まとまりのない日々

ヘルパーさんが「あそこに金木犀が咲いてる」と私の食事介助をしながら言ったので「ほんと?」と聞き返すと「オレンジ色の花が溢れていますよ」と中庭を指差した。ベットに寝ている私には見えない。でも嬉しい。数日前、やはりヘルパーさんが、紫式部が咲いているのを見つけてくれた。紫とオレンジ色かぁ………。目の悪い私には、どこにあるかわからない。ちっぽけな庭でも、近づいて見にいくことは禁じられている(雑草や石ころだらけで危険ゆえ) 。

素晴らしい秋晴れだった昨日、朝歩きをサボったので、今朝は張り切って外に出て歩きだすと、過ぎ去った1日は戻らない………カラダが重い。

インターネットバンクの操作に失敗。問い合わせのヘルプデスクに助けを求めて時間を失った。残念。何をするにも携帯でできる便利な世の中になったというが、何をするにも機械を通さないとできないのは、私にとっては不便極まりない!と、怒って見ても始まらない。

数日前、テレビで観た袋に入って並んでいるガザの子どものことを思い出した。爆撃にやられた兄妹だという。痛ましく、悲しすぎる。

まとまりのない日々。頭の中を掃除して………澄み切った秋空を映さなくては。

 

ブレヒト『子供の十字軍』

毎日、イスラエルとパレスチナのニュース。あの奇怪な壁に囲まれて、爆撃あとの瓦礫の中で生きている、子どもたちやお年寄り、体が不自由な人、重篤な病人………どうやって退避できるだろう……食べるものもなく、水もない、クスリも………生きていくための何もかも不足した状態で………。

今から50年前、1973年10月に第4次中東戦争が勃発した。その翌月に次男禮示が生まれ、私は可愛い我が子を胸に抱き幸せに包まれている最中、何やら騒がしくなってきて「トイレットペーパーが無くなる………」という噂がサッと病室中に広がった。我が子を抱えながら、どうしよう、と不安だったが、どんなことがあってもこの子を守るぞ、と心の中で言っている自分を覚えている。

パレスチナとイスラエルの争い、ウクライナとロシアの争い、人間同士の争いはいつ終わるの? いつも犠牲になるのは幼い子どもたち、弱い者。心が痛む。

ベルトルト・ブレヒトの悲しく、美しい『子供の十字軍』は「1939年 ポーランドにむごたらしいいくさがあった。」と始まる。安らぎの国を求めて「砲声もなく 銃火もなく すてた土地とは別天地ー / 行列はかぎりなくふえて」55人の子どもたちが、あてどもなくさまよい、つかれはて、おしまいに「ポーランドでは その正月 / 犬が一ぴきつかまった。 /   やせこけた首に一枚の  /  紙の札がかかっていた。/  助けてください! と書いてある。 /  ぼくたち道にまよっています /  みんなで五十五人です /  この犬についてきてください。/  撃ち殺さないで。 この犬だけが /  ぼくたちの居場所をしっています。 /  犬が死ねば  /  ぼくたちもうおしまいです。 /  字は子供の手で書かれていた。 / 百姓たちがそれを読んだ。 /  一年半もまえのこと  /  犬は飢え死寸前だった。」 (矢川澄子訳)

1939年9月1日ドイツがポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まった。ウクライナ、パレスチナ………十字軍の昔から今もまだ戦争は続いている。

 

 

 

 

 

 

 

『カルゼル橋』 リルケの詩

押しても引いてもどうにもならない自分がいる………サア、カタノチカラヲヌイテ ユックリコキュウシテ ヒサコサン………と、遠くから聞こえる。

キッチンに座って中庭を眺めながら、昨日視聴した高橋巖先生のオンライン講座を思い返す。2時間の前半は、先生がシュタイナーコレクション「照応する宇宙」第8講を丁寧に読み砕いてくださり、後半の1時間は、講座参加者たちが感想をそれぞれ述べて、みんなで共有する。

日常の自分から離れた自分を素朴な言葉で語り、他者の言葉に耳を傾ける時間。

こんがらがった自分のなかに、空気をいっぱい吸って………と伸びをしていると、新潟から訪れた厚子さんが「うちの庭のイチジクで作ったジャムを一口どうぞ」とテーブルの上にかわいいジャムの瓶を置いてくれた。嬉しい。

明日も、紛争地域に生きる子どもたちに美しい光がさしますように………💤

「カルゼル橋」   リルケ/高安国世訳

橋の上に立つ盲目の男、

名もない国の境の標石のように灰色に、

この男はたぶん、遠くからくる星々の時間が

まわりを流れる中にみずからは常に変わらぬある物、

星辰の静かな中点なのかもしれぬ。

一切の物が彼をめぐって彷徨い流れ華美を競うている

 

この男こそは、混乱の道のあなたこなたに立つ

不動の正義者かもしれぬ。

表面ばかりの時代に

地下に通じる暗い入り口かもしれぬ。

 

 

 

 

 

秋の日ー夏の実り

澄み切った秋空の下、秋桜の花が一面に広がり一斉に風に靡いている風景を思い描いていたら、朝歩きの時間を逸してしまった。でも、もう極暑の夏は過ぎ去った。昼の太陽のもとで歩いてみよう。

午前中は、ウイークリィ・コープの宅配あり、ホームヘルパーのヤマウチさんが洗濯干し、冷蔵庫の整理、家の掃除などなど………来年一月八日(月・祝)神奈川芸術劇場でのポスト舞踏派公演モーツアルト『魔笛』のチラシが届いたり………何かと忙しい。

午後、『魔笛』の稽古が始まったので、ひとりでカートにつかまり外に出て歩き出すと、今回の衣装担当のミドリさん、亡き君子さん(アキラの母)のピアノの愛弟子のお向かいに住むケンジさん、歩行リハビリに励むサトウさんに出会い……向こうから「こうもりクラブ」のミカミさんが11月に行うオイリュトミーの会のチラシを持ってやってきた。

12月5、6、7日には、あきら振り付けの『今、ショパンを踊る』を笠井瑞丈、上村なおか、浅見裕子、川村美紀子が西國のいずみホールで踊る。

確実に、夏の実りが秋に向かって熟し始めた。

 

 

ディキンソンの詩を読む。

朝寝坊してしまった。急げ!  蜂蜜ひと舐め、チョコレートをひとかけら口に入れて、外に出る。今朝は昨日より寒い。どんよりした曇り空の何処かで小鳥たちが囀っている。起きたての重いカラダが透けてきて、歩くカラダを感じている。不思議な感覚。

イスラエルとパレスチナの紛争はいつ終わるの? 今朝の新聞にも両国の死者の数が載っている。ベルリンでアキラの作品に参加したあのパレスチナの女子学生、あのユダヤ人のダンサー………遥か昔のようだけど、今どうしているかしら……無事でありますように。

音もなく冷たい雨が降ってきた。天使館は「今、ショパンを踊る」のリハーサル。

昨夜、ずいぶん以前古本で購入して本棚の隅に忘れられていた井筒俊彦著『神秘哲学』(人文書院刊)の二巻本を読み終えた。ほとんど哲学とは縁のない私が夢中になって読んだのは、著者の読者に届けたいと願う魂の奥底から発することばに導かれ、惹かれたのだと思う。内容は難しすぎる、私には!

