ニューヨークから戻って数日後、フライブルクに住むバーバラからパック郵便が届いた。開けると、中から木綿の大判のハンカチ3枚(淡いブルーと白の格子の地に濃紺の小さな花をあしらったもの。青と白を基調にした幾何学模様のもの。白地にバイエルンの民族衣装を着た子どもの刺繍がしてあるもの)とカードが出てきた。いかにもバーバラ好みの清楚なものばかりだ。カードには、ブルーブラックのインクで、バーバラのおしゃべりがそのまま文字になっているような筆跡のドイツ語がびっしりと並んでいる。やれやれ、私はドイツ人ではないのよ、と心の中で彼女に文句を言いながらも、私はベッドにひっくり返って、文字から聞こえてくる彼女の声に耳を澄まし、文面を何度も何度も眺めていると、まるで曇りガラスが透けてきたように、書いてあることが見えてきた。
「今年の夏フライブルク町は、 die Dirude-Mode(バイエルン地方のファッション)が大流行り。それで首に巻くハンカチを多く見かけたのよ。その度にあなたがいつも首に布を巻いていたのを思い浮かべ、あなたがニューヨークに行く時とか、ローマに来る時に、どんなのがいいかしらと思ってね・・・」書いてある。ニューヨークから帰国した後だから、ちょっと間に合わなかったけど、私がニューヨークに行くことを、バーバラはどうして分かったのかしら? 続いて「夏の間息子家族と一緒に過ごして、少々くたびれて・・・」と愚痴をこぼしながらも「私、去年の秋から今まで、イラン、アフガニスタンから逃れてきたの難民の親子(母と娘と男の子3人)の援助をしたのよ。世界のおおきな課題ですもの。その親子にとっては、ここは全く新しく、無条件に異なった暮らしですからとても大変。その上、母親は36歳、その長女は22歳!!これから、彼女たちはどのように生きて行くのかを思うと、私はとても耐えられなかったわ。でも、母親と娘と3人の男の子たちは、困難にとても勇敢に立ち向かっていったわ。今では、彼らがどこにいるか誰も知らない。難民との接触は禁じられているから。だから私は、全て上手く行きますようにと祈るしかできないの」そして最後に私たち家族に向かって「楽しい時でも、苦しい時でも、いつもしっかりと立っているように—あなたがたがいつもそうであったように—その光は天のためにあり、我々の目はその光のためにある」と結んだ。
1980年4月、私たち一家が国分寺から、当時西ドイツのシュトゥットガルト市イゾルデクルツ通り52番地にやってきた時、お向かい住んでいたのがバーバラだった。私たちがドイツから帰国して30年以上経った今でも、たとへば、国分寺駅前を歩いている時に、突然私の脳裏にピピッとバーバラのことが過ると、その日の晩、リリーンと電話が鳴り「ヒサコ、バーバラよ」と、明るく懐かしい声が飛び込んでくる。不思議なことに、そんなことが度々起こる。
私にとってバーバラは、一番遠くにいて、一番近くにいる友。さあ頑張って、ドイツ語で手紙の返事を書こう。
選挙戦
いよいよ今日から衆議院選が始まる。秋晴れのさ爽やかな空気の中に、候補者たちの高らかな声が行き交うことだろう。
『枕草子』にこんな言葉があるーうちとくあじきもの。えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも裏無くぞ身ゆる。—さすが、清少納言。
私は、今日からニューヨークへ。あちらの秋の空はどうかな・・・・?
脳と身体
美術家の横尾忠則さんが、誰でも密かに抱えている自分の身体的欠陥に対してのコンプレックスのことを「脳を身体の支配下に置いた」ところから発生する「一種の思い込み」にすぎない。だから「脳が自分だと思う前に身体こそ『我なり』と認めればいい」と書かれていたのを読んで、然り、と同感し、私の身体的欠陥だらけの身体に「それが私よ」と言わせてみると、いっぺんに体が軽くなり、勇気が湧いてきた。・・・カラダの中を微風が吹き渡り、おおきな樹木がわさわさと揺れて、いつの間にかカラダが宙に浮き、青空に向かって飛んでいる・・・私のカラダの器に、脳から生み出されてくる思い込みが、脈々と流れ込む。
横尾さんの言葉「コンプレックスはコレステロールみたいになくても困る、多くても困る程度のまあ生活必需品だと思えばいいのです」ですって。自分に何かを思い込ませるというのも、案外、いいもんだ。ひょっとすると、これがダンスの初歩かも・・・?
あっぱれ、100歳!
「90歳。何がめでたい」とは、佐藤愛子さんが書かれた本の題名だが、我が姑の君子さんは、今年5月でめでたく100歳を迎え、先月の敬老の日に、国から銀杯と安倍晋三首相の賞状・東京都から江戸漆器の箱と小池百合子都知事の賞状・国分寺市からウールの膝掛けなど、お祝いの品々が届いた。そこで、秋晴れの今日、アキラはその品々を持って、介護施設に君子さんを訪ねた。100歳に近づくに従って、さすがに携帯で電話してくる回数が減ってきたので、家を出るとき「『あなた誰?』と言われるかも」と、いささか自信のないアキラだっが・・・・。
お母さんは、元気、元気!何の問題はない。持参したお祝いの、銀杯と晋三さんの賞状は要らない。百合子都知事の賞状と漆器の箱、市からの膝掛けは要る、とはっきりしている。日頃は、村上春樹とか五木寛之の本を読んでいると言った(すごいね!でも、ホントかな?)。ヒサコのことは忘れてないよ。お母さんからは「今度、何時宇宙に帰るの?何時、宇宙からくるの?何処の宇宙に行くの?宇宙に赤道はあるの?宇宙は面白いところだよね・・・・」など、宇宙の質問が尽きない。100歳過ぎてから、体は車いす生活になったけど、頭の中は宇宙大に広がりつつある。というのがアキラの訪問報告。そして、最後に「どうも150歳くらいまで大丈夫」と自分で言っていたよ、と付け加えた。
100歳、あっぱれ、あっぱれ。
昭森社の森谷さん
「春の訪れ」を書いてから、もう「秋の訪れ」が来てしまった。春から初夏、盛夏から晩夏。私は一体何をしていたのだろうか。
9月初め、横浜能楽堂での「左右左」公演が終わったので、久しぶりにアキラと神保町の岩波ホールに映画を観に行った。始まるまでにまだ時間があるので、伝説の喫茶店「ラドリオ」でお茶することに決めた。
大通りとすずらん通りの間にある狭い露路のデコボコの石畳に足を踏み入れると、突然50年前の自分が思い出されて、懐かしいというより不思議な気持ちに襲われた。露路の突き当たりは三省堂の裏口、左側に赤提灯の飲み屋、軽食のチャボ、珈琲ミロンガ、その隣が森谷さんの昭森社。左側に富山房、喫茶ラドリオと並んでいる。昭森社は、私が大学を卒業して、昭和43年3月アキラと結婚するまでの1年間通った出版社。森谷さんは、私たちの結婚式に参列してくださり、その1年後の昭和44年3月71歳で、旅立たれた。
私の手元にある森谷さんが戦前から亡くなるまで出版し続けた雑誌「本の手帖」の、没後出版された別冊「本の手帖」森谷均追悼文集を読むと、堀口大学、西脇順三郎、埴谷雄高、里見勝蔵、安西均、田村隆一、草野心平、大岡信、折目博子、高田俊子、多田智満子・・・戦前から戦後、昭和の時代にキラ星のように活躍した多くの作家、詩人、芸術家たちが心から森谷さんに感謝し、哀悼の言葉を寄せている。今ではその多くが旅立たれたが、今日でもなお輝き続けている。
森谷さんがガンで日大病院に入院していると知ったときすぐに私はお見舞いに行った。布団の上に、ゲラ刷りや原稿をいっぱい置いて「本の手帖」の校正をしてらした森谷さんは、私の顔をみると、鼻眼鏡の奥から、いつものおおきな眼をニコッとさせて「遠くから来てくれてありがとう。喉が乾いたろう。これを食べなさい」とナースが持ってきたおやつのアイスを私に差し出した。それから「さあ、おしごと、おしごと」と面白おかしく、茶目っ気たっぷりの言い方で言うので、私は思わず「プゥ』と吹き出してしまった。まだまだ、私は子どもだった。
森谷さんは、詩を愛する前に詩を愛する人を愛し、芸術を愛する前に芸術を愛する人を愛した人だ。当時の私は、不覚にも、森谷さんの、深くおおきく暖かい芸術宇宙の片隅で、無意識に心地よく、ふわふわと眠っていたようだ。
そして、先日50年振りに、狭い露路の中程の2階にある窓(当時その窓のところに私のデスクがあった)を見上げた時、森谷さんの優しさが、ふと私の体を通り過ぎた。もう直き私は73歳。森谷さんのこの世の歳を越えて、やっと目覚めてきたのだろうか。
「久子クン、まだまだ駄目だよ。こちらの世界はもっと大変」と嬉しそうな森谷さん。
どうぞ、どうぞ、お酒をこよなく愛する森谷さん。そちらで、たくさんの詩人、芸術家と、心おきなく酒宴を愉しんでいてください。やっと目覚めてきた私です。もう少し、広く世の中のことを目に入れていきたいと思いますので・・・・。まっていてくださぁ〜い。
春の訪れ
「須賀敦子の手紙 1975-1997年 友人への55 通」を読んだ。須賀敦子さんの私信がそのままの形(便箋、絵葉書、AEROGRAMME、美しいお菓子の包み紙、切手etc)で印刷されていて、友に語りかける言葉がブルーブラックのインクで、会話をしているように、呼吸するように、流れるように、美しく、綴られている。
読書のこと、仕事のこと、草花のこと、日々の生活のこと、嬉しいこと、悲しいこと・・・よもや一冊の本になって多くの人の目に触れるなんて、生前の須賀さんは思ってもみなかっただろう。
「須賀敦子さぁ〜ん、彼方の世界から見ていてくださぁ〜い。『国は病みつづけけていますが・・・日差しが春の訪れを知らせています』とあなたに書いた詩人の言葉に、ふとイタリアの南の野に咲きはじめるプリムラ想い出したと、お書きになったのは、1997年2月18日の2回目の癌の化学療法を受ける前日の手紙でしたね。そしてその1年後の春、あなたは旅立って行かれました。
今日は、2017年1月27日金曜日です。世界は病みつづけていますが、日差しは春の訪れを知らせています。昨秋家の庭に植えた球根の芽が、緩んだ霜柱の間から世界を覗きはじめました。もう直ぐ春がやってきます。では、つつがなく」
雪の翌日
昨日、東京に雪が降った。11月の東京の雪は、実に50数年振りだそうだ。そして今日、初冬の透明な青空に太陽が輝いている。11月25日はアキラの73回目の誕生日。
Tomb la neige
ゆきぃ〜はふる〜〜 あなたは こないい〜〜
アダモの「Tomb la neige」をアキラが舞台で踊ったのは、いつのことだったけ。確か40年ぐらい前の12月、もうじきクリスマスというので、我が3人のわんぱく小僧たちは、サンタさんが何を持ってきてくれるか、日がな一日お祈りしたり、いい子になったり、大賑わい。そんなお祭り騒ぎのようななかで、アキラはひたすら、迫り来るソロ公演の作品創りに没頭。ついに衣装が決まらず、本番の日の朝を迎えた。えい、これでいこう!とアキラが選んだのは、いつも着ている膝が抜けかけよれよれのコールテンのズボンととっくりの黒のセーター。つまり、普段着。
いつものカサイさんがそのまま、当時有楽町にあった第一生命ホールの舞台に現れ、アダモを踊った。
舞踊評論家の故市川雅さんが、その踊りをとても喜んで「なんと笠井は膝が抜けたコールテンのズボンで登場したよ」おかしそうに、笑って言われたそうな。
背水の陣の普段着も、聞くところによると、結構評判が良かったらしいので、ひとまず安心。
ところで、アダモとアキラはともに1943年11月生まれ。しかも、アキラの大好きなシチリアで生まれたそうだ。
Tomb la neige
Tu ne viendras pas ce soir
・・・・・・・
時が過ぎても、雪が降るとアダモの歌声が聴こえる。
哀しく、切なく、恋人を想う歌声。
歳はとっても、いつまでも心はロマンティストでありたいなぁ〜。
雨あがりの散歩
2、3日前の夕方、日がな一日降り続いた雨があがり、湿気を含んだ蒸し暑さの中を、アキラと散歩に出掛けた。空一面に広がった灰色の雲の向こう側が、地球の陰に隠れようとしていた陽の光に照らされて、灰色の空一面が一瞬ピンクに染まり、次の瞬間、仄かなピンク色は消え失せ、再びグレイの空に変わった。気がつくと辺りはもうすっかり夜になっていた。
9月も残り3日。今日もどんよりと曇り空で蒸し暑い一日。秋は何時来るのだろうか。
もう私の眼は、陽の當っているあの丘に行っている、
まだ踏み出したばかりの道に先立ち。
すると私たちの掴むことのできなかったものが、
あざやかな姿を浮かべて、遠くから私たちを掴む―
そして私たちがそれに達しないうちに私たちを
殆どまだ自分でも気付かぬ私たちへと変えてしまう。
私たちの合図に応じて彼方からも合図が来る・・・
だが私たちはただ吹寄せる向かい風を感じるばかり。 『散歩』リルケ (高安國世訳)
来年100歳になるキミコさんのお話
来年5月に、目出度く100歳を迎えるアキラのお母さんのキミコさんは、毎日朝と晩、今住んでいる老人ホームから私の携帯に電話をして来る。
「ちょっと、お声を聞きたくて。ここではお友だちがいないの。何時来て下さる?えっ?何日?私、ダイアリー(キミコさんはカレンダーのことをダイアリーと言う)を持っていないから、日にちが分からないの。今度来る時、ダイアリーを持ってきて下さる?それと、甘いお菓子。見つかると取られてしまうから、あなたのポケットにそっと入れて。それから、私の部屋のずっと向こうに、オーケストラの人がいて、その人と話すのがとても面白いの。私はマーラーが好き。だからマーラーの話しをするのよ。ウイーンに行った時、私マーラーの家に行ったの。彼が作曲するときの机を触ったわ・・・・。私の部屋から、大きな木が見えてとても美しいわ。それであなたは今どこ・・・?私ひとりで彼の部屋に行ったの。静かでステキなお部屋。繪が飾ってあったわ・・・」と脈絡のない話しに「そうね。この次はダイアリーを持って行くわ。一口羊羹をポケットに隠してね。待っててね」と私は返事をする。
そして、大きな羽飾りのついた帽子を冠り、世紀末のウィーンの街をグスタフ・マーラーと腕をくんで歩く淑女を夢想するキミコさんを想像する。今や、半分イメージ世界の住人になったキミコさんは、時空を超えて何処へでも飛んで行く。キミコさんの携帯電話のおしゃべりはつきない。
イマジネーションの力は、素晴らしい!!
いつも思うこと
東京国立近代美術館に行く道すがら、いつも思うことがある。国分寺から中央線で中野まで、中野で地下鉄に乗り換えて竹橋まで、とすこぶる快適な直線コース。ところが地上に出るまでの階段の、あとわずか2、3段という所で、手すりが突然なくなる。そこまでふうふういいながら階段を上って来て、はてどうしたものやら、と困ってしまう。頸椎や足首の固定手術を受けたおかげで、バランスが極めて不安定な私にとって、階段の手すりがあってこそ、ひとりで美術館に行けるというのに。たった50センチほどのことなのにケチだな、といつも思う。
ついでにもう一つ。京王線の初台駅から新国立劇場の小劇場に向っていた時、後ろから大勢の人が押し寄せてきて、手すりにしがみついて階段を上っている私の脇を、足早に駆け上って行く。大劇場の開演時間が迫っているようだ。「ああ、せめて地下から地上に出られる身障者用のエレベーターがあったらいいなぁ、恐ろしい思いをせずに、楽しく観劇に向えるのに」といつも思う。
育世さんの「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。
1週間前、黒田育世さんの新作公演「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。チラシの墨絵のように、育世さんの脚がギューンと天に向かって弧を描き、カラダの内から音が聞こえ、色が現れ、花が咲きはじめ、微風がそっと吹き抜け・・・無音の空間が、いつの間にか、人間の温かさで満たされていた。心地いいのでずっと観ていたいなぁ、と思った。
昨日でオイリュトミーシューレ天使館の夏休みも終わり、2学期が始まった。
そして、マリアピアが、9月の半ばまで、一緒にオイリュトミーの授業を受けるためにローマからやって来た。彼女は、自ら一年かけてローマ在住の日本人ダイスケさんと共に翻訳し出版した「UN LIBRO CHIAMATO CORPO」(「カラダという書物」イタリア語版)を持ってきてくれた。初めにマリアピアの挨拶文があり、舞台写真、索引も含めると259頁に及ぶ大著。でも、悲しいかな、私はイタリア語が読めない。ゴメンナサイ。
マリアピアは「アキラサンノカンガエハ、イタリアジンニハ、アタラシイデス。ムズカシイ。デモ、トテモオモシロイデス!!」と面白そうに微笑んだ。その大きな黒い瞳の眼差しは、温かく魅力的で、十数年前に出会った時と少しも変わらない。何時でも何処でも、若い彼女が、私を心地よく包んでくれるのだ。
Grazie Maria Pia D’Orazi!!
