、何かが新しくはじまる。

ヒヤシンス

友だちからヒヤシンスの球根をいただいた。食堂の机の上に置くと、かたい蕾がどんどん開いていく。絵に描いてみた。色がイマイチ気に入らないが、まあいいか。こうしている間にも、紅色の花は、幼子が母親の乳を吸うように、球根から水分を吸い上げて、いっときも休まず呼吸して……
あ!ほのかな香りが、辺りに漂って……彼方から誰かがやって来た。
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2019年はニューヨークで始まった。

2019年の始まりはニューヨーク。Japan Society でのミツタケ版「花粉革命」公演に同行して。懐かしいレキシントン通りのロジャースミスホテルに4泊。翌日、ケネディー空港から飛んで、6日の夜、今週末の「高丘親王航海記」公演のために京都に着いた。恐ろしいスケジュールだー身体障害者の私にとっては。
カラダの自由がきかなくなってくる分、心の自由が大きくなってくる。不思議なこと。余計なことは考えないこと。よし、今年はこれで行こう❣️
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冬の昼下がりの闖入者

今日の昼下がり、キッチンのテーブルで制作のあゆみさんにメールを打っていると、中庭からおばあさんの可愛い顔がこちらを覗いているのが見えた。誰だろう? ガラス戸を開けると、「玄関が閉まっているんだもの。こっちから入れてね」と言う。
「えぇ……と、どなたでしたっけ‼️」どこかであったような気がするけど、私もボケたのかしら、思い出せない。
「ここに嫁に来たスギヤマエイコの母親よ」「えええっ…。うちはカサイでスギヤマではありません」と言ってはまたものの全く通じそうにないので、ひとまずお上がり頂いてお話を伺うことにした。その可愛いおばあさんの言うことには、名前はスギヤマシズコ(スに点々ではなくツに点々と注意された)さん。大正11年3月生まれで、今95歳。お昼を食べて、大田区から電車でここまで来たそうだ。意識もカラダも何もかもシャンとしていらっしゃる。お話も面白いので、ついつい暖かな冬の日差しの中で二人でおしゃべりをしてしまい……。日も暮れてきて、寒くなってきた。お家の方はさぞ心配しているだろう。どうしよう。結局は小金井警察のおまわりさんに保護してもらい、大田区ではなく東府中のご自宅までパトカーで送ってもらった。今頃は、ご家族とニコニコされているだろう。かわいいおばあさんだったな、と思いつつも明日は我が身か、と思わず身を引き締めた。
今年5月から始めた 笠井叡 迷宮公演「高丘親王航海記」もいよいよ大詰め。臨月の産みの苦しみの時。
だんだん体の自由がなくなってきたが、新たなものが生まれつつ途上に居られることは何よりのこと。
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12月の朝日

阿賀神社合宿に参加して

先週、思い切って、滋賀県東近江市の阿賀神社合宿に参加した。
9月12日に退院してから、ひとり歩きは、家の前の道50メートル位を行ったり来たり、それも歩くうちに人工関節を入れた左膝が次第に重くなり痛くなってくる。一年は、がまん、がまん。骨にとっては「必要痛?」と思ってみても、痛いことは変わらない。合宿に参加するには、電車に乗って、東京駅の雑踏の中を歩いて、新幹線のホームまで行いって……ああ恐ろしい!
でも、行ってしまった。後で知ったのだが、阿賀神社(太郎坊宮)は、三角形の赤神山が御神体の有名なパワースポットとのこと。確かに、この私が、三日間70段の石段を上り下り出来たのも、九州から、仙台から、新潟から、北海道から、広島から……集った30数名の参加者の温かな応援と赤神山の神 さまのお力が合わさって、尋常じゃないパワーが働いたおかげ、と感謝している。
やっぱり、思い切って行ってよかったな。参集殿から眺めた空の美しかったこと❣️
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退院してから7日目