今日は、誰もいない静かなキッチンでディキンソンの詩を読もう。

「大声をあげて戦うことは、とても勇ましいー」

大声をあげて戦うことは、とても勇ましいー

だけど思う、さらに雄々しいのは、

心の中で突撃をする

悲哀の騎兵隊ー

 

勝利を得ても、どこの国民も気がつかぬー

倒れてもー誰も注意も払わないー

その死んでゆく目を、どの国も

愛国者への愛をこめて見つめてはしないー

 

わたしはたち信じる、羽根で身を飾って

そういう人のために、天使は行進するとー

つぎつぎと列を組み、足並みそろえー

雪の制服を身につけて。     (アメリカ詩人選(3) 亀井俊介編)より

 

 

中庭に紫式部が咲いている。

急に秋がやってきた。衣替えをしなくては! 去年の夏物から冬物への衣替えは「取り敢えず」だったが、今年は「慣例の」衣替えとなってしまった。1日一回朝歩きする他は家の中で過ごしている者に、多くの着る物は必要なしとは思うけど、秋から冬に向かって、素敵なコンサートや舞台公演のお知らせをいただくと、行ってみたいな、あの服を着て行こう、と頭の中で夢を描く一方で、猛暑の夏に着た私の好きなTシャツを仕舞いながら、来年またこれを着られるかしら?などと思ったりしながらの衣替え、一向に進まない。困ったものだ!
シンプルに生きたいと希うのも自分、複雑な世の中で嫌だなと思うのも自分。日々、矛盾した自分が一緒になって生きている、いつまでも成長しない自分を見ながら。

食事介助のオガサワラサンが「あっ、お庭のあそこに紫式部が咲いている」と教えてくれた。私の大好きな紫式部。やっぱり咲いてくれていた。残念ながら、視力が衰えた私の目には見えない。嬉しい!

美しい夕暮れの秋空を眺めながら、シュタイナーの「幼児の祈り」を心の中で唱える。

わたしの頭も足も

神さまの姿です

わたしは心にも両手にも

神さまの働きを感じます

わたしが口を開いて話すとき

わたしは神さまの意志に従います

どんなもののなかにも

お母様やお父様や

すべての愛する人の中にも

動物や草花や

木や石の中にも

神さまの姿が見えます

だからこわいものは何もありません

わたしのまわりには愛だけがあるのです。   (高橋巖訳)

 

 

 

『さんびきのくま』

とりわけ今夏は熊の出没が多いという。暑い暑い夏の間、森の木の実もみのり少なく、きっと食べ物を求めて里に出てきたのだろう。人の家のテーブルの上のピザを食べる熊の映像を見た。熊の世界も食糧難で命がけ。熊に遭遇した人間も襲われないように命がけで避難……ハラハラする………無事でありますように………。

森に迷い込んだ小さい女の子が小さいお家を見つけ………絵本『さんびきのくま』。読むとかなりドキドキする怖いお話。でも、父さんグマ、母さんグマ、小さいクマ、小さい女の子、みんな可愛くて、好きだ。今でも、絵とお話しを思い浮かべると心が温まる。

三人の息子たちが好きで、寝るときによく読んであげた絵本を思い出してみよう。その頃、我が家にはテレビがなかった。

『ぐりとぐら』『ぞうのババール』『さむたがりやのサンタ』『ちいさいおうち』『はじめてのおつかい』『だるまちゃんとかみなりちゃん』『ごろごろ にゃ〜ん』………『大きな木がほしい』『おしいれのぼうけん』………『ハイジ』『夕鶴』………。

綴じ糸が切れボロボロに壊れかかった絵本たちが、私の本棚の隅にまだ在る。

懐かしい時代!

 

言葉が出てこない!

朝夕が急に冷えてきたとはいえ、昼間は相変わらず30度の蒸し暑さ………湿気にすっぽり包まれた夜の闇。

一昨日、アキラが指導するダンス学校の公開練習+発表の会があった。年齢も仕事もまちまちの男女総勢16名が、テーマの「感覚器官とダンス/触覚・味覚・嗅覚・運動感覚・視覚・聴覚」に取り組んでいる姿をみた。

その日の日記に「哲学・形而上学と神秘学・霊学 その接点にダンスがある」と分かったようなことを書いている。

翌9月26日(火)は、朝日新聞を読んで「ベルギー人男性(30) AIチャットと会話し、イザイラ(人工頭脳)に魂を吸い取られ、妻子を捨てて自殺。ショック🤯 こういうBeispiel が地球上のどこかで起こることが怖い」と書いた。

今日は、何を書こう………言葉が出てこない………ボォーとしていたら………アキラが『今 ショパンを踊る』の振り付けを終えて、稽古場と中庭の闇の中から戻ってきた。

振り付けられたダンサー3人は、まだ稽古しているようだ。稽古場の窓に灯りがあり、ピアノの音が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

今日の新聞記事

秋の夜長………みんなで払って………久しぶりにひとり………今日はお彼岸のお中日。お母さんのおはぎが食べたいなぁ………なんて想いながら………朝日新聞を読む。

先ず一面から。北海道知床で川を上ってくる鮭を待つ痩せ細ったヒグマの写真を見る。故郷に帰る鮭の数も少なく、冬眠に入るヒグマも食糧難。

「耕論」欄 『AIと私たち』……人工知能は人間を超えるか、という議論。人間は肉体という物質体を通して体験し知性が開かれていく。果たしてAIという物質は体験できるの?というのが私の疑問。

「多事奏論」編集委員 ・高橋 純子さんの胸がすくような意見! 今日のおじさん政治家の体たらく……「絶望『感』ではなく絶望」という見出しがいい! 同感。

「そよかぜ」欄 「『小さな物語』にこそ」ウクライナの戦争で日常を奪われ避難民となった人たちとの対話の記録。「息子を戦場で亡くした芸術家の女性………苦痛の表情で、涙を流しながら………それでも『自分の心に憎しみを入れたくない』と語った………」

明日の朝も歩こう………美しい日になりますように………🌙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァージニア・ウルフのことば

朝寝坊する………時間を見るためiPadを開くと……昨夜読んでいたバージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』が出てきたので、暫く続きを読む……時間を見ると8時20分………ヒェ〜、もう暑く外出禁止時間になってしまう………急いで蜂蜜ひと舐めして外に出ると、風はひんやり秋風だ………ホッとして歩きだす………今日は敬老の日………どこの家も微睡んでいるように休んでいる………1羽のカラスが道を横切ってヨタヨタ歩いている……仲間から外れてしまったの?………突然、さっき読んだウルフの言葉が浮かぶ………「女性は鏡の役割を務めてきました。…………」その先はなんだったっけ………思い出せない………ひたすら歩くことに集中して………家までたどり着き『自分ひとりの部屋』を開いて読んでみる。

「過去何世紀にもわたって、女性は鏡の役割を務めてきました。鏡には魔法の甘美な力が備わっていて、男性の姿を二倍に拡大して映してきました。………」

100年前に生きた女性の言葉………今でも、聞こえる。

 

 

 

 

私の速度で………。

記録的に猛暑が続いた今年の夏(もう九月半ばというのにまだ続いている)の間、1日も休まずに朝歩きしたのよ………と、人にいうと………みんな、すごい意志力!………と褒めてくれる………確かに今思うと………よくやったよね ヒサコサン………と自分を褒めてやりたいけど………そう単純な問題ではない………もし夏の間朝歩きしなかったら………いつものナマケモノのヒサコさん………今頃確実に歩く力を失い………水平生活に後戻り………もはや垂直生活は夢物語に………。

と、ここまで書いた時「金鱗の鰓をとり置く術」のワークショップを終えたアキラが、「受講者がヒサコサンにとくれたよ」とまん丸い黄金色のダリアを2本持ってきくれた。花瓶にさしてテーブルの上に置くとキッチンが急に明るくなった。ジィージィージィーと中庭の闇の中で虫が鳴いている。

暮れの『ショパンを踊る』いずみホール公演の、来春のKAAT芸術劇場大ホールで行うモーツァルト『魔笛』の二つの稽古が、並行して始まった。何もできない私の役は、キッチンに座って、忙しく出入りするダンサーたちの交通整理係。もう何年この役をやってきただろう。やっぱり、自分を褒めてやろう「よく暑い夏を乗り切ったね。ナマケモノのヒサコさん」と。

歩く、見る、聴く、感じる、私の速度で。おやすみ😘

 

 

朝によみがえるいのち

昨日は一日中、熱帯性低気圧(?)のせいで、私の唯一の効き指・右手人差し指がプンプクリンに腫れて、絶望のどん底に落ち込んだが、長年リウマチカラダと付き合ってきたわたしなので、そういうことはよくあることで絶望するに値しない、と思うのだが、指を動かすたびに身体中が痛む/響く………なんとも説明できない辛さがある。寝れば治るだろうと早寝して、今朝起きたら、少し指が動かせる。ゆるゆると外歩きしよう。