暑い夏の日に
毎日の新聞で、ちょっと気になって切り取った記事が箱一杯に詰まっているので、思い切って大学ノートに貼付けてスクラップブックを作ってみた。その中の2006年10月7日の朝日新聞夕刊に、米国ペンシルベニア州にあるアーミッシュ=キーワード=の学校で、銃で撃たれて死亡した5人の女児の埋葬の記事があった。
「『私から撃って下さい』。亡くなった中で最年長だったマリアン・フィッシャーさん(13)は、教室に残された10人の女児を容疑者が撃 つつもりとわかったとき、そう進み出た。」マリアンさんの妹バービーさん(11)も、姉に続いて「『その次は私を」』と続けたという。2人は、より小さな子どもたちを助けたい一心だだったという。」
”事実は小説より奇なり”とは言うけど、でもねぇ〜・・・などと思いながら、セピア色に変色した新聞の切り抜きを、とりあえず大学ノートに貼付けた。
ダンサーによる、批評視座
ダンサー主義と作品主義
ある辞書で「ダンス」という項目を引いてみましたら、「意識された人間の身体運動」、という言葉に出会いました。誰が書いたものかわかりませんが、これほど簡潔に「ダンスとは何か」を言い表した言葉はないかもしれません。ダンスには様々な形態があり、民族舞踊、古典舞踊、伝統芸能、、祝祭ダンス、、即興的な踊り等、そしてさらに歴史的な意味では、古代に戦争を始める前に執り行われた戦争ダンス、死者のためのダンス等、様々な形態があります。それらに共通しているのは、ダンスは何らかの形で「意識された身体運動」という要素があるということです。外側から見た場合に、ダンスは様々な視覚的な形態の違いというものは,明瞭に見て取れるわけですが、そのような感覚的な領域からダンスを考えるのとではなく、ここでは、ダンスに共通している要素として「意識」を挙げているわけです。
このようなダンスのとらえ方は、ダンスを行う側の立場から考えられたものです。それはダンスを成立させる人間の最も根源的なあり方と結びついております。そのようなダンスのとらえ方は、カラダと意識の結びつき、カラダと意識の関わりというところにダンスの本質というものを、捉えます。けれども、このことはダンスを行ってる本人にとっては、重要な問題ですが、意識それ自体は、外側から眼に見えるものではなく、カラダの内側からのみ体験され得ることですから、そのようなダンスの見方は、ダンスを行う側から、生じることになります。そのようなダンスのとらえ方を、ここでは「ダンサー主義」という言い方をしておきたいと思います。
一方、ダンスというものを外側から視覚的に眼に見る対象としてとらえ、そこで生じる様々なダンスの現象的な側面や、民族による違いや、歴史や言語による違い等から、ダンスの本質に迫る捉え方があります。ダンスの動きを外側から創造していく方法は一般的に振付とか様式と呼ばれています。振付や様式はダンスを意識とカラダの結びつきより以上に、目に見える具体的な動きと形を問題にしており、それらを中心として、ダンス全体を作り上げていくようなものを「作品主義」という言葉で表してをおこうと思います。広い意味でヨーロッパの古典バレエや日本の伝統的な舞踊、創作舞踊等は作品主義という範疇に入れることができます。
もちろん、このような分け方は、どこまでも便宜上ものであって、一つのダンスは、ダンサー主義的な側面と作品主義的な二つ側面は、深く結び合って形成されています。意識とカラダの結びつきを観察しながら、動きを形成していくやり方は主として即興的な運動形態をとりやすく、そのような意味において、ダンスは常に即興と振付の二つの要素があるわけですから、両者は常に一体であると、言わなければなりません。たとえどれほど厳密に指先の細かい動きまで、或いは呼吸の取り方、まばたきの仕方においてまで振付られたとしましても、その振付が振付家からダンサーに委ねられた瞬間に、必然的にその振付の中には、ダンサーの即興的な要素が、つまりダンサー主義的な要素が加わって参ります。そしてこのことは、即、ダンスの二つの方向性に関わっていることです。
ダンサーがスタジオの中で、「見せること」を前提にせずに、ひたすら自分自身のために動くと時、観客というものを前提にすることなく、自分自身のため、或いは特定のグループや或いは祭的なダンスにおけるように、「踊ること自体」が重要である時、「見せること」は二次的な要素になります。ここでは第三者的な或いは客観的な批評家的な視点を一切前提にしないで、ひたすら自分自身のために動くわけです。けれどもそこに全く批評的、客観的な第三者的側面がないわけでは決してありません。
踊ることそのものは、常に意識と運動の関わりを形成しているわけです。この結びつきは決して単一のものではなく、無限のバリエーション、結びつきがそこに存在し、この二つのものの、結合のあり方を形成していくことそのものに、ダンスのありようを求めるならば、そこでは全く観客というものを必要としません。ひたすら自分自身がこの結びつきを様々な側面から形成してゆくことが求められているからです。
それに対して、「見せることを前提」にするダンスとは何でしょうか。このことは、即ダンスが作品主義的になるということではなく、「見せること」を前提にしながらも、ダンサー主義という、意識とカラダの結びつきの方向性でダンスを形成し得ます。それでは両者が違いとは、一体何なのでしょうか。見せることを前提にしない場合と見せることを前提にする場合において、その意識とカラダの結びつきにおいて、何が変化するのでしょうか。それは意識の中に、全く別の意識、すなわち10人の他者がいるならは10の異なったり意識が、100人の観客がいるならば、100の異なって意識がそのダンサーの中の「意識と運動」の中に入り込んでくるのです。このことは見せることを前提にする作品主義的踊りにおいても、全く変わりません。ある一つのコンセプトや美意識や時代意識に基づいて、外側から構成され、振付られた作品においても、それが、不特定の他者の前で踊られた場合、必然的にそこに「意識と運動」の中に、他者の意識が介入してきます。
そのとき、ダンサーの中における他者の意識のありようは、ダンサー主義と作品主義における場合においては、全く異なっています。その違いを次のように表すことが出来ます。
ダンサー主義的舞台においては、1人のダンサーは、自分の意識を観客全体に広げていかなければなりません。その時、ダンサーの踊る場は、観客の「心の中」なのです。それに対して、作品主義的舞台においては、すべての観客はダンサーが踊っている舞台の上に引き上げられ、観客という他者が、踊ってるダンサーの心の中に招き入れなければならないのです。ダンサー主義的舞台においては、客席空間が舞台になるのに対して、作品主義的舞台においては、客席が舞台空間に引き上げられるのです。
ダンサー主義的舞台においては、ダンスの主体は次第次第にダンサーから観客という不特定の他者に移行して行き、ついには、ダンスの主体が観客になるのです。作品主義的舞台においては、全観客は、ダンサーの心の中に自分の場所を見出を出しているのです。
今述べたことは、かなり抽象的ですので、次に私の個人的な経験から、このことを述べてみたいと思います。私は自他ともに、かなりダンサー主義的なダンサーである、と言えるのではないかと思うのです。実際、2015年まで多くのダンサーには振付という、作品主義的な関わりを持ってきましたが、自分自身のダンスに関しては、1966年のデビュー・リサイタル以降、振付作品を踊った経験は数度しかなく、この50年間、全く舞台上においても、スタジオ内での即興的な動きの延長として、踊ってきました。ダンサー主義的な即興を徹底した作品においては、事前に決まってるのは劇場と始まる時間だけで、用いる音楽(当時はレコード使用がほとんどでした)を、その当日、出かける直前レコードボックスの中から選び、同じように衣装ケースの中からその日の気分によってに衣裳とそれに合った照明を劇場についてから決めるという具合でした。もちろん、今日の劇場を用いてのダンス公演においてそのような事は全く成立しません。すべて事前に決められた照明プランに従い、舞台監督、音響担当がいて、公演前から何度も繰り返されるランスルーやゲネプロがあり、でたとえそれが即興的な舞台であったとしても、大まかな方向は外側から決定されていなければ、公演そのものが成り立ちません。以前のように徹底した即興によるダンスにおいて、舞台上でダンサーに要求されるのは、自分自身の内的な深みの中からやってくる様々なイメージや直感をカラダと結びつけながら、動きを形成していくということです。そこで観客を前提としてないスタジオや稽古場内の動きと、舞台上の動きの唯一の違いは、どこまで観客意識の中に入り込んでいかれるか、ということです。意識とカラダの結びつきというダンスの原点において、意識がどのように人間の中で生まれるのかということは、深い謎でもありますが、いずれにせよ、舞台上で要求されるのは、自己の内部の意識の糸をたどって、観客の意識の中にまで入っていくことなのです。自分自身が踊る主体であることを止め、観客の意識が踊りの主体であるところにまで、その結びつきを深めていくこと、といえます。コンテンポラリーダンスを「同時代舞踊」というならば、この「同時代の現場」とは、まさに「観客という現場」なのです。ダンサー主義とはこのコンテンポラリーの現場としての観客の心の中に入っていく作業であり、そこで掴み取ったものを動きとして、目に見える形で提出するのです。観客の心の中に生じているものは、すでにコトバを超えた何ものかですが、同時代認識とは、この言葉を超えたものを直感的に掴み取り、それを「動き」にするです。ですからダンサー主義とは、どこまでも観客がダンスの主体です。世阿弥が伝書の中で言う「客席を読む」というのは、ダンサー主義の根本です。
個人的に私はこの方向において、1966年から約50年間、ダンス活動を行ってきたのは事実です。そしてこの方向でダンスが成立することに対して疑いを持ったわけではないのですが、このたび、2016年の2月初めて、「セルフコレオグラフィー」という手法を用いて、ソロ公演を行いました。音楽はフランツ・シューベルト作曲、ヴィルヘル・ムミューラー作詞による歌曲「冬の旅」全24曲です。歌手フィッシャー・デーィスカウの1985年度録音盤。これは私にとって、初めての作品主義的な舞台でした。24曲に対して、自分自身に24のコレオグラフィーを与えるわけですが、そもそもコレオグラフィーというのは、身体運動というものを、「客体」として眺めることができるとき、初めて可能になるものです。振付家がダンサーに動きを与えることによって、外側から初めて「運動」を客体として見ることができることによって、成立するものです。という意味において、セルフコレオグラフィーなどというものが、果たして可能なのかどうかということは、私自身疑わしく、やってみなければわからないという感じで舞台に臨んだわけですが、結果としては、自分自身の中にダンサー主義とは全く異なった空間がそこに生まれた体験がありました。
このことを少し詳しく、ここに述べておきます。
振付が主としてパの組み合わせによってなされるクラシックバレエ以外の場合、振付が生まれる瞬間は即興です。振付家が自分自身で見ることのできない、その即興的な動きを、振付として他のダンサーに移し、そのことによって空間の中に「動き」が客体として固定されることによって、初めて振付空間が現れてきます。ところがセルフコレオグラフィーの場合には、そのような意味で「動き」を客体として空間に固定する事ができないのです。にもかかわらず、作品主義は「動き」というものを外側から形成して行く必要があります。その意味ではセルフこれグラフィーというのは、一つの矛盾した状況を担わなければなりません。即興ダンスは即興で生まれた「動き」をそのたびごとに捨てて行き、新しい動きを生み出すことですが、セルフコレオグラフィーは、即興で生まれた一つの動きを、1回で捨てることなく、2回3回4回と繰り返すことによって、少しずつ動きが空間の中に固定されていきます。けれども、そのことによって動きが、一つの客体になるわけでは決してないのです。セルフコレオグラフィーは、「客体化された動き」とは全く別種の客観性を生み出さなければ成立し得ないのです。今回の場合、セルフコレオグラフィーのために、非常に長い準備期間を必要としました。それは24曲の振付を覚えるということより以上に、この別種の客観性を生み出すという作業のためです。それはダンサー主義的な、自分自身の内面から立ち昇ってくる無意識や記憶や思い出や感情と動き結びつけだけでは、成り立たないからです。ダンサー主義的な意識と動きの結びつきとは、自分の内面の核のようなものから皮膚を突き抜けて身体の外広がっていく、意識と動きの結合です。この遠心的な意識に対して、セルフコレオグラフィー とは徹底的に求心的に外側からやってくる「未知のイマジネーション」を受容しなければなりません。そもそも、ヴィルヘルム・ミューラーの「冬の旅」の詩イメージは浪漫主義的な「冬景色」、「凍結した小川」、「雪や嵐」、「銀色の霜」、「凍れる 涙」、「冷たい水の流れ」等です。ですからフランツ・シューベルトの音楽を通して流れてくるヴィルヘルム・ミューラーの詩的イメージというのは、ある種の日常的な具体性を伴うイマジネーションです。このように他者のイマジネーションと音楽を振付ること自体は、作品主義的な方向に歩み出しているにもかかわらず、その「冬の旅」という具体的なイマジネーションが私個人のイマジネーションと結びついている限り、それらの詩や音楽は、私個人の意識と動きを結びつけるための素材でしかなく、そこから「客体として存在する外的な動き」という客観性にまでには至りません。
すでに知られている事実ですが、このヴィルヘルム・ミューラーの「冬の旅」という詩は、一連の錬金術的なアレゴリーであり、この宇宙によそ者としてやってきた人間が、この物質世界で様々な錬金術的な意識の変容を経験して再びこの宇宙を去っていくという、それは西洋の伝統的な秘教主義的アレゴリーに満ちており、「冬の旅」は単なる叙情的なものであるより以上に、物質の変容を伴う人間の意識の変革を扱っています。その象徴的な言葉は第23歌のこのフレーズです。
Will kein Gott auf Erden sein,
Sind wir selber Goetter.
「この世に神が存在しなければ、我らが自ら神となる。」
このような錬金術的な具体的な生きたイマジネーションが現在の私の体の中に存在するわけではなく、それは未知のものとして外側から、ある一つの可能態として降り注いで来る「光」でしかありません。けれども、振付における「客体化された動き」という外的な客観性に見合う、もう一つの客観性を形成しようとする時に、単なる外的客観性ではなく、すべての人間の主観性を超えたもう一つの客観性に向かわざるを得なくなります。しかもそれは宗教的な次元ではなく、芸術の領域における、このすべての人間の主観性を超えた客観性です。具体的にこの作業を、「冬の旅」において私は次のように方向から、取り組みました。
それは、振付の中を流れる意識といしてのマジネーションを、どのよう私個人の記憶やイマジネーションから解放して形成していくかという点に尽きます。
第1歌の「扉」は、この世とあの世の間の門
第2歌の「旗」は、「魂の風」
第3歌の「涙」は、物質と魂の間の「反物質」
第4歌の「雪」は、「霊化された石」
そして、第23歌の「幻の太陽」では、「太陽処刑」等
半年に及ぶ振り付けの練習とは、動きの練習では、なくこのような個人を超えたイマジネーションと動きの結びつきというところに集中していたと思います。それはダンス作品が、新しい「宇宙の庭」を創造するという感じです。今回の3回の東京芸術劇場シアターイーストでの舞台上での経験は、これまでのダンサー主義的なものとはかなり違ったものでした。それは、自分が客席へ降りていくというより、すべての観客を舞台の上に乗せ、そしてこの新しい「宇宙の庭」を共有したいという想いです。
ダンスにおけるカラダ
ある公演演後のトークにおいて、1人の演出家と演劇におけるカラダと、ダンスにおけるカラダについて語ったことがあります。その時、その演出家はダンスにおいても演劇において、カラダそのものは共通の要素であり、この共通のカラダを基盤として、演劇はカラダがコトバと結びつき、、ダンスにおいては、カラダが「動き」と結びついているという考えを披露しました。このことは、先に述べた作品主義という観点から考えるならば、そう言えるでしょうが、すべてのダンスが作品主義ではないという意味においては、この演出家はダンスを作品主義としてだけ考えているのではないかと、思えたのです。しばしば作品主義や演劇において、カラダを単純に「表現の道具」として捉える傾向あります。それはスタニスラフキー演劇等に顕著な傾向ですが、身体を一つの、最終的には物質と捉え、感情や意識や本能的衝動等は、その物質である身体の中から生じたもの、精妙な神経組織の放電作用の中から生まれたものと捉えています。そのように考える限り、ダンサー主義的な演劇、ダンサー主義的なダンスは決して生まれません。ダンスを「意識された運動」、或いは意識と運動の関係性の中から成り立つと考えましても、そこにおいて意識は運動と関係性を持ち得ません。何故なら、意識そのものが、初めから物質であるカラダから生じているからです。それは、「海の水が辛い」のは、そこに塩分があるからではなくて、「水そのものが辛いのだ」と言っているのと同じでしょう。意識が物質から自律した存在性を有しているという事を感覚しない限り、ダンサー主義或いはカラダの本質には、決して至らないと思います。とはいえ、意識が物質から自律しているという実感に至るのは、それほどたやすいことではないのかもしれません。なぜなら西洋哲学史においても、何百年とこの問題についてけんけんガクガクと討論してきたわけですし、現在の脳科学においてでも事情は全く同じです。けれどもダンサーがダンサー主義の側に立ちますと、単純に次のように発言するでしょう。「私は<カラダで何が出来るか>ということよりも<カラダが何か>ということの方に、どうしても情熱が傾いてしまうのです」と。
<カラダで何が出来るか>を考えるならば、それは生きることのすべてでしょう。社会生活を行い、学校に行き、勉強し、スケート、スキーをし、ダンスをし、スポーツをし、喰いたいもの食べる、これらすべてが<カラダで出来ること>です。けれども<カラダが何か>という問に向かいますと、人間は「脳が脳について考える」「カラダがカラダを感じる」という、途方もない「迷宮」を引き受けなければならなくなります。言葉や思考の領域だけで、この迷宮の中に入り込むと、永遠にさまよい続け、深淵の中に落下して行き、ついには、ニーチェ的な狂気に至ることになります。人間はカラダに外部から関わっているのではなく、その内部から関わっています。つまり自然科学のように、物質に外部から関わっているのではなく、物質そのものの内部に入り込んでいるのです。だからダンサー主義が成り立つのです。意識とカラダの結びつきとしてのダンスが生まれるのです。そしてこの「物質の内部」に入ることのできるものは、決して物質でありません。物質以外の何者かです。それを「意識」と呼んでいます。物質が意識を生み出したのではなく、意識が物質を生み出しているのです。そのような意味では、世界は意識一元論と言っていいはずなのですが、現実には、世界はその逆転した姿を私たちに示しています。このことを痛く感じているのが、ダンサーです。カラダは内側から捉えられた時と、外側から見られたとき、あるいは、世界はその内部から観られた時と、その外側から見られた場合は全く正反対の姿を、人間に見せているからです。世界を内部がら眺めるならば、人間は「肉体」を有してのではなく、「肉体意識」だけを有していると言わなければなりません。ダンサー主義においては意識がどのように、またどのような身体運動を生み出すかというところに、全エネルギー、全感覚が集中します。カラダが意識や諸感覚を、どの様に舞台上で現わすのか、カラダがどのようにダンス生み出すのか、という事にすべて意識を集中します。ダンサー主義は、意識の様々な形態によって変容していく身体のありようを提示しているのです。それはカラダで何かを表現しているのではなく、カラダそれ自身です。
鉄素材を用いて、彫刻家は様々な作品を作り出すこともできますが、その時、鉄という素材を生かすことそのものが作品性を決定しています。その意味ではダンスにおいては、素材性と作品性が完全に融合していて、それを分離することができません。ダンス作品はこのカラダの素材性そのものの内部から常に現れてきます。
このことは、ダンス作品を他の芸術作品から隔てる大きな特徴といえます。素材性と 作品性が融合しているということは、ダンスにおいては、「作家が作品である」ということです。作品を作家から引き離すことができないのです。
クラシックバレエのすべてのダンス技法は、この主体即客体というダンスの原則から、ダンサーを引き離し、ダンスをカラダから自律させるための技法といえます。それにより、クラシックバレエにおいては、振付とダンサーは厳密に区分けされ、ダンサーが作家即作品という方向でダンスにかかわらずに済むように、完全に振付家が外側からダンサーに結びついています。音楽家と振付家とダンサーが完全に分離しているということは、近代バレーの一つの原則でした。そのような時、1人のダンサーに中において、ダンサー主義はどのようなあり方をしていたでしょうか。その時、ダンサー主義は四つの「ドデス」と完全に一つに結びついていました。「ドデス」とは、カソリック教会において、神性と結びついた信者が神から与えられる「四つ聖性」のことです。
光輝性
敏捷性
無重力性
受苦不能性
この四つの ドデスはすべてのバレエダンサーがダンサー主義の極北として、ある時代まで受け止めていたと思います。ですから、作品主義的な近代バレエにおける批評はダンサー主義的な方向には向き得なかった、といえます。作品を支える個々のダンサーがこの四つの「 ドデス」をどのように体現しているか、に向かっているからです。
この四つの「ドデス」と結びついているダンサー主義が崩壊していたのは、大ざっぱに言えば、次のような過程を通してであるといえるでしょう。
*バレエリュスとニジンスキー バレエの中に作家即作品というダンサー主義の始まり
*イサドラ・ダンカン バッハ、ベートーベン、ショパン等の純粋音楽とダンスの結び
*ルドロフ・フォン・ラバンとメリー・ヴィグマン モダン・ダンスと表現主義
*マーサー・グラハム アメリカのモダン・ダンス
*カニングハム等のポスト・モダン
このような流れの中で極めて重要なのは、土方巽の出現です。彼は1960年代以降、東京中心に活動を始めましたが、彼の行ったことは、ダンサー主義であれ作品主義であれ、ダンスの根源に関わる変革を行った人物です。土方巽が自分の作品の中に障害者、病人、犯罪者、死刑囚、老人等、これまでダンス的なテクニックとは無縁と考えられているカラダから発する動作を、進んで自分のコレオグラフィーの中に取り入れたことです。そのことによって、それまでのタンステクニックの持つ意味が、解体したとも言えるのです。ダンスとダンステクニック、カラダとダンステクニックはそれまで深く結びついていましたが、土方巽の出現によって、ダンスはそのようなダンス技術から解放された、というよりも、それ以前のところに引き戻されたと言わなければなりません。つまり、動きそのものの根元にダンスが立ち戻されたのです。これまでのダンスの前堤が一度、御破算になり、その時ダンス零年が始まったともいえるのです。もちろんそのことによって、それまでの様々なダンスの流れが消滅するわけではありませんし、土方巽の行ったことは、彼自身のダンス個人史に即して考えるならば、その動きの根元から、新しい身体様式が始まったことも事実です。しかし他のダンサーがその動きの根源に戻ることなく、そこで生み出された土方巽の「新しい様式的な動き」だけを受け取るというのは、それほど重要なことではありません。ダンスが前堤なのではなく、「動くことそのもの」が一体何なのかというところに、そして人間のカラダはなぜ動くのか、動きはどこからやってくるのかという、ダンサー主義の根本に今、ダンスが立っているからです。