退院してから今日まで蒸し暑い曇りの日が多かったが、今日の国分寺の夕方の空は美しかった。
家に戻ってみると、相変わらず我が家の日常は忙しい。春から夏にかけて懸命にカラダの中に育くんだものが、秋から冬に向かって実りとなって現れてくる。そんな、みんなのワクワク感、緊張感が稽古場から流れてくる。
夕方の空を眺めていたら、
ーまだまだ「歩きはじめたミヨちゃんが……」みたいだけどね、頑張んなくちゃねー
と、悠々と浮かんでいる白い雲が、わたしに向かって大声で言っているではありませんか⁉️j
そう言えば一ヶ月の入院生活の間、私は病室の窓から見える夏の空の白い雲に、毎日、自分勝手なお喋りを聞かせていたっけ。白い雲は私の無言の声を辛抱強く聴いててくれたらしい。
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病室の窓から空を眺めて

澄んだ青空に雲が流れていく。いつまで見ていても飽きない。
羊の毛のようにもっこりした雲。真っ白なレース糸のような雲。綿毛のようにふわふわした雲。
いっときも休まず、形を変え、悠然と、淡いブルーの大空を右から左に流れていく。
なんと豊かな時間なのだろうか……などと、病室の窓から空を眺めてのんきな時を過ごせるのもあと数日。来週半ばに、忙しい日常の日々がやってくる。
病院という所は、日常とは全く異なる空間だ。トーマス・マンのあの主人公ハンス・カストルプが従兄弟を訪ねてたアルプスのサナトリウムのよう、とまでは言わないが、数日の入院ならまだしも、一ヶ月もいると、身体はともかく、この保護空間に心までも慣れてきてしまうから恐ろしい。でも、窓から見える美しい空の雲を眺めているとー私はこれからどこにいくのだろうか?ー などと、日頃あまり真面目に考えないことが頭を巡り、このかけがえのない時間から離れられない。
首尾よく部品交換をして貰った私の愛するポンコツ車、果たして上手く路上運転できるのかしら?いささか不安でもあるのだが………。
そうだ! あの白い雲のようにー悠々と、たっぷりと、ゆたかにー行こう。

300グラム

今日から九月、朝夕少しは涼しくなったのだろうか?
夏 真っ盛りのお盆に手術を受けて、九月三日に抜糸。そして、数日後には極暑の夏をすっぽり通り越して、秋の日常に戻ることになる。
歩いてみると、やはり左膝は重たい。人口関節と私の関節の重さは、どのくらい違うのかな?
ずっと以前、「21グラム」という映画を観た。ストーリーは全く忘れてしまったが、タイトルの「21グラム」とは、人の命(魂)の重さのことを言っていて「なるほど、魂もグラムであらわすことができるのか。面白いね。でも、人の命は地球より重い、と言った人もいたな」などなど思い出した。
澁澤龍彦の「高丘親王航海記」で、親王が虎に喰われて天竺に飛んで行ってしまった後に、地上に残された親王の骨は「プラスチックのように薄くて軽い骨だった」という。
すべてを肯定して包み込む宇宙大に広い魂をもつ親王の、この世のカラダの骨は、硬質な薄いプラスチックのようだったとは。さすが澁澤さん❣️
さて、人口関節と私の関節の重さは? 先生にお聞きしたら、両方とも、およそ300グラムくらい、と教えて頂いた。
300グラムといえば、1束100グラムのよもぎ蕎麦が三束、一本50グラムのササミが6 本。ご飯二杯……。頭に浮かぶのは、食べ物ばかり。
それから、先生は「1年くらいしたら、自分の脚のようになりますよ」と言われた。
もともと、ポンコツ車。まだまだこの地上で、焦らず、のんびり、ゆっくり走って行かねば!