歩き出すと……少しずつ頭の中も動き出して………気がつくと昨日読んだむずかしいアリストテレスとプラトンのことばを思い浮かべている………チッチッチッ……小鳥の鳴き声がすると………耳が全開して鳥の声を聴きいている………犬のお散歩の人に出会うと挨拶する………車は来る、自転車は来る(自動車がなかったゲーテ、シラー時代は羨ましいなぁ)、転倒は絶対できない………凸凹道を注意しながら………足だけは前に前にと動いていく………誰に動かされているのだろうか………また自分の心の中を覗き込んでいると………近くで鳥たちが私を呼んだ(わたしの勝手な思い込み⁉︎)………半ば疲れて倒れそうになっても頑張っている真っ白なライラック………わたしもあなたたちのように自然に美しく枯れるにまかせて………と、呟きながらやっと家に辿り着くと、アキラがポストの中からレターパックを取り出した………誰から、何が入っているのだろう………高橋茅香子さんからだ!………開封するのが楽しみ………いつの間にか、指はすっかり自由になっている………さぁ汗を流して………アキラが作ったフレンチトーストにタップリ蜂蜜をかけて朝ごはんを食べよう。

 

 

大宇宙に包まれて………。

グレーな日々が続いて……桜の樹々、道端の草花、シジュウカラ、カラス……ご機嫌伺いに行けない………このグレーな気分を払拭しなければ………。

「アリストテレスの思想傾向全般に通じる根本的特徴は、どのような問題を取扱うに際しても、常に必ず我々にとって最も身近な、具体的事実の観察から出発するということであった。………」井筒俊彦著『神秘哲学』

なぜか安心できる文章だなぁ………と中庭に降る静かな雨を眺めながら……著者の魂をぶつけるような真摯な言葉に触れながらも………うつら うつらゆめ心地。

久しぶりにシンポさんがやってきて、光があたると七色にキラキラ光る小さな透明のガラスの飾りを持ってきてくれた………宇宙みたい………美しいな。彼女は、これから高橋巖先生の講座に……わたしもいけたら………と思い………iPadで彼女が教えてくれたオンラインの巖先生の講座申し込みに挑戦。あちこち間違いを指摘され、なかなか最後まで辿り着かず、いつの間にか、雨も上がり日も暮れて、天使館であきらの講座が始まる頃………遂に、オンラインの申し込みに成功した………やれやれ😥………うれしい。

『神秘哲学』の続き「アリストテレスは宇宙いたるところに一瞬も停止することのない動きを見る。……運動は始まりも終わりもなく永遠的で………永遠不動の動が存在界の実相である。………」

フムフム………むずかしいな………マクロコスモスとミクロコスモスを行ったり来たり………大宇宙につつまれて眠くなる…………おやすみ⭐

 

 

雨だ!うれしい………。

雨だ!………桜の大木たち…我が中庭の雑草たち…史跡公園の櫟木、銀杏の木…路端の小さな草花たち…乾いた大地もみんな大喜びだ……さぁ、雨ガッパを着て外に出よう。

色とりどりのTシャツ、半ズボン……カラフルなランドセルに、いっぱい布袋をぶら下げて……赤や青やピンクや紫の小型の傘をさした子どもたち………飛んだり跳ねたり……お喋りしながら………学校に向かって………たのしそうだな………わたしも負けじと大降りのなか、わたしの体をすっぽり包むビニールのポンチョに容赦なく降りそそぐ雨の音を聞きながら………歩いて……歩いて………。

昨日、バッハ『フーガの技法』硬いダイヤモンドのような音の一粒一粒の響きのなかで……クリスタルの迷宮に迷い込んだように………素子さんとアキラが踊った………終わりのない夏日に観た………あの終曲の祝祭のダンスはいつ終わるのだろう? お願い、終わらないで。

今朝の外歩き。大きな樹々たちも道端の草花たちも、久しぶりに雨に打たれて愉しそう………遠くで母カラスが子どもたちを呼んでいる………飼い主に連れられた仔犬ちゃんたちも嬉しそう………わたしの壊れたカラダも外のみんなといっしょに悦んで………。

日々、悲しいこともいっぱいあるけど、愉しいこともいっぱいある。

 

 

 

夏の終わり……リルケのことば

8月もあと僅か……とは言え、天気予報では、今後も相変わらず30度以上の日々が続くらしい。

わたしの子どもの頃の今頃は、夏休みの宿題に追われ………絵日記の空白を埋めるのに頭を悩ませたり………夕方一雨降って涼しくなった戸外に、近所の子どもたちが自然に寄ってきて………夏休み最後の線香花火をして遊んだり………たのしかったな。

コロナ禍から引き続き後期高齢者は不要不急の外出は控えるように、とはいえ、水平生活から垂直生活に戻りつつあるわたしは、朝の外歩きは欠かせない。暑い日中は、クーラーが適度に効いたキッチンで……本を読んだり………絵を描たり………周り中が忙しく働き回っている中で………なんと贅沢な時間を過ごしていることか!と思ったり………何もできない自分を思い、ひどく落ち込んだり………。

「人々のあいだに、またあなたとのあいだに、なんら共通に生き得る余地がないとしたら、事物に近く在(あ)るように試みて下さい、事物は決してあなたを見捨てることはないでしょう。そこにはまだ夜があるではありませんか、木々のあいだを吹き抜け……………それに子供たちはやはりあなたが子供だった時のまま、悲しくもまた幸福でいますよ。-そしてあなたの幼年時代のことを思い出されれば、あなたはまた彼らのあいだで、孤独な子供たちのあいだで生きればいいでしょう。………」

リルケの『若き詩人への手紙』(高安国世訳)の一節。赤鉛筆で線が引いてある箇所を、今日もまたを読んた。

最初に読んだのはいつ頃だったのか? 赤や青や紫の線がいっぱい引いてある。今日は何色の線を引こうかな………。わたしの孫と同い年のような歳のリルケのことば。いつも新しい出会いがある。

 

ヘッセの詩集

だんだん地球が汚れていく………原発汚染水を海に流したり………山火事、異常な暑さ、ゲリラ豪雨………人災、天災………いつの間にか人間の魂までも蝕まれていく………誰も望んでいないのに。

朝、今日も外歩きした………エム、エヌ、エム、エヌ、と口の中で唱えながら………家の前の道に戻ってくると………お隣さんとお向かいさんが、花の水やりをしながらお喋りしている………お二人から「お帰りなさい」と声をかけらる。心も体もホッとする。

『ヘルマン・ヘッセ詩集 片山敏彦訳』(みすず書房刊)を開くと、セピア色に変色した中表紙の下方に「With all my heart    Hisako」とわたしの拙い字で書いた英文と1962.8.26と本を買った日付が記してある。奥付を開くと、昭和37年5月10日 第1冊発行 ¥300………随分安かったな。

1962年は昭和37年。私はこの詩集を本屋で手にして直ぐ求め、結婚し、子育てし、ドイツに持って行き、帰国して………わたしのどこかにあった。

本の冒頭の「閑な思想」は、第二次世界大戦がたけなわだった頃、ヘッセから手紙で送られてきたことを「序に代えて」で訳者片山敏彦が1945年12月に記している(その時、私は一歳)。続いてヘッセ詩集が編まれている。

あれよあれよと黙示録のように進んでいく世の中を生きている78歳の今の私に、簡潔で、嘘のない、易しく率直な、詩人の言葉は、今もな力強く響いてくる………。

「盛夏の省察」  ヘルマン・ヘッセ 片山敏彦訳

丘の斜面には 雑草の花々ひらき

褐いろの箒の形して えにしだの樹は硬(こわ)ばる。

五月の森の あのふくよかな緑のさまを

今はもう鮮やかに思い浮かべるよすがはない。

 

つぐみの歌 かっこうの声を ありありと

思い出でるよすがもない。

人の心を動かしたあれらの歌が

もう忘れられ 消えた。

 

森の夕べの 夏の祝祭

高い山の端の満月を

誰が記し留めたか、誰が今も持っているか?

