【ダンスの学校 7期募集】

これまでの六期の学校で学んだ方、さらに今回初回で参加される方、どなたも歓迎です。未知のダンス領域に深く入ります。

 

【告知】ダンスの学校7期募集

天使館
『ダンスの学校』
講師 笠井叡


第7期授業内容

基本になる
「母音と子音の動き」
「コトバとカラダの関わり」
その関わりは次の三つの領域でなされます

第一に 「事物と一体になる意志の力」
第二に 「動きの根源である無限感情の力」
第三は 「コトバとカラダを結ぶ、頭部に宿っている「光の思考力」

意志・感情・思考は
身体運動と共に開花、覚醒する
ダンス力

限りなく 既知なるものではなく
未知の
形に宿るものではなく
爆発的に凝固する

振付と即興を超越する
天から落下してくる
「砕けた虹」


講師 笠井叡
期間 2026年6月6日〜2027年5月22日(毎月2回)
時間 18時〜21時
場所 天使館
東京都国分寺市西元町3-27-9
定員 15名
学費一年間10万円

受講希望の方は
1.お名前
2.生年月日
3.プロフィール
4.応募動機
以上をお書きのうえ
kasai_uemura@yahoo.co.jp
までメールにてお送りください。

応募者多数の場合、書類選考の上こちらからご連絡いたします。
応募締め切り 5月17日(日)


日程
2026年
6月6日(土)
6月20日(土)
7月4日(土)
7月18日(土)
8月8日 (土)
8月22日(土)
9月5日 (土)
9月19日(土)
10月10日(土)
10月24日(土)
11月14日(土)
11月28日(土)
12月12日(土)
12月26日(土)

2027年
1月9日(土)
1月23日(土)
2月13日(土)
2月27日(土)
3月13日(土)
3月27日(土)
4月10日(土)
4月24日(土)
5月8日(土)
5月22日(土)
全24日間


 

笠井叡 プロフィール
モダンダンスを江口隆哉に師事(1962~1965)
即興的舞踏を大野一雄に師事(1963~1966)
土方巽に私淑クラシックバレエ個人レッスンを千葉昭則より受ける((1964~1965)オイリュトミーをシュトゥットガルト・オイリュトメウムにて学ぶ(1979~1985)あらゆるジャンルを超えて、新しいダンスの創出に挺身している。

お問い合わせ
090-8309-5096
kasai_uemura@yahoo.co.jp

主催 天使館
制作 笠井瑞丈×上村なおか
担当 笠井瑞丈

初心者のためのダンス オープンクラス 2026年5月~2027年5月

講師 笠井叡
振付:ベートーヴェン作曲 ピアノ変奏曲第32番の振付作品
課題:イマジネーション空間とカラダの接点におけるインプロヴィゼーションの練習

 

2026年

5月31日(日)
6月28日(日)
7月19日(日)
8月9日(日)
9月20日(日)
10月25日(日)
11月29日(日)
12月27日(日)

2027年

1月24日(日)
2月28日(日)
3月28日(日)
4月25日(日)
5月30日(日)

 

天使館
17:00~20:00

参加費 3000円

初めての方は事前にご連絡ください。

080-5530-9168

オイリュトミー初伝講座 天使館 笠井叡 2026年5月~2027年5月

オイリュトミーとは、ルドルフ・シュタイナーによって提唱された、言葉と音楽とともに動くことによって
人間の感覚器官を生命器官に、人間の生命を運動器官に変化させるメソードです。
広く身体全体に人間の内的な可能性を広げる練習です。初めての方もどうぞご参加ください。

スケジュール

2026年

5月17日(日)
6月14日(日)
7月12日(日)
8月16日(日)
9月13日(日)
10月18日(日)
11月22日(日)
12月20日(日)

2027年

1月17日(日)
2月21日(日)
3月21日(日)
4月18日(日)
5月16日(日)

 

時間  18時~21時

場所  天使館 国分寺市西元町3-27-9(JR 国分寺駅南口下車徒歩20分)

電話  042-307-9758

参加費 1回5000円

初めてのご参加の方は、事前にご連絡をくださいますよう。

『金鱗の鰓を取り置く術』WS 2026年5月~2027年5月 講師 笠井叡

「金鱗の鰓を取り置く術」とは、カラダ、コトバ、声、天体と四季、
この四つの領域に共通して存在している「天火水地」の法則を、
天津神算木という道具を通して、体験的に学ぶ時間です。
初めての方もどうぞご参加ください。

2026年

5月16日(土)
6月13日(土)
7月11日(土)
8月15日(土)
9月12日(土)
10月17日(土)
11月21日(土)
12月19日(土)

2027年

1月16日(土)
2月20(土)
3月20日(土)
4月17日(土)
5月15日(土)

時間:午後18時から21時まで。

場所:国分寺天使館

参加費:3000円

オイリュトミー初伝講座 天使館 笠井叡 2025年4月~2026年4月

オイリュトミーとは、ルドルフ・シュタイナーによって提唱された、言葉と音楽とともに動くことによって
人間の感覚器官を生命器官に、人間の生命を運動器官に変化させるメソードです。
広く身体全体に人間の内的な可能性を広げる練習です。初めての方もどうぞご参加ください。

スケジュール

2025年

4月20日(日)
5月3日(土)
6月28日(土)
7月26日(土)
8月30日(土)
9月27日(土)
10月19日(日)
11月29日(土)
12月21日(日)

2026年

1月18日(日)
2月15日(日)
3月15日(日)
4月19日(日)

 

時間  18時~21時

場所  天使館 国分寺市西元町3-27-9(JR 国分寺駅南口下車徒歩20分)

電話  042-307-9758

参加費 1回5000円

初めてのご参加の方は、事前にご連絡をくださいますよう。

初心者のためのダンス オープンクラス 2025年4月~2026年4月

講師 笠井叡
振付:ベートーヴェン作曲 ピアノ変奏曲第32番の振付作品
課題:イマジネーション空間とカラダの接点におけるインプロヴィゼーションの練習

 

2025年

4月27日(日)
5月11日(日)
6月15日(日)
7月27日(日)
8月31日(日)
9月28日(日)
10月26日(日)
11月30日(日)
12月28日(日)

2026年

1月25日(日)
2月8日(日)
3月8日(日)
4月12日(土)

 

天使館
17:00~20:00

参加費 3000円

初めての方は事前にご連絡ください。

080-5530-9168

『金鱗の鰓を取り置く術』WS 2025年4月~2026年4月 講師 笠井叡

「金鱗の鰓を取り置く術」とは、カラダ、コトバ、声、天体と四季、
この四つの領域に共通して存在している「天火水地」の法則を、
天津神算木という道具を通して、体験的に学ぶ時間です。
初めての方もどうぞご参加ください。

2025年

4月19日(土)
5月17日(土)
6月21日(土)
7月19日(土)
8月23日(土)
9月20日(土)
10月18日(土)
11月8日(土)
12月27日(土)

2026年

1月17日(土)
2月14日(土)
3月14日(土)
4月18日(日)

時間:午後18時から21時まで。

場所:国分寺天使館

参加費:3000円

笠井叡『ダンスの学校』6期募集(2025年5月〜2026年4月)