チンのだし巻き玉子

入院生活も今日で二週間目。久し振りにチンが顔をみせた。チンとはイヌの呼び名ではない。長男の爾示(ちかし)のこと。我が家では、三兄弟の間で、お兄ちゃんとか、ちいにいちゃんとか呼んだ試しがない。幼い頃から、ちかしはチン。れいじはレイボウ。みつたけはミツ。
ドイツに住み始めて直ぐに、お向かいに住むベルガー家と親しくなった。その家のひとり息子クヌーツが、れいじと同い年(8才)ですぐに仲良しになった。クヌーツのお母さん、バーバラは、突然日本から来た言葉も知らない三人の男の子たちを、温かく優しく受け入れてくれてた。
ある日、クヌーツがわがままを言った時、バーバラが「クヌーツ!私の言うことを聞きなさい」ときっぱりと言った声を今でも覚えている。その時とっさに、私は幼い我が子に向かって、自分のことを「ワタシ」とはっきり言うだろうか?と心の中で思った。きっと私だったら「おかあさんの言うことを聞きなさい!」と言うだろう。また、クヌーツが自分のことを「クヌーツはね…」と言ったのを聞いたことはなかった。さすがドイツ人と感心したがけど…。日本のお母さんである私には、なかなか出来ないことだったのを思い出す。
さて今日、チンは手製のだし巻き玉子を見舞いに持って来てくれた。どこでどう覚えたのか、意外と美味しい。
〜 私は、あなたに、だし巻き玉子をおしえたことはありません〜のに。
あれ以来、バーバラは私にとってかけがいのない友人で、地球の反対側から私のリウマチを案じて、毎年電話をくれる。
クヌーツは、内科のお医者さまになり、スイスで開業している。

リハビリ室で

膝に人口関節を埋め込んで、10日経った。歩くと左脚に重たいゴムの輪っかをはめているようで思うようにいかない。両親から与えられた生来の体に、全く異なる素材の物質を入れたのだから、そう簡単には馴染まないだろう。
リハビリ室で、リウマチを患っている10歳年上の女の方と出会った。彼女は、首に頭部を支えるカラーをして車椅子に座り、 変形した指や腕のリハビリに、黙々と、無表情で励んでおられた。 ひとしきり作業が終わると、リハビリの先生が、彼女の前にA4の紙を置いて鉛筆を手渡した。
「お耳は遠いのですが、病室からお迎えがあるまで、いつもこうして百人一首のうたを書かれるのですよ。もう何枚目かしら」と、リハビリの先生が言った。紙の右端から細かい字で、びっしりと書かれているのが見えた。
翌日、私が歩行器で、車椅子に座ったその人の前を通りかかると、 大きな声で呼びかけられた。
「歩けていいね。私は両膝が人口関節、ももの脇にも人工の骨、嫌だねぇ〜」と言って、カラーを付けた顔をまっすぐに向けて、横目で私を見て、ニッコリ笑った。
おおきな瞳の中から、無邪気なこどものもつ、茶目っ気たっぷりの明るい光が飛び出してきた。
素敵な人だ!

頸椎固定術を受けた時のこと

20年くらい前の3月の初め、秋葉原の三井記念病院で頸椎の手術を受けた。外が白々と明け始めた頃、手術用の衣を着せられビニールのキャップを被って、病室に運ばれたストレッチーの上に寝かされて待っていると、若い麻酔科の先生がベットの脇にやって来て、こう言った。
「笠井さん、術前に顎の写真を撮らせてください。お顔は隠しますし、お名前も出しません。それから、もし麻酔が掛からなかったら、残念ですが、お部屋にもどってきます」
今から、自分の首の手術に臨もうと覚悟を決めていた時、どう答えればいいのだろう。
もし手術ができなかったら、今まで耐えて来たあの激しい頭痛を一生抱えていかなければならないのか…と言う思いが、無感動に脳裏をよぎったのを覚えている。
手術室に運ばれると、麻酔科の先生たちが、カメラを用意したり、私の口内をしらべたり、忙しく動き回っている様子だったが、突然、「何している、患者が怖がっているではなななな…」という大声を聞いた途端、意識を失った。
遠くから私を呼ぶ声がする。「手術は終わったよ」と耳元で聞こえた。
さて、それからが大変。助手の先生に説明では、手術は、頸椎を開けて頭蓋骨を正常な位置に戻し、私のお尻から接着剤として軟骨をとって頸椎に埋め込んだだけです。特別なことはしていません。脳味噌は、お豆腐屋さんのお豆腐のように水の中に浮いています。頭は重たいから、頸椎としっかりとくっつく迄、決して動かさないように!とのことだった。
頭と胸を長方形の角材状態にするために、次は、ハローベストという簡単な鎧のようなものを上半身に付け、頭には鉄の冠(?)のようなものをビスで額に直接埋め込んで(ビックリ!血も出ないし、痛くもない)、頭と胴体を支柱で繋げた。つまり、建築中の足場のようなものだ。
足場状態のままベッド上で数週間。土曜日には必ず、足場がゆるくならないように、先生がベストのネジを工具で締めてくれた。
ベッドから離れて歩行器で歩き出した頃は、もうすっかり春爛漫。11階の病室から下の歩道を眺めると、新しいランドセルを右に左に揺らしながら、走っていくピカピカの一年生が見えた。
そして、五月のある日、リハビリの先生が「笠井さん、外にいきましょう!」という言葉に誘われて、足場状態の自分の姿も顧みず、数ヶ月振りに戸外に出た。
太陽はきらめき、爽やかな風は都会の街路樹に触れながら、新緑の香りをわたしの体に満たしてくれた。
なんと素晴らしいことだろうか!
あの感動からもう随分ったった。今でも私の頸椎は働いてくれている。

