憎らしいほど暑い夏日がやっと収まって、爽やかな秋の日が始まった。
昼下がり、打ち合わせに来たハイウッドの高樹さんが「これ」と言って、大きな包みをアキラに差し出した。開けてみると、なんと、今アキラが一番欲しがっていた純白のパナマ帽ではないか。
2年前の夏、シシリー島のエリチェで、あまりの暑さに耐えきれず、道ばたで1000円で買った白い帽子が気に入り、冬でもかまわず愛用していたが、ついに先日へなへなになって、捨ててしまったという。いくらイタリアで買ったとは言え、夏の日よけの麦わら帽にすぎないのだが、型がどことなく粋なのだ。最近では、半ばアキラのトレードマークになっていた白いパナマ帽。それがなくなったとあっては、アキラの心中思いやられるなぁ〜と案じていた矢先のこと。
包みの中に、「あきら先生受賞おめでとうございます。BATIK一同心よりお祝い申し上げます」と書かれた薔薇の花形のメッセージカードと、Borsalinoの説明書が入っていた。どうも、今年の貰った、芸術選奨の文部科学大臣賞のお祝いのつもりらしい。若い女性のダンサーのみなさんの優しい心と勘のよさに感動する。
実は、昨年11月アキラは古希のお祝いに旧天使館の面々から、やはりBorsalinoの紳士帽をプレゼントされた。でもこれは焦げ茶の冬用。これで、夏冬いつでも安心になった。うれしいこと!!
曰く「頭上に 極上を。」
夏の終わり
子どもの頃、夏休みの始めは、時間のことなど考えもなく、毎朝目覚めると同時に飛び起きて、ひたすら遊びに没頭して過ごした。でも夏の終わりになると、突然時間との闘いが始まる。宿題だ!! 今日は8月31日。もうここまで来ると万事休す。不思議なことに、翌9月1日になると、思い詰めた気分もすっかり消えて、秋の新学期に向かって、久しぶりに友達に再会できるのが嬉しく、意欲が出て来る。
夏の終わり。子どもの頃はよかったね!!
さて、今の私。およそ40年にわたって付き合ってきたリウマチで、いよいよ指が変形してきて、今では、箸を持つのもやっと、ペンで字を書くのはとても困難、という情けない状況だが、幸いなことに、左右の人差し指だけは使用可能なので、パソコンの入力は出来る。
そこで「わが愛しい指よ、お前たちはいつまで私のために働いてくれるかしら・・・・」などとぶつぶつ言いながら、庭の桜の木の幹で、夏の終わりを告げるミンミンゼミのうるさい鳴き声を聴きながら、パソコンに向かっている。またブログ再開です。
三月になって
2月の大雪で庭に積もった雪が消えると、初冬に植えたムスカリの芽が並んで土から頭を出していた。春がくるのだなぁ〜、ホッとするのもつかの間、今日はまた冷雨の一日だ。
春になると、お花やさんの店先は、優しい淡い色合の、香り豊かな花々が溢れるほど並び、心もうきうきと街に繰り出して、映画でも観て、お茶でもして、などという気分になったものだが、そんな楽しい気分にならないのは、年のせいもあろうが、そうでもない。
3年前の3月11日の東日本大震災以来、的を得た言葉を見失い、言葉が相手に届かなくなり、次第に不安な気分が日々の基調となりつつある。
思えば、東京大空襲、地下鉄サリン事件、イラク戦争開始、東日本大震災、そして今日のウクライナ情勢悪化、なぜか全て3月に起こっている。
雪に覆われた冷たい大地から、健気に光に向かって伸びてくる小さな植物の芽を見ながら、R・シュタイナーの「魂のこよみ」を心に響かせてみる。
Im Licht, das aus Weltenhoehen/Der Seele machtvoll fliessen will,/Erscheine,lösend Seelenrätsel,/Der Weltendenkens Sicherheit,/Versammelnd seiner Strahlen Macht,/Im Menschenherezen
Liebe weckend.
宇宙の高みから力強く/魂の中へ流れこむひかり、/その光の中には魂の謎を解く/宇宙思考の確かさがある。/この光線の力を結集して/人の心の中に愛を目覚めさせよう。(高橋巖訳)
グリュス・ゴット!
思いつくまま気の向くまま、頭の中のおそうじをするように・・・今年初めてのブログです。
長田弘さんの「ウイーン、旧市街の小路にて」という詩のなかに、
グリュス・ゴット!/挨拶のなかに神さまのいる街。
という一節を見つけて、嬉しくなった。「グリュス・ゴット」とは、今から34年前の春、私が家族と共にシュッツトガルトに渡って初めて知った挨拶の言葉だ。「神さま、こんにちわ」なんとステキな、なんと美しい響きなのだろう。それからの5年のドイツ生活の間、友だちでも、八百屋さん、魚屋さん、郵便局、銀行、学校、お隣さん、市電の運転手さんなどなど、いつでも何処でも人との出会いは「グリュス・ゴット」から始まった。
5年後日本に戻ってから、20年近く経った2005年春、叡の振付けの仕事で、一ヶ月ベルリンに滞在する機会があった。久しぶりのドイツというので、私は胸をわくわくさせながら、集まったベルリン在住の若いダンサーたちに向かって、大きな声で「グリュス・ゴット」と挨拶すると、「ヒサコガ、グリュス・ゴット、デスッテ!」とみんなに大笑いされてしまった。何がおかしいのかなぁ?ともじもじしていると、ルノワールの少女を想わせるダンサーのひとりコリーナが、私の耳元で「ベルリンでは、誰もグリュス・ゴットとは言わないの」と囁いて慰めてくれた。でもどうして言わないの、こんなにステキな挨拶の言葉を・・・。
その一ヶ月、私たちはブランデンブルグ門の南の旧東ベルリン側にあるアパートの8階に滞在した。5月19日ベルリン到着の翌朝、北の窓から外を覗くと、灰色の四角形のコンクリートの立方体が整然と幾つも並んでいて、立方体と立方体の間には、細い通路が縦横に走っているのが見えた。上から見ると、同じ大きさの四角形だけが並んで見えるが、立方体に差した影を見ると、高さは微妙に異なっているようだ。一体これは何だろう? コンクリートに挟まれた狭い通路をひたすら歩く人がみえる。若い夫婦が子どもを石の上で遊ばせている。前も後ろもないような、終っているようで終っていない、なにもない空間。
それは、5月12日に完成したばかりのホロコースト記念碑だった。そして、6月1日、イスラエルのシャロン首相が記念碑に訪れるというので、前日から私たちがいる建物の周辺は厳戒態勢にはいった。稽古場で、コリーナは私に「ヒサコ、明日は絶対に窓を開けて外を見てはダメ。即座に拳銃で撃たれるわよ」と厳重に忠告してくれた。翌日私は、忠告を守って窓を開けずにガラス越しに外を覗いて見た。至る所に警察官や兵士たちが配置されていて、地上では警察犬が植え込みをせっせっと嗅ぎ回り、ビルの屋上からは、銃を携えた兵士たちが双眼鏡を覗いてまわりの様子を伺っている。あまりの物々しさに、その必要も無いのに、私はしばらくの間、物音を立てないように息を潜めてていた。
ベルリン在住のダンサー8人に振り付けた叡の作品「蜃気楼」の初演は、ブランデンブルク門から続いて広がる ティーアガルテンの中の世界文化の家で行なわれた。終演後、コリーナは私に「私の父も母もドイツ人。私は時々自分がドイツ人であるのが恥ずかしく思うの・・・」と話した。私は心の中で、えっ、何で?と思ったが、その時私は、20代の若いコリーナが背負っている存在の重荷を受け止める言葉を見つけることができなかった。