ダンス・暴力・戦争―時代感覚
美術史家で東京芸術大学教授である伊藤俊治氏が、写真家の高橋恭司氏の写真集である。「津津と・・・異本ザ マッド ブルーム オブ ライフ」に次のような文章を寄せています。
「人間が世界を夢見ているのではなく、世界が人間を夢見ている。
写真は時としてそのような転移と変換を強く感知させるスクリーンになる。もしかしたらカメラは人間が世界からその存在の輪郭をそっとなぞられる道具なのかもしれない。世界が人間という淡い意識を瞬間的に夢見る媒介がカメラであり、その夢見られた印が写真となる。」(2012年)
この文章の「写真」という言葉を「ダンス」に、「カメラ」を「カラダ」に置き換えると、「世界」と「ダンス」と「カラダ」の係わりが、次のように浮き彫りにされてきます。
「人間が世界を夢見ているのではなく、世界が人間を夢見ている。
ダンスは時としてそのような転移と変換を強く感じさせるスクリーンになる。もしかしたら、カラダは人間が世界からその存在の輪郭をそっとなぞられる道具なのかもしれない。世界が人間という淡いに意識を瞬間的に夢見る媒介がカラダであり、その夢見られた印がダンスである。」
「私」という主体がこの世界の中で、「生きている」或いは、ひょっとしたら「夢見ている」という習慣的な感性に対して、世界が人間を夢見ているとするなら、戦争も殺人も社会生活も、すべての歴史の総体は世界が夢見ているスクリーンであると言えます。この時、ダンスが存在する理由は、人間をして、「私」という主体の奥深くに「世界」というもう一つの主体が存在し、それが単なる想像ではなく、「人間の動き」という、ひとつの現実としてそれを掲示することなのかもしれません。世界が歴史の主体であるという考え方は、プラトンのイデア論やヘーゲルのイデア哲学の永遠のテーマですが、この真の現実をリアルに人間が感じ取ることは、ほとんどありません。東日本大震災のような、人間の力を超えた巨大な自然力を前した時、ふと予感されるようなものです。ダンスはしばしばこのような世界意志を、身体運動という「出来事」の中に生じさせます。この「出来事」というのは、単なる現象的表れでなのではなくて、その瞬間に目に見える形で「世界が出現する」ということです。その歴史の主体としての世界が出現するためには、人間を通過するのではなく、カラダを通過し、カラダによって、世界の輪郭がなぞらえられることによってです。
「世界が人間という淡い意識を瞬間的に夢見る媒体がカラダであり、その夢見られた印がダンスである。」
歴史は一つの原因に対する結果が機械的に生じているのではなく、常にこの不可視の世界という主体意志が働いてるとするならば、その現場はカラダなのでしょう。ダンサーはこの言葉にならない世界意志を言葉にならない「「身体運動」という動作言語として語ります。ですから、どんなダンスの内部にも、時代意志というもの存在しており、それは踊っているダンサー本人にも全く気づかない形で空間の中に流れていきます。ダンサーは、人が自分の顔を一生眺めることができないように、自分自身の踊りを外側から眺めることは、決してできないのです。ですから、ダンサー主義的であろうと作品主義的であろうと、どのように世界が人間を夢見ているのかという内実に、ダンサー自身は直接触れることができません。ただそれを提出するだけなのです。野に咲く花がどれほど美しくとも、その美しさを知ることができるのは、人間だけであって、花自身は永遠にその美に触れることができないように。ダンサー自身は世界によって夢見られたその内実に触れることはできません。劇場とは、他者がそれを読み取る場であり、舞踊批評が存在するのは、ただ、この一点につきます。
障害者、病人、犯罪者、老人、子供、幼児そして、動物・植物・鉱物自然界のすべての動作がコレオグラフィーの対象です。つまり、動きの中に美醜、善悪、高等下等が無いのです。病院の中に、介護老人施設の中に、収容所の中に、死体置き場にこの世界意志が流れています。今日一冊の本を「書く」よりも1冊の本を「読む」ことの方がより重要な時代です。著者は常に一方的な想い、一方的なイマジネーション一面的な表出から自由ではありません。けれども、「読む」というのは、そのような個人性から離れて、自由にそれを読むことができるはずです。しばしば、著者にも読み取ることのできないものを、読者は読み取ることができます。このことはダンスにおいても、いえます。今は「踊ること」よりも「観る」ことの方が、ずっと重要です。そしてどんな「動き」からも最高の感動と美と世界意志を読み取ることができるからです。どんなつまらないダンス公演でも、そのカラダは時代意識を呼吸しています。たとえ、そのことを踊ってるダンサー自身が全く無意識であり、気がつかなくても、そのカラダから世界を「読む」ことができます。どんな暗号解読表にも載っていないダンサーの動きを、読み取る意志が必要なのかもしれません。
一方、「沈黙の動作」としてのダンスは、常に暴力に変化する可能態を有しています。そして事実、今日カラダは、たやすく暴力の道具と化しつつあります。戦争や殺人行為が自己表現になっているからです。世界がカラダを通して、暴力を夢見ているのです。その暴力性はいじめや無関心や差別意識や病的な甘えや功名心や不機嫌や虚栄心や独断や迷信や饒舌となって、世界と人間の橋であるカラダの中に浸透しています。この「透明な暴力」はたやすく戦争やテロの方向に流れて行きます。この傾向は単なる教育や道徳性や政治力によって、変えることができません。それは夢見る世界意志の中にまで繋がっているからです。外においては、他者のカラダを読み続けること、内においては、この透明な暴力性に立ち向かう、ダンスにおける個的な視座をもち続けたいと思います。
2016年 3月 17日
自爆テロは最終自己表現か 18
純粋な「祭り」としての太古の神聖戦争、それはほとんど今日文献としては、残っていないでしょう。けれどもそのような神々と人間との結びつきの中において行われた、この純粋な祭りとしての戦争が、まず人類の歴史の黎明に存在していたのです。天界の天火水地の中に占めるそれぞれの神々によって、地上の事柄が方向付けられます。いわゆる「神々の集会」です。けれども、そこにおいて、戦争という現象は生じません。そこにでは、一つの空間の中に無数の矛盾するものが共存し得るからです。けれども、この共存された空間の中にあるものを、地上に実現させようとすると、神々は人間に戦争を託すのです。なぜなら地上においては、決して一つの空間にはひとつの国、ひとつの神殿、一人の女性に対しては一人の男性しか結びつくことができないからです。例えば、これはすでに「キュプリア」等の文献の中で明らかにされているように、トロイア戦争はまず、神々の集会において、次のような決定がなされたことによって生じた、と述べられています。ゼウスの神は地上の人口があまりに増えすぎたために、それを調節しなければならず、そこで秩序の女神であるテミスと話し合いを重ねた結果、地上で戦争を起こさせ、そこで人間の大半を死滅させるに至らしめる決意をした、と述べられています。そこでどのようにこの戦争は地上において生じたかと言いますと、あるオリンポスの神々の婚儀の席に招待されなかった戦いの女神であるエリスは、怒って、この神々の座の中に黄金の林檎を投げいれ、この林檎を最も美しい女神に捧げるといいます。そこで、この林檎をめぐって、三人の女神であるへ―ラー、アテーナ、アフロディーテの間に激しい対立が起こりますが、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかを、地上のトロイアの王子パリスにゆだねるのです。これは神々による「演じられた悪」です。この「演じられた悪」におけるひとつのの林檎が、天上と地上の戦争の接点です。
天上で一つの林檎は神々に共有されますが、地上では、たった一人の人間しかそれを所有することはできないのです。そこでこの三人の女神は、それぞれパリスに「演劇的に」言い寄ります。へ―ラーは、パリスに世界を支配する力を、アテナはいかなる戦争にも勝利することのできる力を、そしてアフロディーテば最も美しい女性を与える、と約束するのです。パリスはこのアフロディーテの誘惑により、スパルタ王メネラーオスの妃ヘレネ―を奪い去って、トロイに戻ります。ギリシャのアカイア軍はヘレネ―を取り戻すために、十万の軍隊をトロイアに集結し、トロイ戦争が生じるのです。この戦争はその意味では、神々の人口調節の意図が戦争となって、地上に現れ、その間に、三人の女神の様々な「台詞」が飛び交います。これは神々と人間の両方において進められた戦争です。トロイ戦争の時代、神と人間は決して二元的に分離した存在ではなく、互いに心の中で、会話しながら生きていました。トロイ戦争は、神々と人間が一体となって行った戦争です。
けれども、このような文献としては残っていない、それ以前の神話的戦争においては、さらにこの神々と人間の結びつきは強く、そこにおいての戦争の勝敗はすべて神々に委ねられ、人間においては、全身でその戦いという行為に没頭するのです。いわば戦争はひとつの神々の意図を受け取るための、壮大な誓約(うけひ)なのです。勝利者には、その地に属する土地や財貨が与えられますが、それらの物的なるものが直接戦争の目的ではありません。結果としてそれを、人間は神からの贈り物として、受け取っているのです。これらの戦争においては両軍ともに、最前線のところで、始めに神声を発する女性軍団が神々からの言葉を受け取って戦争舞踊を舞い、その次に武器をとっての殺害です。この殺害は華々しい衣裳をともない、仰々しく残酷であればあるほど美しいのです。それは単なる殺害ではなく、「芸術化された殺害」です。
このことを考える上で私たちはまず、ジョルジュ・バタイユの戦争論について耳を傾けるべきでしょう。ジョルジュ・バタイユは戦争の本質は、政治的に勝つことのみを第一義的な目的とした暴力では決してなく、それ自身人間の本質であるエロティシズムの「祭りの側面」を有しているというのです。
「「クラウゼヴィッツは騎士道的伝統の軍隊に反対して、敵の力を容赦なく粉砕する必要を力説した。=戦争とは暴力行為であって、この暴力の行使は限界がないのである。=と彼は言う。全体的に見れば、このような傾向は旧派がいまだに郷愁を捨てきれずにいる儀式的な過去の時代から以後、徐々に近代世界において、勝利を占めつつあるといえる。」(ジョルジュ・バタイユ
著「エロティシズム」澁澤龍彦訳 二見書房)
確かに現代人が持つ戦争のイメージはクラウゼヴィッツ以降の政治的経済的な戦争のイメージで覆い尽くされています。そのようなイメージから古代的な、或いはクリシュナアルジェナ語ったような「祭りとしての戦争」は、深い無意識の地平の中に押しやられています。
自爆テロは最終自己表現か 17
祭祀において祀られるのは神であり、祀るのは、人間の側です。なぜならば、「祭り」は天と地との間の取り持ちであり、ここを祭ることができるのは人間だけです。このとき祀られる対象である神と結びついているプルシャと、祭りをとり行う側の人間にとってのプルシャのあり方は全く異なっています。プラクリティーに内在している天火水地の悪の可能態が四ヴァルナ制度によって、事実としての悪の変化し、そのことによって、戦争が無限に肯定された時に、人間はその高まりゆく暴力に対して祭ることのできる、もう一方のプルシャをまた人間の内部において、無現に積み上げていかなければならないからです。神々に結びついているプルシャは祭祀を必要としません。それは、プラクリティーと一体となっているプルシャです。その時、プルシャにとってプラクリティーが存在するかしないかは、問題ではないのです。ただ、そのプラクリティーは、プルシャを必要としています。そこには祭祀が存在しないからです。けれども人間にとって、知識の祭祀とはそのようなプルシャと一体となったプラクリティーを求める事ではなく、プラクリティーから流れ出る人間の殺人、戦争という暴力とプルシャを祭らなければならないのです。これは一体どのような意味でしょうか。
「クリシュナよ私は、判断を得た。私は疑惑を去り、確固としている。卿の言葉を私は実践しよう。」この言葉の具体的な内実は、戦争という暴力に対峙できる、プルシャのための祭祀が行われるということを意味しているのではなく、もはや一切の疑いを越えて戦争という暴力と自己を一体化することを意味しているのです。そしてこの戦争においてはもはや「勝つ」ということが目的ではなく、「戦争すること自体」に目的があるのです。すなわち、殺人や集団殺戮を行うことによって新しい領土を獲得することではなく、一切の行為の結果を捨てて、戦争という行為と自己が一体となることであり、それが祭りなのです。
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自爆テロは最終自己表現か 16
天界における天火水地の「悪の可能態」が、地上において四ヴァルナ制 という「悪の事実態」に変化するということが、戦争の始まりであり、歴史の展開です。そこから、後世のすべての地上の戦争が生じたのです。アルジェナが述べるように「自分は戦争を欲しない、人を殺したくない」と言いながら、神々は「もう神我としてのプルシャの中においてはー彼らは死んでるーのだから、お前はクシャトリアとしての使命に目覚め、歴史を前に向けて推進させ、勇気をもって人を殺せ」と言うのです。これが戦争の始まりです。この時、アルジェナはやはりクリシュナが言うように、人を殺害しなければならなかったのでしょうか。もし神々の悪の可能態を事実へと推し進め、そこで能動的に戦争への道を切り開いていくとするなら、その時、アルジェナは何をしなければならなかったでしょう。神々の言葉を聞いて、クシャトリアの役割に目覚めることによって、大量殺害としての戦争が彼の中で許されたのでしょうか。バガヴァッド・ギ―タ―の最後において、クリシュナは次のように言うのです。
「知識の祭祀を持って崇められた者と なろうというのが予の考えである。」それに対してアルジェナは次のように答えます。
「迷妄は退散し、卿のお蔭で、 クリシュナよ、私は判断力を得た。私は疑惑を去り、確固としている。卿の言葉を私は実践しよう。」
ここで述べている「知識の祭祀 」とはプルシャとプラクリティーの関わりを完全に知り、意識がすべての物質的なるものから離れているプルシャに存在する限り、どんなにプラクリティーにおける悪に関わっても、悪の事実態に人間が負けることはないというのです。ここでアルジェナが担わなければならないのは、次のことです。神々は、「プルシャからプラクリティーを眺めている」だけです。けれども、アルジェナはプラクリティーから流れる四ヴァルナ制度という地上の原則と、もう一方において、プラクリティーを消滅させる神我に移行しなければならないのです。完全に矛盾した事柄を、彼は引き受けなければならないのです。アルジェナは神々よりももっと困難な道を地上において歩み始めたです。このことを神々は、完全に知り尽くしているにもかかわらず、アルジェナにその困難な道をゆだねざるを得ないのです。
神々 プルシャープラクリティー
アルジェナ プルシャープラクリティーー四ヴァルナ制度(武士)
ここで私たちは、戦争というものは完全に矛盾した「天と地」に引き裂かれているものであるということを、理解しなければならないのです。戦争は「地上に堕ちていく」ほどに、「天上に昇らなければならない」つまり、戦争とは「天と地を祀る」ということに、根ざしているのです。戦争が勝ち負けのことだけを問題にするとするならば、決して殺人する必要はないのです。極端な言い方をするのは、「グーチョキパーのじゃんけん」で決めてもいいし、賭博や、或いはスポーツの勝敗によって決めても構わないことです。けれども戦争は、決して勝ち負けを直接、目的にしているのではありません。少なくとも、クリシュナが語った戦争とは「知識の祭祀」であるということです。
自爆テロは最終自己表現か 15
地上に四ヴァルナ制度が生まれる以前、すでに霊界において根本原質としてのプラクリティーから天火水地の四つの原理が生じています。けれどもそこでは、「天」からバラモン、「火」からクシャトリア、「水」からヴァ―イシャそして「地」からシュードラという人間的形態が現れる以前であり、その天上の天火水地自体は、「悪の可能態」であって、それが「悪の事実態」として現れるのが地上のヴァルナ制度においてです。けどもなぜ、ここで「悪」は可能態から事実態に変化するでしょうか。このことを一つの例でもって次のように語りたいと思います。天界には一つの空間の中に、ユダヤの教会もキリスト教の教会もイスラム教の教会も全く矛盾することなく、場を占めることが可能です。霊界という場所は、一つの場所に矛盾することなく、互いに対立するものを共存させる力が空間の中にあるのです。ですから、そこにおいて、たとえこの三つ教会における主張が異なっていて、そこに「戦いの可能態」がすでに存在しますが、そこに直接的な戦いが生じる必要性がないのです。それぞれ一つの空間の中で自立して、三つの教会を共存させることができるからです。それは地上においては、一人の人間と他者は別個の存在性を有しますが、霊界においては、他者は自分の内部に存在するということを、意味しているからです。このことは人間において、昼間の生活と夜の睡眠中の意識のあり方にも、反映されているといえます。例えば、二つの国が戦争をして、互いに殺し合ってあっているのは、地上的現実においてです。そこにおいて、戦争は、敵と味方にわかれ、破壊したり殺害するのは味方ではなくて、敵に対してです。けれども、この敵味方の関係は睡眠中は全く異なります。睡眠中は、カラダにおいて、右手が左手を破壊したり、心臓が肝臓を破壊したりするのと同じで、敵味方には分離せず、共存関係の中で生じます。ですからそこにおいて、敵を破壊する事は、自分が自分のカラダを破壊することです。戦争は霊界においては、自分が自分の一部を殺害することです。霊界において、悪がまだ事実態を有する以前においては、戦争という手段を用いることなく共存することが可能なのです。霊界においては対立物が一つの空間の中で共存してるのに対して、地上においては、一つの空間の中には、一つのものしかその場を占めることができない、この空間性の違いが悪を可能態から事実態にするのです。「今」という時間の中に、記憶以外で「昨日」という時間を共存させたり、Aいう場所に Bという場所を共存させたり、自己の中に他者を空間的に存在させることは出来ません。これがすべての悪を生じさせる根源です。霊界においてはユダヤ教寺院とイスラム教寺院が共存し得るのに対して、それと全く同じことを地上において実現しようとする時には、一つのものが他のものを排撃しなければなりません。もしそれを強硬しようとするならば、戦いが生じます。戦争とは霊界において実現しえた空間性を、地上において、直接実現しようとするときに生じる現象です。
手紙(1981.1.9) ミツの災難
ドイツ語もままならないうちに、Stuttgartに住み始めてまず困ったことは、子どもが病気になった時だ。羊のように温かく優しい目をしたフラウ・ブルーメ(近所に住む老女医さん)に、「で、どんな具合なの?」と聞かれて、どう言っていいのか、私の方がドキドキする始末。Kopfweh(頭痛)とか、Bauchschmerzen(胃痛)などの単語は、勉強して覚えていたが、どの様に痛むのかを伝えられない。日本にいる時は、お腹が「キリキリ痛い」とか「キューっと痛い」とか、頭が「ガンガン痛い」「ズキズキ痛い」、背中が「ゾクゾクする」などと言って、お医者さまに、ある程度痛みの状況を分かってもらっていた。その時、日本語の痛みを表す豊富なオノマトペの存在の素晴らしさに、初めて感謝した。果たして、ドイツ語にもその様なオノマトペがあるのだろうか?ドイツ滞在中、ドイツ人の友人が「頭が、ズキン、ズキン痛い」とか「肌がヒリヒリする」などと言っているのを聞いたことがない。
1981.1.9。
全く慌ただしく、クリスマス、お正月が過ぎてしまいました。お母さんも随分と忙しい暮れのスケジュール、大丈夫でしたか?大晦日の日、日本の真夜中の12時を目がけて、こちらの夕方5時にお電話しようと思っていました。その日の昼、日本人の友だちが来られて、豆腐とか、ひじきとか、切り干し大根とかを煮て、みんなで昼食を頂いていたら、ミツタケがもの凄い声で泣き出して、足の裏に縫い針が刺さったと言って、自分でその縫い針を抜いて持ってきました。見ると、3センチ位の長さの針の頭の方の1.5センチ位のところで折れていて、その先が見当たりません。みんなで懸命に探しましたが、見つからず、アキラがミツの足裏を押してみると、どうやら、残りの1.5センチは足の中にあるようです。大晦日の夕方ですし、何所の病院に行っていいかも分からず、途方に暮れていましたら、アキラが、メッサーを消毒してミツの足裏を切開するなどと、恐ろしいことを申します。そこで私は、迷うことなく幼稚園の先生・フラウ・マイヤーに電話で病院を聞きましたら、直ぐに、先生の息子さんが飛んできて下さり、救急病院に連れて行ってくれました。やれやれです。一緒に行ったアキラによりますと、レントゲンの結果、骨まで針が届いているけど、幸わい骨の中まで入っていないので、直ぐに麻酔をして切開することになったのですが、大量の血が噴き出して、針の在処が探れないので、遂に、足の内部を映すカメラを通して針の影を追いつつ、医者がモニターテレビを見ながら無事に針をとったそうです。アキラがメッサーで切開したら、どうなっていたことか、ぞっとします。その時アキラもかなり動転していたのです。そんなこんなで、みんなで年越しそばを食べたら、すっかり疲れてしまい、お電話するのを忘れてしまったのです。
夜中の12時に、子どもたちを起こして、ジルベスターの花火をご近所さんと楽しみました。ミツも針を抜いたら痛みもなくすっかり元気になり、お正月から飛び回っています。私の方は、お正月休みで気が緩み、時々寝込んだりしていますが、きっと怠け病で、朝、是非子どもたちを起こして学校に出さなくては、という意気込みがあると、リウマチの朝の痛みも何とか乗り越えられるようです。最近、ドイツでも全てが値上がりして、ますます生活は厳しくなり、その上、外国人に対する圧力が強くなり、日本人が寄ると、話題は一つ、滞在許可の問題です。外国に住むということは、自分の家ではなく、他所の家に住まわせてもらっているということ。日本にいた時には、思いもしなかったことが、だんだんと透けて見えてきて、様々なことを考えさせられます。ではまた。久子
手紙(1980.12.8) おばあちゃんのお迎え
演出家の倉本聰さんが「昔は節約が善だった。靴下に穴があけばお袋が夜なべして繕ってくれた。その靴下にはお袋の愛情がこもっていた」と言われたのを新聞で読んで、そういえば、35年前ドイツに住み始めて、日本に帰るまでの私の夜なべ仕事は、3人の男の子たちの靴下の繕いだった、と懐かしく思い出した。当時ドイツは、衣料品がとても高く、品質も悪く、直ぐに穴があく男の子の靴下などは、買っていられなかった。寒く長いドイツの冬を越すには、しっかりとした靴と暖かい靴下は必需品だ。私も実家の母のまねをして、靴下の中に電球を突っ込んで、次から次と繕ったものだ。当て布が何枚も重ねた靴下を穿くと、足の裏がもぞもぞするらしい。でも、彼らはそのもぞもぞ感が結構気に入ったようで、たまに新品の靴下を穿くと「もぞもぞの方が暖かくていいよ」とまで言うようになった。「お袋の愛情」なんて、心温まるはなしではない。ただ、何枚も布が重なり、生地が厚くなったので暖かかったのだろう。