痛みを数値で表したら

その痛みを数値で表したら、どれくらい?と入院前のアンケートで聞かれた。果たして、痛みを数値で表すことができるのだろうか?いちばん痛い時が10で、今は3くらいかな、といい加減に答える。
そこで思い出したのは、ドイツで生活し始めたドイツ語もままならない頃、子どたちが病気をした時だ。
5歳になるミツタケが風邪をひいたとき、近所にDr.ブルーメ(訳すと、お花先生)という中年の女医さんのところに連れて行った。柔らかく包むように「どうしたの?あたまが痛いの?どう痛いか言ってみてごらん」と、それはそれは温かな声でミツタケの顔を覗き込んだ。
そばにいた私も、ひやぁーどうしよう、と内心慌てた。
頭がキリキリ痛い、ズキズキ痛い、ガンガン痛い、シクシク痛い、キューキュー痛い、、、、人によって表現はまちまちだ。果たしてドイツ語でなんと言ったらいいのだろう。絶体絶命。その時、どのようにDr.、ブルーメに説明したかすっかり忘れてたが、自分に身体の状態を外国のお医者さまに伝えるのは、とても難しいということだ。まして子どもにいたっては!
万国共通の数値で痛みを表せれば、便利かもしれないが、趣がない。
キリキリ ズキズキ ガンガン モヤモヤ シクシク ジンジン ムカムカ、、、、、
カラダから溢れ出てくる痛みのリアリティが感じられ、痛む人と繋がれる気がす。
今日も病室の窓からは、美しい青空が見えた。

病室の窓から空を見る

15日の午後、無事手術を終えた。術前の先生のお話によると、私に膝はかなり面白い膝で、これほどグラグラしているのは珍しい、ということだ。最後に、「お願いなのですが、今回の笠井さんの手術で、骨を削った時に出る骨の粉を研究のために頂けないでしょうか?」と言われた。 私は「どうぞ、どうぞ、リウマチに苦しむ人たちに少しでもお役に立てれば、なによりのこと」と言った。
これまでも、血液や膝に溜まる水を、何度も病理学研究所に提供してきた。今日では、随分とリウマチに関して研究が進み明るい見通しになってきたようだ。嬉しいことだ。
カラダが壊れていくに従って、心が軽くなり・・・
空の青が美しい!

お盆に入院

昨日(8月14日)国立相模原病院に入院した。そして、今日の午後、左膝の人工関節手術を受ける。世の中、お盆休みというのに、私のために執刀して下さる先生は大変だなぁ〜などと、余計なことを思いながら、ベッド上で今これを書いている。
先日終わった 「土方巽幻風景」に続き、10月10、11日の、笠井瑞丈×上村なおかダンス公演の振り付け、年明けの「高丘親王航海記」の稽古と、この猛暑の中、天使館は大賑わい。
そのように忙しいダンサーたちを尻目に、1ヶ月入院とは、申し訳ないとは思うものの、まだまだ旅は続きそう。私のカラダも部品交換し修理すれば、まだまだ走れそうだ。
久し振りに我が家を離れて、病室の窓から見る夏の空は新鮮だ。
ひかりは、秋を確実に秋に傾いている。与えられた時間をゆっくり楽しもう。