それらはすべて もう消えた。

 

やがてまた 僕のこと君のことをも

誰一人知らなくなり語らなくなるだろう。

ここには別の人らが住むだろう、

僕らがいなくても、誰も惜しくも思うまい。

 

僕らは待とう 昇って来る夕星を、

また、初めてたなびく夕霧を。

悦んで僕らは花咲き そして枯れて行こう

神の大きな園の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水たまりに映った青空と白い雲

朝9時からアキラが稽古場に入るというので、5時半に起きて6時過ぎに外歩きに出る。ムッと暑い。太陽が雲から出たり入ったりしている………またゲリラ豪雨がくるのかな………突き当たりの角を曲がると、黄茶色の桜の葉っぱが風に吹かれて道の所々に散っている………今日は蝉たちが鳴いていない、どうしたの?………わたしのカートのすぐ前を山鳩が、あたりをキョロキョロ見ながらチョコチョコ歩いている………どうしたの、仲間とはぐれてしまったの?………前方から、王者の風格をしたレドリバー2匹を連れた小柄な女性がやってくる「おはようございます」と挨拶を交わす………史跡公園から南に真っ直ぐ……凸凹した天平の道の大きな水たまりに、真っ青な空と白い雲が映っている……靴で水に映った美しい天を踏みしめ………家にもどる。

 

 

 

 

 

地球は迷子になったの?

朝早く、外歩きに出る。夜半に降った雨の跡がコンクリートにまだ残っている。ムゥ〜と生ぬるい湿った空気………ʅ(◞‿◟)ʃ  でも歩かなくては………歩き出すと、意外と空気はひんやり………白内障の手術をしたおかげで、以前より前方の様子が見える………わたしの意識は外に行ったり内に行ったりしながら………わたしの体はひたすら歩く。一日の大切な時間。

キッチンから外を眺めていると、杏の木の枝葉が急に不穏な動きで揺れ出し、スコールのように雨が降り出した。まだ陽が差している時にアキラが干してくれた洗濯物が、雨の中でヒラヒラとひらめいて濡れている。キッチンからベランダに降りることを禁止されているわたしは、ただ眺めているだけ。近くで雷が鳴っている。

行き先を見失った地球が迷っているのかな?

 

極暑の日の読書

極暑の日の読書…………暑さを超えよう!

「プラトンに於いては、感性界は要するに現象の世界であり、イデア的本体の世界に比すれば虚妄仮幻の世界であって、真に高貴な魂の到底永く自足安住すべき場所ではないが、さればとて、ただ一途に忌み嫌うべき世界でもなかった。イデア認識に際して、感性界には感性界の意義があり、人はこれをただいたずらに排斥し蹂躙してしまうことによってではなく、逆にこれを機縁とし、足場とすることによって、より高い世界に超出するのである。全ての人間にとって最も端的で最も本源的な直接所与性の世界をなす感性界の意義を認め、これを積極的に活用する点に於いて、プラトンの愛の道は、後世西洋神秘主義に根本的色彩を与えるだろう「否定道」(via negativa)にたいし、断固として積極的な「肯定道」を確立したものと考えることができる」

井筒俊彦著『神秘哲学』第二部「神秘主義のギリシア哲学的展開」第二章「プラトンの神秘哲学」から (人文書院刊)

 

戦争が終わった日?

今日、戦争が終わった日? 「もう、日本は戦争をしません」と約束したのに、いつの間にか「日本は、いつでも戦争できます」と文脈が変わってきてしまった。だから、まだ、戦争は終わっていない。

1944年の12月10日、ひっきりなしに空襲警報が鳴る中で、電気を黒布で覆い、産湯の湯気も出せず、私の母は、私を産んでくれた。それから78年を経て、今年の12月10日に、私は79歳になる。生まれてこのかた78年間、身近に争いごともなく生きてきこられたことは、なんと幸いだったことか、と思う。戦争は終わったとはいえ、地球上のどこかで絶えず戦争、殺し合いがあり、人々は、あっちに行ったりこっちに行ったりウロウロして悲惨な状態は止まらない。日本も戦争する仲間に入って行こうとしている。きっとこれからもずっと続くだろう。

母は焼夷弾が落ちてくる恐怖の中で私を産んで「お盆に目鼻のかわいい女の子だ」とにっこりとやさしく微笑んだそうだ。みんな、幸せだった。

生きなくては、とにかく生きなくては。

 

 

「市川沙央さんの受賞エッセー」を読んで思ったこと。

今日の朝日の朝刊で「市川沙央さんの受賞エッセー」を読んだ。「芥川賞は鵺のようだと思う」と始まるエッセーは、さすが『ハンチバック』の作者らしい軽快で、可笑しく、鋭く、ダジャレも入って、最後まで面白く読んだ。すっ飛んでるな!………と何故か、嬉しくなる。

「鵺」か………そういえば、舞踏家の土方さんがダンスを始める前、小説家を志していた頃のペンネームは「鵺」だった、と誰かから聞いたことがある。

私の初の土方体験は、半世紀前の草月の公演『あんま』、続いて『バラ色ダンス』。その時も、びっくり仰天、すっ飛んでるな!と、私は、我を忘れて舞台を魅入っていた。

「鵺」とは、猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾、「ヒョーヒョー」と気味悪く鳴く日本で伝承されてきた「妖怪」だそうだ。

土方巽の舞踏・市川沙央の文学・妖怪「鵺」……… 嘘と本当、裏と表、闇と光がくるくる回り………透明迷宮の中で…………私のカラダとコトバが時を超えてつながった。

 

 

 

 

『春る夜(ハレルヤ)』オイリュトミーシューレ天使館第六期生卒業公演

昨日、西国分寺のいずみホールに、オイリュトミーシューレ天使館第6期生の卒業公演『晴る夜(ハレルヤ)   WINTERSONNENWENDE』を観に行く。

今期の卒業生は3名。2019年9月に船出して、翌年3月にはコロナ禍に見舞われ、数ヶ月無為な漂流を余儀なくさせられる。その後、世界中がディスタンス、ディスタンスで大荒れの大海原を………先生2名、生徒3名、音楽オイリュトミーのためのピアニスト3名、皆一緒になって、黙々と稽古に励み、転覆することなく、4年という歳月を経て、昨夜、無事に新しい港に着港した。

そして、昨日の卒業公演では、4年間それぞれのカラダのうちに育まれたものが形となって生まれた。美しかった。

プログラムの最後、ベートーヴェンの「32の変奏曲」では、五期生も加わって温かいエネルギーに充され、観る者と舞台がひとつに。素晴らしい体験!

グレーの雰囲気が当たり前になってしまった昨今、自分の身体の機能が日々失われていくのを見つめながらも、まわりの存在と一緒に呼吸できる歓びは、私に勇気を与えてくれる。まだまだ続く……残暑……透明な秋空………晩秋………冬至………凍てつく夜空の星々の輝きと大地の闇と……。

「秋の中で

感覚の興奮が鎮まる。

外光の輝きの中に

霧の暗いヴェールが 拡がる。

遠くから冬の眠りが 姿を現す。

夏は 私のなかに

すっかり身を委ねた。」

『魂のこよみ』から ルドルフ・シュタイナー/高橋巖訳

 

 

 

 

 

 

 

自分とのお喋り

今日は、朝から雲行きが怪しい………でも出かけるぞ………と歩き出すと………東の方から陽の光………時折、雨粒がポツン………風に吹かれて飛んでくる………いよいよ家に向かう直線コースの道に至る頃は………ザアザア降り………慌てず騒がず………やっと家にたどり着いた時はホッとした。濡れたカラダをシャワーで温める。

今日の予定は忙しい。午前中、訪問看護医のサトウ先生の診察。午後は、ヘルパーさんと一緒に眼科のノムラ先生の診察に、キャブで。白内障の手術で左眼は明るくなったけど、右眼が問題。瞳孔を開いて中を覗いた後先生が………レーザーの跡とか色々あって疲れ気味………と言われたので、思わず………大丈夫ですか?と訊くと………大丈夫だともいえない。このまま大事に使いましょう………というお答え………そうだよね、私のカラダはオンボロ車。先生の返事に納得する。

あぁ、くたびれた!