翌日日本に向かう飛行機の中で、コリーナの顔を思い浮かべながら、「コリーナ、あなたのなかの神さまにこんにちわ。グリュス・ゴット!」とつぶやいてみた。
先日の BankART における大野一雄フェスティバルでの、「笠井叡日本国憲法を踊る」に、多くの方々が参加していただき、ありがとうございます。自民党の新しい憲法草案に対して反対するというより、ごくごく個人的な憲法と自分との繋がりを、カラダを通して確認してみたかったというところが、本音です。そして、踊ってみて、ますます強く憲法の根幹にある、「言葉の理念」とカラダの結びつきを、感じることができました。できれば、1回だけのパフォーマンスではなく、時と場所を見つけて、2回3回と続けて行えれば、また別の側面が見えるのではないか、と思ってます。今、時代は大きく変化しており、この時代の動きに対し、常にカラダで反応していきたいと思います。「この訳の分からない時代」と「国のカラダ」と「個人のカラダ」が、いよいよ一つに結びつく予感がします。
秋の日
どうなることやら、と思っていた「笠井叡 日本国憲法を踊る」も先週の日曜日に無事終わった。その日は、奇しくも大野一雄先生のお誕生日。台風一過の翌日、澄み切った秋の空から「カサイサン、カサイサン(生前大野先生は,アキラをそう呼んでいた)もっと静かに、静かに、ゆっくり、ゆっくり・・・」などと呟かれていたのではないだろうか。取りあえず、多くの方にご覧頂き、感謝、感謝。
秋になると、5年間暮らしたドイツのStuttgartが無性に恋しくなる。透明に張りつめた空気の中で、Silber Wald(銀の森)の樹々の葉は、黄金色に染まり、その1枚1枚の重なりの隙き間から、美しく淡い陽の光が差し込む。冬支度に入る前の秋の一日、子どもたちのお楽しみ、Strasse Fest(ご近所祭りとでも言おうか)が行なわれる。隣近所のお父さんたちは、協力してテントを張り、グリルの炭火を熾して肉を焼く準備をする。とりどりの秋の実りの果実で、おいしいケーキを焼くのは、お母さんの仕事。一時の楽しみが過ぎ去ると、冬が一気にやってくる。
もうかれこれ30年以上まえの風景。でも秋になると、その時の空気の冷たさ、匂い、光の色,風の音が、からだのなかに蘇って・・・などと、心地いい秋の陽だまりで夢想に耽っていると、名古屋の中村眞貴子さんからメールが届いた。
曰く「いよいよ、『蝶たちのコロナ』の名古屋公演です」そうだ!名古屋で初めての天使館オイリュトミー公演が、間もなく幕開きする。
11月8日(金) 18:30開場/19:00開演 愛知芸術文化センター小ホール 前売り2700円 当日3000円
30年前のある秋の日、シュツッガルト・オイリュトメイム日本公演で来日された、叡のオイリュトミーの師、故エルゼ・クリンク女史は、叡の舞踏の師である故大野一雄先生と対面なさった。対極の、偉大なふたりの師。このおふたりも透明な秋空のむこうで、静かに幕開きを待っていらっしゃるような・・・。
乞うご期待!!
この黙示録的現代社会の特徴は、もう、すでに生も死も重なってしまったということだろう。
行き交へる男女が一瞬かさなれるはかなき情死をうつす硝子戸(春日井建)
このような硝子戸の世界において、天皇制の社会であろうと、共和制の国であろうと、もはや本質的な違いはないのかもしれない。もちろん言葉の上では、対極である。しかし、生と死が重なった社会は、どこか「劇場国家風」なのである。すべての人間が死の中から、生を演じているかのように。共和制であろうと、天皇制であろうと、演じられる台本の違いであるにすぎない。いずれにしても、どこかに虚構が忍び込んでいる。
そのような黙示録的社会において、憲法はその台本の筋書きの中にあるのか、劇場国家台本の外側にあるのだろうか。もし、憲法が台本の中に組み込まれているならば、憲法は単なる虚構に過ぎない。憲法が台本ではなく、台本を支える原理であり、劇場国家を支える原理であるならば、憲法は、生者の世界のみならず、死者の世界にも有効であろう。私にとって憲法とはそのようなものだ。憲法が劇場内の台本であるならば、ファシズムであろうが、共和制であろうが、無政府主義であろうが、結局は同じことなのである。そして、この生者にも死者にも有効な憲法とは、ただ、カラダの中から現在進行形で生み出される、言葉の領域、言葉の理念の中にしか、存在しないのかもしれない。
事後報告になりますが、9月19日(「蝶たちのコロナ」の公演日)に、45分番組の「吉増剛造と笠井叡のセッションおよびインタビュー」番組がテレビ放映されました。そのDVDを、企画したテレコムスタッフから今日 送られてきたので、初めて見てみました。
改めて、 DVD で吉増剛造氏の現在進行形の詩の作業を見て、その内容のすごさに驚かされました。彼は、人の口を通して日本語が生まれるその根源の、声としての言葉あるいは詩が生まれる瞬間を、真に生きている、と思います。そして、動きが生まれる瞬間と、言葉が生まれる根源が同一であるということを、改めて確信させられるました。
この番組は見てない人が多いと思います。いつか機会を作って、天使館で公開したいと思います。
今世においても前世においても、舞踊家ではなかったルドルフ・シュタイナーが、「オイリュトミー」という身体技法を生み出してから、100年がたった。彼は一体、カラダとダンスに関して、何を知っていたのか?
彼は、ダンスについて、たった一つのことだけを確信していた。人間の「身振り」というものは、カラダに張り付いている。このカラダに張り付いている「身振り」を、カラダから引き離すために、「オイリュトミー」を創始したのだ。ダンスについての唯一の原理とは、「身振り」を天地に供犠すること。
「身振り」を天地に供犠するためには、「身振り」は、カラダから引き離さなされなければならないのだ。
今日、朝日新聞で国際化とグロ-バリズムの違いについて,述べておりました。スポーツで言えば、サッカーは、グローバリズム、柔道剣道は、国際化という感じでしょうか。グローバリズムは、デジタルで、国際化はややアナログ的なのかもしれません。
ダンスにおいても、アートマネージメントが主導するならば、グローバリズムに成りやすく、個人レベルで、人と人が出会えるるならば、国際化と言えるかもしれません。
来週の月曜日、セッションハウスでヨーロッパ在住のトランペッター、沖至と天使館の4人の男性ダンサー寺、定、謙、禮の4人が、沖さんと共演いたします。前日のリハーサルが取れずに、当日ぶつけに近い公演ですが、お暇な方、どうぞおいでください。
笠井叡 日本国憲法を踊る
9月末の、琵琶湖合宿のテーマも「日本国憲法」だった。今度は、カラダで「日本国憲法]を踊るという。果たしてどうなる事か。
40歳の若さで青函連絡船洞爺丸の海難事故に遭い、あえなく亡くなった叡のお父さん(寅年生まれなので寅雄という)は、ごく普通の家に育った人らしいが、誰に聞いても、頭がとびきりよく、当時最年少で司法試験に合格し、裁判官になった。今、タンスの上に置いてある法衣を着た寅雄さんの遺影を見ても、我が三男と同じくらいの歳とは思えないほど、立派に見える。その奥さん、つまり、叡のお母さんの話によると、めっぽう頑固で厳しい人だったという。そのころ、ターザン遊びに熱中していたアキラ少年は、よく寅雄さんにお目玉を食らったらしい。寅雄お父さんにとって叡は長男。法律学者ならまだしも、まさかダンサーになろうとは!!