旅のはじまり

昭和35 年夏。国分寺の杜は蝉の声に満たされ、紺碧の空に輝く太陽が・・・
こうして始まった旅の情景。
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夏の記憶


目覚めると
おおきな夏の青空が
リウマチで歪んだ
わたしの カラダの内側に
するりと入り
70年前の夏の朝が
今日の朝と重なる
幼い目に映った
あの青空
顔より大きく切った  くし形のスイカ
甘い香りが あたりに漂い
小さな口もとから
赤い果汁が
溢れ出る
洗濯したての 白い
木綿のワンピースの胸元が
真っ赤に染まる
容赦なく
照りつける
真夏の太陽の光は
夢中でスイカに食らいつく
穢れを知らない子どもらの皮膚を
じりじりと  焼く
ひまわりの黄色い花弁に目が眩み
ミツバチが  ぶんぶん唸る
スイカの種飛ばし
「一番遠くに飛ばしたのは  だあ〜れ?」
明るい声が
遥か彼方に 木霊する
無限の時間の凝固
畑の中の
野うさぎの滑走
一匹のトカゲが
焼けた石の上を
走った
未来から 記憶の風がふいてくる
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夏の空に向かって

早春の風に乗って、青空に向かって飛んで行った詩人の片山令子さん。
夏の空は、いかがですか?
真っ白なフワフワの雲。いつの日か、国立の大学通りの喫茶店で一緒に食べたアイスクリームのように美味しそう!!
朝起きると、まず二階のベランダから空を眺めます。爽やかな空気の中で、風のそよぎに触れながら、鳥の声を耳にしながら、令子さんのコトバを想うのです。
空はやがてみんなの住むところ
ひとびとの精神(スピリッツ)が
生きているところ。                       ー空の時間ー
そして、私は、いつの間にか空の人になった令子さんに「おはよう!ご機嫌いかが?」と、夏の空に向かって呼びかけます。
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ドイツの子ども手当

今日の朝日の「天声人語」にドイツのことが書いてあった。
「ここ数年、多くの難民を受け入れたドイツの判断には驚かされた。そして現地を訪れて感じたのは、来た人を受容する構えが存在することだ」
2018年から遡ること38年前の春、家族5人でシュッツトガルトに移り住んだ頃、ドイツでは、ボートピープルと呼ばれるベトナム難民を多く受け入れていた。10才だった長男のチカシの初めての外国人の友だちも、母親が老人ホームで働いているベトナム人の男の子で、すぐに仲良しになり、子どもたちの素晴らしい親和力に勇気づけられたのを思い出す。
それともう一つ、思いがけずびっくりしたことは、シュッツトガルト市からこども手当(Kinder Geld )が、毎月支給されることになったこと、しかも三人の息子たち全員に!
もう忘れてしまったが、当時国分寺市からは、三男が生まれた時に一回だけ少額のお祝い金を貰ったように記憶している。レイジとチカシの時は、何もなかったと思う。
日本でもここ数年の間に、子ども手当については議論されて制度も整ってきたのだろうが、およそ40年前のドイツにはまだまだ及んでいない。なにしろ、ドイツに留学しにやって来た外国人の家族の子どもたちみんなに、子供手当を出すなんて‼️(確か、支給金も下の子になるに従って高額になる)それによって、どんなにか助けられたことか。感謝しても余りがある。今から思うと、確かな経済的な保証も持たず、家族五人でドイツに行くなんて、何と無謀なことをしたものか、と我ながら呆れるばかりで、むしろドイツ国家の方が、私たちのような在り様に驚いていたのではないだろうか。
「来た人を受容する構えが存在する」を読んで、さすがドイツ、と嬉しくなった。

シンプルに生きていこう!