『ダンスの学校』 講師 笠井叡

今はダンスが積極的に、コトバの力とむすびつく時代です。
ダンスの語源は「爆発的な凝固」。
それをカラダにおいて拡大し、コトバにおいて収縮すると、イメージいたしました。
前5期では、日本語における、母音と子音の身体的形態に集中しました。
今期もそれを引き続き練習いたしますが、
さらに、カラダの中における、3つのダンスエネルギー

イマジネーションエネルギー(思考)
インスピレーションエネルギー(感情)
イントゥイションエネルギー(対象との合一)

を集中的に行います。奮ってご参加ください。

講師 笠井叡
期間 2025年5月〜2026年4月(毎月2回)
時間 18時〜21時
場所 天使館 東京都国分寺市西元町3-27-9

定員 15名
学費 一年間10万円

受講希望の方は

1.お名前
2.生年月日
3.プロフィール
4.応募動機

以上をお書きのうえ
kasai_uemura@yahoo.co.jp
までメールにてお送りください。

応募者多数の場合、書類選考の上こちらからご連絡いたします。
応募締め切り 4月13日(日)

日程
2025年
5/4(日) 5/18(日)
6/7(土) 6/22(日)
7/12(土) 7/20(日)
8/2(土) 8/16(土)
9/13(土) 9/21(日)
10/11(土) 10/25(土)
11/1(土) 11/15(土)
12/13(土) 12/20(土)
2026年
1/10(土) 1/31(土)
2/7(土) 2/28(土)
3/7(土) 3/28(土)
4/11(土) 4/25(土)
全24日間

笠井叡 プロフィール

モダンダンスを江口隆哉に師事(1962~1965)
即興的舞踏を大野一雄に師事(1963~1966)
土方巽に私淑
クラシックバレエ個人レッスンを千葉昭則より受ける(1964~1965)
オイリュトミーをシュトゥットガルト・オイリュトメウムにて学ぶ(1979~1985)
あらゆるジャンルを超えて、新しいダンスの創出に挺身している。

 

お問い合わせ

090-8309-5096
kasai_uemura@yahoo.co.jp

主催 天使館
制作 笠井瑞丈×上村なおか
担当 笠井瑞丈

笠井叡ダンスの学校 2024年4月~2025年3月 月2回(土曜日) 全24回 天使館 

AKIRA KASAI DANCE SCOOL 2024~2025

新規年間ダンス学校

四月開校

カラダという書物を 読み解く まったく未知の 誰もやったことのない なにものかを

創出する あなたはそこで コトバの本源のチカラによって 動きに目覚める カラダから生まれるのではなく

コトバから生まれるダンス

筋肉がコトバに コトバが筋肉になる それは「意味を伝えるコトバ」ではなく 生命に満ちたカオスとコスモス

お申込み・問い合わせは kasai_uemura@yahoo.co.jp

笠井叡 名古屋オイリュトミー講座 2023年6月7月

「天の淵駒」とは、天体の外輪のことです。
西洋では、この領域は黄道十二宮、アジア圏では十二支と呼ばれています。
母の胎に受胎する以前の、人間の生きた気形透明体が、この天の淵駒と一体でした。
そして、人間のカラダは、この黄道十二宮にまで、広まっているのです。
これは本当の話です。
いよいよ、宇宙時代が始まるのです。列強諸国はいまや、月の公転軌道内の空間をヴァーチャルな戦場空間として分割統治し始めていますが、ここで言うのはその事ではありません。この「天の淵駒」にまで至る、この神聖空間は、ただ人間一人一人の「個体」と結びついているのです。
黄道十二宮で、今、何が起きているかを、私たちは知らなければなりません。
そのためには一人一人の個体のカラダが、黄道十二宮との結びつきを、新たに作り上げてゆくことが必要です。

 

◆言葉のオイリュトミー

十二宮の十二の力と、その身体感覚
テキスト ルドルフ・シュタイナー作「12の気分」

◆音楽のオイリュトミー

ヨハン・セバスチャン・バッハ作
アンナ・マグダレーナ小曲集「メヌエット」をインターヴァル作品として練習します。

◆講義
一つの宇宙の、その誕生から死滅まで

 

■スケジュール

●2023年6月30日(金)
13:45~16:30 オイリュトミー実習①
17:30~19:00 講義①

●2023年7月1日(土)
09:30~12:15 オイリュトミー実習②
13:45~16:30 オイリュトミー実習③
17:30~19:00 講義②

●2023年7月2日(日)
09:30~12:15 オイリュトミー実習④
13:45~16:30 オイリュトミー実習⑤

■会場

長円寺会館 ホール
名古屋市中区栄 2-4-23 (地図
052-231-0955

■受講料

全参加 30,000円
実習1単位 5,000円
講義1単位 3,000円

■講師

笠井叡

■お問い合わせ/お申し込み

中村 090-2575-1201 E-mail: umiushi-do.mkn@nifty.ne.jp

■主催

名古屋オイリュトミー研究会

オイリュトミー初伝講座 天使館 笠井叡 2021年10月~2022年9月

オイリュトミーとは、ルドルフ・シュタイナーによって提唱された、言葉と音楽とともに動くことによって
人間の感覚器官を生命器官に、人間の生命を運動器官に変化させるメソードです。
広く身体全体に人間の内的な可能性を広げる練習です。初めての方もどうぞご参加ください。

スケジュール

第1回 2021年10月3日(日)
第2回 2021年11月17日(水)
第3回 2021年12月5日(日)
第4回 2022年1月23日(日)
第5回 2022年2月20日(日)
第6回 2022年3月13日(日)
第7回 2022年4月17日(日)
第8回 2022年5月15日(日)
第9回 2022年6月19日(日)
第10回 2022年7月16日(日)
第11回 2022年8月21日(日)
第12回 2022年9月24日(土)

時間  18時~21時

場所 天使館 国分寺市西元町3の27の9(JR 国分寺駅南口下車徒歩20分)