朝の食卓で、私が「寅雄さんが生きていらしたら、憲法について聞きたいわね]と言うと、叡は「地上の法は宇宙の法。宇宙の法は地上の法。寅雄さんと僕は同類項だ」と言いながら、抗がん剤を服用する。ヤレヤレ、どうなることやら・・・・。
昨夜、澁澤龍彦氏の最晩年の著述を読んでいた時、ふと頭の中で、「澁澤氏は、いま天皇制についてどう考えているのだろうか。」という思いがよぎった。
どう思い起こしてみても、氏と天皇についてしゃべった記憶はない。
しかし、昨夜読んだ箇所において、20歳代に自分はフランス革命をいつも考えており、とりわサンジュストに対する思いは熱烈であった、と述べている。だからといって、澁澤龍彦氏は日本が共和制の国なればいい、と考えてはいなかった、と私は思う。
澁澤氏が政治的な天皇を嫌っていた事は確かである。また皇居を解放して、大きな公園にしたらいい、とも語っていたらしい。また戦争なんかくだらない、「じゃんけん」で決めればいいと、心から思っていた。
私は今、澁澤龍彦氏といつも、「沈黙の言語」で話をしている。氏は、肝心なところでは、きっぱりと事を決めるか、笑い飛ばして終えてしまうか、どちらかである。三島由紀夫氏と同様、政治的なことが大嫌いな澁澤氏に、あえて「いま天皇についてどう考えているのですか?」と問うならば、、、、、、、、、、、
今日の夜は、「日本国憲法を踊る」のための第1回リハーサル。
テキストには、古事記、日本国憲法、大日本帝国憲法、フランス人権宣言、ルドルフ・シュタイナーの言葉、三島由紀夫の言葉等、様々な歴史的背景を持つテキストを選んだ。
一体この憲法を、未来3000年先の人々はどのように受け取るだろうか。1時間の間に、古事記から宇宙的未来に至るまでの人間の歴史を凝縮してみたい、と思う。
5月に手術して以来、今日初めて、本格的に動いてみた。カラダは病んでいるが、カラダの中の言葉は、決して病んではいない。朗読は、尾崎若菜、山口奈緒子、川上晶子の3名。
今回の自民党の憲法改正案に対しては、生きている人間だけではない、死者たちもそれに最大の関心を寄せている。とりわけ第2次世界大戦で亡くなった、何百万もの人々の魂が、その行方を凝視しつつ、その魂が憲法改正させるか、否かを決定する大きな力である。
これからの時代、死者たちの声を無視して、人間はもはや何の事もなし得ないし、なすべきではない。死者たちとともにこの歴史を創っていかなければならない。
今日、たまたま書庫の中から見つけた,昭和44年の11月に行われた三島由紀夫と石原慎太郎の対談を読んだ。
、、、、、、、、、、、、、、
石原 三島さん,変な質問をしますけど,日本では共和制はありえないですか。
三島 あり得ないって、そうさせてはいけないでしょ。.あなたが共和制を主張したら、おれはあんたを殺す 。
、、、、、、、、、、、、、、、
この対談がなされてから、44年の年月が過ぎ去った。今改めて、この自民党の憲法改正草案の時期に、「日本国憲法」を読んでつくづく感じるのは、この憲法が、フランスの人権宣言を元にしているということ以上に、例えば、マルキ・ド・サドがヴァスティーユ牢獄の中で書いた「フランス人よ、共和主義者たらんとすれば、今一息だ。」という言葉に至るまで、日本国憲法の中で謳われている「自由、平等、博愛」の根は深い、といういことである。
地球上で、日本ほど共和制から遠い国はない。なぜなら、ここには天皇制が存在するからである。日本国憲法は、このマルキ・ド・サドの言葉にまで根を降ろしている共和制理想主義と、天皇制という、北と南のふたつの極を、奇跡的に結び合わせているのだ。
この両極を結びつけることは、言葉の領域ではもはや不可能である。再び言葉をカラダに戻すときに、カラダの中でのみ、この二つの極は出会うことができる。「日本国憲法を踊る」というのは、この一点に賭られている。
ミイラを作っていたエジプト人は、この世よりも彼方の世界の方が、はるかにリアリティがあったらしい。
その後、リアリティは物の世界の方に移動したけれど、再び今日おいて、ゆっくりと歴史は、死者たちの世界の中に入っていっているのだろう。この世に生まれるということ。それは自分の中の差別意識を克服する、ということか知れない。生と死、男と女、私とあなた、この差別を乗り越えなければならない。
先日の講演会で、賃金契約は、人類最後の奴隷制度と言ったけれど、賃金契約に変わる分担契約は、完璧な社会保障制度が一方に存在しなければならない。「所得のために働くのではなく、社会の必要に応じて働く人間になりうるようにするためには、どのようにしたらよいのでしょぷか?」と先月の舞台で、踊った。
分担契約というのは、多分意識の問題である。だから、賃金契約による労働であっても、意識の上で分担契約と思えれば、ちょうど死と生とが、重なっていると思えるならば、二元論を越えられるように、賃金契約の労働意識も超えられるかもしれない。
滋賀県の琵琶湖における3日間のオイリュトミー合宿が終わりました。
今回のテーマは「オイリュトミーを通して、日本国憲法をカラダの中から創り出す」でした。硬いテーマなので、どのくらい参加者があるか、初めは心もとなかったのですが、多くの方々がこの合宿講座を通して日本国憲法について改めて関心を寄せ、また、今回の自民党による憲法改正がどのような意味があるのかを、カラダを通して理解することができたと思います。
憲法は国の中から生まれるものより、もむしろ外側から与えられたものです。故郷喪失者が憲法の出発の立場に立てるのではないか、と思えるくらいです。憲法は、生きてる人間にとってもまた、死者にとっても同じように有効に働きかける、一つ生きた理念であると思います。
10月27日、横浜の BankART にて、「笠井叡日本国憲法を踊る」という会を行います。興味のある方、ぜひご参加くださiい。
琵琶湖合宿
今年4月9日、叡が胃癌の診断を受けてから、ほぼ半年が過ぎた。叡の癌のおかげ、と言ってはなんだが、今では、三分の一になった叡の胃袋を上手く満たすには、どんな食べ物がいいのかなど、料理上手な友達からの様々な食材や、アドバイスを頂いて、私のもっとも苦手な分野のお料理に挑戦しながら、新鮮な発見に喜んだりしている。叡の癌のおかげで気づいたことが、もうひとつ。それまで、フツウに「ガン」と発していた単語が、急に身内に乗り込んで来てからというもの、世の中に「ガン」という単語が如何に多く渦巻いていることか、ということに気づいた。新聞、雑誌、単行本、「ガン」の叩き売りのように「ガン」という単語が飛び回わっている。これぞガンの治療法、ガンの撲滅、ガンからの生還、ガンの花道・・・。ガン患者は、ガン情報でガンじがらめにされてしまう。冗談を言っている場合ではない。
昨日から、琵琶湖湖畔での合宿にやって来た。全国から30人以上の方が参加している。「オイリュトミーにより、日本国憲法をカラダの中から、創りだす」が今回のテーマだ。今日問題の憲法改正のことを考えながら、ふと「人は生まれた瞬間から、死をカラダの中で育て始める」というフレーズを思い出した。人は、生きる権利とカラダの中で豊かな死を育む権利があるのに、そのどちらも同時に奪ってしまう戦争は、最悪の行為で、絶対に許せない。たとえ、病気といえども、自分のカラダの中の死を育む時間を与えられることは幸いではないか。
昨日と今日、消化器系の具合が極めて悪し。 胃を3分の2、取ってまったので、ほとんど口が十二指腸と直結している感じで、食べ物を充分に消化することができません。口が胃の役割をしなければなりません。これが私にはほとんどできないのです。
食べたものが腸に直結していて、しばしば食べたものを吐いたり、或いは腸捻転を起こしたように痛みが走り、そのためにも、食べ物をゆっくりと時間をかけ、充分咀嚼するということを実行しなければだめなのです。食べた後は、いつもひっくりがえっています。
