「『明けの鐘から夕べの鐘まで』より」フランシス・ジャムの詩

昨夜の天使館。笠井瑞丈×上村なおか主催/ダンス現在vol.35「笠井叡 ポスト舞踏公演『フランス人よ!共和主義者たらんとせば いま一息だ』」(マルキ・ド・サド『閨房哲学』より)を観る。

今日は、叡の母・君子さんの命日………薄日のさす朝の道を車椅子を押して歩きながら………鳥のお喋りを聴きながら………薄紫のお気に入りのコートを身につけ、カートを押して、背中を丸くして歩く君子さん………今、私の歩いている道を一緒に歩いている。
きっと昨日、叡の踊りを観て、これから雲間から見える青い秋空にむかってかえって行くのだろう。
またきてくださぁ〜い、お母さん!

『明けの鐘から夕べの鐘まで』より     フランシス・ジャム /手塚伸一訳

    ぼくが死んだら………

ぼくが死んだら、青い目の、小さな昆虫たちと同じ色の、
水の炎の青さの目のおまえ、ぼくが心から愛し、
『生きている花たち』の中の鳶尾のような少女よ、
おまえはやってきてやさしくぼくの手を取るだろう。
おまえはぼくを連れて行くだろう、あの小道へ。
おまえは裸ではないが、でも僕の薔薇よ、
おまえの清らかな首すじは
モーブ色のブラウスの中で花咲くだろう。
ぼくたちは額にだってキスしないだろう。
ただ、手を取り合って、灰色の蜘蛛が虹に織る
さわやかな木苺に沿って
蜜のように甘い沈黙をつくるだろう。

そしてときおり、おまえはぼくの悲しみがいっそう大きくなるのを感じをとって
ぼくの手をおまえのほっそりした手の中にいっそう強くにぎりしめるだろう。
ーそして、二人とも嵐の下の
リラのように切なくなって、
何もわからなくなってしまう………何もわからなくなってなってしまうだろう………
                                     (1887年)