電話  042 307 9758

参加費 1回5000円

初めてのご参加の方は、事前にご連絡をくださいますよう。

EURYTHMIE WS 12 IN HP akira kasai 5/31

ka
WS 12
今日で5月も、おしまいです。ついに、この2ヶ月、私は家の近辺以外のどこにも出かけることなく過ごしました。明日、6月から少しずつ生活を変えていきたいと思います。天使館関係のダンスやオイリュトミーの講座も、今できる、可能な形態で、少しずつ再開できればと思っております。
今日のオイリュトミーWSは、子声の「K」を取り上げます。
日本語の七十五声の中で「k行」は「天火水地」においては、「天」に分類される子声です。イメージ的には、「神」「輝く」「光」「極」「君」「頭かしら」「金」とかの言葉と結びついていますね。皆さんもご存知でしょうけれども、古代エジプトに「KA」という神話的な動作があります。
マンフレート・ルルカーというドイツのエジプト学者が、この「KA」について、およそ次のように述べています。
  KAは生命を創造し、維持する力を表す言葉である。古代においては、「KA」は生命の根源的な力である。それは一人の人間(アンドロギュヌス)の中の男性的能力のことであり、それは生命の象徴である牛(カー)を意味する言葉の音声を作り上げている。同時にそれはすぐに精神的、霊的な力を意味するようになった。形象文字では、左右の両手に直角にあげている姿である。
神話的には、KAは人間が誕生する以前から存在し、誕生とともにその人間と一体になり、再びその人間が死ぬと、KAはそのまま人間から離れて生き続け、生命の根元に還る。それは人体の根本を生かす力であるが、物質的な食物ではなくて、人間の最も霊的な食物である。そこで、エジプトでは、すべての生産物はまず最初にこのKAにささげられた。
エジプト神話的に言うならば、今の私たち自身の中にも、このKAが働いていて、もし私たちが自分のカラダの中にkAを見いだすことができるならば、人間のカラダはただ単に神々によって作られた体ではなく、人間自身がその力を「身体創造」として用いることができる、ということを意味しているのでしょう。kAは両手を左右にまっすぐに伸ばし、肘のところで手のひらを内側にして直角に曲げた姿勢です。これは子声のK、音階で言うF の音からGのへ移行する、そのちょうど中間のところに当たります。直立に立って、この姿勢をしばらくのあいだ続けていますと、カラダの中に、ある変化が生じてきます。最初に心臓周辺の力が次第に強まっていき、その力が喉を通って上顎と下顎の方に流れるようになります。丁度子声のKを発声しているときの口の形です。
そして左右の両手の十の爪のところに向かって、上下の口の歯の力が流れるようになります。
心臓と歯と十の爪が一つの力の流れの中で結びつけようになりましたら、そこで、声を出さずに全身でKA声を発声します。さらに、吸気発声において、全身に嗅覚の力を流し、その力が心臓と歯と爪の流れと合流するように、繰り返し練習します。
次に子声の「KI」を右手を上に次に左手を上に左右交互にとりながら、無声で子声KIを全身に流します。この時この力は左右の聴覚に結びます。
次にこのKAとKIを嗅覚・聴覚を交えてカラダに変化が生じるまで、交互に繰り返しとります。
次に胸の高さのところで子声のKOを一回づつ、両手を下に下ろしながら十回とります。次に、
KO・KA・KI   KO・KA・KI   KO・KA・KIをKOを喉に、kAを嗅覚に、KI を聴覚に結びながら、耳鼻咽喉が一つに結ばれて、目に「見えないカラダ」の中心点となるまで続けます。

WS コロナの時代からの労働とダンス 笠井叡 2020年5月12日

akira
経済活動は今日、最も重要な課題である。それは現代という歴史的な転換期において、唯一解決しなければならない最大の課題である。この問題を解決しようとしない限り、アート全体の未来的な方向は見えてはこない。今日、人間は総じて、経済活動の本質が何であるかを、明瞭に意識しているとは、言えない。なぜならば、「人間の労働力は, 経済活動に組み込むべきだ」と,いまだに考えているからである。人間の労働力は、経済活動に組み入れるべきものではない。人間の労働力は、賃金契約の対象でもない。労働における「賃金契約」は、現代社会において、最後の奴隷制であるといえる。人間は今もってなお、金融奴隷制の中に甘んじている。人間の労働は、神聖な個人の「精神生活」、それは権利でも義務でもない、「自由」を基調とする、個人の精神生活に属している。ダンサーにとって「舞台公演」は自己の祭壇に載せるせるべき、神聖な供物である。同じように、すべての「労働」は、一人の人間の精神活動が生み出す最高の供物である。それは、賃金契約の中に組み込まれるべきものではない。労働力を経済活動から引き離したとき初めて、多数決を基調としている民権制社会から、真の人権社会への移行が生じる。
神権制という最も高度な精神性を実践しようとする古代社会において、その経済基盤は奴隷制によって、実現されていた。奴隷は売買の対象か、商品以下の存在であった。或いは贈与品として扱われた。動物と同じような扱いを受け、一切の人間の権利を有しなかった。これは古代神権制の最高の矛盾ではある。しかし神権制から王権制に移行していったのは、この奴隷制の矛盾解決のためではなく、神権という精神性を失った者たちによる、肥大化した地上的欲望によって、王権社会の経済活動が成り立っていた。その経済活動とは、人間存在のすべてが「経済活動」の中に組み込まれ、農産物や工業製品や武器産業のための「経済力としてのみ」、人間が存在した。その点において、古代の奴隷制と王権制による農奴制は、変わらない。民権制は人間存在を労働力として扱うことの矛盾から、民主主義という名のもとに、人間を引き離した。
しかし、それに代わって、「商品」という名の「労働力」が現れたのである。民権社会において、もはや古代的な奴隷制や王権制社会の中における農奴制は消滅した。しかし、新たに現れたのは労働力そのものが、「商品」「に変わったのである。いずれにせよ、経済活動における奴隷制は、こうして基本的に民権社会の中においても、存在し続けている。労働の本質を人間がみずからの中からとらえようとせず、自分の労働力が商品化されているということに対する「嫌悪感」を感じながらも、それが当然であるかのごとくに、一種の「催眠にかけられた状態」で、人間は経済活動に組み込まれている。
人間有機体において、頭部の感覚神経系の働きと腹部の新陳代謝系、消化器系の働きは、互いに結びついてはいるけれども、互いに有機的にそれぞれの働きが自立することによって人体は保たれている。もし、頭部の感覚神経系が常に新陳代謝に働きかけて、結果として体がストレスを強く持ったまま代謝系の働きを行うならば、それは、やがて病的な状態に移行しうる。それは社会有機体でも同じである。
立法・司法・行政を行う政府や政治的な働きが強く、経済活動に介入するならば、経済活動は自立して自分の活動を行うことができない。それは政治利用の経済活動、病的な経済活動となる。経済活動は国家や政治的目標から完全に自由になって、経済そのものが自立した働きを有機体の中で行うことができなければならない。経済活動の目標は、富の獲得や資本の蓄積が問題なのではなくて、資本が一つの有機的社会の中で、必要なところに常に流れていく、その流通ができていなければならない。資本が一箇所に集中しすぎたり、人間的活動に供されない富みが、一つの場所に集中して、流通性を失ったり可動性を失ってしまうと、経済は肥満状態に陥ったり、やがて死んでしまう。経済活動によって、個々の必要な利益は得られなければならないが、それは、経済活動の「目標」にはならない。経済活動が健康であるためには、人間はそこから自分に必要な利益を得なければならない。しかし、経済全体の目標は、利潤追求や富の蓄積そのものにあるのではない。経済活動においては、各人が自由に自分に合った労働、仕事を行い、そこから利益を得るわけであるが、その利益は、本来、賃金契約から来るものではない。
一人一人の人間は、自分に合った仕事を見出し、社会の中でそれを分担する。自分は農業のいかなる部分を請け負うか、工業のいかなる部分を行うか、舞台芸術においては、いかなる部分を自分が分担するか、という分担が社会全体の中で承認され、その承認にふさわしい労働を行い、その労働が社会全体の中に組み込まれるような契約が、「賃金契約」に代わって基本になければならない。このような契約を「分担契約」という言葉で表したい。そしてそのことによって労働を賃金契約という制度から、純人間的な「労働の本質」と結びつくような契約へと、移行すべきであろう。
自分がある仕事を「分担しよう」とするのは、基本的に労働を経済活動から分離しているからである。労働は自分にとって自己実現のための唯一の精神活動であり、利潤を目的しているものとは、根本的で異なっている。労働が経済過程の中に組み込まれている限り、労働は必ず「商品の性格」を持たされることになる。そして商品の性格を持つ限り、労働は、商品の生産と商品の消費からなる、経済生活の中に組み込まれる。そこから出てくるものは、商品を通しての「利潤の追求」が、経済活動の目標とならざるを得ない。
労働による生産物 (ダンサーであればダンス作品) は商品として流通するのではなく、カラダの中における栄養素が必要なところに必然的に流れなければならないように、生産物は商品的な価値として流通するのではなくて、社会の中における必要なところに速やかに流れるための社会的な栄養物なのである。人間の生活形態は、生産物が商品として流れるところの利潤を、自分の労働力の当然なるものとして受け取ることによって成り立つのではない。彼が精神活動としての労働を行うのに必要な当然の結果として、すべての生活費は基本的に国家によってすべて、保障されなければならない。すべての生活費は労働によって得られるのではなくて、 「生きるために労働するのではなく、労働するために生きる人間」  の当然の結果として、国家によって完全に保障されなければならない。
すべての利益は人間が「意識の力によって生きている」という事実から、生じるものである。労働する人間は、この世に存在するから生きているのではなく、自分の生きることに全意識の力を投入し、生きることを物質の世界における「単なる物質代謝」としてではなく、自分の肉体と出会うこと、物質的な環境と出会うこと、大自然とという物質の総体と出会うことによって、常にそこに対して最大の意識の力を流し込もうと、努力すべきなのである。そうするならば、全くカラダを動かすことのできない病を持つ人々であろうと、存在してること自体が、すでに精神活動としての労働となりうる。すべての生活に必要な利益は、労働の結果によるものではなくて精神活動を行っていく上での「意識の運動」そのものから生じる。
そして労働を、精神生活として行うことから生じる一切の責任は、個人が担うべきものではなくて、社会全体がそれを担うべきものなのである。