夕方、外に出ると、目に映る風景が薔薇色の光の中に包まれていて、この世の風景ではないような感じがしました。歩いている時間感覚が、ほとんどなく、夢の中にいるようでした。こんな美しいバラ色の風景と空気は、初めての経験。そして家に戻って、また床の上にひっくり返ってました。
今日、久しぶりに,有料老人介護施設にいる,母のところに行きました。
立川に出て、モノレールに乗り、帝京大学前でおり、そこから15分ほど,のんびりと坂を登って,施設にまで秋の日を堪能しながら、歩きました。着いてみると、母は、病院で治療を受けている、とのこと。1時間ほど待つと、車椅子に乗って帰ってきました。足からばい菌が入って、ふくらはぎが膨らんでいました。
家で見つけた、東京女子大入学当時の写真を持っていくと、懐かしそうに眺めながら、80年前がまるで昨日のようだ、と語っています。帰りは、立川で天ぷらを食べ、久しぶりに日本酒を吞みました。腹にしみるよう。抗癌治療中なので、一合だけにしました。国分寺につくと、もう、すでに辺りは真っ暗。久しぶりに外出したという感じです。
あ お う え い 秋は 遠く 深く 天に 広がり
い え う お あ 光と 熱が 貫く この カラダ
今日は突然に秋が深まり、夜になると一瞬、冬の寒さを思わせる空気。一日中、部屋にこもっていたので、夜、西国分寺の泉ホールへ、ワークショップを見に行きました。講師は、尾崎梓。11名ほどの受講者が、ちょうど「遺された黒板絵」の「結晶」のテキストに取り組んでいる最中でした。
無限に多様な結晶形態の中には、
霊的存在者たちの姿が開示されています。
その存在者たちは、数学的=空間的な形姿をとって
結晶の中で生きているのです。
私たちは、結晶体を見iているつもりで、
実は神々を見ているのです。
オイリュトミーのワークショップですが、参加者がそれぞれこのテキストを、即興的な「魂の動作」で動いている姿は、とても新鮮でした。鉱物の結晶と人間のカラダの結びつきは、本当に魅力的です。オイリュトミーのすべての力は、この鉱物とカラダの結びつきに集中しています。その二つが結びついたカラダを「碧玉体」(へきぎょくたい)と言います。碧玉はヨーロッパでは、ヘリオトロープと呼ばれています。「へリオ」は太陽,「トロープ」は「近づく」という意味です。つまり、「碧玉体」とは、[太陽と一体になったカラダ]のことです。
今日は一日、憲法について思いをめぐらしておりました。
自民党の憲法改正草案を読んでつくづく思うのは、今、主権在民から主権国家の方に移りつつあるのということです。憲法は本来、国民が憲法によって、国家権力を縛るということ以上に、「1人の個人」が国家権力を縛ることができる、という「個」としての人間を最大で生かすことであると思います。
「1946年11月3日に公布された日本国憲法は、その意味では、抽象的な人間ではなく、個としての人間において、最大限に憲法が生かされるということを、徹底しているという意味において、一つの理念と理想主義が生かされています。憲法は国の内部で生まれるのではなく、「故郷喪失者」が、国の外側からもたらしてくる、「真の言葉」の力であります。自民党の憲法改正草案は、習慣法の域を出ていない、理念と理想主義を持たない憲法です。筑紫哲也氏が言う如く、理念と理想主義を持たない国家は、やがて没落していくでしょう。
9月27日の金曜日から3日間、琵琶湖湖畔において、「オイリュトミーにより、日本国憲法をカラダ体の中から、創り出す」というワークショップを行います。続いて、10月27日、横浜のBANKart NYK3階で、18時から「笠井叡 日本国憲法を踊る」という会を行います。今、憲法について興味のある方は、どうぞご参加ください。
オイリュトミー公演「蝶たちのコロナ」が昨夜で無事に終わりました。皆様の有形無形の様々なサポート、ご助力を心から感謝申し上げます。
この後、5人の女性のオイリュトミストによるワークショップが西国分寺いずみホールでございます。興味のある方は、ぜひ参加なさってください。今日からまた、天使館で初伝講座が始まりました。
講座が終わった後、お茶を飲みながらの、5分間講義。内容は、鉱物学です。有機科学的な鉱物学では、鉱物も一つの生命体です。これは重要な宇宙的現実です。真の理念(憲法)を持たない国が滅びていくように、理念を持たないカラダも滅びゆきます。カラダにとっての理念とは、「有機的な鉱物学」ではないでしょうか。有機的な生きた地球の中において、人間の死体は、鉱物とともに生き続けます。問題は、どのようにしたら、この生ている鉱物としてのカラダと、人間の魂が結びつくことができるのか、ということではないでしょうか。
ゲネプロ
今日、9月18日、「蝶たちのコロナ」のゲネプロが終わりました。
いよいよ、明日明後日と本番です。作品を作っている時感じることですが、ゲネプロがゲネプロでなくなり、それが一つの新しい「現実」であると、感じられた時に、「夢と現実」が重なる瞬間が生じます。
過去に作った作品でも、例えば名古屋で行った「恋人形」とか、数年前に池袋の劇場で上演した泉鏡花の「歌行燈」などは、もう二度と再演する事はできませんが、これらの本場で感じた、舞台を超える、一つの現実が現れた瞬間は、忘れがたいものです。
今回どのような現実が生まれるのか、不安と期待で明日を迎えます。「表現を超えた現実を生み出すこと」、それこそダンス真骨頂です。
今日、最後の「蝶たちのコロナ」のための通し稽古を終えました。
外に出てみると、すっかり秋らしい夜で、急に寒さを覚え、再び秋が来たことを、肌で感じました。
この公演は、東京以外に名古屋でも行なわれます。できれば、東北でも、公演したいと思っています。
いや、日本だけではなく、他の国でもできれば、と願っています。
人間の体は、「第2の自然」と呼ばれています。自然との関わりは、なんといっても、自分の体との、新しい関わりを見いだすことです。
舞台そのものが、新しい自然であるといえます。どうぞ、「 蝶たちのコロナ」を応援してください。
ブログ再開
5月から,ブログがストップしていました。先日の講演会で、申し上げたことですが、この4月に医師より,癌の告知を受けました。5月のエマニエル・ユインさんとのDUO公演の後、5月22日に手術を受け、胃の3分の2をとりました。今は抗がん剤治療を続けております。なかなか副作用にはなれませんが、半年は続けようと思っています。
9月19日20日の、いずみホールにおけるオイリュトミー公演「蝶たちのコロナ」も、いよいよ押し迫り、今日と明日で「通し稽古」が終わります。11名のオイリュトミストと全員、全力を傾けての稽古です。内容は、宇宙、自然、社会、身体との新しい結びつきを、様々なイマジネーションを通して創っていくための場です。表現するというより、公演自体が新しい宇宙、自然、社会、身体であることを願っています。私も短いSOLOを三作品、踊ります。ご来場を心より、お待ち申し上げております。
笠井叡ダンス講座「フレネポジマ」@セッションハウス/2013年8月
ダンスのカラダを作る四つの基本(フレネポジマ= フレンド・エネルギー・ ポジティブ ・イマジネーション)。 一日一か条ずつ、わかりやすく丁寧に伝授していくワークショップです。
今回は、笠井叡がそれぞれ4回、冒頭でテーマにそって1時間、オリエンテーションを行います。そのあと2時間、4人のオイリュトミー・インストラクターが実習を行います。 この四つのテーマについて、互いに深く考え、それをタラダ全体で感じ、全身で動くことによって、皮膚の外側に無限に広がっているカラダをリアルに体感したいと思います。
◆2013年8月3日(土)【フレンド】15:30-18:30
カラダやダンスは決して一人で作り出されるものではなく、新しい人々との出会いによって、未知の可能性が開かれてきます。ダンスにとって複数形身体とは?