さて、クリスマスにおばあちゃんがStuttgartにやって来ることなり、国分寺で一緒に住んでいた大おばあちゃん・春子さん(当時94歳位)は、熱海の伯母さん(おばあちゃんのお姉さん)のところに行くことになったようです。当時は介護保険制度もなく、ましてやショートステイの施設などもなく、親の介護はもっぱら家族同士で協力して担っていた。
1890年12月8日(月)
30日付けの手紙を6日の土曜日に受け取りました。春子おばあちゃんが、無事に熱海に着かれたのを知って、本当に安心しました。暖かいところで冬を過ごされるのは何よりです。でも、国分寺でたった独りで、お母さんは淋しいでしょうね。国分寺の家は寒いし・・・灯油は、相変わらず生協から買えるのですか?くれぐれも火に気を付けて下さいね。それから、天使館で稽古する人たちも、冬の稽古場はとても冷たいので、もし必要なら、原田さんにお金をお渡しして、あたらしい耐震装置付きの安全なストーブを買うようにお願いして下さい。バーラーのストーブは、もう古く、芯がよくないし、匂いがしますから。稽古後、ストーブを消し忘れないように注意して下さい。さて、お母さんがドイツに着かれる17日のことですが、アキラは、オイリュトメイムの学期末公演に加えて、新年早々Stuttgartで小さな舞踏公演することになり、その準備で毎日稽古です。子どもたちは学校なので、お迎えは私が必ず行きますので安心して下さい。こちらを朝4時の汽車でフランクフルトに向います。待ち合わせの場所は、ルフトハンザ出発階のロビーの前です。子どもたちは、おばあちゃんの来るが待ち遠しくてたまりません。お向かいのフラウ・ベルガーにケーキの焼き方を教わっておきますね。こちらは、1週間降り続いた雪も、今日は明るい太陽の光のもとで、キラキラ輝いています。時折、空からハラハラと雪の結晶が舞い降りてきます。新聞、ラジオがないので人から聞くのみですが、零下の寒さのようです。夜になると、黒々とした森の上に、凍てついた夜空が広がり冬の星々が美しく煌めきます。ホワイト・クリスマスが楽しみです。どうぞ、お気を付けてお出掛け下さい。みんなで待っています。久子
自爆テロは最終自己表現か 14
梵天の中に宿る神我は、観照者、傍観者であって、宇宙の基盤をなしている霊体、魂体、肉体の三つの「体」を生み出している根本原質(プラクリティー)には一切、関わりません。三つの成分はプラクリティーから発生します。霊体から純質が、魂体から激質が、そして肉体から翳質が生じるのです。四ヴァルナ制度を生み出す元の力は、霊界においては天火水地ですが、この力は神々もそれに従わなければならない、仮象の根源を生み出しているのです。「原物質(プラクリティー)から生じたこれら三種の成分から解放されるような存在者は、地上にも、或いはまた、天上の神々の間にもいない」このクリシュナの言葉は、天において、神々も仮象に従わなければならない、ということを意味しているのです。梵天と共に働く神我、プラクリティーの変化には全くかかわらない神我から見る時、原物質プラクリティーとの関わりは、仮象との関わりなのです。けれども、それが仮象であるからといって、プラクリティーの活動を停止することは決してできないのです。神々はこのことを「天上の行為」として引き受けているのです。すなわち「悪を演じている」のです。神々が天火水地の働きに関わるのは、演じられた悪としてです。一方、人間がこれに関わる時には、「演じられたもの」ではなくて実体として受け取るのです。クリシュナがアルジェナに戦いを前にして語るのは、このことなのです。仮象であるプラクリティーの活動は、天火水地を生み出し、そしてその力を地上に流し、人間にこの仮象によって生じる悪の力を全部ゆだねようとするのです。
自爆テロは最終自己表現か 13
バガヴァッド・ギ―タ―が述べているのは、ただ次の一点だけです。この世界において「過ぎ去りゆくもの」と「永遠にとどまるもの」、この区別を、人間に立てられるか、という点においてだけです。そして、バガヴァッド・ギ―タ―において語られているのは、仮象の世界、見せかけの世界、演じられた世界は過ぎ去りゆくのであり、「留まるもの」とは、このマーヤを生み出した主体、すなわち神我(プルシャ)の内にあるものだけなのです。十八章で、再びこの仮象を越えるために三種の成分(グナ)について、クリシュナは次のように述べます。
差別されたものの中に無差別のものを認める、その知識を純質性のものと知れ。
他方、一切万物中に 各種さまざまの状態を、、
個別的に認知するその知識、、その知識を激質性のものと知れ。
しかし、根拠なく、一つの結果物に、あたかもそれが全体であるかのように執着し、
真相に関与しない,狭少な「知識」、それは翳質性のものといわれる。
純質性とは、記憶から全く解放された思考、歴史的な中で培われた記憶によって生じるものから全く自由な思考、自らが判断するのではなく、観察対象そのもの中から、認識内容が立ち現れてくる思考のことです。激質性とは、社会常識、記憶、固定した一般的な価値観、習慣的な思考に結びついたり、特定のイデオロギーから生ずるものの考え方です。翳質は、主観的な思考内容だけが絶対であり、他からやってくるところの思考を一切拒絶し、自分の内的な世界の中のみを現実と捉えています。これらの三つの成分は神聖なバガヴァットに由来するものであるけれども、これによって、世界がマーヤ、仮象に変ええられたのです。だから人間は覚醒した時に、この三つの成分を超えよ、とクリシュナはいうのです。けれども、クリシュナの言説の中で最も重要なのは、三種の成分を超えることによって人間が無行為になってはならないと言うのです。人間が地上でなすべきこと、その人間に与えられた行為を遂行しなければならない、たとえ世界がマーヤであっても、そのマーヤの中で身体の根本原質と結びついている義務を遂行しなければならないというのです。人間は抽象的に地上に存在するのではなく、一人一人の人間に与えられた、地上での役割というものがあるというのです。それが、古代インドにおいては、四ヴァルナ制度と呼ばれているものです。この四ヴァルナ制度についてクリシュナは、人間はこの三種の成分から 永遠に解放されなければならないけれども、しかし、この三種の成分は地上の宇宙的根源である「根本原質」から生じたものであって、この根本現実から解放されるものは天上の神々においても、いないというのです。
原物質(プラクリティー)から生じたこれら三種の成分から解放されているような存在者は、地上にも、あるいはまた、天上の神々の間にもいない。
祭官(バラモン)と武士((クシャトリア)と庶民(ヴァ―イシャ)と,並びに奴婢(シュードラ)主の、アルジェナよ、
行為は(おのおのの)の特性に 優勢な成分によって区別される。
ここで述べる根本原質(プラクリティー)とは、宇宙を一つの生命体として考えるならば、その生命の中に作用している生命法則のことです。そしてその法則には神々も支配を受けるというのです。もし宇宙にこの根本原質(プラクリティー)が働かないとするならば、宇宙は抽象的な理念に終わり、そこにに具体的な生命は現れてきません。ちょうど、眼に見えない神々の働きが眼に見える形を取るためには、地上の物質を必要とするように、根本原質は宇宙を一つの生命体に変えるための四つの力なのです。この四つの力とは天火水地(光・熱・水・土)の働きのことです。この四つの力は物質世界が存在しなくても神々の世界の土台をなしている四つの力です。そして、四ヴァルナ制度は、この四つの力から誕生したのです。
天 祭官(バラモン)
火 武士(クシャトリア)
水 庶民(ヴァ―イシャ)
地 奴婢(シュードラ)
天とは、宇宙を一人の人間と考えた場合の、「自我」にあたる存在です。宇宙のすべての運行の目的、方向性を担っている存在です。そしてこの「天」の働きを、具体的に運動に変えるときに、「火」の働きが生じます。その火をさらに具体的な個々の働きに向けて、動かしていくのが「水」の働きであり、「地」とは、それらを地上の世界に向けて、固定しようとする働きです。それらの個々の働きについてバガヴァッド・ギ―タ―では次のように述べています。
理論知、実践知、信仰は、(その)特性から生じた祭官(バラモン)の行為である。
勇敢、活気、堅忍、熟達 また戦闘において退却せぬこと、
施与、および支配的性格は、(その)特性から生じた武士(クシャトリア)の行為である。
農耕と牧牛と商業とは、 (その)特性から生じた庶民(ヴァ―イシャ)の行為である。
また、奴婢(シュードラ)にとっては、奉仕的行為が、(その)特性から生じたものである。
そしてクリシュナはその根本原質から定められている行為をなすものは、決して罪に陥らないと述べ、そしてこの「生得の行為」はたとえ完全に遂行できす、欠陥があったとしても、放棄してはならないと述べるのです。クリシュナは次のごとく語ります。
アルジェナよ、汝ば「武士クシャトリア」という特性から生じる、自己の行為によって拘束されている。
何時が迷妄の故に、為したくないと思うことを、意志に反しても、汝は為すであろう。
主宰神は一切万物の 心臓の中に、アルジェナ、住まっている。幻術(マーヤ)によって、「人形を操る」器具につけられた(ような)万物を動き回らせつつ。
バガヴァッド・ギ―タ―が述べているのは、ただ次の一点だけです。この世界において「過ぎ去りゆくもの」と「永遠にとどまるもの」、この区別を、人間に立てられるか、という点においてだけです。そして、バガヴァッド・ギ―タ―において語られているのは、仮象の世界、見せかけの世界、演じられた世界は過ぎ去りゆくのであり、「留まるもの」とは、このマーヤを生み出した主体、すなわち神我(プルシャ)の内にあるものだけなのです。十八章で、再びこの仮象を越えるために三種の成分(グナ)について、クリシュナは次のように述べます。
差別されたものの中に無差別のものを認める、その知識を純質性のものと知れ。
他方、一切万物中に 各種さまざまの状態を、、
個別的に認知するその知識、、その知識を激質性のものと知れ。
しかし、根拠なく、一つの結果物に、あたかもそれが全体であるかのように執着し、
真相に関与しない,狭少な「知識」、それは翳質性のものといわれる。
純質性とは、記憶から全く解放された思考、歴史的な中で培われた記憶によって生じるものから全く自由な思考、自らが判断するのではなく、観察対象そのもの中から、認識内容が立ち現れてくる思考のことです。激質性とは、社会常識、記憶、固定した一般的な価値観、習慣的な思考に結びついたり、特定のイデオロギーから生ずるものの考え方です。翳質は、主観的な思考内容だけが絶対であり、他からやってくるところの思考を一切拒絶し、自分の内的な世界の中のみを現実と捉えています。これらの三つの成分は神聖なバガヴァットに由来するものであるけれども、これによって、世界がマーヤ、仮象に変ええられたのです。だから人間は覚醒した時に、この三つの成分を超えよ、とクリシュナはいうのです。けれども、クリシュナの言説の中で最も重要なのは、三種の成分を超えることによって人間が無行為になってはならないと言うのです。人間が地上でなすべきこと、その人間に与えられた行為を遂行しなければならない、たとえ世界がマーヤであっても、そのマーヤの中で身体の根本原質と結びついている義務を遂行しなければならないというのです。人間は抽象的に地上に存在するのではなく、一人一人の人間に与えられた、地上での役割というものがあるというのです。それが、古代インドにおいては、四ヴァルナ制度と呼ばれているものです。この四ヴァルナ制度についてクリシュナは、人間はこの三種の成分から 永遠に解放されなければならないけれども、しかし、この三種の成分は地上の宇宙的根源である「根本原質」から生じたものであって、この根本現実から解放されるものは天上の神々においても、いないというのです。
原物質(プラクリティー)から生じたこれら三種の成分から解放されているような存在者は、地上にも、あるいはまた、天上の神々の間にもいない。
祭官(バラモン)と武士((クシャトリア)と庶民(ヴァ―イシャ)と,並びに奴婢(シュードラ)主の、アルジェナよ、
行為は(おのおのの)の特性に 優勢な成分によって区別される。
ここで述べる根本原質(プラクリティー)とは、宇宙を一つの生命体として考えるならば、その生命の中に作用している生命法則のことです。そしてその法則には神々も支配を受けるというのです。もし宇宙にこの根本原質(プラクリティー)が働かないとするならば、宇宙は抽象的な理念に終わり、そこにに具体的な生命は現れてきません。ちょうど、眼に見えない神々の働きが眼に見える形を取るためには、地上の物質を必要とするように、根本原質は宇宙を一つの生命体に変えるための四つの力なのです。この四つの力とは天火水地(光・熱・水・土)の働きのことです。この四つの力は物質世界が存在しなくても神々の世界の土台をなしている四つの力です。そして、四ヴァルナ制度は、この四つの力から誕生したのです。
天 祭官(バラモン)
火 武士(クシャトリア)
水 庶民(ヴァ―イシャ)
地 奴婢(シュードラ)
天とは、宇宙を一人の人間と考えた場合の、「自我」にあたる存在です。宇宙のすべての運行の目的、方向性を担っている存在です。そしてこの「天」の働きを、具体的に運動に変えるときに、「火」の働きが生じます。その火をさらに具体的な個々の働きに向けて、動かしていくのが「水」の働きであり、「地」とは、それらを地上の世界に向けて、固定しようとする働きです。それらの個々の働きについてバガヴァッド・ギ―タ―では次のように述べています。
理論知、実践知、信仰は、(その)特性から生じた祭官(バラモン)の行為である。
勇敢、活気、堅忍、熟達 また戦闘において退却せぬこと、
施与、および支配的性格は、(その)特性から生じた武士(クシャトリア)の行為である。
農耕と牧牛と商業とは、 (その)特性から生じた庶民(ヴァ―イシャ)の行為である。
また、奴婢(シュードラ)にとっては、奉仕的行為が、(その)特性から生じたものである。
そしてクリシュナはその根本原質から定められている行為をなすものは、決して罪に陥らないと述べ、そしてこの「生得の行為」はたとえ完全に遂行できす、欠陥があったとしても、放棄してはならないと述べるのです。クリシュナは次のごとく語ります。
アルジェナよ、汝ば「武士クシャトリア」という特性から生じる、自己の行為によって拘束されている。
何時が迷妄の故に、為したくないと思うことを、意志に反しても、汝は為すであろう。
主宰神は一切万物の 心臓の中に、アルジェナ、住まっている。幻術(マーヤ)によって、「人形を操る」器具につけられた(ような)万物を動き回らせつつ。
自爆テロは最終自己表現か 12
感覚世界ばマーヤである、そして、人間はすでに昔、神聖なバガヴァットによって、殺されたのである、人間は単なる外観上の殺戮者であるに過ぎない、人間が感受する感覚世界はその生においても死においても、「仮象」である、そして、それらの「仮象」はすべて神聖なバガヴァットによって、消滅させられる、カーラの中で、消え去っていく、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
これらの事がもし真実であるとするならば、この真実において人間を殺戮すること、何百万の人間を殺害することが正当化されるとするならば、一体それはどのような存在においてでしょうか。この真実の故に、人間の殺戮がもし許されるとするならば、何をもって、それが可能なのでしょうか。この神聖なバガヴァットのコトバによって、殺人が許されるのでしょうか。否、それは許される、許されないをすでに超えた、それが「仮象」であるがゆえに人間が人間を殺すとするならば、それは、いつの時代のことでしょうか。この神聖なバガヴァットのコトバによって、勇気をもって人を殺戮した人たちとは、一体どんな人物なのでしょうか。すべては虚妄なのでしょうか。神々は、現象世界をすべてマーヤにすることによって、人間がすべてを消滅させるカーラに一体となって、宇宙自我である「梵天」と一つになることを望んでいるのでしょうか。これが神々の望んでいる人間の本来の姿でしょうか。一体これは、古代の戦争に対する神々の言葉でしょうか。それともそれ以来連綿と人類の歴史の中に生じてきた、すべての戦争、植民地戦争や或いはそれに対する抵抗戦争や侵略や、そして現代に、これから生じるかもしれないところの第三次世界大戦も含めて、神々はこの言葉を人類に投げかけ続けるのでしょうか。一体いつの時代の戦争がこの言葉によって、正当化されるのでしょうか。「神が悪を演じている」ということは、人間がその「仮象」を克服することによって、「人間が悪を行う」ということが「人間そのものが悪を演じる」ことになるのでしょうか。その時に人間は「戦争を行っている」のではなくて「戦争を演じている」のでしょうか。すべて地上の出来事において、人間は、「仮象」に目覚めた時に、「演じるもの」として享受しなければならないのでしょうか。そして、「悪が演じられる」ということは、真実も同時に感覚世界においては、「演じられる」ということなのでしょうか。
自爆テロは最終自己表現か 11
自ら が幻術を生み出すことによって、人間に悪の事実性を行わせしめた後に、クリシュナは、その根源の姿を現します。
予は世界を滅亡せしめる時(カーラ・死)である。
諸世界を収斂するためにここに出現したのである。
たとえ汝がなくとも、敵陣に並び立つ
戦士らはみな生存し続けることはないであろう。
それ故に、汝は立て、栄誉をかちとれ。
敵を征服し、隆盛な王権を享受すよ。
ほかならぬ予によって、すでに昔、彼らは殺されたのである。
汝は単なる外観「上の殺戮者で」であれ、アルジェナよ、、、、、
またその他の勇士たちを、
汝は殺せ、おびえてばいけない。
戦え 汝は戦闘において敵を征服するであろう。
これらの神の言葉を、悪の事実体を生み出した人間の側から、どのように受け止めることができるであろうか。これらの言葉は妄想、幻術、仮象、鏡像を生じ、「悪を演じた神々」が世界に対する責任の取り方を述べているのである。つまり、神は諸世界を収斂するために存在する時間そのものであり、悪を演じた後に、人間によって作られた後の、実体化された悪のすべてを時間の中で、すくい取って、世界そのものを滅亡させる死である、と述べるのです。
自爆テロは最終自己表現か 10
人間におけるいかねる悪行も、知識によって越えられある、知識は一切の行為を灰に化することを述べた後、クリシュナはこの仮象の世界について次のように語ります。
これらの成分(グナ)からできている 三種の状態によって惑わされた
この全世界は、これらよりすぐれた、 不滅である予を認識しない。
成分(グナ)からできている、この神巧な 予の幻術(マーヤ)は越えがたいからである。
予ののみ帰依する人は、この幻術(マーヤ)をわたり超える。
迷妄に陥った悪行者たち、低劣なものでも予に帰依しない。
幻術(マーヤ)によって知恵を奪い去られて、悪魔の状態に止住する。
悪は実体として存在するのではなく、悪を必要とする神々の創造において、必然的に生じる幻術、仮象、鏡像、それらを現実とみなすことによって、現実化されるのです。神々はこの世界の仮象化を完全に意識した存在です。世界に存在するいかなる鏡像をも、意図的に存在せしめた存在なのです。悪は神によって演じられたのです。そしてこの演じられた悪を、現実に変化せしめたのが人間です。だから、神々はこの世界の仮象化がに対して全責任を持った存在です。もしこの「演じられた悪」を初めから理解し、世界の仮象化を人間が意識していたとするならば、神々の創造行為は決して完成しません。なぜなら、人間も神々と全く同じ存在として存在するわけですから、その時、悪自体が成り立ちません。宇宙創造がなされるということは、人間によって、この演じられた悪を事実と受け取られなければならないのです。そして神々が背負うべき責任は、人間がこの神々によって「演じられた悪」を、事実と受け止めることによって生じる、すべての事柄に対してです。人間のなすべきことは、この「仮象の世界」という構造に対して人間が意識し、理解することができるのは、もうすでに悪の可能態が完全な事実性になってしまった後のことであり、その時、人間が如何に、この創造の完成としての悪の世界を前にして、それをいかに引き受けるかということです。そして、悪が完成するということは、宇宙が破滅するということです。人間がおかれた状況とは、演じられた悪を理解することなく、仮象の世界の中にとどまるならば、世界創造の完成の瞬間は、同時に世界の破滅であり、また人間がこの演じられた悪の本質を理解するのは、この世界崩壊の寸前である、ということなのです。そしてまさに現代がその瞬間です。
自爆テロは最終自己表現か 9
人性三分説の観点から考えるならば人間は霊と魂と体からなるものであり、純質・激質・翳質の働きは魂の三つの側面を表している。純質は、個的な欲望から解放された共感の働きに満たされています。激質は強い欲望と願望、共感と反感の二つに支配されています。翳質は「智」から離れ、本能と一体になった魂ですが、この三つの働きに支配されている限り、人間において、仮象と実象の区別をつけることは、全くできません。古代インドで発達したサーンキャ哲学は、まずこの三つの働きを人間が認識し、それを乗り越えた時に、その魂は神々の魂に結びつくことができると説くのです。そしてこの三つの成分の消滅は、知識による「祭き」よって完成される、とクリシュナ語るのです。
仮に汝がすべての悪人の中の最も悪業の者であるとしても、
ただ知識の舟によって、汝は、 一切の罪「の大海」を渡りきるであろう。
あたかも点せられた火が、 薪を 灰に化してしまうように、アルジェナ
知識という火も、同様に、一切の行為を灰にする。
何となれば、知識に匹敵する 浄化具はこの世に存在しないから。
人がこの三つの成分を乗り越えるには、布施や信仰や様々な祭儀を通してなされるけれども、それらにもまして「知識の祭き」にほど重要なものはない、と述べ、その一切をバガヴァッド・ギ―タ―は説き明かしています。この知識とは、物質の世界に法則が存在するように、心の世界にも毀つこぼすことのできない法則が存在し、それはコトバと結びついて、人間のすべての行為の中に染み込んでゆき、人間が行為の結果に束縛されることなく、その行為を神々の働きと、一つに結ぶのです。だから、クリシュナは、戦争において、「武士は戦え、殺せ、そして勝利を勝ち取れ」と、アルジェナを鼓舞するのです。戦争という人間の最も悲惨で残虐な行為も、火が薪を燃やすように、知識よって、それを浄化することができると語るのです。
ここでクリシュナは「戦争」という宇宙の現象に対して、最も重要なことを述べています。人間は戦争という出来事に対して、様々な思い、イメージを有しているが、ここで述べているのは、人間から眺められた戦争ではなく、神々から眺められた戦争です。そこでは人間的な感情や思い込みや記憶によってとらえられた戦争についての判断ではなくて、神々の「悪を必要とする創造行為」としての戦争です。それは、「悪の可能態」が「悪の事実態」に変容していく神々の行為が地上歴史の中に入って来る、ということであるとするならば、その具体的な出来事としての戦争は、決して宇宙から消滅しないかもしれません。けれども、その人間が神々の行為の一切の結果から自由になりうるためには、知識が必要であるというのです。