EURYTHMIE WS IN HP akira kasai 05/09

WS 10
皆さんこんにちは。前回のワークショップにおいても、述べたことなのですけれども、進化の出来事は二度と同じことは繰り返されない、という言葉の持つ重みがずしりとのしかかってくるような気がします。厳しい出来事はある意味で人類に向けての、自然界からの鞭である、と思います。皆が一体となって、結びついていかなければ、本当の意味で乗り越えることはできないような出来事だと思います。それに伴って想像を絶するような管理体制や個々の人間に対する内的な領域にまで、外側からの統制意思が入り込んできます。
次の練習は起きたら、すぐに毎朝行うものなのです。ぜひ皆さんも取り組んでください。
これは、超絶微細感覚器官を形成する、最上の方法です。そして、この微細感覚器官にアクセスすることのできるのは、まぁこう言ってよければ、Archangeleu大天使,それから、Archai権天使等だけです。権天使は、人間自我と宇宙自我の仲介者です。
1、 最初に行うことは、一切の日常的な思い、思い出、今日やろうとするプログラム、仕事のプログラム、すべての人間関係から流れてくる思いを、全部消去します。
2、 自分が自分に語りかける言葉もSCH(静まれ)です。
3、 その場所は胸の中の一番深い奥の奥の方です。静けさとともにその深みの中に静かに入ってきます。
4、 心臓と肺の方から流れてくる波が、静かにその静けさの中に打ち寄せています。
5、  その二つの波を静かに、やり過ごしていると、ずっしりでした岩盤のような、本当の静けさが訪れてきます。その静けさに、全身を「聴覚」にして静かに対峙します。自分に由来するものがすべて消滅します。自然界に由来するものがすべて消滅します。すると胸の奥の方から、声も息も伴わない沈黙の母声のような声が忍び寄ってきます。やがて、その母声がはっきりと、体中の毛細血管の中で超極微細な振動を発し始めます。その微細な振動に全身を静かにゆだねます。その時,自然に体が動く場合には、その体の動きを止める必要はなく、その振動を感じ続けます。
6、 ここまで来たらあなたの意思が加わります。I・A・Oの母声を発声することなく、頭部全体にI、両手O, 足にAを流します。
7、 毛細血管の中の微振動と 三母声の流れを保持しながら、水平に横たわっている睡眠姿勢から、ゆっくり立ち上がって、布団の脇に立ちます。そこから垂直に頭から天に向かってI,両足を開いて大地全体の方にA、そして両手で宇宙のすべての空間を包みながら、Oを行います。3回続けて、IAOを行います。毎朝行わなくてもいいと思いますが、週に2回、金曜日の朝と火曜日の朝に2回行えるといいですね。
朝の練習
1、不動心
2、絶対平静
3、沈黙の泉
4、波
5、Archangeleuが心臓の扉をノックする。
6、IAOの母声で、あなたが扉を開ける。
7、IAOも声と一体となる。
IAOはユダヤのJehova(イホヴァ)、古事記では 宇まし あしかび ひこぢ(別天つ神の一柱)