夜、サカモトさんと電話でおしゃべり。何もできないわたしでもお喋りはできる………嬉しいこと………明日は元気になるだろう………ユックリ オヤスミ ヒサコサン。

 

 

フランシス・ジャムの詩

軽井沢から国分寺の我がねぐらに戻って………やっと、カラダと心が静かになった。明日はもう立秋………桜の樹々の蝉たちの、一際真に迫った大合唱………分バスの石の椅子に座って遠く青空を眺めるていると………雄大な浅間山の上を一時も止まることなく、悠々と流れていく雲たち………爽やかな草原の風に揺ら揺らなびいている草花たち………が目に浮かぶ………昨日は泡のようにきえて………ヒサコサン、マエヲムイテ!………誰かがどこかで呟いた。

そうだ、旅の後は大洗濯。洗濯機が洗濯し、干すのはアキラ、たたむのは私の役目。ボンヤリしてはいられない。赤ちゃんみたいに小さくて、マシュマロみたいに柔らかく、サボテンみたいな形の私の手………ガンバレ、ガンバレ………と言いながら………丁寧に畳んでいく………いつになったら終わるのだろう………。

洗濯畳みの後は(天使館の明かりがついて、オイリュトミー講座が始まった)、私はフランシス・ジャムの純粋で美しい詩を取り出して読む。

「ぼくが死んだら………」

ぼくが死んだら、青い目の、小さな昆虫たちと同じ色の、

水の炎の青さの目のおまえ、ぼくが心から愛し、

『生きている花たち』の中の鳶尾(いちはつ)のような少女よ、

おまえはやってきてやさしくぼくの手を取るだろう。

おまえはぼくを連れて行くだろう、あの小道へ。

おまえは裸ではないが、でもぼくの薔薇よ、

おまえの清らかな首すじは

モーヴ色のブラウスの中で花咲くだろう。

ぼくたちは額にだってキスしないだろう。

ただ、手を取り合って、灰色の蜘蛛が虹を織る

さわやかな木苺に沿って

蜜のように甘い沈黙をつくるだろう。

そしてときおり、おまえはぼくの悲しみがいっそう大きくなるのを感じとって

ぼくの手をおまえのほっそりしたてのなかにいっそう強く握りしめるだろう。

ーそして、二人とも嵐の下のリラのように切なくなって、

何もわからなくなってしまう……何もわからなくなってしまうだろう………

(1887)    手塚伸一訳 続きを読む “フランシス・ジャムの詩”

軽井沢で黄金虫に会った。

昨日、車椅子で、軽井沢にやって来た。

8年前の七月の末、オイリュトミストのひろみさんを夏の青空に送った後の八月三日も、アキラと私は軽井沢にいた。

そして今日八月三日、ホテルの前に青緑の玉虫色をした黄金虫を見つけた。

私は、あっ、ひろみさんだ!と思った。

アキラは、黄金虫は神さま!と言った。

夏の夕日を受けて、小さなカラダが美しく青と緑にチラチラと光っていた。上を見上げると日没前の西空が、一面薄紫色に染まっていた。あっ、ひろみさんの色! 8年前の夕空と同じ色…

もう、二度と来られないと諦めていた軽井沢に、アキラに車椅子を押してもらいながらやってこられてよかった。ひろみさんが待っていてくれたんですもの、嬉しかった。

 

 

蝉の鳴き声

朝の目覚め……久しぶり灰色の空………アスファルトの道路脇が濡れている………夜半に雨が降ったらしい。

立ち並ぶ桜の樹々のなかで、さまざまな蝉が「我、ここに在り」と、命のかぎり鳴いている。

ミ〜ンミ〜ンミ〜ンミィン……シャシャシャシャア〜……ジジジジジジィージィージィー姿は見えない………響きの中に蝉の命が聞こえる……私のカラダに蟬のひびきが充される。

鴉が大声で鳴きながら、私の頭上で旋回してながら………仲間同士で会話をしている………「キョウモ ヨチヨチト ヒサコサンガ アルイテイクゾォー」………と言ってるみたい………バタバタと大きなカラスが、私の行手の道に影を落として飛び去っていく。

何時も、わたしは「エム〜ゥ エヌ〜ゥ」と、心に響かせながら歩いている。そうするとカラダに力が湧いてくるから不思議だ。

 

歩くこと と 生きること。

「命に危険な暑さです。適度にクーラーを使用して外出は避けましょう」とテレビのニュースが言っているのが聞こえてきた………でも、歩こう。

朝歩きを始めてから、もう2ヶ月にもなろうか。いつの間にか、歩かないと一日が始まらなくなった。だから、命が危険でも歩こう………朝のうちに。

歩くことと生きることは、確かに直結している。

 

 

白内障の手術をする。

左眼の白内障手術のため多摩総合医療センターに一泊した。

父親譲りでproblemの多い私の眼………頚椎変形で、首が持ち上げられず、視力検査もままならず………私の病気ゆえに眼球にメスを入れることに反対する先生もいらしたり……色々あったけど、雑草の間から健気に首を伸ばすかわいい花や杏の木にやってくる鳥たちが、日に日に周囲と判別できなくなってくるのが悲しくて………思い切って手術した。

今日、真昼間の光の中で天使館の白壁を背に紅紫色の百日紅の花が揺れて………杏の木の葉蔭にある鳥の巣も見える………光がいっぱい目の中に広がっている。

 

「八月の終り」     ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳

もう諦めていたのに、夏はもう一度力をとりもどした。

夏は、だんだん短くなる日に凝り固まったように輝く、

雲もなく焼きつく太陽を誇り顔に。

 

このように人も一生の努力の終りに、

失望してもう引っ込んでしまってから、

もう一度いきなり大波に身をまかせ、

一生の残りを賭して見ることがあろう。

 

はかない恋に身をこがすにせよ、

遅まきの仕事にとりかかるにせよ、

彼の行いと欲望の中に、終りについての

秋のように澄んだ深い悟りがひびく。

村山雄一さん

藤巻農園から今年の「葡萄便り」がきた………まだ七月、ずいぶん早いな………読んでみると「急な畑の規模縮小に迫られ、数量確保が難しく………数量限定、先着順でのお届け………」とあった。急いで、孫娘の所へ一件注文する。できるだけ多くの方にあの美味しい宝石のように美しい葡萄が届くよきますように…………。

脳梗塞でお体が不自由になられてからも、建築家としてお仕事続けていらした村山雄一さんが、今年五月に他界に逝ってしまった。

村山さんから、今は、わたしもあなたもヨチヨチ歩き「お互い 朽葉のように 地におちて いきましょう」というお便りが届いたのは、去年の初め。やさしい人だった。温かい人だった。強い人だった。Stuttgart では、我が男の子3人のおにいちゃん的存在。よく遊んでくれた。突然ドイツに連れてこられた息子たちは友だちもなく、兄弟三人だけで「明日のジョー」遊びの日々を過ごしていたので、村山さんが「日本で力石徹の葬式に行ってきた」とスラリと言ったから大騒ぎ………僕たちは力石徹の友だちを知っているんだぜ!何処にいても大丈夫、とドイツ生活に向かってジャンプ。

村山さん ありがとう!