現在の歴史的な過程において、このような神々によって捉えられた戦争へついでの判断が正しいか否か、それを受け入れられるか否かということを、今は脇において、何故クリシュナがそのように語るのかを考えてみたいのです。現在、人間にとって、戦争というのは、人類最大の悲劇ですが、一方それは神々から人間に課せられた最大の挑戦状であり、人間はそれを克服しなければならないものとしてとらえているが、このような人間の判断における戦争は、人類の過去の長年にわたる歴史の中で培われてきた、思いや記憶の中から生じてきたところの判断です。けれども神々は、戦争を通して宇宙を創造するという、もう一方の思いがあります。私が思うに、バガヴァッド・ギ―タ―は、サーンキャ哲学を論じるために、このバタラ族の王位継承問題を取り上げたのではなく、サーンキャ哲学という「智の総体」と悪の結びつきを、このような仕方で述べているのだろう、と思うのです。ここで描かれているのは、バタラ族の王位継承問題という前堤の中で、サーンキャ哲学を語るのではなく、行為と超行為、戦争と超戦争という対立関係、さらに言えば、神の戦争から人間の戦争へ至る過程の中で、神々が人間に何を託しているかを、アルジェナとクリシュナの問答の中に流し込んでいるのです。
ここで最大の問題に突き当たります。確かに戦争は、神話の時代、神々によって始められたのは、事実です。そして、ここでクリシュナが述べているように、神は悪を必要とする創造行為を行っている事も、否定できない事実です。ですから、そのような戦争のとらえ方が正しいか正しくないかよりも、そのような事実がまずあるということに、私たちの目を向けなければならないのでしょう。神話の時代において戦争は、最高の祭儀です。天地は戦争によって開闢したのです。そして今、これら戦争を肯定する神々の言葉に対して、人間の側からいくらでも異議申し立てをすることはできるのですが、悪を必要とする創造の結果、現在の歴史や人間や文化が存在するとするならば、人類そのものは神々の戦争の落とし子といわなければなりません。ですから、今はまず、その事実が与える意味を解き明かし、それが現在の私たちにとって、戦争を如何にに判断し、それをどう方向づけ、それを判断していくかを、考えていかなければならないのです。
自爆テロは最終自己表現か 8
バガヴァット・ギ―タ―
バガヴァッド・ギ―タ―は、紀元前六百年から四百年くらいの間にかけて描かれたと言われている、古代最大の叙事詩マハーバーラタの中の十七章からなる「神の歌」であり、筑摩書房の世界古典文学全集において、辻直四郎の編で出版されました。ここに引用する文章はすべてこの筑摩書房版からです。
古代インドにおいて、バタラ族の王位継承問題に端を発して、戦争が繰り広げられることになり、敵味方にわかれるものの、王位継承問題のために、互いに親兄弟親戚等の、血を分けたもの同士の壮絶きわめる戦争です。
「神の歌」はこの血族同士の戦いを前にして、アルジェナは武士でありながら、戦意を失い、もはや戦うことを断念しようとするのですが、それに対して、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナは、「汝は武士の本分を忘れることなく、たとえ血族であっても勇気を奮って戦え、戦い抜け、そして行為することによってのみ、行為を超えよ」という、神と人間の問答形式で語られています。そこに描かれている内容は、古今東西の哲学的思弁を一挙に超える、神的想像力と叡智に貫かれています。短い問答形式でありながら、神々の創造の秘密、神々の内部から立ち現れてくる能動的な創造力と、それらを取り囲んでいる仮象の世界との関わり、目に見える世界の中で立ち現れてくる、様々な妄想や論理や疑いを、一挙に超える道徳的想像力に満ち満ちています。
ここでは神が人間にコトバの鞭を打ちながら、「戦え・ば殺せ・立て・負けるな・戦争の中で汝は汝を乗り越えよ」と言うのです。まず、アルジェナは武器を取っての戦争を前にしながら、次のようにクリシュナに言います。
「戦おうとして目近くに立つ この同族を見ては、クリシュナ
わしの手足は力を失い、 口もまた涸れはててしまう。
・・・・・・わしは立っていることができない。 わしの心はよろめくようだ。
そしてわしにはめでたくない 兆しが見える、クリシュナよ。
戦さにおいて同族を 殺して吉祥は予見されない。
わしは勝利を望まない、クリシュナ・・・・・・・・
彼らが(わしを)殺すとも、クリシュナ 彼らをわしは殺したくない。」
ガンジーの「無抵抗主義」にも通じるような、人間的なアルジェナの言葉に対して、クリシュナは、次のように言う。
「難事に際してこの弱気は、 どこからあなたに近づいてきたのか。・・・女々しくなってはいけない、アルジェナ それはあなたにふさわしくない・・・卑小な心の弱弱いしさを うち捨て去って、立たれよ アルジェナ」
こうして二人の問答は始まるのですが、この「神の歌」は歴史的な戦争においてなされた対話ではなく、神々が宇宙創造を始めるた時の「仮象」「悪の可能態」と神の能動的な創造力との戦い と見なければなりません。それは、バガヴァッド・ギ―タ―全体を貫いている神々の 「智」です。この人間的な、「戦争をしたくない」、という心の働きと、「戦い抜け」という神の言葉は、人間のほうが善であり、神々の方が悪なのです。神は徹底的には「悪」を装っているのです。バガヴァッド・ギ―タ―における神は、戦争に関して「悪」の側に立って、人間に人間であることの本分を気づかせようとするのです。クリシュナはさらに続けて次のように言います。
汝は嘆くの要のないものについて嘆いた。 しかも思慮あるような言葉を語る。
死者のことをも生者のことをも、 見識ある人々は嘆きはしない。
しかし、実には、予はかって 存在しなかったことはない。汝も、ここにいる王たちも。
また、我々はみな、これから後 存在しなくなることもない。
クリシュナが始めに語るのは、人間には生も死も始めから存在しない、という一元世界であり、これをバガヴァッド・ギ―タ―では「神我」(プルシャ)と呼んでいます。「神我」というのは、一切の物質的なるもの、感覚的なものから離れた、すべてのものを「観る」だけの働きです。この働きの中には、すでに生も死も存在しないけれども、人間の本質はこの「観照者」の中にあると語ります。さらに、
こ「の個我」は生ずることなく、 あるいはいつか死ぬこともない。一旦存在した後に、 また存在しなくなることもない。
不生、恒存、永遠の、 この太古より存するものは、
たとえ身体が毀損されても、 毀損されはしないのである。不生、不滅のこ「の個我」を 滅びず恒存すると知る人、その人は、アルジェナ いかにして、 誰に殺さしめ、 誰を殺すか。
このクリシュナが語る「個我」とは、宇宙自我のことです。人間の本質はこの宇宙自我と同じであり、一旦存在するならば、決して消滅することはなく、殺されたり殺したりするという現象は、「限りなくそのように見える」仮象なのだ、アルジェナ、それに気づけ、というのです。クリシュナがここで語るのは、人間よ、その仮象を超えるならば、戦争しつつ戦争を、行為しつつその行為を超える、というのです。クリシュナがアルジェナに語るのは、お前はこの宇宙の「絶対矛盾」を引き受けなければならない、お前が弱気で単なる善の中に引きこもるならば、もっと大いなる悪にお前は引き渡されるであろう、というのです。「万物においては、初めは顕現せず、人間が知っているのは、その中間だけであり、そして終わりもまた、顕現しない、神はその始まりと終わりを知っている。人間はその中間だけしか知らないのだ。けれども、地上において真に生きようとする時には、この始めと終わりの顕現してないところに、至ろうとしなければならない、と言うのです。
それ故に、一切万物について、汝は嘆くべきではない。
さらに、自己の義務を考慮しても、汝ばおののくべきではない。
武士(クッシャトリア)にとっては、義務付けられた 戦争に勝るものは無いからである。
クリシュナが神そのものとして語り始めるのは、十二章以降ですが、すでにここにおいて、述べられている「正統なる戦争」は、現代的な言い方をするならば、国際法によって定められるのではなく、神的な根拠をがあると述べているのです。
この神的な根拠とは、宇宙創造の「根本的な矛盾」の中に、根を下ろしています。悪が存在しなければ宇宙創造、歴史は動かないという矛盾律が前提になっているのです。そしてこの矛盾律を引き受けるのは、 神の側ではなく、人間の側なのです。人間は仮象を実相と捉えており、
それらを乗り越えるものとして、バガヴァッド・ギ―タ―は、ここからサーンキャ哲学の内容に入っていきます。するとバガヴァッド・ギ―タ―全体は、サーンキャ哲学を描写するために描かれた「神の歌」であることがわかります。
ヴェーダは三成分(グナ)から、できているものも対象とする。三成分(グナ)できているものを離れよ アルジェナ
グナとは仮象を実象に変える三つの成分のことであり、サーンキャ哲学ではそれを純質(サットヴァ)・激質(ラジャス)・翳質(タマス)といいます。クリシュナはこの三つの成分について第十四章で、次のように語るのです。
純質(サトヴァ)は無垢であるから、 照明し、患いのないものである。幸福への執着によって、また、アルジェナ 知識への執着によって束縛する。
激質(ラジャス)は、欲望を本質とし、 渇愛と執着から生じると知れ。
それは行為への執着によって、アルジェナよ、 個我を束縛する
しかし 翳質(タマス)は、無知から生じ、 一切の個我をまどわすものと知れ。
不注意、怠惰、睡眠によって、 それは束縛する。 アルジェナよ。
純質は幸福に、激質は行為に、執着せしめる、アルジェナよ。
他方、翳質タマス)は、知識を蔽って、不注意に、実に、執着せしめる。
純質(サトヴァ)は、欲望からも記憶からも自由であり、あらゆる行動の根底に認識する力が働いています。激質(ラジャス)は強い共感と強い反感が存在し、認識を破壊するほどの強さがあります。翳質(タマス)は無知と感覚の眠りが強く働いています。アルジェナはこの身体から生じた三成分(グナ)が消滅するとき、個我は出生、死亡、老年、苦悩から解放されて、不死に到達するのだと語るのです。この純質・激質・翳質は人間の魂をひたすら純化することによって、仮象から実体へ移行しようとするのですが、同時に、その正反対の方向から、殺人を肯定する神々の声が宇宙に響き渡るのです。
自爆テロは最終自己表現か 7
マニ教は紀元後三世紀頃ササン朝ペルシャに生じ、ユダヤ教やキリスト教またグノーシス派等の世界観も結びついた二元論的宗教です。それは光と闇、善と悪、霊と物質等の二つの原理によって世界が支えられており、そこでは善と同様に悪そのものに、一つの自律した存在が、与えられています。
キリスト教の玄義である父と子と聖霊の三位一体において、「父」は、古代的な律法の世界との結びつきを、「子」なるイエス・キリストにおいては、信仰の世界と結びつき、「聖霊」はキリストが昇天した後に、世界に与えられたキリストに替わる救済の力を表していますが、マニは自身をこのキリスト亡き後のパラクレートと考えていたのです。このパラクレート存在とは、全く新しい「魂」の力を人類史の中にもたらすという意味を持っていますが、その存在のことをマニは、「寡婦の子」と呼んだのです。すなわち、自分にはもはや父はいない「やもめの子」であるという意味です。ここで言う「父」とは宇宙を導く霊の働きのことですが、パラクレートとしての「寡婦の子」においては、もはや宇宙を導く霊は直接、人間に働くのではなく、魂の中に自分自身の自我と結びついた救済の力が生じるという意味です。この救済の力としての自我は「自律した悪」に向かうことができます。それは悪を自身の内から、消去するのではなく悪と完全に対峙し続ける事によってです。マニ教が語る伝説とは、そのように光の国と闇の国が存在し、対峙しあっているのですが、光の国は満ち足りていて、そこには善だけが存在しています。この光の国に始めに戦争しかけたのは、闇の国ですが、闇の国は光の国を征服することができず、その結果、闇の国は光の国によって罰を受けることになったのです。その罰とは宇宙から闇の国を葬り去ることではなく、光の国はその光の一部分を闇の国に投げ込み、闇が光の中を生きるという無限の試練が与えられたです。この闇にまじった光の中から人類が生じました。ですから、ここで人類が担った課題とは、悪と完全に融合することによって悪を克服するという試練なのです。悪は解放されなければならないのですが、それは闇の国が自身を克服することによってです。そしてこのことがマニ教においては宇宙創造と人間の歴史の無限の過程なのです。
私たちは外的対象を一つの実体として眺め続け、それによって、一切の人生を形成していますが、その限りにおいて、創造は決して始まらないのです。外界のすべてが仮象であって、その仮象に向かって、常に内なる能動的な力が働き続けることによって、そこに宇宙創造の無限の熱が現れるのですが、この無限の「悪の可能態」としての仮象の世界が、悪の事実態にまでもたらされるというのが、宇宙創造の現実です。それに意味において、マニ教の伝説は、過去の伝説ではなくて、現在進行形なのです。
あの人間は限りなく犯人のように思えるが、犯人ではない、、、
これは限りなく生きているように見えるが、死んでいる、、、
神のように美しいが、神ではない、、、
悪の働きの根源とは、この仮象の世界を実体にすりかえる力です。私たちの人生、歴史、文化、自然界の中には限りなくこの仮象が実体として存在し続け、その事を基盤にしてしばし私たちは生きる目的や根拠を作り出しているのです。そして、進んでこの無限に「そのように思える」仮象の中にとどまろうとするのです。そしてこの無限の積み重ねの結果、「悪の可能態」が完全な「悪の事実態」に移行していくことによって、神の創造行為は一つの極へ向かって無限に高められていくのです。これは神々が人間に与えた最高の挑戦状のようなものかもしれません。神々が宇宙創造の始まりに自身を取り囲んでいる「悪の可能態」としての「仮象の世界」に対峙し続けることによって、「創造の熱」を生み出したように、現在、人類が新しい「公転」を始めようとするならば、マニ教的な天地開闢の時間を今、この日常生活の中に持ち込まなければならないのです。もし世界が完全に一元的であるならば、人間は、いかなる悪をも行いうる可能性を有しません。どんな悪も善にしかならないのです。反対に、宇宙が完全に二元的で善悪が対峙し続ける限りにおいて、人間は悪を選ぼうが善を選ぼうが、それはどちらでも同じです。完璧な二元論に絶対的な価値を決定することなどできないからです。
けれどもマニ教が一元論であるか、二元論であるか、三元論であるが、それは、どうでもいのです。人間の「能動的な働き」とは、思想の一切を宇宙的事実から生み出すのではなくて、自分自身の内部から生み出すことができるからです。人間は二元論を一元論にする力があります。一元論であっても反対に二元論として、人間を組み立てることができます。もはや、人間の思想は外界に依存する必要は全くないのです。自身の内部から、何を生み出すかだけです。その意味において、たとえマニ教が完全な二元論を展開しているとしても、人間がその善悪二元論をカラダにどう引き受けるかだけが問題なのです。それは全能なる神が「可能態としての悪」に向かいつつ、その能動性が外界に全く依存していないのと同じです。例えばルドルフ・シュタイナーはマニ教のこの二元論を、次のようにとらえています。もし宇宙が善の一元世界であるならば、破壊も悪も破滅も存在せず、永遠の光だけです。もし人間がその光の王国の中に、そのまま創造されたとするならば、人間に、神が行ったのと同等の言葉の力、宇宙創造力を移転させることなど決してできないのです。そこで神は何を行ったか・・・・・・・・・神は永遠の悪を「演じ続けた」のです。神は永遠に「悪の仮面」をつけ続けたのです。神は悪を演じ続けることによって、人間に宇宙創造の力を伝達した、というのです。「悪の劇場宇宙」・・・これを仕組んだのが神々であるというのです。もし、人間がこの悪の演劇構造に目覚めなかったとするなら、宇宙はそのまま奈落に落ちてゆくでしょう。悪はもともと実体としては存在し得ない「虚」のものです。善は外側に何者も依存しない能動性に満ちた存在です。すべてのものを「内部から」創造するのです。そして悪が善と同じく「能動性」を持ち得るとするならば、それは、「可能態としての悪」なのです。「演じられた悪」なのです。善はそれ自体では停止しています。宇宙の創造においては、「演じられた悪」が先に活動を始めることによってのみ、光は活動することができるからです。光だけでは活動できないのです。その虚構を実の悪に変えてしまってのは、人間です。ですから、マニ教の善悪二元論を、人間のカラダを通して描こうとするならば、「全能」と「演じられた悪」の二つなのです。そして、この事を古代インドにおいて、壮大な叙事詩として描いているのが、「バガヴァッド・ギ―タ―」です。
自爆テロは最終自己表現か 6
けれども、外世界が「虚」の存在であるとしても、家が火事になれば住むところありませんし、怪我をすれば痛いし、自然災害が生じるならば、それは私たちの社会や人生全体にとって膨大な影響力をもたらします。ですから、外的世界は「虚存在」だ、などとは言ってられないのです。人生にとってそんなことは、どうでもいいのです。私たちがこの世に生まれ、生きていくということは、紛れもなく外的世界の中で生じるのです。すべてのリアリティは、この外的世界から私達に与えられるのです。衣食住のすべてのリアリティは、外から私達もたらされるものです。すでに述べたように、もう一方に内的イマジネーションを通しても、リアリティを能動的に生み出すことはできます。今日、人はパソコン内部のバーチャル空間の中で、第二の人生を作ることができ、、そこでも外界と同じような意識のリアリティを作り出すことができます。同じように、私たちは自分の体の内部で イマジネーション だけの内的な、第三番目の世界を有しています。そして今日多くの人々は、むしろこのコンピューター内部のバーチャル世界よりも、自分の内部の イマジネーション世界の方に、より強いリアリティ思ってることも事実です。
ここで次のような問いを立ててみたいのです。
外的世界は、つき詰めならば、虚の世界かもしれないけども、リアリティが外界から来るものによって常に与えられる場合と、同じように外界の中に生きるわけですが、常にその時にそこで生じることが、虚の出来事であるということを意識し続けているている場合、そこにどのような違いがあるのでしょうか。両者において、経験する内容を同じなのですが、一方は「虚」であることを問題視しない場合と、他方では、
常に「虚」であること意識続ける場合です。このことは理屈で考えるよりも、実際に十分間でも、外界が「虚」であることを意識し続ける時に、自分の体の中で何が生じるかを観察してみればいいのです。けれどもそれを始めるには、大きな障害があります。冒頭で述べまたように、「人が歩いているのを見る」ということは、その人が自分のカラダの中を歩いているのではなく、それを表象としてのみ受け取っているにもかかわらず、私たちは、海外の出来事を「虚」とは考えられず、自分の表象と同じものが外界に「在る」に違いないと確信しているからです。ですから「虚」であることを前提にするのではなく、外的な一つの対象が何であるかを、十分間とことん問い続けることをしてみるとき、一体何が生じるでしょうか。その時に、次のことを行う必要があります。そこに一切の前堤となるもの、社会的常識、記憶、思い込み、それが自分の体の外にあるのか、内であるかなどという判断を一切除外して視るみる、という十分間です。とても「虚」の存在には至らないでしょうけれども、一切の「前提」を外して見るときに、そこで何がカラダの中に生じるでしょうか。それは熱です。血液の中を流れる熱です。なぜ、その時、熱が生じるのでしょうか。それは固まった記憶が溶け始めるからです。例えば、人間の体には様々な臓器がありますが、肺は始めから肺として形成されたのではなくて、魚類が両生類をへて、陸上の脊椎動物に変わっていくときに形成されたものです。ですから、人間の肺は、人間の進化の過程をそこに封印した一個の器官です。人間の体のすべての器官、心臓や肺や眼球等の物質的形態の中には、それが形成されるに至るまでのすべてが、エネルギーとして、込められているのです。けれども、それが一つの形態をとってしまった時に、そのエネルギーは硬化した器官に変化してしまいます。同じように、私たちが有している記憶や社会常識や思い込みは、すべて記憶を形成するエネルギーが硬化したものです。それはかつて無限のエネルギー生命力であったものが記憶としての形態化したものです。通常の日常生活において、内部の表象がそのまま対象物として外に実現されていると考えるとき、そのような記憶のエネルギー化は決して生じません。なぜなら、内と外において、完全に平衡が保たれ、外的対象と内的表象が硬く結びついているからです。けれども、外的対象物から一切の記憶思い込み前堤を外していくうちに、外的対象物そのものがそれとともに、限りなく変容するのです。そしてそれはいつしか外的対象物から「虚」の存在にまで変化していきます。その「虚」の存在はその瞬間に、人間の元から有している能動的リアリティ、イマジネーションを通してリアリティを内的に形成する力と融合するのです。そしてこの瞬間に生じていることは、全能なる神が宇宙創造を始める瞬間に、立ち会うことなのです。
この瞬間は「可能態としての悪」が神々の宇宙創造と関わる最重要な瞬間なのです。そして、そのことは、人間の日常生活における対象と表象との関わりを、嘘偽りなく見つめ続けることによって、獲得することができる、人間にとっての最高の認識瞬間なのです。この瞬間をもう一歩深めて、叙述してみたいともいます。
人間は外的世界が存在しなくても、神々や死者たちがそうであるように、自分自身の内部から「能動的に存在のリアリティ」を生み出すことができます。この存在の能動性は人間の本質と深く結びついているものです。けれども、この能動性がある一つの「具体的なイマジネーション」を形成するためには、始めに、実体としてのイマジネーションではなくて、その虚体がなければなりません。始めに存在の能動性をイマジネーションにおいて形成するのは、実体ではなく、その「虚」の存在なのです。実体の周囲を「虚」の存在が取り囲み始めることによって、イマジネーションは内部から能動的に立ち現れてきます。日常生活において外側の対象と内側の表彰が完全に結びついている時には、表象は常に受動的に外側から人間に与えられます。けれども、このことが生じるのは、表象と同じものが外界に実体して存在するという人間の習慣的な感性での中でのみ、現れてくるものです。そして、対象についてのすべての思い込み、前堤、記憶を消去することによって、対象そのものもの本来の姿である「虚体」の存在が出現するに従って、イマジネーションは能動的に存在の内部から立ち上がり、そして「虚」の存在と一体となる
です。そしてこのことは神々な宇宙を創造する最初の瞬間の再現なのです。
全能なる神は、宇宙創造以前において、すでにすべての存在を能動的に生み出す力を内部に持っています。けれども、宇宙創造という、一つの運動を始めるということは、全能性の中に存在する「悪へのか可能態」が動き始めるからなのです。完璧な全能であるならば、もはや創造することすらできません。創造するということは、すでに「全能ではないもの」が動き始めることです。全能であることそのものの中に存在する、「非全能への可能態」、すなわち「悪への可能態」が動き始めることによってのみ、神々は創造行為を行うことができるのです。初めに動き始めたのは、「悪の可能態」です。