EURYTHMIE WS IN HP akira kasai 6 Mai

WS 9
皆さん、こんばんは。もう、7時半になってしまいました。
コロナの出来事以降、一番感じるのは時間なんて、あるようでいて、ないなあ、という実感です。コロナが奪い取ったのは人間の健康よりも時間かもしれません。ここのところ毎日、進化論的な時間の流れの中から、歴史とか日常とかを眺めてみる時間が多くなりました。時間の流れよりも、その流れを外側から眺めている非時間的視点の方がリアルだからかもしれません。
今日は猿から類人猿アウストラロピテクスへの移行についてイメージし続けておりました。この類人猿が出現したのは今から4百万年年前くらいだそうで、さらに、最古のサルが出現したのは六千五百万年前、と本には書かれていますから、この移行には、ほぼ六千万年以上かかっていることになります。この六千万年かけて、アウストラロピテクスは直立したのです。そして歩いたのです。このことに思いを寄せてみると感動もしますけれども、涙が出るほど、いじらしいともいえます。こうしてはいられない、厳粛な気分にもなります。
どうも進化論の本など読んでみると、進化の中には一つの厳然たる法則というか事実があるように思います。それは、「同じ進化は二度と起きない」ということのような気がいたします。アウストラロピテクスが無事、人類にまで進化したとするならば、そのような進化的事実は人類史の中に1回しか起こらないということではないでしょうか。アレキサンダー大王の東征も1回だけですし。ゴルゴダの丘におけるキリストの十字架も1回だけでしょうし。太平洋戦争も1回だけでしょう。昭和の時代もたった1回でしょう。ポストコロナ時代が過去の人類史に生じなかったような新しい時代であるとするなら、今私たちが経験しているコロナ事象はいつまでかかるかわかりませんけれども、1回だけなのかもしれません。
それが正しい判断かどうかわかりませんけれども、ポストコロナ時代いうのは現在よりもさらに情報文化とAI文化が中心となり、人間の生命圏は情報時空間の中に移行していくのか、さもなければ人間は全く新しい生命圏を自分のカラダの中から生み出し、新エーテル宇宙の中に自分の生存の場所を創っていくか、そのわかれ目にあるのかもしれませんね。
進化において、類人猿とホモサピエンスはともに直立はしているわけですから、体形的にも共通であり、「吠える」だけではなくて、分節化した発声をしたはずです。類人猿は今日いうところのヴォカールやコンゾナンテのような発声を、内的な衝動に従って行っていたのではないでしょうか。それに対して、ホモサピエンスは1音節2音節場合によっては3音節のようだ、単語を形成する力を記憶と結びつけることができたのではないでしょうか。まあ勝手な推測ですけれども。思うに全自然界には「原創造力」とでもいうような力とともに、すべて自然界は進化してるのだろうと思います。ただ、その進化を行わしめる原創造力を「誰が行使するか」ということで考えれば、類人猿もホモサピエンスも自分自身でその原創造力を使用することはなく、それは後の神話形成期においては、神であったり宇宙それ自身であったのかもしれません。ただ、六千万年の間、一瞬も途切れることなく、アウストラロピテクスに働きかけ作用し、衝動を与えたのは原創造力でしょう。
私の中に流れている原創造力とアオストラルピテクス中に流れている原創造力は同じだと思います。何万年もの間この原創造力は大自然全体の中に働きかけていると思います。人間の歴史形成の中にも社会形成の中にも、その力は流れている。けれども、流れることができないのは AI の中です。コンピューターの中です。情報機械の中にはどう頑張っても原創造力は入ることはできません。にもかかわらず、ポストコロナの時代はますますこの原創造力を受け取ることのできない生命圏の中に、人間は生きていかなければならないのです。原創造力が宇宙から消滅することは決してありません。ただ、その力をこの宇宙の中でたった1回だけ使用する、進化論的な言い方をするならば、新しい生命圏を作り上げるよう、その原創造力は地球働きかけているのでしょう。かつて神話の時代には神が、宇宙が使用したこの原創造力を、今人間は何に向けて用いようとしているのでしょうか。何に働きかけているのでしょうか。
練習1  12の子音の進化BMD NRL G CH F SHTを、口腔で発声しながら、両手片足で動く。
練習2  12の子音の進化を発声せずに、口腔と両手片足で動く。
練習3  12の子音の進化を発声せずに、両手両足だけで動く。その時に、動きの力は心臓から両手両足に集中して流す。
練習4  12の子音の進化を両手両足を動かさずに、自分を取り囲む空間全体の中に、原創造力だけを流して、動く。

EURYTHMIE WS IN HP akira kasai 3 Mai

WS 8
皆さんこんにちは。今日は日曜日で、近くの京王ストアまで買い物に出かけました。いちご、キューイ、ブドウジュース等、果物があると、夜なんかお腹すいたときに、ちょいと安心ですね。それでも、レジなんかは空いていて、全体に自粛の雰囲気濃厚です。
さて今日は M声の練習です。
M はゆっくり行いますと、Mの力は、肺の呼吸循環器系から腹部の新陳代謝形を通って、大地の中にまで深く降りていきます。この Mが呼気とともになされると、心を静め、鎮魂的な力がゆっくりと目覚め、謙虚な魂に体が満たされます。ここでMを呼吸循環器系とともに行います。心臓は、肺の中に位置しています。そして、呼吸からの血液循環への流れ、すなわち肺と心臓という二つの臓器の結びつきを、 M で作るのです。。同じ呼吸循環器系でも、肺と心臓は、一体となって作用していますけれども、どちらかっていうと、心臓から送り出される血液は、内臓器官や大腸小腸の新陳代謝の働きに強く結びつきます。人間の身体運動において、動きと呼吸を合わせながら行うというのは、当然です。けれども、同じような意味において、動きを心臓の鼓動に合わせて動くという発想は、あまりありません。なぜなら心臓は、動きに関わりなく、リズムを刻んでいるからです。けれども、この M の力が心臓の中へ流れるようになりますと、鼓動を通って、「心臓力」もいうべき力が動きの中に入り込むのです。
練習1
 まず最初は両手を下から上にあげながら吸気、上から下に下ろしながら、呼気を取ります。その時に肺の呼吸の動きをよく感じながら行います。次に2回目は、上下の両手の動きを少しゆっくり行い、さらに、呼吸もゆっくり行いながら、血液循環とともに心臓を強く感じるようにします。その時に肺と心臓が結びつくように、イメージするのです。これで一つの新しい力の流れが誕生します。これはすごく大きな力があります。これを何度か繰り返し練習しながら、単に呼吸がカラダの動きと結びついている時と、カラダと心臓が結びついてるときの違いを、カラダに刻印づけるのです。
このことは、発声においても同じです。発声は通常、喉と肺で行われると考えられています。けれども、脾臓のような内臓筋肉に働きかける発声は、喉発声 、肺発声以上に心臓力で発声するのです。心臓力と発声が結びつきますと、瞬時に心臓力と動きは結びつきます。これは私たちオイリュトミストの、未来的な課題でもあります。心臓力というのは、声に対しても動きに対しても同時に働きかけるからです。
それでは具体的に M の課題です。これにはLの動きが加わります。
練習2
まず充分に呼吸をとって、ゆっくり足を前方に歩きながら、Mの動きを一度だけ取ります。次は、そのまま吸気に続けて、後方に四歩歩きながら、大きく下からLを上に向かって取ります。この前後の動きにおいて,足の動きは 両手の動きに関わりなく、M の力をを保持し続けます。これを2往復を行います。すなわちML2回ずつです。
練習3
次は同じ動きを両手ではなくて片手で行います。最初の4歩は右手だけでMを後ろから前に
大きくても取ります。左手は手を動かさずに力の流れだけを、前方から後方へ取ります。次に後方に吸気で4歩歩き、その時右手だけでLを行い、左手は動かさずに右手と同じように力の流れだけを作ります。2往復目は、同じことを手を変えて左手で行い、右手は動かさずに力の流れだけを作ります。これをもう一度、2往復行いを行い、全部で4往復です。動かさない方の、手の力の流れだけは丁寧に作ってください。
練習4
もう一度に2往復、前後に歩きます。その時に前方には M、 後方には L の動きです。2往復ともに、両手は動かさずに力の流れだけで、M 、Lを作るのです。
この動きを覚えましたら、練習2練習3練習4を、2回繰り返します。
練習4の動きでは、ただ心の中に両手の動きをイメージするのではなくて、肺から心臓に力を流しながら、その力を空間全体に広げるように行います。1回1回カラダに刻み込むように練習しください。

EURYTHMIE WS IN HP akira kasai 2020 1 MAI

WS 7
今日の練習は,オイリュトミー,タンス,バレエ、日本舞踊だろうが能であろうが、すべての舞踊芸術に有効な練習とは思います。けれども、その単純さの故に、また最も高度でむつかしい練習ともいえます。これと言って、特定のやり形があるわけではありませんし、やることは、あまりに単純です。けれども、この練習に通暁できれば、人間のカラダの最も最奥の扉を開くことになるかもしれません。座脱立亡といいます。私にも出来ないない練習ですから、そのつもりでやっていただければ結構です。ちょっと酷なことですね。
ナニモシナイ ナニモカンジナイ