4CCE17A5-759A-47CD-B895-C07F18ED8CA7最近、歩行が危うくなってきた。それもそうだよなぁ、もう40年以上もリウマチと一緒にいきてきたのだもの。
その昔、リウマチ友の会(今でもあるのだろうか)の会報誌に、リウマチとは「二割の人はすぐ治り、二割の人は死に至り、六割の人は緩慢な病状を繰り返しながら、次第に骨が変形していく病気」のように書かれていたのを思い出した。
とすれば、私はその六割のうちに入っていたのだろう。これからも、少しずつカラダが壊れていくのだろうか、などと思い悩んでも、自分の十字架は自分で背負わなければなるまい。
ポンコツクルマを運転するのは私だ。これからは、重たくて、暗くて、憂鬱な、複雑なものは全て捨てて、明るく、楽しい、美しいものをいっぱい載せて、幼い頃そうであったように、シンプルに生きていこう。

サボテンさんと私の手

写真家の石内都さんが、私のリウマチで変型した手を撮った写真を見て、作家の黒川創さんが「サボテンと重なって見える」と言ったのを受けて、石内さんが「そうだね、サボテンさんも人間も生きているという意味ではあまり変わらないから」と答えているのを、何処かで読んだ。
サボテンさんと私の手。畸形でも働きものの私の手。今は、唯一右手に人差し指だけが働き手。ペンは持てないけど、曲がった人差し指がパソコンのキーボードを打ってくれる。ありがたい。時々「ガンバレ!」と自分の手に声援を送る。
サボテンが大きくなるのも、私の手が次第に変型していくのも、生きてる証。
アキラに、いまの私の手を撮ってもらおう。
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「ひかりのはこ」

また一人、天使館で出会ってから、ともに同じ時を生きてきた詩人の片山令子さんが、先に逝ってしまった。
今日、片山健さんから、かねてより病気療養中の令子さんが、今年3月22日、68歳でお亡くなりになったこと、故人の意向で病気のことは知らせなかったこと、あいさつもできずこの世を去ったことで、悲しい思いをさせてしまったことのお詫びのお葉書を頂いた。
今年の初め、令子さんが発行しているリーフレット「ひかりのはこ  9」が、ポストに届いた。
・・・
眼が今の世界を見ながら
過ぎた日の情景を思い出している時
ふたつの映像が重なった世界を
見ているのではないだろうか。
そして今の映像が過ぎた日の映像に
キラキラと今の輝きを移していく。
今は直ぐに総て過去になるけど
過ぎた日々は感情によって幾度も
今になり続けることが出来る。
うれしかったこと
美しかったこと
尊敬したひと可愛かったひと
風のように颯爽としていたひとを
たくさん生き生きと思い出す。
・・・
愛情に包まれたまま眠っている過去を
今に生まれかわらせる。
眼の窓を開けたまま
今と今と今を
過去に写し続けることによって。
美しい日々  ひと  出来事を
思い出すことによって。
あたらしく今を作り続ける
わたしという窓のある世界。
「窓のある世界」から
2018年1月5日発行    画=片山健     発行者・著者=片山令子
ひかりの箱を開けると、真珠のように美しい言葉たちがこぼれてくる。
目には見えないけど、嗚呼、令子さん。あなたの温もりが私を包んでくれる。