神々による宇宙創造が始まる以前に、宇宙には、「虚偽の 霊」 と「真実の霊」の二つが存在していました。「真実の霊」はひたすら能動的で創造的力であり、何物にも欠けることなく、自足して宇宙に存在する力です。それに対して「虚偽の霊」とは、空間の中に一本の線を描いて一つの領域を「指示する力」「暗示する力」です。「悪の可能態」が始めに活動を始めるのは、この「虚偽の霊」としてです。宇宙とは、決して何者によっても分断することのできない力に満たされています。ですから、その真実に満たされた空間の中に、分断された空間を生み出すことは本来できないのです。けれども、虚偽の霊 は、宇宙空間の中に、あたかも地球それ自体には緯度経度という線は、存在しないにもかかわらず、世界地図の中にそれを描くような働きをするのです。その線が円を描いたとしますと、本来宇宙には、内も外もないのですが、あたかもその円によって宇宙に内と外が生まれるかのように見える、そういう働きをするのです。この虚偽の霊 は、真実の霊よりもはるかに高次の霊です。なぜなら、このことを「鏡」の譬えで考えてますと、次のように言えます。鏡は本来それを映し出す実体が先にあって、そのあとにその鏡像が生まれるのです。けれども、この高次の虚偽の 霊は逆なのです。初めに鏡像が存在し、その鏡像の力によって、実体が働き始めるのです。全能の神はこの虚偽の霊によって造られたのではありません。けれども、この虚偽の霊が働かないと、全能の神は一切創造を行うことがなく、ただ自足して不動な状態にあるのです。この虚偽の 霊は、「映し出された鏡像」なのではなく、あたかも「自律した鏡像」であるかのように働き、それによって全能なる力が鼓舞されるのです。
この悪の可能態は悪の事実態として働くのではなく、あたかも「悪の実体であるかのごとく」働きます。それはちょうど私たちの日常生活において、外的対象があたかも「実体」としてそこにあるかのごとく、存在するのと全く同じなのです。私たちは外的対象が実体として存在していると習慣的に感じていることを、「悪の可能態」などとは考えません。けれども、外的対象物を実体と考えること自体、すでに人間は悪の可能態の中に没入させられているのです。私たちは日常生活全体が悪の可能態の中にすべて吸収されているとは決して考えません。しかし外界は、「無限に実体のように見える」という仮象の世界なのです。「虚」でありながら、限りなく「実」として存在しているのです。その時、全能なる神は何を行ったのでしょうか。神は何にも依存することのない能動的な創造力と「虚の世界」を結合したのです。どのように、、、。どうしても実体としか見えない仮象に、対峙し続けたのです。一瞬も仮称の世界、虚の世界の中に、神々は吞み込まれなかったのです。虚であることを見続けたのです、感じ続けたのです。その虚の力を、創造の中に永遠に取り組み込み続けたのです。もし、全能の神が悪の可能態である虚を、実と捉えた瞬間に、宇宙は崩壊するでしょう。神の能動的な創造力と虚の世界が結合した時、永劫の熱が生まれたのです。宇宙は熱宇宙となったのです。そしてこの熱が人間の血液の熱、体温の大元を作ったのです。人間がこの結合の中から、出現したのです。
自爆テロは最終自己表現か 5
鏡像
あなたが今一つの空間の中にいて、眼の前に大勢の人の歩いている姿を見ています。あなたがそれを知覚することができるのは、 眼 という感覚器官を通してです。当たり前のことですが、その大勢の歩いてる人が「生身のまま」で、あなたの体の中を通過することによって、あなたはその大勢の人の姿を、リアルなものとしてとらえているのではありません。あなたが受け取っているのは 、眼という感覚器官を通して、その姿を内的に知覚しているだけです。けれども、あなたが知覚しているものとは別に、具体的に生身の大勢の人間が眼という感覚器官の向こうを歩いている、ということも事実です。こうして感覚器官で知覚するということは、人間を内部と外部に完全に分断し、分裂させてしまいます。実際のところ、私たちは目の向こう側を歩いている、大勢の人たちの「存在そのもの」を、じかに確認しているわけではないのです。たとえそれを確認しようとして、それらの人々を手で触れてみたところで、それは、触角という感覚器官が働くだけであって、それらの人々そのものの存在では決してありません。それらの人々から何がしかが香ってきたとしましても、それは、その存在そのものではなく、嗅覚という感覚器官が働いているに過ぎません。人間は決して「外界それ自体」を、一度も見たことも聞いた事も触れたこともないのです。外界は常に感覚の向こう側に、あたかも永遠の謎かであるかのように、たゆだっているに過ぎません。生まれつき完全な盲目の人が存在するように、もし生まれつき完全に触角が働がない人間がいたとするなら、たとえ、その人は視覚や嗅覚が健全に働いているとしても、決して内界と外界を分けることはできません。目の前にある樹と自分の手を区別する事はできないのです。感覚が働くということは、同時そこに「感覚についての意識」が働きます。ですから、私たちは眼の前の「人の姿」を見ているのか、眼の前で「人の姿という意識」を見ているのか、判別つかないのです。「床」を見ているのか「床という意識」を見ているのか、「星空」を見ているのか、「星空という意識」を見てるのか、わからないのです。にもかかわらず、私たちは感覚を通して、そこにリアルな「床」や「星々」や「人間」という意識を有することができるのです。このようなリアルな意識は具体的な「床」や「星々」や「人間」に基づくものではなく、それらがバーチャル映像であろうと、さして変わりません。非常に精密な映像を通しても、そのようなリアルな意識を生み出すことができるわけですから。さらに、そのようなリアルな意識は、具体的な出来事やバーチャル映像に全く依存しなくても、自律的にカラダの中で生み出すことができます。つまり イマジネーション を通しても、そのようなリアルな意識は体の中に創造されます。このように、リアルな意識は外的な、具体的出来事をとうしても、反対にヴァーチャルなものを通しても、或いは、イマジネーションを通しても、形成されるわけです。そして私たち人間生活をしている時に、この三つの事柄をそれほど明瞭に分離しているわけではありません。
どうかこの三つの出来事を、一切の妥協を排して、徹底的に観察してください。そうすれば、そこに神々の創造の大きな秘密を解き明かすに違いありません。第1の場合は、物質と感覚器官との係りにおいて生じます。第2の場合は、感覚器官と表象を通して生じます。そして第3の場合にはイマジネーションとそれを受け取る自我との間において生じます。そして、そこにおいて共通しているのは、「リアルな意識」ということです。第1の場合のリアルな意識は自分で生み出したものではなくて、常に外界から「受動的」に与えられたものとして生じます。第2の場合には、感覚が表象と一体となって現れてきます。そして第3の場合には、すべて自分自身の内部でイマジネーションを形成することによって、自分の内部そのものから「能動的」に現れてきます。第1の場合には所与のものとして、第2の場合には、自然に生み出されるものとして、第3の場合には、能動的に形成されるものとして生じるのです。この三つのものの結びつきを理解する事を通して、神々の創造行為の核心に触れることができるのです。とりわけ、全能なる神が存在することによって生じる、「可能態としての悪」と、その悪を通して神々がいかに宇宙創造を行い、人間形成にまで至ったのかということが理解されるのです。人間の何気ない日常生活の中の中において、神々の創造行為と同等のものが、常に生じているのです。
これらのことは人間においても、一般動物とりわけ脊椎動物においても生じますが、その違いはそこに自我の働きが介入してるか否かということです。自我はその働きにおいて、非常に微妙であり、多様性に富んでいます。自我は自我そのものに働きかけることによって、「無我」にもなります。また、自我は無我と共存することができ、無我はしばしば自我を非常に強めることができ、反対に、自我そのものが、無我のありようを無限に変容させることができるのです。自我は欲望と結びつくことによって、すぐに利己主義的にもなりますし、その欲望が自分自身のためではなくて他者のために働こうとすると自我は利他主義的にもなります。ライオンや犬のような個々の動物そのものの中には、人間と同等の自我は存在しませんが、けれども、それらの動物は、同じ種の存在として、共通の群れの魂としての群魂を有しています。この群魂を通して通して、一つの種の動物においては、一つの共通の自我が働いているのです。このことは人間においても、共通です。個々の人間はそれぞれ固有の自我を持っていますが、同時に動物が一つの群魂を持っているように、群魂としての全体自我も有しています。違うのは動物においては、群魂だけが働くのに対して、人間は個体自我と群魂を共有することができます。
ここで再び、外界と内界が外的対象と表象に、感覚器官を通して分断され、分離している第一の意識について考えてみます。勿論、人間は、それを決して分離した状態とは考えておらず、ごく自然に表象と外的対象は、一致しているという前提のもとに生活してるわけです。けれども、この分離を明瞭に意識してしまった人間にとっては、ある瞬間から外的世界に生きること生きること全体が、すべて内界の出来事として、引き受けるべきであるという、大きな選択の前に立たされます。そこでは社会も大自然か宇宙もすべて自己の内部世界です。そして人間は決してこの感覚の向こう側の、いわゆる「物自体」をリアルに捕まえようとすると、一つの虚構の世界の中に入り込んでしまいます。その時、その外的対象は、そこに存在しているのではなく、「限りなく存在しているかのように思える虚存在」の姿を現し始めます。汽車が走る二本のメールが彼方のところであたかも、一点に重なっているように思える時に、その点を掴もうと思って走り始める人間のような感覚です。外的対象はそれを掴もうとすれば常に遠のいてゆく存在です。それは青空のブルー色を掴もうとするのと、同じです。あの青空のブルーはどこにも存在していません。ただ、ブルーが実体として空に存在しているかのように思えるのです。人間を取り巻く外界は、それを掴もうとするならば、常にそのような虚存在なのです。
自爆テロは最終自己表現か 4
神々は単に、自己のすべてを人間の中に、歴史の中に、大自然の中に流出することによって、創造行為を行ったのではありません。神は自己の中に、「悪の可能態」を無限に拡大していくことによってのみ、創造行為を実現することができたのです。そこには、悪に対して、神々の最も意識的で、意図的で、意志的な働きが存在しています。天地創造の結果、やむを得ず、悪が生じてしまったのではないのです。まして、悪というものは、神々の中には存在しなかった、悪はただ物質の世界、霊界ではなく、感覚的な世界に人間が存在することによってのみ、現れてきたのだ、というのは、根本的な間違いです。人間が物質的な感性、物質的な満足を追い求める結果、悪が生じたのではないのです。神々は純粋無垢な光だけの存在である、神々は一切の汚れがなく、無垢で悪の可能態に触れた存在ではなく、それは完璧な全能なる存在として、一切の悪を消滅させる力である、その神々の光が地上に射してきたとき、人間が立ったその大地に黒々とその影が生じた、悪とはそのように人間が物質世界に立つことによってのみ、生じたのだと、と考えるとき、悪の根源にまでには決して至りません。悪は地上で生まれたのではなく、霊界において誕生したのです。そもそも、神々の根本的な創造行為そのものは、悪の無限の可能態を事実態に変えることによってのみ、生じたのです。神は自己の全能の中に、眠り続ける存在ではありません。神は全能であることそのものが、すでに「存在が不在を可能態として含む」ように、全能が「非全能の可能態であること」すなわち、悪の可能態を有していることを、自己の全能性以上に知り尽くした存在です。
ですから私たちは、悪の根源に至ろうとするならば、一切の肉体的な存在と物質的な存在を消去させ、感覚を超えた世界に悪そのもの実態をイメージすることができなければならないのです。悪が物質世界から自立した存在であるということを知らなければならないのです。このことは同時に、人間そのものの全体性にいえることです。人間は、決して唯物的な肉体そのものがすべてなのではなく、この肉体の中には、神々がその中に封印した、すべてのものが存在しています。そこでは霊的なるもの、魂的なるも、四大元素霊や物質世界そのものを生み出すことのできる神霊的力が体の中に封印されているのです。宇宙に存在するすべてのもの、庭園、樹の幹や枝枝が、物質的なるものと一体となって肉体を構成しています。ですから、悪が一切の肉体的なものから離れた、超感覚的な世界において自立した存在であるということを認識することは、自分自身の存在そのものが肉体から自由な、霊的、魂的に自立した存在であることを確信できなければならないのです。
神の全能は宇宙に存在するすべての物の内部にあって、一なる存在であること、大宇宙を一つの球形に例えるならば、その一なる球形が全宇宙と融合していることです。一が全なのです。そして神の有する「悪への可能態」とは、この「一が全であること」」の中に存在しています。なぜなら、そこには「一が全でない可能態」生じるからです。この全体から離れた一が利己主義を生じるのです。すべての悪は利己主義から生じます。人との間の、ささいな争いからに、世界大戦に至るまで、すべての破壊的な悪は、利己主義から生じます。そして悪を克服できるのは利己主義を克服することに以外ありません。そして、利己主義と利他主義が一切の矛盾を越えて、完璧に融合した存在が神なのです。神以外にこの利己主義と利他主義を宇宙的に完璧に融合した存在は、ありません。どんな人間といえども、この二つは完全に融合することができないのです。なぜなら、利己主義には、無限の悪を生み出すす力が存在するからです。人間にはこの無限の悪を克服する力はありません。ただ、その克服に向けて、無限に努力し続ける存在でしかないのです。ここで重要なのは、神は利他主義の存在ではないということです。そうではなくて利己主義と利他主義を矛盾なく融合させる無限の力をもった存在であるということです。利己主義なしに、神たり得ることは決してありません。なぜならば利己主義なしには、悪を生み出すことも悪を宇宙創造の力に変えることも決してできないからです。
自爆テロは最終自己表現か 3
もし,神々この完全な光輝、完全な共感、完全な自由、完全な純粋性、破壊することもできないダイヤモンドよりも硬い砦を守り続けたとするなら、罪性は決して生じることなく、神はただ神であり続けたに違いありません。けれども,そこでは決して宇宙創造は行われません。宇宙創造を行うということは、この完璧な神性の中に罪性を担うことであり、更にその罪性を被造物の中に流し込んで封印することなのです。けれども、罪性、悪そのものは一体どのように生じたのでしょうか。このことを考える上で二つの概念を考えなければなりません。それは、「可能態」と「事実態」という概念です。「悪が生じる」ということは、悪が一つの事実として宇宙の中に「働く」ということです。けれども、「可能態」というのは、そこに悪そのものが生じているのではなく、無限に「生じ得る」可能性が存在するという意味です。この可能態としての悪はすでに宇宙を創造する以前の、神の完全性の中に存在しています。この「悪の可能態」を消去することは、神の完全性そのものが消去することを意味しています。可能態はある一つのものが存在すると同時に、生じるのです。「存在する」ということは「不在」ということを可能態としては、すでに有しているのです。そこで「不在という可能態」を消去することは存在そのもの消滅させること、を意味しています。神が創造するということは、この悪の可能態が悪の事実態へと変化していくことでもあります。宇宙が進化発展するということ、歴史が動き始めるということ、人間が誕生し成長するということは、すでにこの悪の可能態が事実態に変化していくことです。宇宙が誕生するということはすでに宇宙が「崩壊する」ということを意味しているのです。事実、天地創造というのは、悪の始まりでもあるのです。母親の胎内に誕生するということは、もうすでに同時に胎児の中で、破壊活動が始まってるのです。
手紙(1980.12.2) コルマールからバーゼルへの旅
それにしても、今年(2016年)のお正月は、何と暖かなお正月だったことか!この一年、みんなの心も、このように温かでありますように。
1980.12.2 夜
今やっと、3人がベッドの中で、スヤスヤ寝たところです。今日の昼間は、ミツの友達のフィリップとトビアスが来て、一緒にハンバーグのランチ。午後はお向かいのクヌーツと森でそり遊び。一日が終わる頃はくたくたです。今日はとても冷たい日でした。11月の異常とも言える暖かな日々も、山崎さんと二人で旅行に出る28日の朝から、急に冷え込み、巨大な雪将軍の到来です。でも私たちは、コルマール、そしてバーゼルの2泊3日の旅に、山崎さんの車(通称ヤマザキクルマ)で出発しました。どこまでも続く雪原の中を、アウトバーンにのって、ひたすら南へ、南へと向い、コルマールのウンターリンデン美術館に着き、イーゼンハイムの祭壇画の前に座った時は、ふたりとも念願が叶って、唯々感激。言葉も交わさず、ただボォーとしてしまいました。11月の末の冷たい雪の日なので、冷えきった石の会堂には人気もなく、回廊をあるく私たちの足音だけが聞こえる、静かなひと時でした。(とにかく凄い! このキリスト磔刑図。子どもたちを家に残して、思いきって独り離れて出掛けてきて、本当によかった)その日は、アルザス地方の山間の村のホテルに一泊し、翌朝、次の目的地、ベックリンの「死の島」があるバーゼル美術館に向いました。バーゼルの街は、丁度クリスマス前のアドベントの第一週とあって、とても賑やかで、雪で真っ白になった旧い美しい町並みを歩いて楽しみました。ベックリンの「死の島」は、以前画集で見た時、なぜかとても魅かれた絵で、いつか本物を見たいと思っていたので、とても嬉しかったです。そして再び、アウトバーンにのってStuttgartへ。夜遅く全てが凍てついた中を、我が家に戻ると、子どもたちはもうスヤスヤ。お母さんからのお手紙が届いていました。ありがとう。
また書きます。取り急ぎご報告まで。 久子
自爆テロは最終自己表現か 2
始めに、どうかこのことを深く認識してください。神々による宇宙創造とは、被造物の中における自己封印であるということを。そして、神々はこの庭園と樹の幹と枝と果実の中に、自己の何一つ残らずすべて封印したということを。闇も光も、暖かさも冷たさも、悪も善も、時間も空間も、高さも低さも、過去も未来も、眠りと目覚めもすべてこの中に封印したのです。しかし何故、神々は創造行為を行わなければならなかったのですか。それは神々も人間と同じく、自己実現を果たさなければならないからです。自己の内部に眠っているものを、外に取り出さなければならないのです。そしてそれは被造物を作り出すことによってのみ、実現されるものです。創造することによってのみ、神は神たりえるのです。神々は決して完全に満ち足りた存在ではなく、創造するということは、覚醒するということであり、その覚醒ば無限覚醒に向かっての飛躍です。そしてこの「無限覚醒」とは、単に、ここに眠っているものを、揺り動かすだけではなく、それは同時に「眠り」を作り出すことであり、その作り出し「眠」の中で、再び新たに覚醒するのです。無限に覚醒を作り出すのです。神々が担ったこの無限覚醒に向けての飛躍。それはいかなるものによっても、償うことのできない宇宙的罪性。目覚めるということは、無限に罪性を引き受けることなのです。
創造物 に自己を封印するということは、被造物がその罪性を引き受けることです。「罪性への目覚め」はすでに大宇宙が生まれた瞬間、庭園全体に流れ込んだのです。そして、それは幹と枝におてさらに深められ、人間であるところの果実の中に入って、その最終形態を生じたのです。その罪性は、幹や枝においては決して実現されない、人間においてのみ生じる「悪の極北」です。この悪の顕現と引き換えに、神々は天地開闢を行いました。もし、この庭園全体を覆っている自己封印が解かれないとするならば、神々は被造物とともに、宇宙の奈落に落ちていくに違いありません。天地開闢は決して、予定調和の世界ではないのです。神々はこの「自己封印」に何かを、賭けたのです。
宇宙創造を始める以前の神は、一万個の太陽よりも光り輝く存在であり、すべてのものに無償の愛を注ぐ、共感共苦の魂であり、それは一万個の太陽よりも暖かく、そしてその運動性において、真空よりもやわらかい自由を有し、その純粋性において、雪よりも純白で、欲求、欲望、エゴイズムの片鱗もなく、そして神々の意志はいかなるものによってもこぼつことのできない、ダイヤモンド以上の硬質さに満ち満ちでいます。太陽よりも光り輝く意識の明瞭さ、いかなる苦しみも、共感に変えることのできる魂の豊かさ、真空よりもやわらかい魂の柔和さ、赤ん坊が 母親によせる雪よりも純白な信頼、悪より身を守るダイヤモンドよりも硬い砦。
自爆テロは最終自己表現か 1
世界は美しい庭園です。広々とした大地が広がり、そこに無数の樹木が生え、樹木はその大地から無限の栄養分を吸い上げ、それは樹木の中で、光の樹液となって上に昇って行きます。そのその樹液は枝えだを充たし、その先には、様々な果実をつけます。一つの果実の中には、庭園のすべてが凝縮されています。「ひとつの薔薇の花が、美しく開花するとき、薔薇園すべてが光り輝く」という格言のどおり、一つの果実が実るということは、庭園全体が光り輝くことです。ヤーコプ・べーメの比喩を借りるならば、「庭園は大宇宙、樹の幹は星星、枝えだは火・空気・水・地の四大霊、そしてその果実は人間」です。ひとつの果実の中には、庭園のすべてが凝縮し、封印されています。芸術家としての神は宇宙を創造するとき、その自分自身のすべてを、人間という果実のなかに「自己封印」したのです。あたかも、大地や木の幹や枝枝は、この庭園全体を一つの果実の中に封印するために存在しているかのようです。一人の画家がキャンヴァスに絵を描く時、自己のすべてをそのキャンヴァスの中に流し込むとしても、描き終わったときに、その肉体的存在だけは、キャンヴァスの外に残ります。けれども、神々の創造行為は完璧です。自己のすべてを庭園と樹木とその果実の中に流しこみ、神は被造物のすべての中に自己を封印し、その姿を消滅させたのです。もはや、私たちは神の姿をどこにも見ることは、できません。神が自分の姿を形づくって、人間を創造したということは、その神の姿そのものが人間存在の中にすべて入り込んだからです。庭園の中に、樹木の幹の中に、枝の中に、そして果実の中に、一人の犯罪者が牢獄の中に幽閉されるように、神は自己を、庭園のすべての物の内部に幽閉したのです。「庭園は大宇宙、樹の幹は星々、枝えだは火・空気・水・地の四大霊、そしてその果実は人間」。だから、すべての人間存在の中に、すべての動物存在の中に、すべての植物・鉱物存在の中に神は、自己を封印したのです。自ら進んでこの幽閉を実行したのです。神の創造行為とは自己幽閉行為なのです。神はこの宇宙世紀において、みずから進んで囚われの身となり、その身を隠したのです。けれども、この神の自己幽閉は一度に、実現されたのではありません。はじめに、大宇宙としての庭園の中に自己を流し込んだ時、神は真空よりもやわらかい、父声と母声という声と一体となって、存在しました。まだ樹木が庭園に現れるより以前に、宇宙に存在したのは、ただ神々の声だけであり、神々はその声の中に、自己のすべてを移し入れたのです。だから声が神なのです。父声と母声が神々なのです。もし神が声の中に自己のすべてを移し入れなければ、神々の創造行為はけして成り立ちません。
手紙(1980.11.21) クリスマスにおばあちゃんがやって来る!