EURYTHMIE WS IN HP akirakasai 29 April

WS  6
皆さんこんばんは。
非常事態宣言に入って以来,時間はたっぷりあるはずなのに
一日の時間の流れは,光陰矢の如し、
夢のような時間の流れです。
朝は夢から覚めず、、そのままチベットのラサの北方100キロのところの、とある森の中
そこに無上瑜伽TANTRAの灌頂聖池があり、onmanipadomefumの声で、三度頭頂に
水を受け、それから目を覚ます。
何しろ私がドイツに行ったのは、チベットに入蔵できなくて、
その代わりに6年間訪れた国ですから、今持ってチベットのことは恋しくなるのです。
究竟次第『五次第』の酒井真典氏の日本語訳は素晴らしいのに、
内容理解できずに悶々としていました。
媚喜と受容と歌と  音楽等に依止することと
技芸によく入ることは  水月等と等しくなせ。
色と声と  味と所触そのもの等において
眼等に入るものであろうものは  如幻とよく分別すべし
この金剛乗そのものにおいて  ここに多く釈すべき必要は
瑜伽者が凡そ観縁する処の  おのおのを 如幻と分別せよ
一切を  鏡内の姿と夢と幻化と水泡と
帝釈網と等しく誰か見たるところの  彼は尊主なりと釈さる。
         酒井真典訳 『五次第』
今もってわかるようで、わかりませんけれども・・・・・・・・・・・・・
さて今日はS・H・CH・F・SH・Zの6声です
宇宙が創造されるよりも前にあったのは、この6声です。
要するに六つの吹音です。
言葉を「盗む」ものは悪魔。
声を「盗む」ものも悪魔
なぜなら、言葉は創造以前から、存在したものだからです。
言葉を盗むのは、神殿の床の木を剥がして
自分の家を建てるようなものです。
私は存在しなかった。
声よ 生まれよ!
と語ってはならない。
光よ 生まれよ!
これが最初に語る言葉である。
はじめに声があった。
声が声を発し、声が声を生む。
主体の声と客体の声は一つ。
私が声を発するのではなく、声が声を発している。
生まれよ おお 光の輝き、
生成の本質を捉えよ、
織りなす力を掴み取れ、
 
練習1
青色の空を眺める。
その空は私の眼球の丸い面から、始まっている。
その眼球から始まっている青空で、街の建物を包む。 JR の電車を包む。(歩行しながら)
歩いている人々を包む。植物を包む。そして再び眼球から始まる大空だけに、視線を移す。
練習 2
青い空を眺める。
その空は私の眼球の丸い面から、始まっている。
その眼球から始まっている青空で自分のカラダを包む。
練習3
青空を眺める。
青空で自分のカラダを包む。(ゆっくりと歩きながら)
手を動かずに、心の動きだけで天空いっぱいに吹音のSの動きをする。
大空で自分のカラダを包む。(ゆっくりと歩きながら)
大空いっぱいに吹音のHの動きをする。
大空で自分の体を包む。(ゆっくりと歩きながら)
大空にいっぱいに下方から上方に向けて、chの動きをする。
吹音には「始まり」も「終わり」もないので、すでに、はじめから存在している宇宙のS,H,CH
に乗せるように、動く。
後半のF・SH・Zの三吹音も同様に行う。

EURYTHMIE WS IN HP akirakasai 26 April

WS 5
Eー、今日は N とMの、二つの声にアプローチしてみたいと思います。この声は単純に N M と発声することも、できるわけですけども、習慣的に母音のEをくっつけて、EN ,EMとも発声します。L,Sも同じですね。これらの声は「取り扱い注意」声です。非常に繊細な側面がある声です。話し始めにE-ーというのは、どのように取り扱ったらいいのかを、注意深く判断し、ここというところを探し出します。ですから、単純に N と発声する場合と、ENと発声する場合の違いがあるわけです。
1  何度もNとENを、交互に繰り返し発声してみてください。
どんな感じでしょうか。EーN と声を出した方が、単純に、Nと出すよりも、Nの声の中にある何者かを準備するような感じがありますね。その方が N の本質的な力が出るような感じがします。このことは M の場合も同じでEーMと発声したほうが、 M の中にある力が浮き上がってくる感じがするわけです。
Hー、S-のように、息が無くても存在している吹音と、K、T、P、Gのような瞬間声、或いは打音は、宇宙において、声が誕生するその時点から異なっています。吹音は作り出された声というよりも、「もともと存在した声」です。宇宙があろうとなかろうと、H-S-は存在しているのです。「hーs、hーs」は宇宙が眠っている時の鼾(いびき)にも聞こえます。ところが、打音は発声されるまでは、どこにも存在していない「創造者の頭の中にしか」ない声です。虚なのです。そして、Kと発声された瞬間に実声になります。打音は「創造された声」です。それではNと M は虚声でしょうか実声でしょうか。ここはむつかしいところですね。息が続く限り発声できるという意味では、実声の側面がありますけども、N、Mと発声される以前は存在していない声なので、虚声的な側面まります。もう一つ重要なことは、この二つの声が鼻を通して発声する 「鼻音」であるということです。この N M という声に接近するためには忍耐強い、また注意深い声の観察が必要になってきます。次の練習は
2  吹音のHを通常の口腔で発声するHーと、鼻だけを通してH-を発声するときの違いを体験してみます。
全然違いますね。同じH-あっても、口を通るH-と鼻を通るH-は、まったく違います。この違いだけでもも身体感覚に変えるならば、すごいエネルギーが出てきます。Hはあるものを消し去ってしまう力であるのに対して、それが鼻を通ると反対に、ないものかを存在させる力に変わります。Hはもともと「修祓」、「祓い」に使う声であるのに、これを鼻で発声したら、「祓い」ではなくて反対に、知らない魔物にとりつかれるみたいですね。或いは退屈なお経を聞いてるように、次第次第に眠り込んでしまいます。
3   M N の発声において、一番大きな違いは N が舌を上顎にくっつけることによって、M は唇で息を遮断することによって、声を鼻の方に持って行きます。
ですから両方とも鼻をつまんでしまえば、声にはなりません。 M を発声する唇と N を発声する舌は違うエネルギーが流れています。唇は、「水」の働きであり、「舌」は火の働きです。ですから。 M N の発声しながら、唇の「水」と舌の「火」を感じながら、その二つの力を鼻腔に流す。そこで4  次の練習はMN、MN、M N と交互に発声しながら、二つの声によって生じる鼻腔内部をよをおーく観察しましょう。声を出さずにゆっくり息を吐きながら、鼻腔の中で N と M を交互に何度も発声します。
ここからの練習はさらに注意深く 行います。
N の場合には鼻腔上部を通って、脳の内部である「脳室」の方に向かって、無声で響かせるのです。まあ、私たちは脳室などを見た事がないので、イメージするしかないのですけども、脳室は脳の真ん中あたりに左右に存在する、脳のふたつの部屋で、そこには人間の生体のリズムのすべてを取り仕切っている、不思議な液体が作られています。医学的にはそれを「脊髄液」と言いますね。この脊髄液には二つの役割があって、一つは、リンパ系に結びついて、人間の体の老廃物を掃除してくれる役割がありますが、もう一方は、ホルモン系と結びついていて、人間の体の中に、宇宙的なエネルギーを受け取るアンテナの役割もあるわけです。
5  脳室に向かって N の力を、発声力を用いて、リズミカルに何度も流す。
鼻腔と脳室が発声力によって繋がるのです。これはは極めて重要な練習です。ここからはさらにダイナミックに、 N の下から上の動き  (声を発っするときは、舌を動かしてその上下の動きを行いますが)  を行うわけですけれども、その上下の幅をすこーしずつ広げていって、最後には尾てい骨から頭のてっぺんまでが一つの頭部となって、その下から上の動きを広げるのです。つまり頭部胸部腹部が全体が一つの頭です。黄道十二宮の宇宙動作においては、 N というのは片足で行います。 N はカラダが背骨とともに一直線になる声です。
6 片足で立って、Nを上下に、尾てい骨から脳室にかけて、繰り返し何度も力を流します。それを右左の足で交互に行います。
7  一歩一歩歩きながら、右足を出した時に次左足と両手で N を取ります。次は左足を出した時には右足とと両手でN を取ります。ゆっくり足の動きと手の動きをともに結びつけて行うのです。その時に両手の Nは、尾てい骨の高さから頭の天辺に向けて、やわらかく跳ね上げるのです。つまり、尾てい骨と脳室が発声力で結びつくようにです。片足の体の状態を、しっかり保ちながら行ってください。(休憩します)
M を鼻腔の中でゆっくりと発声しますと力は N とは反対に、鼻腔の下方に向かって、押し付けるように流れていきます。この下方に流れる力を感じ取ることができるようになったら、さらにそれを心臓の所までおろすのです。ゆっくり鼻腔で M を発声しながら、喉を通って心臓にまで届くようにです。
8  両手で M の動きをゆっくり行いながら、この鼻孔から心臓への流れを何度も繰り返し作るのです。次に歩きながらこれを行います。その時には歩行している足の動きの中にも M の力の流れを作り、全身が M となって動きます。
9  この二つのN Mを、全身で行います。最初の二歩で、Nをゆっくりと2回大きく尾てい骨と脳室の間上下にとります。次の2歩で手足両方でM の動きをゆっくり心臓に向かって流します。
はじめにバラバラであった。上下の N の力と心臓へ流れる M の力が、次第に結びついて行きます。静寂がカラダの中から浮かび上がってきます。その静寂は宇宙的なエネルギーに満ち満ちています。
「マヌの法典」を創ったマヌ。
エジプト第1王朝を造ったったメネス。
人間そのものの中の「MAN」。   AMEN(アーメン)