実習:鯨井健太郎 (宮城県出身。2002年より笠井叡に師事。近年様々な舞台活動、ワークショップを行う。2010年よりCORVUSコルヴスとして活動。)
◆2013年8月4日(日)【エネルギー】15:30-18:30
カラダは動くほどに深められ、深められるたびに、新しいエネルギーが泉のように湧き出てきます。発声力や歌唱力を運動エネルギーに変換するための練習。
実習:寺崎礁 (1973年生まれ。1997年笠井叡に師事。以来、稽古、舞台、ワークショップ、オイリュトミー研鑽の日々。)
◆2013年8月10日(土)【ポジティブ】15:30-18:30
与えられた空間の中で動くことを止め、ダンスする空間は、自分の内部からポジティブに作り出され、そして自分の作り出した空間の中にカラダを置きます。
実習:定方まこと (1996年より笠井叡に師事。オイリュトミーシューレ第2期生。2010年より鯨井健太郎とCORVUSで活動。)
◆2013年8月11日(日)【イマジネーション】15:30-18:30
皮膚の外に広がるカラダ。リアルなイマジネーションの力を獲得するには?
実習:笠井禮示 (ドイツ・シュタイナー学校においてオイリュトミーに出会う。シュツットガルト・オイリュトメウムを卒業。)
参加費:12,600円(全4回) 1回 3,675円
主催・お問合せ
セッションハウス企画室
〒136-0805東京都新宿区矢来町158
東京メトロ東西線神楽坂駅より徒歩1分
mail@session-house.net
03-3266-0461
笠井叡プロデュース【不器用の武器】@テルプシコール
笠井叡プロデュースによる即興セッション
【不器用の武器】
この秋、伝説のトランペッター・沖至と衝撃のセッションを行なった、
コトバのカラダのオイリュトミストの中から、
突如、ダンスの獣体が噴出したのは、
単にジャズのスピリットと出会ったからではなく、
光のコトバの中に、漆黒の闇が、サドのジュスティーヌの裸体のように
揺れ動いていたカラダ。
寺・定・謙・禮があらたに挑む、さらなるジャズ。
音は、モミー(akaモミーFUNK!)のパーカッション、清水光一のベース。
2013年暮れから、2014年の境域を越える暴走。
日時:2013年12月20日(金)
開場:18:30 開演:19:00
会場:中野テルプシコール(中野駅南口より高円寺方面に線路沿いを歩いて7~8分左手)
予約/前売り 2,500円 当日:3,000円
構成/演出/振付:笠井叡
ダンス:
鯨井謙太郎
寺崎礁
定方まこと
笠井禮示
即興演奏:
モミー(akaモミーFUNK!)/パーカッション
清水光一(ウッド・ベース)
プロデュース:笠井叡
チケットお取り扱い:
天使館
予約/お問い合わせ
info@akirakasai.com
tel.fax: 042-316-3508
シュピール公演最終回
いよいよ本日,フランスのダンサーエマニュエル及び音響のマチュウ来日。
今回の公演は、浅草の三社祭りと重なり、浅草は大変な人の混みようの中、明日から3日間のリハーサルが始まる。
これまでヨーロッパで10数回重ねたこの「シュピール」公演は、今回の東京公演で、最終回。ダンスはやはり場の影響を大きく受ける。
今回、東京浅草という場で、「シュピール」がどのように変容するか、どうぞお見逃しなく。
駈ける女
POWER OF ART DANCE SERIS VoL 2を青山のスパイラルガーデンでみる。
ダンサーは上村なおか。森下真樹。振付は黒沢美香。
一見、宇宙を駈ける金魚人間のごと。白と濃いピンクで縁取られた装束の上村なおかが、あらゆる方向に光を発しながら、金平糖のようなダンス。夜の国。
続いて、同じ装束の森下真樹、駆け込んガーデンを何周も走る。2人とも背中には、宇宙の軸をバラバラにして背負い、カタカタと音を立てながら、動く。2人とも、ま白い前髪を目の下まで垂らし、顔を直接には見せない。
けれども、その高貴なカラダ。性を超えた、男性意志。
宇宙の庭で、すべての記憶を超えてカラダの持つ夢を、天の水に移しながら、1人でありながら2人。2人でありながら1人。垂直でありながら水平。媚がない。双子でありながら姉妹、姉妹でありながら全くの赤の他人。ダンスというよりも、2人が醸し出した宇宙の生活。乱心、気まぐれ。人々に花を散じ、駈け抜けてゆく。
この公演、今から3日前の4月29日日曜日の夜、しかし、目の中に移動したその夢風景は3日間たっても、過ぎ去らない。
4月26日 早朝
雀啼く この朝に土 崩れんと
谷底に 切り立つ壁に 我ひがし 彼にしに立ち こだまする声
走馬灯
昨日、SISカンパニー公演、いのうえひでのり演出、原作尾崎士郎、脚本宮本研「今ひとたびの修羅」を新国立劇場で観る。もろ100パーセント任侠物。
偶然にも、隣の席には麿兄弟と洋子さん。
昭和初頭の東京は深川のはずれ、渡世人の飛車角(堤真一)こと小山角太郎は、義理の上から加担した出入りで人をあやめ、警察に追われる身となる。逃げ込んだ民家で出会ったのは、伝説の侠客の血を引く男吉良常(風間杜夫)。飛車角には、横浜のあいまい宿から足抜きさせ、命からがらともに逃げて、所帯をもったおとよ(宮沢りえ)がいたが、、、、おとよは飛車角が務所勤めの間に、子分の宮川(岡本健一 好演)とできてしまう、、、、、
大殺陣あり、濡れ場あり、花吹雪あり、男と女の間には黒く深い水があり、ひさかたぶりに昭和の気分に浸る。
終わってから、新宿に出、久子の実家の船橋屋でてんぷらと酒を呑む。店を出ると、霧雨。50年前の新宿の街が朧に浮かんでくる。あのころは路地の入り口には、やーさんが足を開いて仁王立ちしていたな。久子のおとっさんはそんな新宿でやーさんと戦いながら新宿を復興した。
人生、走馬灯のようだな。
笠井家9名初顔合わせ
三日ほど前のこと。長男の爾示の娘、つまり我々の唯一の孫娘、那珠が目出度く志望の中学校に受かり、初めて笠井家全員揃って、お祝いの食事会を渋谷ひかりえのレストランで。その顔ぶれは、
那珠そして爾示、美花。禮示、その連れ合い裕子。瑞丈となおか。そして叡と久子。全員9名。写真を撮りまくりまり。そのあと3兄弟とその女たちは、さらにどこやらへ呑みに、我々は井の頭線で吉祥寺へでて、帰宅。
次回9名顔を合わせられるのは、一体何時?