早くも、今日はおおつごもり。日に日に時間の速度に付いて行けなくなる。それにしても何と明るく暖かな年の暮れだろうか。来年は、内も外も明るく暖かな年になりますように。
さて35年前のこと。10月25日にアキラが一時帰国しStuttgartの戻り、その年のクリスマスには、おばあちゃんが日本からやってくる事になった。
1980年11月21日(木曜日)
アキラの突然の帰国、短い間で慌ただしく、大変お世話さまでした。さて、今度はお母さん、12月17日の飛行機の正確な時間をお知らせ下さい。必ず、お迎えに行きます。クリスマスに欲しい物は、いろいろありますがあまり重くない程度に、おもち、ふじっ子、漬け物など。でも、おばあちゃんがこちらに来られる事が、子どもたちへの最大のプレゼントですから、ご無理のないように。チカシは「おばあちゃんが独りで来るのは大変だから、本なんかは、送ってくれればいいよね」と言っています。毛糸はこちらにありますし、編み棒も持っていますが、編み物の本が是非欲しいです。こちらは、11月初めは、とても寒い日がありましたが、ここ1週間は、暖かく、春のようで、少々不安です。また何時あの寒さがやってくるのか、と思うとです。チカシもレイジも元気に学校に通っています。レイジも来週からは、11時45分までになります。週3時間/ロシア語、2時間/英語、2時間/宗教、その他は、手芸、音楽です。ロシア語は全く分かりませんから、レイジが授業で聴いてきた言葉と動作を合わせて「それは、人形の事じゃない?」とか「取る、じゃない?」とかみんなで想像ごっこをして遊んでいます。「立て」のことは「スタイヨット」、英語の「stand up」にちょっと似ているね、などと、言ったりして。チカシのHaupt Unterricht(基本授業)は、ドイツ語文法で、とても難しく、チカシだけ別の老婦人の先生が、個人指導してくれます(レイジも15分、1対1で教わります)。日本人の友達も「よかったね!」と喜んでくれました。みんな私たちの子どもたちの事を、とても心配してくれています。ドイツに長くいらっしゃる柳さんの奥さんに話したら、「それはとても恵まれていて、人によっては、学校に馴染めず、遂に辞めさせたり、外人労働者の子どもたちだけと遊ぶので、ドイツ語を覚えられず、親子共々円形脱毛症になったりして、とても苦しんでいる方もいます」と言っておられました。チカシは、昨日から週一度、フラウ・ウールバッハにドイツ語の読み方を教えて頂く事になり、今、グリム童話を読んでいます。日本語の本も少しは読んで欲しいのですが、そちらは相変わらず「明日のジョー」に夢中。親も子も闘争の日々です。そこで、月末に山崎さんと二人でだけで、コルマールに行ってもいいという事になり、久しぶりに、子ども3人から離れられるので、バンザ〜イです。その様子はまた手紙に書きます。お元気で。久子
手紙(1980.10.25)ヨーロッパでの初めての秋
1980年10月17日付けの手紙を読むと、その翌年のエルゼ・クリンク・オイリュトミーグルッペの日本公演ツアーの下準備のために、アキラが同月25日アエロフロートで2週間ほど帰国する事になり、その際にお母さんにお願いごとを書いている。今、読み返してみると、これが嫁が姑に書く手紙か、とあきれるばかりだ。
アキラに持ってきてもらいたい物のリスト
1、母子手帳(和ダンスの小引き出しの一番右)2、ケーキの型(上の戸棚、円型とマドレーヌの型)3、子どもたちのソックス(短いもの)4、あれば、ミツとレイジのズボン下 5、歯痛止め 6、アキラの冬のパジャマ 7、コンタクトレンズ(ハード)の保存液 8 あずき、上新粉、白玉粉 6、コンスターチ(子どもたちがお団子が食べたいというので)7 「明日のジョー」8巻 8、カレーのもと。
まるで、離れ小島に漂流した家族が援助を求めて書いた手紙のようだ。日本でこの要求を引き受け、用意するお母さんも、またそれをトランクにつめて運ぶアキラも容易でない事だったでしょう。もう35年前の事、今更気がついても、遅い。
そして、10月25日の早朝、日本に向うアキラを市電の駅まで送って後、
1980年10月25日(土曜日)
重く垂れ込んだ灰色の寒空の下で、木々の葉は、真っ黄色に色づき、その鮮明な色合いは、美しいというより、むしろ哀しいまでの透明感があります。暖かく紅葉を愛でる日本の秋とは、ほど遠く、静かで冷たく硬い空気に支配された秋。これがヨーロッパの秋なのか、と思います。人びとは、厚手のオーバを着て、黙々と自分のなすべき事を行ない、自然は、大いなる力でもって、厳しい冬に向って、容赦なく時を進めます。夏、賑やかにさえずっていた黒ツグミの姿も、今は見ることはありません。窓から遠く、色づいた木々を眺めていると、リルケやヘッセの詩が、自然に体に染み込んできます。子どもたちは外に出ると、寒くて、もかけっこをしたり、木登りしたり、すこぶる元気ですからご安心下さい。
さて、アキラの急の帰国、びっくりなさった事でしょう。帰国する前は、風邪を引いたり、出掛けたり、何のお土産も用意できずごめんなさい。それに引き換え先の手紙では、お願いごとばかり並べて、申し訳ございません。もし可能であれば、というつもりですから、決してご無理をなさらないように。
ところで、お母さんはいつ頃こちらにいらっしゃいますか?クリスマスの頃は、きっと寒いでしょうけど、全く異なった自然の中に身を置くというのも、いいものです。ミツの幼稚園は、12月22日までです。そのに以前いらっしゃれば、ミツの送り迎えの様子、またチカシとレイジの学校にも行けると思います。マーケットでは、もう、クリスマスのろうそくとか、美しい飾り物が出ています。
みんな、おばあちゃんが来てくれるのを楽しみに待っています。どうぞ実り多い日々をお過ごし下さい。お大切に。久子
追伸:アキラへ、チカシがシャープペンシルの芯を父さんに頼めばよかった、と言っておりました。
手紙(1980.10.1) ミカエル祭の頃
クリスマス休暇で、日本に一時帰国したハノーバーに住む日本人の友人と電話で話した。
「今、ドイツもパリのテロ事件や難民受入れ問題で大変だけど、日本の報道とは、少し違うのよね。こちらでは、みんな、厳しい状況から逃れてきた人たちを快く受入れて、多くの市民が力を合わせて援助しているの。大半のドイツ人はそう思っていると思うわ」と言った。
そう言えば、家族でドイツに渡った時のことだ。驚いたことに、シュツットガルトに住み始めたその日から、3人の子どもたちの児童手当が市から支給されたのだ。外国人で、しかも学生の家族に、しかも3人の子ども全員に、児童手当(キンダーゲルト)が支給されるなんて、渡独前は思っても見なかった。その時ほど、人種を超えて子どもは守る、というドイツ人の意志を感じたことはない。今から、35年前のことだ。そのことを、ハノーバーの友人にすると、「今でも続いているの、それは」と、明るい声が返ってきた。
1980年10月1日
さて、先日の手紙にも書きましたが、レイジが遂に、学校から1時間かけて全行程を独りで帰ってきました。土曜日、ミツとスーパーの花屋で花を選んでいたら、市電の中に、赤いランドセルが見えたのです。よかった、よかった。ホッとしました。9月27日、28日は、ミツの幼稚園で,ミカエル祭がありました。その日、子どもたちの頭には、各々星、月、花の冠を冠り、手には、その年の収穫物を入れた小さなかごを持ち、一人一人、ミカエルの像の前に丁寧に並べていきます。うす紫のカペレの中に、秋の午後の柔らかな日差しが差し込み、おばさんとおじさんの奏でるフルートとトロンボーンの二重奏が、終始、静かな会堂に流れ、最後には、祭壇の前に、色とりどりの木の実、野菜、パン、果物が並び、それは美しい時間でした。ミツは、花の冠で、籠にはリンゴと葡萄と木の実を入れてあげました。それから、フラウ・マイヤーのこよなく美しい声で、ミカエルの話の歌い、子どもたちが輪になって、踊りました。翌28日は、学校の生徒のためのミカエル祭で、今度は、生徒たちが自分で作った弓と矢を持ってきて、庭に立てられた張りぼての龍を矢で射って、リンゴを貰うのです。その日もカペレでは、男の子と女の子のヴァイオリンとチェロの演奏があり、影絵の劇がありました。何から何まで初めての体験だったので、楽しく面白かったのですが、帰り際、数人のお母さんたちに囲まれて、質問されました。「あなたは、そんなに時間がないのですか?」と。何のことかと思ったら、レイジが独りで下校することを、とても心配してくれているのです。「大丈夫です」と答えたら、みんなびっくり。反対に、私が「車の送り迎えは何時までなさるのですか?」と尋ねたら「彼が独りで帰れるようになるまで」というお返事でした。私は、毎日レイジが独りで帰れるように訓練したのですが、その様な訓練は一切しないようです。自然に成長するのを待つということかもしれませんが、我が家の場合は、そんな悠長なことは言っていられないのです。きっと、日本のお母さんって「凄いなぁ」とドイツのお母さんは、さぞかしあきれたことでしょう。ではまた。お大切に。久子
手紙(80.9.26)秋のお祭り
11月13日の夜、パリで起きた同時多発テロ事件に、私の二人の友人が遭遇していたということを、後で聞いてびっくりした。ひとりはイタリア人で、もうひとりは日本人。二人ともたまたまパリに滞在していたという。二人とも無事だったからよかったとは言うものの、今では、何時何所で何が起こっても不思議ではない。そう思うと、35年前、家族5人で5年間ドイツで何事もなく暮らしていたころは、遥か昔のことに思えて来る。
言葉も出来ず、子どもたちの学校も決まらず、おまけにお金の蓄えもなく、それでも、「同じ地球の上、鬼が棲んでるわけでもあるまいし・・・」と言ってくれた人の言葉を信じて、自分でも、なんとかなるさ、と思い、夢をいっぱい膨らませて、ジャンプ!!それは、ついこの間の、たった35年前のことなのに、悲しいことに、なんと世の中は変わってしまったことだろうか。
1980年9月26日
いよいよレイジが独りで下校する練習を始めました。まず私が、リーデンベルクから市電のシャロッテン駅まで下って、そこで、学校のあるクレアヴァルトの丘から、バスで下ってくるレイジと落ち合うことにしました。練習の初日の朝、霧の深い肌寒い日だったので、チカシと二人が登校してから、迎えにいくまでとても不安でしたが、待ち合わせの時間に駅で待っていると、赤いランドセルを背中に、小さな体をチョコチョコ揺らして、無事にレイジが階段を下りて来るではありませんか。なにしろ、途中で何事かが起こっても、連絡するすべを持っていないと思うと、ヒヤヒヤですが、兎に角実行する他ありません。明日からは、全行程独りで帰宅すると、彼は張り切っています。さて、明日は、ミツタケの幼稚園で感謝祭です。小さな籠に収穫物を入れて、子どもたちが幼稚園に持っていきます。そして、その翌日は、ミカエル祭。手作りの弓と矢で、ドラゴンと戦います。さて、今週の火曜日にオペラ座に、クシシュトフ・ペンデレツキのオペラ「失楽園」を観に行きました。6マルクで購入した天井桟敷の席から舞台を見下ろし、伝統あるヨーロッパのオペラ座の観客とオーケストラの雰囲気に感動しました。では、また書きます。お大切に、久子
手紙(80.9.21) 学費免除のお知らせ
Stuttgartから国分寺の母(アキラのお母さん)に送った手紙のほとんどが、簡易封筒(いわゆるミニレター)に書かれている。ドイツの簡易封筒は、確か文房具屋さんで、何枚もまとまった一冊を購入したように記憶している。ブルーのミニレターの上に、60ペニッヒと50ペニッヒ(ベルリンの壁崩壊前のマルクの時代)を貼って、投函した。日本からのお母さんからの手紙もミニレターで、郵便局で購入したレターの上に、既に切手の図柄と120円と印刷されていた。時々、簡易封筒を買い忘れ、封書で出した手紙は、50ペニッヒを3枚貼った。ミニレターが1マルク10で、封書が1マルク50というのが、高いか安いか分からないが、当時は、その1マルク10に、出来るだけ細かく生活の思いをのせて書き綴った様子がうかがえる。メールでリアルタイムで相手に思いを伝えられる今日とは、随分違う。
9月21日(日曜日)
9月に入って、こちらは再び夏のような暑さと晴天に恵まれています。・・・・・・・さて、チカシとレイジの学校が始まって2週間目の日曜日。日本に居たときと違って、週末の嬉しさはひとしお。土曜日は、ミツの幼稚園がお休みなので、二人で市電とバスに乗り、クレアヴァルトまでレイジを迎えに行き、帰りに3人でNanz(スーパーの名前)で、2日分の食料を買い、手分けして家まで運ぶのです。こちらでは、土曜日の12時から翌日曜日丸一日何処もかしこも店は閉まってしまうのです。おまけに、ドイツ人は、土日は家族揃ってお出掛けしたり、友人を招待したりして愉しむ日。安息日ですものね。我が家でも、土曜の晩は、翌日は寝坊できるとあって、親子共々何となく、うきうき気分で、トランプをして夜更かし。今朝は、何と10時に、ロベルト君の呼び鈴で起こされました。彼は、家族でシュベービッシュアルプに、くろイチゴ採りに行くので、チカシを誘いにきてくれたのです。チカシが大喜びで出掛けてしまった後、おいてきぼりのレイジとミツは大層不満顔。そこで、アキラがジルベール・ヴァルト(銀の森)に、二人を連れて、お弁当を持って出掛けました。そこで、やっと独りになった私の出番です。基本的に安息日には、仕事をしないのが礼儀のようですが、キリスト教徒ではない私は、そうもいかず、1週間のチリホコリをすっかり掃除しなければなりません。(平日はその時間はありません)兎に角、彼らが帰ってくる前に、すっかりと爽やかにしておこうと、また、明日からの毎日に備えて、大忙しです。
さて、チカシもレイジも毎日元気に学校に通っています。チカシの今のエポック授業(基本授業)は絵で、レイジは、1年生なので基本授業だけでお終い。11月からは、英語とロシア語を勉強するそうです。ミツのお迎えは、毎日ですが、レイジのお迎えは、そろそろ1人で帰れるようにしようと思います。ドイツ人に言わせれば「何と非常識な親か!!」と言うでしょうけど、致し方ありません。私のリウマチは、今のところ、週1回の注射とクスリで何とか治まっています。規則正しい生活が何よりで、友達が、音楽会や講演会に誘ってくれるのですが、自分の身体のことを考えると、積極的になれず、情けないです。他の人から見ると、とても元気そうに見えるのでしょうね。でも、外国生活で母親が病に伏したら、子どもたちはとても可哀想だし、折角の新しい生活が楽しくありませんものね。安全第一と考えています。という訳で、日本に居たときのように、寝込むことも無く、朝の痛みを我慢する程度です。ではまた書きます。久子
追伸:クレアヴァルト・ヴァルドルフシューレのチカシとレイジの学費は、全額免除というお知らせがありました。ありがたいことです!!
手紙(80.9.16)クレアヴァルト・ヴァルドルフシューレに入学の頃
9月16日
さて、こちらは、チカシとレイジが、目出度くヴァルドルフシューレに入学して、通い始めてから2週間経ちました。まず、入学式の日のことを書きますね。
その日は、家族5人揃って、クレアヴァルトのヴァルドルフシューレに行きました。学校の敷地に入ると、直ぐに10歳くらいの男の子たちが、駆け寄ってきて、チカシに「きみは、僕たちのクラスに入るんだよ。こいよ!」と言って、みんなでチカシの手を引っ張って、教室の方に連れて行ってしまいました。チカシの担任のライン先生が、5Bのクラスの子どもたちにチカシのことを既に話してくれていたみたい。5Bの教室を覗くと、コチコチに固まっているチカシの周りを、体が一回りも大きく見える男の子や女の子が取り囲み、あれこれと教えてくれている様子。チカシは分かっているのかなぁ、ドイツ語が通じているのかなぁ、などと心配してもどうしようもありません。まあなんとかなるわ、とあっさりとチカシを置き去りにして、4人でレイジの入学式場に行くと、ホールの舞台上に、新入生の両親、おじいちゃん、おばあちゃんなどの席があり、観客席に新入生と在校生たちが並び、対面していました。そこで、レイジは観客席に、アキラと私は、ミツを連れて舞台上に上がると、いよいよ式の始まり。上級生のヴァイオリン二重奏に続いて、先生のお話。そのお話の真っ只中、ミツが突然、話をしている先生の前にちょこちょこと出て行き、どこにレイジがいるのか舞台の上から探してい様子。観客席の生徒たちからはクスクスと笑い声。舞台上の先生、親たちは、ニコニコ顔。新入生の中に埋もれ、丸まっている小さなレイジは、と見ると、「ミッちゃん、やめてくれよぉ〜」と、顔を歪めて困り顔。面白い一幕でした。それから、クラス担任の発表があり、まず、A組の女の先生のクラスから、一人一人子どもの名前が呼ばれ、呼ばれた子どもは前に行って先生と握手します。レイジは緊張のあまり、上を向いたり、下を向いたり、ため息をついたり・・・。B組になって、ついに「REIJI KASAI」と呼ばれると、しっかりした足取りで前に進み、ヘルムート・リントハイマー先生と握手。目出度くヴァルドルフシューレの1年生に入学しました。やれやれです。
そして今や、毎朝、6時45分に、やっと白み始めた冷たい空気の中にふたりを追い出すと、勢いよく市電の駅までふたりして走って行きます。彼らにとって何より嬉しいのは、お菓子を持って学校に行けること。日本では考えられませんよね。そんな訳で、こちらは皆毎日忙しく、でも、元気です。日本の秋が懐かしいぃ〜!!