EURYTHMIE WS IN HP akira kasai 24 April

WS  4
ギリシャ神話の中で、鉄の鍛治技術を持つ神は「キュクロープス」と呼ばれていますね。ホメロスの「オデュッセウス」の中にも、この神は出てきますけれども、いずれも単眼の巨人です。単眼の人間のイメージは動物から人間へ至る過程を象徴しているようです。
なぜかといいますと、四つ足で歩く動物は、物質的には、両眼の目を備えていますが、内的には単眼だからです。例えば、近くのものは大きく、遠くのもが小さく見える空間遠近法は、両眼によって作られます。「遠い」「近い」のはっきりとしたり意識があり、その遠近感覚に従って、自分の体をその方へ動かします。動物はそのような意味では空間遠近法を有していません。「遠い」「近い」の感覚は、ないのです。周囲の世界の全ての者が、自分のカラダの中にあって、空間は全てカラダ中に出来上がっています。ですから、動物が歩いても、もちろん動物にそのような自覚は全くありませんけれども、言ってみれば自分の脳の中を歩いてるのと同じです。動物は外的には三次元世界に住んでいますが、内的には二次元世界です。ここから早速、練習です。
外側にある物を見る場合に、それは一つの「対象」を見るわけですけれども、その対象は眼という感覚器官を通って目の内側の網膜に映る像ですから、それは内側の「表象」です。
1  部屋の中を最初の4歩では、部屋を「対象」として見ながら歩きます。その時には「お」発声力とともに歩きます。次の4歩は「を」の発声力とともに歩きます。「おーーー」「をーーー「おーーー」「をーーー」と交互に対象、表象、対象、表象として歩くのです。これは一種の眼球による呼吸のようなものです。そしてこの呼吸に合わせて二つの母声を使い分けるのです。これを練習しますと体の感覚がしばらくするうちに変化していきます。そしてその変化をよーく感じ取れるまでほぼ、1、2分持続して歩きます。できるだけリズミカルに。そのうち次第に感動的な気分になっていきます。なぜ感動するかでいますと、動物 から人間存在に進化するからです。また逆を言えば、カラダの中の人間であったものが、カラダの中の動物性に目覚めるからです。
2  次元性でいいますと、対象として見る場合には、三次元性の明るい世界ですが、表象で見る場合には内と外が一つですから、やや暗い二次元世界に移行します。この次元性の変化に合わせて、「おーーーー」「をーーー」とズミカルに結びつけながら歩行します。
それまでの生活の中で、無意識のうちに生じる様々な感覚の変化や、呼吸の変化に対して、意識的に向かっていきますと、それまで融合していたものが一度、分裂して二つにわかれます。これは、母国語でいいますと、それまで意識しなかった文の結びつきや発声に関して、文法や音韻に目覚めることによって、分の結びつき方に対して意識的になります。これは自分の言語的生活に対する一種の「反省」です。自分の体に「反省の気分」を与えますと、体の中に「客観的な静けさ」が生まれてきます。この「を」「お」の交互の歩行においても、それと同じで、これを行ううち、にカラダ中がシーンと静まりかえってくるのです。この「静寂」は体が変化する上では、とても重要な瞬間です。
3 この「静寂」が訪れたら、すかさず第3番目の課題に移ってください。次は対象と表象に分裂した世界をもう一度意識の力で結び合わせるのです。3番目のリズムが入るわけです。四歩リズムは、変わりませんけれども、始めに対象の「お」歩行、次が表象の「を」歩行4歩、次に表象の「を」を、外の対象に重ねて「WAーーー」と強く発声力を流しながら4歩、歩きます。
「おーーー」「をーーー」「WAーーー」、この「WA---」の時には発声力を頭部と両手と両足と五つの方向に向かって強くナースのです。これを何度か繰り返します・・・・・・・・
第2回第3回そして今日の第4回かけて、「を「「お」の練習をいたしました。全体の流れをもう一度箇条書きにいたします。この練習は六つのカテゴリーから成り立っています。
1  「を」と「お」の発声力による力の流れと身体感覚。
2  四つ足でしっかり床を歩き回ることによる動物性の目覚め。
3  「をーー」は膝蓋骨と肩甲骨を通して外へ。「お」は両手及び上部の頭部の方に向けて発声力を流す。
4  「を歩行」と「お歩行」による、リズミカルな表象と対象の分離。
5  静寂。
6  「WA--」による融合歩行。
最後にWA声について一言。フランスの言語学者 エミール・ バーンヴェニスが王権 について面白いことを述べているのです。ヨーロッパの王権には2種類あって、神から実際に王権を授与された王と、王冠や王杖よ持つことによって、「形の上で王」になったものの違いについてです、誠に「王権神授」で王になった者は  WANAKS  の称号を持つと。
W+母声によって作られるコトバ例えば:ドイツ語のDas Wunder  奇跡
                         英語の  wonderfullyワンダフル winner勝利者
日本語では、「WAーーすごい!」とか  「WAーー面白いとか。」要するにW声なのです。W声は「世界」であるとか「我」であるとか、最も根源的な声ですね。