Offenbarungについて
ゲーテは「顕現Offenbarung」という観点に基づいて、ニュートンとは異なった、もうひとつの「科学」を打ち立てた。
「顕現」とは、宇宙創造の一切の秘密が自然界の表面に現れていると言うこと。
それは鉱物を「硬いもの」としてではなく「人間」として、植物を、動物を人間として観察すること。
否、風、雪、雨、嵐、津波をひとりの人間の動作として観ることだろう。ゲーテの創造した「霊視科学」はこの全人間主義に基づいて造られている。だから、鉱物は宇宙意志の発現であり、植物はその理解者であり、動物はその存在の「喜び」の「産声」そのものである。
裏口死
死とは、神から人間に与えられた、ひとつの挑戦状のようなものではあるが、では神は何をどう、人間に向かって挑んでいるのか?
受動的に人間に与えられた死、いはば道を歩いているとき、「偶然」にも上からコンクリートが落下して起きる事故を、人間の側で「必然」に変えられるか、と言うような挑戦か?
カラダと魂が離れることによっても死は生じるが、魂が過剰にカラダの中に入り込み、客に「どうぞ、中へ、中へ」と言って、客が裏口から、庭に落っこちるように、魂がカラダを突き抜ける場合もある。
その時は、カラダが消える。とすれば、死はもともと無かったものなのだ。
境域
人類が境域を超えてしまったのは、すでに一つの事実と言える。
今日において、確かに、ここまでが生きていて、ここから先は、死んでしまったという境目はあるが、しかしこの境目そのものが次第に意味を失いつつある。
向こうからやってくる死そのものを、絶対化することが、生そのものを見えなくさせ、生そのものの持つ意味を覆い隠してしまう時代なのだ。
人は死がやってくるよりも以前に、みずからの力で死そのものを創造しなければならないという課題を担わされている時代なのだろう。また死者自身が、自分の死を容認することが、できずにいる。
生と死が重なってしまったということは、生の裏側が死であり、死の裏側が生というよりも、もはや生も死もともに、私たちは失ってしまった状態なのだ。
にの音ふるへ、ゆらゆらかく祈りせば、まかるともさらに生きなんと、をしえ給うふ
この「布留御魂の言」は今日、新たな装いのもとに復活する。
蝶たちのコロナ
「蝶たちのコロナ」第2回リハーサル。
死から次の誕生に至る間の死者たちの生活において、まさにこれから地上に受肉しようとしている者は、地球のオーラとともに、蝶たちの発するコロナにいざなわれて降りようとする。
鳥たちのコロナは、反対に地上に降りようとする魂を、もう一度、死者たちの世界へ送り返そうと働いている。
蝶や鳥たちと人間の関係は、これから地上に降りようとする魂にとって、全く地上の時のそれとは異なった、内的で内密な関わりがある、というイメージ。
また、明日から三重県の椿大神社でのオイリュトミー合宿です。もうあれから、1年が経つのだ。あの、すがすがしい椿の林の香りが次第に近づいてくる。
テキスト選び
午後、「蝶たちのコロナ」のためのテキストを、「遺された黒板画」から、20点程選んで、公演のためのテキスト作りを行う。百数十点あるテキストの中から、20点に絞るのは非常に困難。あれも入れたい、これも入れたいという感じで、入れられなかったものが沢山ある。「織り成された太陽の光」もその一つである。
蚕の繭は、いわば織りなされた太陽の光なのです
太陽の光が絹をつむぎ出す幼虫の成分の中で物質化されているのです。
或いは、「大切なのは牡羊座の牡羊が振り返って見ていることなのです」
牡羊座の場合には、振り返って見ています。
牡羊がふり返って見ていることが大切なのです。
それは、人間がうちに生きている宇宙を振り返ってみている図なのです。等々
夜、久しぶりに国分寺北口の自然食のレストラン、デメテルで食事。北口も随分昔と変わった。周りに知らない店が沢山できている。ファミレスばかり行かないで、これからは、北口で滋養になるものを食べよう。
ブログ再開
今日、オイリュトミー新作「蝶たちのコロナ」の練習初日。この作品は9月、11月に東京と名古屋において上演します。テキストはルドルフ・シュタイナーの「遺された黒板画」から十数点を取り出し、それにピアノと弦楽器による音楽作品を加えたものです。
すでに10年ほど前に、一度取上げたことのある作品ですが、この十年の間、私たちを取り巻く状況はあまりに大きく変化し、改めて今もう一度、取り組んでみたいと思います。なぜなら、数多くあるシュタイナーの言葉のうち、「遺された黒板画」ほど人間と宇宙的なるものの繋がりを感じさせてくれる言葉はないからです。
「速佐須良姫」第七回日本ダンスフォーラム賞大賞。昨日、その受賞パーティーで久しぶりで麿赤児氏と大駱駝艦
の四人のダンサー、田村,塩谷、バラバ、小田の4氏に逢う。懐かしさと共に、また、あの「激しい季節」の感覚が蘇ってきました。
先日、夢に澁澤龍彦氏現れる。ポツリと「、、、、最近、ものが書けなくなったよ、、、、」と。ああ、澁澤さん
は向こうの世界でも、本を書いていたのか、、、。本当にいまは、生と死の境域が消滅したのだ、、、、。
海とクジラ
今夜、笠井瑞丈と上村なおかダンス、高橋悠治によるピアノ演奏のダンス公演「海とクジラ」のゲネプロを見る。
久しぶりにふたりの、悠治さんのピアノへの体当たりの動きに心を揺すぶられた。
今日23日は18時、明日24日は15時、横浜の赤レンガ倉庫1号館です。(開場はその30分前)
3月11日の催し(天使館)について
先日、岩手県の北上市に、今から20年程前に創設された日本現代詩歌文学館いおいて、林浩平氏のプロデュースによるイベントが催されました。第一部は氏の司会による吉増剛造氏と笠井の対談。二部は吉増氏の詩の朗読と笠井のダンスのDUOパ^フォーマンス.