ライラック

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1239B2CC-EC74-4CBD-BF15-5E5FA811C7EA今から38年前、家族でドイツに移住したのは、日本では初夏の風が吹き始めた四月中旬。コーリアエアラインの南回り三十時間、やっと目的地の シュトゥットガルトに着いた時は、夜もとっぷり更けた真夜中だった。次の日、家族みんなで迎えたドイツの朝 のなんと清々しかったことか!整然と立ち並んだ大きな家の庭は、どこも色とりどりの春の草花が咲き揃い、家を囲む針葉樹の間から薄紫、ピンク、白のライラックの花が美しいグラデーションを見せてくれる。子どもたちは、長旅の疲れも忘れて、ワイワイと外に飛び出した。
オオ寒い!ひかりは春の明るさなのに、空気は冬の冷たさだ。そして、3日目の朝、私たちの住むリーデンベルク一帯は、真っ白な雪で覆われていた。すると、近所に住むドイツ人パゾットさんの一人息子のロベルト君が、日本人家族がやってきたと知り、直ぐに我が家に訪れ「雪でフリーダー(ライラック)が全部折れてしまった。これからリアカーに積んで売りに行くけど、一緒手伝ってくれない?」と、子どもたちを誘いに来た。さすがドイツ人!びっくりもしたが、その意志の強さと優しさに共鳴したのか、チカシは言葉が全くわからないまま喜んでロベルト君について行ってしまった。
帰宅したチカシに聞くと、二人して大声で「フリーダーはいらんかねぇ〜、フリーダーはいらんかね〜」と叫びながら町中回ったけど、一本も売れなかった。でも楽しかったよ。と寒さで真っ赤になった顔をほころばせたのを見て、よし、これで異国の地ドイツでみんなで暮らしていけるぞ、と私の心も決まった。
今年の冬、庭にライラックの苗を植えた。栄養不足で貧しい我が家の庭に、これまで何度も試したけど、可哀想にいつも枯らしてしまっていたのに、どうしたことか四月になって急に暖かさが続いてきたら、なんと、しっかりした新芽が生まれてきたではないか!これからは、遅ればせながら、世話を怠らないようにしなくては・・・・
果たして、何色の花が咲いてくれるのだろうか?

テルプシコール通信

テルプシコールの秦さんから、テルプシコール通信2018年3月4月 が送られてきた。
「春一番の声とともに花粉嵐の吹き狂う今日この頃ですが・・・・」と始まる秦さんの挨拶文と一緒に、舞踏新人シリーズ第46弾の チラシが入っていた。チラシの裏面には、テルプシコール 企画「舞踏新人シリーズ出演者列記  」(第1弾〜第45 弾)とあって、’85.10/17〜20から2017.10/25〜29 までの全作品名と出演者の名前が列挙されている。数えてみると全部で165作品あった。
驚いたことに165作品全てにユニークな賞が与えられていて、その賞の名前が奮っている。 「半分からのROMAN」という作品には「はにかみのトライアル賞」。他に「仮装バナナのかけ違い賞」「煩悩童子  ・汗斗賞」「月見て狂へ賞」「夢見るマシュマロ童女賞」などなど。
ひとつ一つ丁寧に読んでいくと、実際に観ていないのに、舞台のかおり、色、雰囲気が目のなかに浮かんでくるから不思議だ。 30 年以上にわたって、続ているこのシリーズの出演者の中には、既に故人となられた方も数人いらっしゃる。
毎回送ってくださるテルプシコール通信も、今回No. 165。編集も発送も秦さんの手作業。人にも時代にも阿ることのない意志の強さと爽やかさがある。踊る人たちを深いところで支える温かな眼差しを感じる。
2018年4月19日(木)〜22日(日) は、舞踏新人シリーズ第46弾がやってくる  。

新しい春

82BDCDBC-11ED-4ACE-B435-251A0B46A2BF朝早く、二階のベランダに出ると、あちこちで鳥の鳴き声がする。深呼吸すると冷たい空気が、未だ覚めやらない私のカラダの内の隅々まで、サッと広がる。 エーイと伸びをして、遥か彼方からやって来る今日という新しい春を迎える。

一足先に、嬉しい春の日

朝、ベランダに出ると湿った空気の中にほのかな春の匂いを感じる。うれしいな!
昼食後、国立で行われる「オイリュトミーとピアノの会」に出かけた。隣町という事もあってか、のんびりし過ぎ、慌ててタクシーを頼み、アキアと会場に向かった。国分寺に住みはじめて かれこれ半世紀、バスに乗って子どもたちと一緒に、何度国立・国分寺を往復したことか。たまらん坂から大学通り、桜通りを横切って富士見台 団地入口まで。間に合った!
定方まことさんのオイリュトミー、上田早智子さんのピアノで、R.シューマン「子どもの情景」 W.A.モーツァルト「きらきら星変奏曲」(「ねえ、ママ聞いて」の主題による12の変奏曲)をかわいい子どもたち、子育て真っ最中のお母さんたちと一緒に観た。
樹々の枝もふくらみはじめ……嬉しい一日。