私も、静かに、静かに、落ちる秋の朽葉のように、信頼して、落ちていきます。

 

「秋」    R.M.リルケ/富士川英郎訳

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように

大空の遠い園生が枯れたように

木の葉は否定の身ぶりで落ちる

 

そして夜々には 重たい地球が

あらゆる星の群れから 寂寥のなかへ落ちる

 

われわれはみんな落ちる この手も落ちる

ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

 

けれども ただひとり この落下を

限りなくやさしく その両手に支えている者がある

 

 

 

『ハンチバック』を読む。

フェミニストのチアキさんから「市川沙央さん芥川賞受賞❣️」というメールがきたので、クーラーの効いたキッチンで、Kindleに入れた受賞作品『ハンチバック』をiPad miniで一気に読む。

重度の障害を持つ小説の主人公釈迦のカラダは、作家自身のカラダとオーバーラップし………生きれば生きるほどカラダは壊れていく、という………重く辛い現実………障害者と健常者………差別、差異………言葉、イマジネーションの圧倒的な力……素晴らしさ……読み終わってもなお、私の頭の中にさまざまな想念が渦巻いていて言葉が出てこない……いつの間にか中庭に闇が訪れて………天使館の窓に光が見える……アキラの稽古が始まったのだろう………明日の朝も、私の壊れかかったカラダを引きずって、桜の樹々に会いに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

呉茂一先生と今半の牛肉

スーパーで万引きした女の人が捕まった……訊くと「あまり暑いのでアイスクリームが食べたかった」と。辛いな……悲しいな………痛いな………こんなに暑けりゃ、誰だってアイスクリームが食べたくなる………。

今朝の朝歩きは、久しぶりにお鷹の道コース。木陰があるので少し涼しいけど、石畳みの路はカートに相応しくない。汗だくになって家に辿り着く。

昼下がり、辺りは微睡んでいるかのように静かだ。外出は避けて、エアコンの効いた屋内にいること………などと言われなくても、朝歩きを済ませた私は、外に出ることはない。特別なことがない限り、日々の行動範囲は家の中と決まっている。

キッチンから、容赦なく中庭に照りつける太陽の光を眺めながら………ローマのマリアピアやナポリのマグダレーナ、パレルモのジョゼッぺ(大の女好きでお人好しの弁護士さん)………みんなどうしているかな………地中海沿岸世界の青空と海と光が目に浮かぶ………また行きたい!

ギリシア文学の碩学 故 呉茂一先生は、よくアキラの舞踏の会にお見えになった………ステッキを手に、ボルサリーノのステキなパナマハットを頭上に。公演の数日後、必ず、日本橋人形町の今半の牛肉が「踊られて、お腹が空いたでしょう」という添え書きととも届く。大学を卒業し、キャバレーの踊り子で生活しながらソロ公演活動をしていた若輩の私たちにとって………今半の牛肉! なんと嬉しく、美味しく、ありがたかったことか

「ギリシア・ローマ抒情詩選」『花冠』呉茂一訳 岩波文庫

さっぽう

やさしい母(かか)さま

ほんにわたしや、もう機(はた)を織る

気も出ませぬえ、

すらりとした

殿御をいとしと

おもふこころの切(せつ)なさに。

*

夕星(ゆうずつ)は、

かがやく朝が(八方に)散らしたものを

みな(もとへ)連れかへし。

羊をかへし、

山羊をかへし、

幼な子をまた 母の手に

連れかへす。

*

さらにまた 恋よ わが身を

ゆさぶりまはす、

手肢もとろかせ甘くて苦く、

どうせうもない

あの生(い)きものが。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨に打たれて歩く。

空気がベッタリと身体中に貼り付いている。カーテンの隙間から、灰色の空が覗いている………起きなくては………歩かなくては………桜の園から遊園地………一本松から南に真っ直ぐ「天平の道」(私が名付けた)………雨粒が落ちて来た………「天平の道」を左に曲がって分バスの発着所で一休み。雨ガッパを着る………アキラは発着所の空き地を駆け足で10周………いよいよ本降りになってくる………急げ、急げ………でも急げない!………汗びっしょりになって、家にたどり着く。所要時間1時間。私の1日の仕事の大半はやり遂げた………そして………夜、日記を書いて………さあ、iPad miniに入れたkindleで本を読もう!……今夜は何にしようかな?………ゲーテの『イタリア紀行』で、ナポリに行ってみよう。いつも私を元気にしてくれるゲーテ先生……地中海地方の明るく、乾燥した空気を思い出しながら、だんだん眠くなって………。

 

 

 

 

「オイディプス王」を観る

朝から暑い………梅雨が明けたのかしら?

昨日は、久しぶりに観劇……ミツタケがソポソポクレスの悲劇「オイディプス王」のコロスの一人として出演するというので……ナオカさんが車で連れて行ってくれた。視力聴力ともに衰えがひどく、舞台上の人物はほとんど判別できず、ましてコロス役のミツが何処にいるのかさっぱり見えない………でも、役者たちのセリフは、集音器のおかげではっきりと聞こえ、お話の隅々までよく理解できた。面白かった………

目が覚めたのに、布団の中で、ダンスもいいけど、やっぱり演劇もいいな……など、グズグズしていると、「先に行くよ」とアキラ。………歩くチャンスを逸しては……急いで、ハチミツをひとなめして……外に出る。

コンクリートの道の行手に、小さな光の粒子が飛んでいる。大きな薄桃色の芙蓉の花がかすかに風に揺れて………私は暑い………暑い私が歩く………暑いが歩く………私はどこ?
今日も歩けた………明日はまた新しく。

 

 

 

七夕さま

子供ころ、七夕さまや夏祭りの日がくると、必ず母は私に、可愛い花柄の浴衣を着せてくれた。私は、嬉しくて嬉しくて、家中をぴょんぴょん跳ねまわっていたことを思い出す。その時の私は、織り姫さまだったり、星の妖精だったり、可哀想な灰かぶりひめにだったり……さまざまな人物になりきって有頂天………愉しかったなぁ。遠い昔の思い出。

七夕の翌朝、杏の樹に鶯がやってきて鳴いている。空気の重たい蒸し暑い梅雨日。レインコートを持って外歩きに出る。

40年間半身不随の妻の介護をしてきた夫が、車椅子ごと海に突き落とし死なせてしまった事件の初公判が今日開かれるらしい。81歳の夫、79歳の妻。何とも痛ましく、辛いニュースを聞く。

美しい詩が読みたい。

 

星と花    土井晩翠

同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉といも
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。

かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花
笑みと光を宵々に
替はすもやさし花と星

さればあけぼの雲白く
御空の花のしぼむとき
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。

 

私の身体障害者手帳

六月二回の国分寺から名古屋行きでは、電車の乗り降り、新幹線のホームまでの誘導などJRの駅員さんが、車椅子に乗った私をケアしてくれたので、名古屋まで遠征できた。

何時も、アキラの海外ツアーに同行する際は、空港でも、列車移動の時も、必ず、車椅子お願いした。パリのドゴール空港から列車に乗り換えてアンジェへ………空港は広いし、アキラも私も言葉はチンプンカンプンでわからない………ノロノロの我がリウマチ車では時間に間に合うはずがない………まず、飛行機の乗務員から私を受け取った若いフランス青年が、車椅子をスルスルと空港内を走らせ……途中にあるコーナーに停め……ツギガクルマデ、ココデ………待て、と言っているらしい………アキラも私も内心……ホントニキテクレルノ?………一抹の不安がよぎるが、待つしかない………そうこうするうちに、やってきた、のっぽの青年………再び、スルスルと車椅子を押して走りだし………またストップ………ココデマテ………我々二人の不安は倍増するも………いやいや、人間関係は信頼が大切!………とカラダの力を抜いた途端、目の前にハンサム青年が現れ、有無を言わせず車椅子を走らせ、エレベーターで地上に下り”pardon,pardon”と言いながら、列車を待つ人々、熱い接吻に夢中の恋人たちを掻き分け、掻き分け、前に進む………怖くらいのスピードだ………あぁ無事席に到着……間に合った……私の目の前にやさしい若者の笑顔があった。”Merci beaucour “ ………またね、ありがとう!

今回のJRの方たちのケアを体験して、私の行動範囲が広がった………嬉しい!