この時、初めて平成23年3月11日の震災とオイリュトミーの「動き」が結びついたのではないか、と思えました。
流されて
もうないはずの
橋朧(おぼろ) 永瀬十悟さんの句
この縁で、来る3月11日(月曜日)、国分寺天使館において、ささやかな「催しの時」を持ちたいと思います。「未来からの声が聴こえる」と題された日本現代詩歌文学館から出版された俳句と短歌を、「語り」を交えた笠井叡のオイリュトミーとして、皆様に体験していただければと思います。午後7時半ころから始めます。参加は無料ですが、喜捨は感謝。
参加ご希望の方は、本人一名にて、メールでお申し込みください。
info@akirakasai.com まで。
旅は続く
昨夜、大雨の中、トゥールーズのガロンヌ劇場のアトリエでの「Spiel」公演が、無事に終わった。1ヶ月滞在したフランスともこれで、今暫くはお別れ。
次は、いよいよ日本公演だ。これから、ユウコとパリに向かい、ドゴール空港から成田に・・・・。
トゥールーズへ
フランス滞在も残り3日。いよいよ日本かぁ、と考えると、うれしいような、さみしいような、恐ろしいような、複雑な気分になる。
昨日、アンジェからトゥールーズにやって来た。照明のオーグスタンも一緒なのでありがたい。アキラと二人だけだったら、情けないことにオオゴトなのです。アンジェからナント駅、そこで飛行機に乗りかえてトゥールーズまで、およそ1時間。アンジェからトゥールーズまでの間に、晴れ、曇り、風、雹、雨・・・・。なんと忙しい天気の変わりよう。ナントで大粒の雨と風で吹き飛ばされそうになりながら、駅前のタクシーに乗ると、外の強風とは裏腹に、滑るように走り出した車の中で、ドライバーとオーグスタンの会話が始まった。フロントガラスを叩き付ける雨粒を眺めていると、遠くの空の雲間から薄日が射し、青空が見える。また、強い雨。車の中では、オーグスタンとドライバーの二人のおしゃべりが続いている。まるで、美しい室内楽を聴いているようなフランス語の響きの優しさが耳元に心地よい。幸せなひととき。
トーゥルーズに飛行機が到着したとき、オーグスタンは「ヒサコ、ここはアンジェより寒いよ。上着を着たほうがいい」と言ってくれた。本当だ。外に出ると真冬のような寒さ。もう直き春を迎えようとしていたアンジェとは大違い。南フランスとはいえども、ここはピレネー山脈の麓ですものね。
照明のオーグスタン、音響のマチュー、通訳のユウコ、制作のエステル。私の子どものような年の若いみんなが、不良品で修理不可能になった私のカラダを支えてくれている。ありがたいこと。
忘備のための夢記述
見知らぬ町の、とある骨董品店。鉄で出来た品物を探している。小さな鉄の壜を買い求めようとする。表に出ると狭い道をトラックが猛スピード飛ばしている。山頂に雪を抱いた山の尾根の麓に、また骨董の店。そこの製品はあの山の頂上から来るらしい。尾根に沿って、空中に浮かびながら、山頂へ。山の上に小さな街がある。二人の暴走族が山頂から、バイクで下って来て、そのまま崖下に突っこみ、バイクは大破。その壊れたバイクに向かってピストルの弾を狂ったように撃ち込んでいる。空は青空。ワタシは山頂から下界まで、空を飛び降りようとするが、、、、、その先どうなったのか不明。
その後、地面から稲穂のように鉄が生えて来る。
このところ鉄に関する夢が続いている。他人の夢ほど、それを知らされた者にとって無意味なものもないが、忘備記として、ここに書いておきます。
目を覚まして、午前中に荷物をまとめ、久子と列車でナントまで行き、タクシーで空港へ。照明のオーギュスティンが同行。そこから一時間ほどで南フランスの都市トゥールーズへ。飛行機は大雨の中を着陸。
リタ
ポルトガル人のリタが、アキラのワークショップを受けるのは2回目だ。3年前の1回目のワークショップの時にも、彼女は参加していた。もともと彼女は幼稚園の先生志望だったが、当時CNDCの芸術監督だったエマニュエル・ユインがポルトガルでダンス公演を行なった際に、たまたまエマニュエルのお嬢さんのベビーシッターをやったのがきっかけで、CNDCのエッセイコースに参加するようになった、と話してくれた。参加者のほとんどの国籍は異なり、個性の強い若い男女の集まりの中で、彼女は、いかにも初心で、素直で、目に入るもの全てが新鮮であるかのように大きな瞳を輝かしながら、はにかんでいる少女に見えた。
当時、そんなリタが、急に「去年、私独りで日本を旅しました」と話しかけられてびっくりした。思わず「どこを、どうやって?」と聞くと「四国のほうです。日本の方はとても親切で、暖かく、一軒の農家を訪ねると、必ず泊まって行きなさい、と言われ、次の日はその家の知り合いのうちを紹介してくれました。毎日、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、何の心配もなく旅が出来ました。日本は本当にいい国ですね。今度は東京に行きます」それは大変!! ちょっと待って、と私は心の内で叫んでしまった。
それより数年前、「花粉革命」公演でポルトガルのファロに行った時のことを思い出した。初夏の頃だったか、イベリア半島の南端の港町ファロは、小さな箱庭のように可愛らしく、街の至る所で見られる合歓の木は、美しい薄紫色の花がたくさん咲いて、時折の海風に街中に甘い香りを漂わせていた。
日本とは全く異質な幻想的なファロの街。でもなぜか懐かしかった。
さて、今回のリタ、可愛らしいから美しいに変身し、はっきりとした口調で「来年は日本に行きます」と言った。そして「でもポルトガルは今、経済的に危機に瀕しています。スペインも、ギリシャも。ポルトガルは小さい国で・・・・」と悲しそうに付け加えた。私は心の内で「でも大丈夫、リタ、あなたなら。だって、その昔日本人が初めてあったヨーロッパの人は、あなたの祖先だったんですから」と言いながら、いつの間にか、時空を超えた遠い国との繋がりに想いは広がる。
クラウディア
イタリア人のダンサーで振付家のクラウディアは、美術学校の先生をしている。今回彼女の生徒たちも、アキラのワークショップに参加した。ブラジル人、ポルトガル人、フランス人など国籍もさまざまだ。毎日、クラウディアはアキラのワークショップを見にきて、熱心にノートをとったり、輪になってみんなで話し合う時には、一緒に仲間に入って静かに生徒たちの意見に耳を傾け、稽古の休憩のときは、アキラの課題を上手く動けない生徒に、そっと動き方を教えたりしていた。
お国のことを聞くと「23歳の時に、私はイタリアを捨ててフランスに来ました。随分長いこと国には帰ったことがありませんでしたが、最近は家族に逢いに、時々帰ります」と言い「イタリアにいると、早く結婚して、家庭を持って・・・と言われて、自分らしく生きられなかったので」と付け足した。「イタリアのどちらですか?」と聞くと「アドリア海に面した北イタリア」とだけ言った。須賀敦子さんの「トリエステ」或はリルケの「ドゥイノ」あたりだろうか。国を捨ててパリに向かう気持ちも分からなくもない。今では、2、3の親しいイタリアの友人とイタリア語で話す以外は、母国語はほとんど使わないそうだ。
CNDCの廊下で、クラウディアにばったり出会い、アキラがインチキイタリア語で「トスカ」の名曲「星は光りぬ」を朗々と(?)歌うと、彼女は直ぐに続けて、美しいイタリア語で情熱的に歌い上げた。
漆黒の髪をひっめにして、ミリタリー風の黒皮のジャケットをぴったりと着込み、細身のパンツルックのクラウディアは、とてもかっこいい。でも、生徒達に囲まれて話しているクラウディアは、紛れもない世話好きのイタリア人。彼女の黒い瞳の奥にはイタリア人特有の明るい情熱が秘められている。
通訳のユウコさん