また書きます。お大切に。久子
手紙(1980.9.4) Stuttgartから国分寺へ
1980年4月19日に渡独し、家族5人で西ドイツのStuutgart Isolde-kurz str.52 で生活を始めた。ドイツ語も出来ず、飛行機にも初めて乗り、韓国→フィリピン→ドバイ→サウジアラビア→チューリッヒの南回りで約30時間の飛行。そこから列車で4時間。アキラが探してくれた家族5人の住処に着いたのは、夜もとっぷり暮れた真夜中だった。4月とはいえ、凍るような寒さのなかで見渡した夜空の星の煌めきの美しさは、忘れられない。それから、約5年半、真新しい日々の生活を書き綴り、国分寺に独り暮らす姑に送り続けた。
9月4日 夜9時30分
今やっと、3人をベットに入れたところ。レイジは既にスヤスヤ。ミツは1人でおしゃべりしています。昨日、不足の衣類についてのお葉書を頂いたので、早速今日デパートに行って、衣類を調べました。これから初めてのドイツの冬。どのくらいの寒いのか覚悟をしていますが、最初に日本から送った冬の衣類だけでは少々不安です。なにしろ4月から約5ヶ月経ちましたが、その間の子どもたちの成長はめざましく、ズボンなどは、3人とも既にツンツルテンです。欲しいものは、消耗が激しいズボン類とズボン下です。真冬のオーバーは、デパートの安売りを狙って、アノラックを買おうと思っています。9月中旬から、アキラのオイリュトミーシューレが始まり、子どもたちが、ヴァルドルフシューレに通い始めると、買い物に行き時間はなくなります。朝6時に起床。7時にチカシとレイジを送り出し、7時半にアキラが出掛け、8時半にミツを幼稚園に届け、直ぐに丘の向こうのクレアヴァルトのヴァルドルフシューレまで、市電とバスを乗り継いで,約1時間、10時までに、レイジを迎えにいきます。レイジを連れてトンボ帰りして、12時にミツを迎えに行きます。こちらは車社会ですから、親たちは全て自家用車で、低学年の子どもたちの送り迎えをするのが当たり前で、市電とバスで迎えに行く親は、たいそう珍しいようです。まして、日本人の小さな男の子ふたりが、朝は親なしで通って来るなんて!きっと、ドイツ人はあきれていることでしょう。でも致し方ありません。何時までレイジのお迎えが必要か、分かりませんが、当分はこのスケジュールで行きます。
さて家の方も大分部屋らしくなり必要な物も次第に揃ってきました。昨日は、子どもたちだけで、市電の5番に乗って、1時間以上かけて終点まで行きました。先日服部さんから、5番の終点にドイツ赤軍派の連中が入っていた刑務所があると聞いたので、チカシは見学に行きたくて行きたくて、弟たちを連れて行ったのです。夕方興奮して帰宅すると、「刑務所で、本桃の銃を見た」とか、途中下車して、ミツをトイレに連れて行ったとか・・・。家の中ではけんかばかりですが、外に出ると、頼りになるお兄ちゃんのようです。そのチカシ、お隣に住む、ローズマリ―という10歳の女の子と友達になり、彼女がお迎えに来ると、いそいそと出掛けて行きます。では、おやすみなさい。久子
手紙
来年5月の誕生日で99歳になるアキラのお母さんは、今老人介護施設で暮らしている。そのお母さんの、かつての部屋の押し入れの片隅から、四半世紀前に私がドイツからお母さん宛に書き送った手紙の数々がでてきた。丁度25年前の今頃書いた手紙。お母さん63歳。久子36歳。
1980年10月28日
買い物から帰ると、お母さんから手紙と小包が(毛布のカバーとスリッパ)が届いていました。小包を見ただけで元気百杯!!ありがとう。まずお母さんの質問に答え、私の希望を書きます。1)粉ふるいはこちらにもありますので、不要です。2)歯の痛み止めは、中山先生のがいいのですが、無理でしたら、セデスとかでも結構。3)クリスマスツリーの飾り。もし余裕があれば、ツリーも入れて下さい。こちらで、ツリーを買うと20マルク〜40マルク位で、まあ1年に一回のことだからと思いますが、生木を買うと、入れ物から土から、何から何まで用意しなければならず、この際、日本にあるイミテーションのツリーでがまん、がまん。3)食料品は、ラーメンがもうすぐなくなりますので、カレーのもとと一緒にお願いできますか?4)おろし金。ドイツにもありますが、日本の製品の方が使いやすいので。以上船便でお願いできますか?
さて、クリスマスにおばあちゃんが来るんだと、子どもたちは、今から首を長くして待っています。そこで、子どもたちへのクリスマスプレゼント。出来れば、美しく、面白い本を1冊づつ(もし重たければ、食料品と一緒に船便にして下さい)。ヴァルドルフ学校では、プラスティック製のもの、例えば、レゴのような物は、賛成しません。それがいいとか悪いとかではなくて、私は、折角こちらに来て、日本のガラクタがない状態なので、少しづつ、おもちゃを選んで子どもたちに与えようかと思います。先日、木製の電車とレールのセットを買ったら、3人とも大喜び。毎月少しづつ、電車もレールも増やしていくのも楽しみです。また、木製のチェス(高価ですが、長いこと使えます)、トランプ(とても美しい色の絵のもの)小さい機織機(ミツの幼稚園で使っていて、私も楽しめそう。ミツが特に好きそうで、クリスマスプレゼントの候補の一つ)木製のままごとセット、大工道具セットなどなど。見ているだけでも楽しいので、お母さんがいらしたら、是非一緒におもちゃ屋さんに行きましょうね。
アキラから聞いたと思いますが、ミツのお友だちのロビン君を毎週水曜日に預かる仕事を始めました。ロビンのお母さんのザビーネは、独りで子育てをしていて、強烈な人ですが、とても優しくて、面白い人。1日につき、25マルク。ランチから夕方6時まで。つきに100マルクになるかならないかですが、子どもたちにおもちゃを買ってやれるかもしれないので、頑張ります。それにザビーネが、大好きになったのです。
ところで、今日は、ドイツ滞在の先輩、Y夫人の家を訪問しました。もう1人在独の日本人の奥さんも加わって、あれこれとおしゃべりしましたが、ドイツに来てまだ間もない新参者の私は、会話について行かれず、話しを聞きながら、外国で日本人家族と付き合うのは、大変だと痛感しました。ともすると、とても狭い世界の中での人間関係になり、他の家庭の悪口の言い合いになりそうで、嫌な感じがしました。幸いにも、私の周りは、日本の若い人たちばかり。子持ち家庭は、我が家だけです。外国で暮らすということは、よほど心を開いて、大らかにならないと、まったく自分にプラスにならず、中途半端な日本人になる恐れがあるのでは、などと考えながら帰りました。今は、むしろ日本人である私が、どれだけ人間として外国人(ドイツ人に限らず)共通の意識を持ち得るかが、緊急課題です。ではまた。久子
読み返してみると、随分調子のいいことを言っているのに、我ながらあきれてしまった。国分寺で、家族6人で暮らしていて、突然、お母さん独り残して、5人で渡独。あれこれと、注文の多い料理店さながら、姑におねだりする嫁。ププラスティックは止めようと言いながら、大切なクリスマスに、イミテーションのクリスマスツリーでよしとする感覚。何と浅はかなことよ、とお恥ずかしいが、事実だからしかたがない。それにしても、ドイツ滞在の5年間、よく手紙を書き続けたと感心する。当時はパソコン、スカイプなど無かったし、国際電話はとても高くて、緊急時のみ使用。唯一の通信手段は手紙を書くことだった。今にして思えば、懐かしい時間の流れの中の暮らしだった。
天使館特別企画:ダンスの架け橋/イタリアと日本
90年代後半より天使館はイタリアで公演活動、ワークショップ活動を通してイタリアと日本における文化交流を深めてきました。この間、イタリアに赴いた回数は20回以上にのぼります。
この活動を通して現在ではローマを中心として自主的に定期的なオイリュトミーの稽古を行うグループや、フェスティヴァルや舞台公演を企画・制作を行うカンパニー/Nobody Roseや、ダンス・カンパニー「エリオガバロ」などのグループが誕生・設立されてきました。
今回、20年に及ぶ天使館とイタリアとの共同活動をその立ち上げから共にし、この活動の発展・成長に尽力してきたローマ在住のイタリアにおける舞踏研究の第一者/マリア・ピア・ドラッツィと、この活動に長年参加しヨーロッパ/アメリカでダンサーとして活動してきたアレッサンドラ・クリスティアーニ、同じくこの活動に長年参加し、アントナン・アルトー研究が専門のサマンタ・マレンツィの3名をお招きして、天使館においてダンス・デモンストレーション&レクチャーを企画しました。
日時:2015年9月2日(水)19:00から
場所:天使館 東京都国分寺市西元町3-27-9
料金:2,000円
予約:メール/info@akirakasai.com
*お席に限りがございます。ご予約の上、お越し下さい。
*定員になり次第、締切させていただきます。
*レクチャーは英語で行われます。日本語通訳が入ります。
内容:
ダンス・ソロ・デモンストレーション:『オフェレイア/Opheleia』
ダンス:アレッサンドラ・クリスティアーニ Allesandra Cristiani
レクチャー:『日本への架け橋/イタリアにおける舞踏の現在・大野一雄から笠井叡まで』
講師:マリア・ピア・ドラッツィ Maria Pia D’Orazi
レクチャー:『詩と運動/アントナン・アルトーの研究における身体と言葉について』
講師:サマンタ・マレンツィ Samantha Marenzi
アッレサンドラ・クリスティアーニ Allesandra Cristiani
1996年、舞踏を岩名雅記に師事。「White Butoh」、「The Intensity of nothingness」などの氏のダンス・メソッドを研究。2001年から2009年にかけてダンス・カンパニー「リオス」のメンバーとして舞踏の国際フェスティヴァル「トランスフォルマツィオーニ」の開催に参加。2009年、ダンス・カンパニー「リオス」を母体として始まった笠井叡とのプロジェクト「エリオガバロ」に出演。また2011年から2013年にはローマ・フィルハーモニック・アカデミーの専属振付家として就任。2013年「インターナショナル・フェスティヴァル・オブ・ダンス」、ボローニャ大学主催の「ヨーロッパにおける舞踏のルーツ/大野一雄」、2014年、「ローマ・ヨーロッパ・フェスティヴァル」など多くの国際フェスティヴァルに参加してきた。またソリスト・ダンサーとしてシルヴィア・ランペリ監督の「カンパニー・ハビレ・ビュウ」に参加、ヨーロッパ各国およびアメリカで公演を行う。
マリア・ピア・ドラッツィ Maria Pia D’Orazi
ローマ美術大学において「パフォーミング・アートの歴史」の教授およびローマ第三大学において「19世紀から21世紀にかけてのダンス論とその実践」の助教授を務めている。
現代社会における人間の身体性と、それをパフォーミング・アートの分野でどのように活かせるかを長年に渡り研究・分析を行なってきた。1997年に麿赤児と大駱駝艦(ジャパン・ファンデーションとの共同事業)、1998年には笠井叡を初めてイタリア国内に招聘をしている。大野一雄の映像ドキュメントを含めた著書「異端の肉体(2008年)」、「舞踏・新しい日本のダンス(1997)」の他に多数の研究論文を発表している。
サマンタ・マレンツィ Samantha Marenzi
ローマ第三大学にてパフォーミング・アーツの研究に従事。後に同大学にて「ダンスと演劇における図像学」の助教授に就任。ダンサーとして舞踏の研究を長年続ける傍ら、モノクロ写真を専門としたプロの写真家としても活動、写真技術のレクチャーも数多くこなす。2013年著書に「アントナン・アルトーとコレッテ・トーマス(2013)」の他、「ダンスと写真」をテーマに研究論文を発表している。
ローマ・B&B「I PALADISI」のキッチンで
前回のブログを見ると、昨年秋のメキシコ公演から戻ってからの書いたものだった。それから今日まで何と8ヶ月の時間が、あっという間に過ぎ去り、今は、ローマのボローニャ広場駅の近くにあるB&B 「I PALADISI」のキッチンに座っている。もうここに来て10日が過ぎ去り、後4日でこことも「さよなら」するのだと思ったら、急に胸に迫るものがやって来た。私は、今までローマに、何回来ただろうか?
昨年5月にも、ここ「I PALADISI」のキッチンに座っていた。「蝶たちのコロナ」公演ののために12人のメンバーと共に滞在した。そして今年も再び、同じメンバーで「蝶たちのコロナ・イタリア語ヴァージョン」公演と、ワークショップのためにやって来た。ローマ側のメンバーであるマリアピア、サマンサ、アレクサンドラ、シュテファノ、シシリーに住む絹子、通訳のダイスケ。みんなと出会ってから既に15年以上過ぎた。毎回ローマに来ると、彼らと会い、食べ、呑み、おしゃべりをし、「またね!」と言って別れ、また当然のように再会を繰り返して来た。
また今回も「またね!」と言って、ハグして、次を約束して、別れるのだろうか。果たして、その次がくるのだろうか。
そんなことを、夢うつつの中で想い巡らしてると、ローマの友人、ローマの遺跡、空、風、街路樹、果物、パスタ、ワイン・・・が、はかりしれない大きな贈り物のように、圧倒的な勢いで私の身体の中に流れ込んでくる。情けないことに、リウマチの間接の変形に、加齢も加わって、次第に身体の不自由を感じて来た私に、果たしてその贈り物を受け止めることができるのだろうか、と思うと心もとないが、心の中で贈り物を開けると、不思議なことに不自由な身体が温かくなってくる。嬉しいな。感謝。感謝。
あんな時代、こんな時代
先日、バレエの会の会場で、知らない方から「お帰りなさい。お元気そうですね」と声をかけられた。どうして、私がメキシコに行っていたのをご存知なのだろうか?一緒にいたなおかさんが「ツイッターで、ミツタケがヒサコサンの写真をアップしたからでしょう」と言う。帰り道、彼女はメキシコ版「ハヤサスラヒメ」のメンバーが、それぞれにFacebookやTwitterに載せた画像を見せてくれた。成田に向かう時、飛行場で、ホテルで、ホテルの食事、グアナファトの道路の様子、楽屋で・・・楽しく、面白く、懐かしい画面が、限りなく目に飛び込んで来た。数千キロ離れた所にいながら、リアルタイムで仲間同士が共通体験をもてるんだぁ!と今更ながら、びっくりした。私の頭の上に、どこにでも行ける目に見えないネットワークが張り巡らされていて、そのネットワークに乗ると遠くにいる友人とも直ぐにも繋がれる、と思うと嬉しくもあり、恐ろしくもある。
昔、家族で西ドイツに住んでいた頃(ベルリンの壁の崩壊より前のこと)、ある寒い冬の夜、町の電話ボックスの電話が壊れていて、日本人の誰かが10マルク(当時はマルクだった)入れて日本に電話すると、そのまんま日本と繋がりっぱなしになっている、という噂が聞こえて来た。「それ行け」とばかり電話ボックスに駆けつけると、既に日本人の留学生たちが長い列をなして、寒空の下に並んでいるではないか。遠く離れた故郷のお母さん、恋人の声を少しでも聴きたいと願う貧乏学生たちにとって、何よりの天の恵みだった。たった数分間のコトバのやり取りが、身体を温めてくれる。でも、受話器を置くと、瞬時にドイツに独りでいる自分に気づく。そして、凍てつく冬空に煌めく、無数の星を見上げながら、遠く離れた故郷の人たちとこの宇宙の中で、共に呼吸しているのを感じ、限りなく愛おしい気分に満たされる。こんな時代もあった。
コスモス
無事にメキシコ公演ツアーから戻って来た。10月11日メキシコに発つ前日に、アキラが庭に植えてくれた小さなコスモスの苗がどうなっているだろうかと心配していたが(というのも、13日には本年度最大級の台風19号が、関東甲信越に到来することになっていたので)、嬉しいことに、ピンク色のかわいい花がちらほらと、けなげにも風に吹かれているではないか。よく頑張ったね、と思わず話しかける。どのくらい激しい台風だったか想像できないが、庭の隅のゴミ箱のふたはすっ飛び、立てかけてあった掃除用具も倒れていたので、植えたばかりで、まだ大地にしっかり根を下ろさない幼いコスモスたちは、風雨に堪えるのに必死だったことだろう。コトバをもたない、こよなく愛おしい植物たち!
そして、我が家の桜の葉も色づき始めた。今年の冬から始まったメキシコ版「ハヤサスラヒメ」も、極暑の夏を経て、再び訪れる冬を前に終わり、新たに次の春に向けて、アキラの新作「今晩は荒れ模様」が既に始まり、再びカラダの内が静かに温まって来た。
『銀河計画』
メキシコ版「ハヤサスラヒメ」公演に向かって
横浜赤レンガで行なった、メキシコ版「ハヤサスラヒメ」のゲネプロも無事終わった。いよいよ12日に成田からメキシコに、39人のメンバーと共に飛び立つ。
ゲネプロの会場には、初演の時の大駱駝艦の男性4人のダンサーも駆けつけてくれた。舞台が終わってから、会場で、今回男性に代わって踊った女性ダンサー4人と大駱駝艦の4人、そこに、麿さんに代わってサスラヒメを踊ったミツタケも加わり、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、何やら楽しそうにおしゃべりをしている。がたいの大きいおにいちゃんたちが可愛い妹たちに向かって「しっかりやれよ、おまえたち!!メキシコ公演、がんばれよ、ボクたちが付いているからね」などと言っているのかな、何とも和やかで愉しい空気が流れてくる。それから、お決まりの写真撮影。そこに居合わせた多くの面々にカメラを向けられ、仲良く兄妹同士カメラにおさまっていた。
一昨年、50年来同い年の友人でありながら、交わることなく自分のおどりを踊り続けてきた麿さんとアキラが、同じ舞台で踊ること自体とてもびっくりした出来事だったが、それ以来とても自然に、若いダンサーたちの輪が広がって来た。私にとって、それは何より嬉しいことであり、楽しみだ。
39人という大人数と海外ツアー公演をするのは初めてで、どうなることやらと思っていたが、若い人たちのがんばりと明るさの溢れる空気の中にいると、自然と、まあ、何とかなるよ、とひどく楽観的になってくる。ありがたいことだ。
相変わらず、極楽トンボのヒサコサン、ガンバレヨ!!などと、ぶつぶつ呟きながら、すでに気分はメキシコに向かって・・・。
秋の日に
久しぶりに爽やかな秋の日。午前中、アキラに北口の美容院まで車で送ってもらう。途中、秋祭りの御神輿に出会ったり・・・気分もルンルン。ごま塩色の私の髪をカットしてくれるのは、二男のレイジと同い年の、最近ちょっとお腹が出てきた店長さん。「いつものように、短くしますか」というと素早い鋏さばきで、チョキチョキと手際がいい。「はい、如何ですか?」と後ろに鑑を当てて、カット具合を見せてくれる。えっ、もう終わり!と心で思いながらも「ありがとう」とにこやかに礼を言って、外に出ると、秋の陽が、軽くなった私の頭の上に溢れるように降って来た。
家に帰って、山本ふみこさんの「暮らしと台所の歳時記」を開と「9月13日〜17日ごろ セキレイが鳴きはじめるころ」とあった。鶺鴒って、どんな鳥だったっけ? 辞書を引くと「・・・水辺でみられ、スズメより大形。尾が長く上下に振る習性がある。・・・」なるほど。涼しくなると、活字が恋しくなるなぁ。
アルテミス
東京芸術劇場のシアターイーストで、「黒田育世とBATIKダンサーによる日替わりデュオ!」と銘打ったBATIKの公演を観た。まあ凄かった。昨年お母さんになられた育世さん、もう、以前の「おどりが踊りたいの」と叫び続ける女の子には戻れない。
ストラビンスキーの「春の祭典」の強烈な曲に乗ってダンスする彼女に、私は、いつの間にか、数年前ナポリ国立考古学博物館で観た古代メソポタミアのエフェソス神殿の女神アルテミスを重ねて観ていたような気がする。
ナポリ国立考古学博物館のディオニソスの間に置かれた漆黒のアルテミス像は、身体に多くの乳房と動物たちをくっ付けていた。ローマの友人は、それは乳房ではなく、牛の睾丸でもあると言い、アルテミスは、命を生み出す大地母神のような存在なの、と付け加えた。
また、ギリシア神話では、アポロンの双生の妹で、美しく若い、処女の狩人。ローマ神話では月の女神・・・などと話してくれた。
終演後、叡と一緒に楽屋を訪ねると、そこに現れたのは、エフェソスの女神ではなく、ニコニコ明るい顔をした、いつもと変わらない育世さん。傍らに、まるまるとした赤ちゃんを抱っこしたジロさん。この光景も,なんと素晴らしいことだろ!
秋のはじめ、幸先のいい、実りに恵まれた一日だった。
