あらためて自分の身体障害者手帳を開いてみる。取得年月日 1987年11月2日。「身体障害程度2級 * 慢性関節リウマチによる * 四肢機能障害」と記載。

障害者と健常者、社会的弱者………老害なんてとんでもない言葉。

明日の朝も歩こう、鳥も花も樹も空も風も一緒に………。

 

 

ふたつのカラダ

アキラの名古屋講座から戻って2日目。昨日はさすがに疲れて、朝歩きをサボる。

今朝は、輝く朝日に誘われて、アキラと外に出て歩き出すと、まだ夜の余韻が残す涼やかな風がカラダの中を通り抜け………少し脚が重たいけど歩ける………よかった!…………外歩きをサボった時間は取り戻せない………でも、心の内に新しいみえない時間が生まれ来た。

名古屋のオイリュトミー講座でみんなとともに在った時間は、私のカラダから消えることはない。わたしの中に、壊れて行くカラダと生きていくカラダとふたつがある。

 

講座二日目

講座二目。四時五十分に目覚める。外は大雨。アキラ雨のなか外歩きに出かける。

昨日のレクチャーは、インターバルと黄道十二宮、内と外、いのちとかたち…難しいけど、私にとっても深いテ-マたった。

今日は全国梅雨日。川の氾濫、土砂崩れ…みんなご無事でありますように。

名古屋講座一日目の朝

名古屋講座初日の朝。何十年と内外問わずあちこちとアキラの公演、講座に同行してきたので、荷造り、ホテル暮らしは慣れたもの、と思っていたが、大間違い! 去年4月15日に体が水平状態になってしまってから一年経って、どうにか歩けるようになったものの、体の機能はどんどん失われたいくので、大半のことはアキラにやってもらうことになる…着替え、食事の調達、物の出し入れ…この病病介護の珍道中いつまで続くだろう…⁈

ニジンスキ-の弁ではないけれど、ガンコ者同士、「動く」ことと舞踊が好きなのだ。

「案ずるより産むが易し」

「案ずるより 産むが易し」…老老介護or 病病介護⁈ のアキラと二人で名古屋に着く。明日は、笠井叡オイリュトミー講座1日目。ホテルにチェックインすると、アキラは早速、明日からの講座準備。私は、ベッドで体を伸ばし、壊れかかっている頚椎をやすませながら、携帯に入れたKindleで市川沙央「ハンチバック」を読み始めたが…いつの間にかうつらうつら…。。

今日は、車椅子の若い旅行者を多く見かけた…海外からの人も…みんな生きてることをたのしんでいる。JRの職員さんたちのケアも行き届いている。やっぱり来てよかった!

 

『ニジンスキーの手記』を読む。

明日からまた名古屋に行くことを決めた。今度は、数十年にわたって続いているアキラのオイリュトミー講座に同行する。私の危なげなヨチヨチ歩きを知っている食事介助のヘルパーさんたち、薬剤師のおねえさん、みんなポジティブに私を応援してくれる………でも、私自身自信があるわけではないのだけれど………あれこれ思い悩んでいても……時は過ぎて行くばかり……梅雨空を気にしながら、エィ荷造りだ………宅急便にお荷物をお願いして………心が落ち着いた。明日、懐かしい人たちに会えると思うと………嬉しい。

明日がやってくるまでのほっとした隙間の時間。愛読書の『ニジンスキーの手記』市川雅訳をキッチンに持ち出して、読む。

「………私は自然を愛す。私はロシアで育ったので、特にロシアの自然が好きだ。………私はどこに住もうと同じだ。私は神が望むところに住む。神が望むなら生涯旅するだろう。私は、あごひげも口ひげもない。………私はキリストに似ている。ただ、キリストは静かに凝視しているのに、私の目はキョロキョロしている。私は「動く」人間で、「動かない」人間ではない。私は、キリストとは異なった習慣を持っている。彼は不動を愛した。私は、動きと舞踊を愛する。」

プーチンのロシアはどうなっているのだろう? 今日も一日ニュースでロシアのことをやっていた。

ニジンスキーは、地球が痛むと自分のカラダが痛む、と言ってたらしい。

今日は眠たい日

朝から、どんより曇り空……あぁ眠たい………昨日、キッチンでうっかり転んだっけ………3800メートルの海底に沈むタイタニックを見に行ったら人たちはどうなっただろう?………あぁ眠たい…………今日は一日眠たい日。

ヘルパーさんが「鳥の巣はどうなってるかしら?」と、杏の木の方に首を伸ばし「まだありますよ。どんな鳥が来るのかしら………」と言いながら、雛の嘴に食べ物を与えるように、食事を上手にスプーンで私の口に運んでくれる。

どんより曇り空の一日が暮れてくる。私の眠たいカラダもやっとノロノロ進みだした。

 

『ひとり林に………』  立原道造

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

青い青いあそこには 風が

さやさや すぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむってゐる

 

うたふやうな沈黙(しじま)に ひたり

私の胸は 溢れる泉! たかく

脈打つひびきが時を すすめる

 

美しい日本語の響きを夢見ながら………明日までぐっすりおやすみ。

 

梅雨寒

梅雨寒。ニュースで、3800メートルの海底に沈むタイタニック号の見学ツアーの消息不明と言っている………続いて、終わりが見えないウクライナ侵攻のニュース………詐欺グループの事件などなど寒いニュースばかり。

2階の寝室から階下の居間に移り住んでもう一年過ぎた。この先、いつになったらまた2階に戻れるか………自信がないなぁ………中庭を見ると、とりわけ今年の額紫陽花は勢いがいい。天使館の壁いっぱいに広がって、細雨のなかで色鮮やかに咲いている………ボォーと何もしないで眺めていると………心もカラダも海の底に沈んでいく。

夕方、レイジがオイリュトミーの授業にくる。ひろ子さんがお願いした買い物を届けてくれる。寒がりのアキラはストーブのそばで、赤ワインを楽しみながらうつらうつら。

さぁ、本を読んで、日記をつけて………明日は元気になろうね ヒサコサン!

プーシキン 詩集より  金子幸彦訳

グルージヤの丘の上に夜のもやがよこたわり

わが前にアラグワの流れがどよめく。

わたしのこころはかるく またものわびしい。

わたしの悲しみは明るくかがやき

ただひとりの………君のすがたにみたされる。

わびしさを苦しめ乱すものもなく

こころはふたたび くもりなき恋にもえるー

恋をわすれるすべなきゆえに。

 

 

 

 

名古屋まで『フーガの技法を踊る』を観にいく。

やっぱり、J.S.バッハの「フーガの技法を踊る」を観に名古屋まで行ってよかった!
片山柊さんのピアノ、平山素子さんとアキラの踊り………もう会えない、と思っていた友人たちにも会えて………嬉しかった。

昨日のお昼前ホテルを出ると、街路樹がゆらゆらと風に揺れて光の粒子をあちこちに振り撒いていた。夏だ!

遁走するように名古屋を後にして東京に戻る新幹線で、私の頭はバッハの「フーガ」の主題のメロディがぐるぐる回る。高橋悠治さんからはじまってもう何度聴いただろう。螺旋状に登っていく光のような曲……まだまだ到達しない………。

公演ツアーの翌日は大洗濯。中庭の紫陽花が思いっきり広がって紫の花弁のグラデーションが美しい。4時に「お疲れでしょ? でも、思い切ってお出かけしてよかったでしょ? 楽しいことをいっぱいしなくては」と言いながら食事介助のヘルパーさんがやって来た。いつも温かくて、ほっとする。みんなに支えられて生きている。

 

雨の一日

明け方から雨。朝歩きは出来ない………ちょっと残念………でも、来週の素子さんとアキラの「『フーガの技法』を踊る」名古屋公演同行が決定し、みんなが私のために万全の体制を考えてくれているらしい……私は、体調に万全を期すために外歩きなし、と決め込んで、昨日チアキさんから送られて来た「 平和を求め軍拡を許さない女たちの会『安全保障のジレンマ』」のシンポジウム(2023.6.4)の動画(「戦前」さながらと言われる現在の状態について説明してくれる動画とチアキさん)を、ベッドに取り付けたiPadで寝ながら観ること(聴く⁉︎)にする。

「雨が止んでる。今から歩きに行くよ」というアキラの言葉に促され、iPadは一時ストップ………急いで出かける用意をし、外に出て………風もなくじっとりと重たい空気の中をカートにつかまり歩き出す………頭の中にさっき聴いた言葉がポツポツと浮かんでくる………戦争をすることは、許されている⁈………平和のためにする戦争?………大人の勝手の戦争で多くの幼子の命が失われ………戦争は人間同士の殺し合いだ……絶対してはいけない………上から、ポツポツ落ちて来た………いつもの分バスのバス停を横目に通り過ぎ………本降りになりつつあるなか、慌てず急がず(決して急げない)我が家に向かう。