昨日、CNDCでのアキラのワークショップ終了。通訳のユウコさんが用意してくれた遅いランチのカレーライスを、ワークショップ生とみんなで食べ(美味しかったこと!!)、3時から我が屋根裏部屋の食堂で、エマニュエル、マチュー、映像作家のジュディット、ユウコ、私たちの6人が円卓を囲み、ミーティング。ユウコさんは、6時にはアンジェ駅から列車に乗って、もう直き3歳になるカイトちゃんとご主人のアントワーヌさんが待つパリに帰らなければならない。外は大雨だ。3年目に突入した「Spiel」の今後の育て方がテーマだ。日本語とフランス語を全く違和感を感じさせず、日本人とフランス人の考え方の違いのややこしい話を、お相撲の行司さながら、素早く公平に通訳して裁いて行くユウコさんの手腕に感心する。
そのユウコさん、CNDCのワークショップの初日、何やら怒って現れた。聞くと、カイトちやんが通う保育園では、週1回お母さんが持ち回りで子ども達の保育をする決まりがある。保母さんの人数も少なく済み、その分保育料も安くなる。ママ保母か、なるほど、なるほど。私の子育ての頃もあったかな、そんな考え。
ユウコさんは仕事で、ママ保母が出来ない場合を考えて、他の人のママ保母を引き受けて、10時間のママ保母貯金をした。そこで今回のアンジェでの仕事で、替わってあげた人にママ保母をお願いすると、あっけなく「ワタシ、イソガシイノヨネ、アナタ、オシゴト、Good luck!!」と言われたそうだ。「なにが、グッド・ラックよ。日本人だったら、ゴメンナサイ、と言うわよね」とユウコさん。全くその通り。
国が違い、言葉が違う者同士が、ひとつの舞台作品を創っていくことは、至難の業だ。それは、子どもを育てて行くのに似ている。3歳になった「Spiel」も、次第に自我意識が目覚めてきた。これからどのように育って行くか楽しみであるとともに、ますますミーティングの大切さが身にしみてくる。
芭蕉を踊る
文芸春秋から出ている長部日出雄さんの「古事記の真実」を、こちらに来てから二回読みました。そのなかに印刷術が発明されてからも、ヨーロッパではかなり長い間、書物は黙読ではなく、音読されていた、と書かれています。
今日、CNDCのワークショップの最後は、松尾芭蕉の俳句をフランス語訳で即興的に踊る、と言う課題に取り組んでもらいました。俳句こそ、音読しなければ、言葉の味はでてきませんが、そのフランス語で五七五のリズムをイメージしながら読むと、声明のようなこれまで聞いたことが無い美しさを感じました。アナリサの朗読は母音をぎりぎり延ばせるだけ延ばしてなを、フランス語の語感を保っていると言う感じで、その朗読で動いた参加者の感じがとてもよかったのです。ちなみにテキストは
Viens me voir ici 這出(はいいで)よ
De sous la magnanerie かひがや下の
Une voix de crapaud ひきの声
そのあと、「自身で声を出しながら動く」と「声を抜いて、発声力をカラダに流しながら動く」を交互に何度も行ないながら踊っているうちに、多くの異なった民族の人たちが集まっているこのクラスの中に、言葉とカラダが解け合っていく空気が漂い始めました。
皆、日本に来たがっていましたよ。
スタジオの三階に住んでいる通訳のYUKOが、その後カレーパーティーを開きました。CNDC の五日間のWS,終了。
CNDCでのワークショップ、三日目
今日でCNDCのWS、三日目。フランス人を始め、エジプトのマーメッド、イランのアリ,ポルトガルのリタ、アフリカのアマル等の多国籍20名の参加で、あとイタリアの振付家クラウディアが同席。全員大変熱心で、全く新しい事柄に挑戦している。今日は始めに、一時間ほど全員での話し合い。テーマは「カラダをどうとらえるか?」「動きとは何か?」について。
カラダを五つの観点から、すなはち「カラダと言葉、社会、意識、魂そして物自体」から観るという意見。アマルはちっよと変わっていて、カラダに関してのみ、そのような「問いを立てない」と言うのがいいと。カラダはそのような問いを立てた瞬間から、カラダそのものから遠ざかるから、と言う意見。三谷裕子さんの通訳を交えて、あっというまに一時間半経過。
次に笠井から「対象」としてのカラダと、「表象」としてのカラダについての説明。そばのピアノを鳴らし、その音はカラダの外で鳴っているのか、それともカラダの中で鳴っているのか、と言う問いかけに、「内と外の両方」と言う捉え方が多数でした。
次に実際に一人一人「対象としてのカラダ」と「表象としてのカラダ」を交互に動いてみる。
ほんの僅かな身体感覚の違いを捉える高度な練習。最後にバッハの「フーガに技法」の振付の練習で終了でした。
土方さんの思い出
私が初めてアンジェに来たのは、2010年の春のことだ。アンジュ城の近辺の路地には、小さな商店が並んでいて、お気に入りの店(小さな小物の店とか、文房具屋さんなど)を見つけると、何度も足を運んで、お土産選びを楽しんだものだ。今回もまた、おなじ店に行ってみたが、何故か様子が違う。細かい品物が多くあり、どれもこれも日本で見るのと同じ様なもの。つまらないなぁ。
昨日、我々の屋根裏部屋の食堂で、アキラがエマニュエルとマチュウの3時間のインタヴューを受ける。通訳のユウコさんが、「パリは4度だったけど、アンジェは暖かいわね」と言いながら入ってきた。食堂の四角い窓ガラスを通して、久しぶりに淡い陽の光が差し込んで、窓辺に置いた黄色のチュウーリップが美しい。静かな日曜日の昼下がり、インタヴューが始まった。
「犯罪ダンス、暗黒ブヨウ、暗黒ブトウ、ブトウ、マルキ・ド・サド、ジャン・ジュネ、アンドレ・ブルトン、ロートレアモン、フランス革命、ヒジカタタツミ、オオノカズオ・・・・」
エマニュエルのフランス語とユウコさんの日本語を聞きながら、遠くに見えるブルーの空を眺めていたら、急に、50年前にタイムスリップ。
その日、私とアキラと土方巽さんは、虎ノ門ホールで高井富子さんの舞台を観た後、銀座のコックドールの2階にいた。大工さん刈りの土方さんは、白いワイシャツを着ていた。アキラはその日、高井さんの舞台で一緒に踊ったので、空腹に任せて、早速ビフテキを注文すると、すかさず土方さんは「ボク、サラダ」とウエイトレスに言った。「さすがにダンサー。自分のカラダのこと考えている」とその時私は大いに感心したのだが、実はその時お金がなかったのだと、後で判明した。土方さんがまだ30代の後半で、私たちが20代の若造だった頃のこと。あの頃は、お金がなくてもよく遊び、よくしゃべり、よく呑んだ。たのしかったな。
銀座通りに面したコックドールの店の、白いレースのカーテンの向こうの夜の銀座の光。金が無くても「王者の雰囲気」の土方巽。
、
サンナゼール
サンナゼールには正味2日しかいなかったが、奇妙な印象の町だった。
サンナゼールは、第2次世界大戦でドイツ軍に占領され、終戦間際アメリカ軍によって解放されたが、町は完全に壊滅したと言う。今でも埠頭には、占領時にドイツ軍が造った分厚いコンクリートの潜水艦造営場の壁が残されている。いや、残ってしまっていると言ったほうがあたっているかもしれない。なぜなら、今でもこの怪物の様な物体を壊すには、莫大な費用を要するらしい。なにしろ、爆撃でむき出しになったコンクリートの中を見ると、埋め込まれている鉄筋の数が半端ではない。というわけで、サンナゼール市では、これを負の遺産として残すことにした。
そして、道路を挟んで対面するように、素晴らしい現代的な劇場がある。アートの町の誕生だ。
戦争をするのも人間であり、芸術をするのも人間だ。
中世から続いている古城の町アンジェに戻ってきて、サンナゼール市で感じた痛みと希望が奇妙に入り交じった印象がますます鮮明になっていく。
そんなサンナゼールで「Spiel」公演が出来てよかった。たった1回の舞台だったが、とりわけその日のエマニュエルは美しかった。