雨に濡れた服をすっかり取り替えて………やっとひと息。

夜、暗闇の中の天使館の窓に灯が灯り、アキラのオイリュトミー初伝講座が始まった。

「カラマーゾフの兄弟」の『悪魔・イワンの悪夢』の章をまた読んでみる。ドストエフスキー描く登場人物は、どれも魅力的。どの人も私のなかいるみたい………。 続きを読む “雨の一日”

梅雨入り間近

雨の翌朝の光は清々しい………桜の森の樹々もたっぷり露を含んでまだ眠たげだ。

朝食の野菜スープにじゃがいもが必要だ、とアキラがいうので、今日の朝歩きは府中街道のコンビニまで………近頃はコンビニで野菜も売っている………長いこと買い物に出てない私はびっくり! お料理に役立たずの私に代わって、朝食は専らアキラが作る。タマネギたっぷりの野菜スープ……(アキラは超タマネギ嫌いだったはずなのに⁉︎)……賽の目に切ったパンをミルクとたまごに漬けてバターで焼いたフレンチトースト。ちょっと蜂蜜をかける。ふわふわで美味しい。ありがたいこと。

午前中、訪問看護医のサトウ先生の診察。寝たきりの私が歩けるようになったのはサトウ先生の的確なリハビリ指導と温かい励ましのおかげだと思っている。今日の診察で、急に関節の崩壊速度が増しました、と言うと、また簡単な体操を教えてくれた。安心する。

夕方、庭の朱色の光が次第に消えていくのを眺めていると、突然、杏の木の中で、ピーィ、ピーィ、と鳥の声がした………インコが巣に帰って来たのだ………姿は見えない。

まもなく梅雨入り………闇の中にガクアジサイの薄花色が、微かにうかんでみえる。

 

 

 

一年前の私

朝が来た………さぁ、思考が動き出す前に、カラダを垂直に………蜂蜜ひと匙舐めて………外に出よ。と、こんな具合にカートを出して玄関を開けると、お隣さんの緑の垣根から大きな黄色の百合が一輪、私の方に向かって咲いている。おもわず「おはよう」と挨拶した。陽はどんどん高くなる。今日はお鷹の道から………狭い石畳の遊歩道……散歩の人と行き交い、大きな御影石の門に咲く薔薇、草叢のなかの紫陽花、清流のムラサキツユクサなど………楽しんでる暇はない………ひたすら、転倒しないように意識を集中して歩く………高みの方のあちこちで鳥が鳴いてる。今日も歩いた。

午後の天使館は、来週に迫った平山素子さんとアキラの「『フーガの技法』を踊る」名古屋公演のリハーサル、ピアニストも交えて。

あぁ、名古屋まで観に行きたいなぁ………行けるかもしれないぞ⁉︎
昨年4月からつけ始めた「水平日記」で、去年の今日の私を読んでみる。

6月6日(月) 雨のち曇り

朝から曇り 

ひかりがこない

体のうちに

青空と白い雲

を描こう

食堂まで

歩いて行こう

アキラの朝食

一緒に

ミルクコーヒーを飲もう

杏の木

物干し

紫陽花 百日紅 椿 ボケ サツキ………庭の雑草たち

私と一緒に

生きていたものたち

こんにちは!

はじめまして! ワタシハヒサコ 

 

干からびた わたしのカラダに

冷たい水を 注ごう

干からびた大地からも

小さな草木が 芽を出すように

けなげな植物たち

 

初めから

闇を背負って 光に向かって 生きてきた

神さまの 懐で 眠っている

無垢なカラダ 

この世に うまれた 命とカラダ

時が始まり 動き出す

カラダに闇を背負って

命は 光に向かって 歩き出す

ひかりの国の 扉の前まで。

カラダに こびりついた……… 

何故か、この日の記述はここで終わっている。四月に寝たきりになって、よちよち歩きが少しできるようになった頃のことだ。痛みと絶望の日々だったヒサコサン、ずいぶん殊勝でしたね。はい……歩くこと、書くこと……これからも、止まらないように意識して。

だんだん力が失せてきた

朝寝坊して目覚めると、ミナコさんから「おはよう」のラインが入っていた。今コンサートを聴きに名古屋に向かっていところ………神奈川県民ホールで観たキッドピボットの「リヴァイザー」(クリスタルパイト振付演出)が想像・想定を超えていて、楽しんだことに加えて、初めてひらいたヤマボウシの清楚な花の写真が貼り付けてあった。ありがとう……丁度昨夜眠れぬままに、井筒俊彦の『ロシア的人間』のゴーゴリの章を読んだばかり。神奈川県民ホールまで行きたかったなぁ………。

仙台のお園さんからのライン………今日は低気圧がさって夏の日差しで、且つ暴風……どんどん伸びるお庭の雑草、風に大きく揺れる木、暴風で倒れた玉ねぎ、裏庭のジャガイモ……の映像も送ってくれた。うれしいな。

ベットのなかでモゾモゾしていると、アキラに促されて、さぁ朝の外歩き。蜂蜜をひと匙舐めて………昨日は雨で歩けなかった………今日の足は重たい………いつまで歩くことができるだろうか………日々、力が失せてくる………ふっと心まで縮んでくる………でも、歩いている、いつものコースを鳥の囀りを聴きながら、歩く。

夜、洗濯物を畳んで、今日の一日を言葉で書きとめよう。

歩くこと・書くこと・生きること 続きを読む “だんだん力が失せてきた”

小鳥の巣

先日、お隣さんとインコの話をした翌日、我が家の中庭の杏の木の中ほどに、小枝を上手に重ねて作られた可愛い鳥の巣を発見。いよいよインコも我が家の一員。嬉しい!

昨日、チカシの写真集『Stuttgart』の日本写真協会作家賞の授賞式で、九段会館までキャブで行く。久しぶりの九段会館、大きく立派な素敵なビルに様変わりしていて、びっくり! 台風到来の予報でも、爽やかな晴れ日だったので、幸いだった。

今日は朝から蒸し暑い雨日。砂袋のカラダがずっしり重たい………嫌だな………外歩きは無理………さて何しようか………『ロシア的人間』(井筒俊彦)の、トルストイ、ドストイェフスキー、チェホフの各章を再読する。カラダを忘れて、アタマがぐるぐる回る。

日暮と共に、雨風が強くなり……ランダムに杏の木の葉がゆさゆさ揺れる………あの小さな鳥の家は大丈夫かしら………闇に紛れて見えない………。

「小鳥」

とおい他国(よそぐに)でふるさとの

ふるいならわしを守って

あかるい春の祭りの日に

一羽の小鳥を空にはなつ。

わが思いややにやわらぎ

たとえ一つの生きものにも

自由をあたえてやれたので

こころはふかく慰められる。    「プーシキン詩集」より 金子幸彦訳

明日の朝は、杏の木の小さな鳥の巣に温かい光がさしますように………おやすみ。

 

 

 

向こう三軒両隣

アキラと朝歩きをおよそ1時間して、フラフラになりながら我が家たどり着く寸前、お隣の奥さんに話しかけられ………「ねえ、見ました?黄緑色の大きな鳥を」………と言って携帯の写真を差し出し………「4羽も飛んできて、電線に止まったの。きっと番いのインコね」………そういえば、最近、我が家の杏の木に見慣れない大きな美しい鳥が、キーイキーイと鳴きながら飛んできて枝に止まり、せっせと何やら啄んでいるのを度々目撃する。差し出された携帯の写真を覗くと、確かに美しい黄緑色の鳥が4羽写っている………さらに奥さんは「裏のお家の庭では、大きなカラスがたくさんの椋鳥に囲まれて、突っつかれていたそうよ」と付け加えた。人間界に続いて、鳥の世界も大混乱。

朝のおしゃべりで、フラフラだった私のカラダがシャキッと……ヒサコサン、しっかりしなさい………という声が聞こえた。

今日の始まりは、お隣りさんとのお喋りから……「向こう三軒両隣」何げない言葉の交流。温かい。元気が出る。