EURYTHMIE WS IN HP akirakasai 3

WS 3   2020 4 22
今日は、空いっぱい雲が広がり、その向こう側の太陽光線によって、地上に流れてくる陽の光は軟らかく、家々や木々の間の空気もさらに静けさをましたような感じがいたします。私は目を覚ますとすぐに、体を動かすくせがあります。今日はイタリアの歌姫マリア・カラスの歌を聴きながら、飛んだり跳ねたり。曲名はCAVALLERIA RUSTICANA。『ゴットファザー3』を思い出しました。このオペラが鳴り響く劇場の中での毒殺シーンです。
では、昨日の続きをいたします。テーマは、「を」と「お」ですね。
この二つの声が、人間の中の動物性と人間に係りがあるというところまで話をいたしました。動物といえばまず形態的に思うのは、「四つ足」で歩く、ということです。このときの、動物発声の母声の代表が、「を」と言っていいでしょう。このHPワークショップはただ、読むだけでも、いいのですけれども、カラダと一緒にやっていただくならば、ここで、次の実習を入れたいと思います。
1   私たちが赤ん坊の時に、ほぼ1年間、やり続けた四つ足歩行です。声は出さなくて結構ですが、「を」を感じながら、部屋のあちこちを歩き回ってください。人間であることを中断して、静かに歩き回るのです。この歩行だけでも、すごい力があるのです。人間を一瞬のうちに、動物状態に変えてくれます。そして、それまで忘れていた本能的な力が黙々とわき上がってきます。例えば疲れた時に、仰向けに体を横にして力を抜いているならば、必ず体の中から、治療的力が出てきます。同じように、この四つ足歩行は、忘れていた本能的な力、「外的な動物」が目覚めるのです。ポイントは、オイリュトミーですから、動いてみるだけではなく、それを常に身体感覚に変え、次にそれを、力の流れに変える、ということですね。この力の流れがはっきりつかめるようになりましたら、それを、いつでも取り出せるように、胸の奥の方に、しまっておいてください。引き続いて・・・・・・・・・・・・
2  単純にこの二つの声 「を 」と「お」を交互にゆっくりと声を出して発声いたします。次は声を抜いて発声力だけの、「声なし発声」します。「を」は肺の方から軽く絞り出すように、「お」の時には、口腔から頭部の方にやわらかく響くようにです。
3   この二つの身体感覚とエネルギーの違いが明瞭に区別できるようになりましら、「を~」の場合には、肺から直接、左右の肩甲骨を通して、それから下方に向かっては、二つの膝のお皿の骨(膝蓋骨)を通して、発声力を、左右と下方に向かって、四方に広げます。「お~」の場合には、オイリュトミーの「お」形をとりながら、両手と頭骨の円さ全体に向かって、発声力を流します。「を」の時のやり方は、肺を絞りますと、すぐにカラダの中の動物的力が流れ出ますので、それを肩甲骨と膝蓋骨に結びつけて外に広げるです。これは人間が「内的な動物」に変わる、エキセントリックな瞬間です。{お」の場合には、この力が上方に向かって流れることによって、人間の中の「至上の人間」が、目覚め始めるのです。1の練習は、四つ足ですが、2、3の練習は、直立して行います。この1、2、3、をセットにして、3回繰り返します。すると、このような二つの力を人間の体の中に、流し込んでくれているものに対する、「畏敬の気分」がわき上がってきます。
この人間のなかにおける動物性と人間の違いは、人間の身体器官、感覚器官や、消化器系あらゆるところに広がっています。これまでこの問題は主として、人間の植物性と結びついている「平滑筋」、動物性と結びついている「横紋筋」、人間性と結びついている「心筋」の領域から考えられてきましたけれども、この三つの領域にオイリュトミー的言語作業を結びつけるということは、これからの、カラダを捉えるうえで、重要な入口です。
次回は、この二つの母声と眼球、視覚との関わりを、体験してみたいと思います。
今日も安らかにお過ごしくださいますよう。

EURYTHMIE WS in TENSHIKAN 2 akira kasai

WS  2
時計を見ると、もうすでに、20時を回っています。で、皆さんこんばんは。今日1日いかがお過ごしでしょうか。私は今日は1回だけ、夕方に近くのポストに郵便物を出しに行っただけ、あとは家でのんびり。でも、外は裏寒い、小雨の降る1日でした。
さて、今日のWSは、日本語の「を」と「お」についてやりたいと思います。日本人にとって、この二声はすっかりカラダの中に入っていて、その違いは、無意識のうちに了解しています。「あなたを」「私を」という言葉を、「あなたお」「私お」、と発声すると、何か変です。声のやわらかさが消えてギスギスします。辞書で調べますと、「大人」は「おとな」で、「幼い」は「をさない」と記されています。「面白い」は「?もしろい」・・・・「おかしい」は」「?かしい」・・・さーて、どちらでしょうか。答えは、「おもしろい」と「をかしい」です。まあ、金田一京助さんはそう言ってるのです。
一般的に「大きいもの」に対しては、「お「を使い、「小さなもの」に対しては「を」使うといっていいと思います。が、動物が吠える時の声はイメージからして、「おーーー」ではなくて、「をーーー」になりますね。「おーーー」と 吠えられると、なんか優しさまで感じ、逃げる気がしません。「を~~~」は本能的で、何されるかわからない恐怖心を感じます。「おー」は空間的には、しだいしだいに、大きく広がっていき、世界を包むような柔らかさ、愛情、優しさを感じますが、「を~」は、外に広がるというよりも、反対に、内にこもり、引き込まれるれるような感じがします。極端な言い方をすれば、ブラックホールの内部の音みたいです。(ちょっと単純ですかね!)
「お」を取る時の腕の形は、できるだけ肘に角度をつけずに、やわらかい曲線で、手の指も観音様のように優しく、指の間をあけずに、親指も離さず、空気のような円形を・・つくり・・ま・す。・・・・・・・・・・・・(眠ってしまいました)
(一夜明けて、)
それでは、(を)の身体動作についてですが、これは、(お)ほど単純ではありません。微妙で、いくつか取り方が細かくいえばあります。
1  「を」をW行の「を」として取りますと、両手を円形にして、両手を下方から上方に、少し腕の力を抜いて、腕の中の空気を抱くように、両手を円形に動かします。(ここで何度か、「お」と「を」を交互に行いながら、「感覚の違い」を、味わってみてください。)
2  次は動物が吠えるような「を~」です。単純に「お」とやわらかく発声するのではなく、少しカラダの奥の方から方から出てくる声です。発声の時に、喉と同時に、肺を絞るように出します。腕の動きとしては、この時、肺を絞るような力とともに腕を持ち上げます。
肺を使った発声は、「お」声には全然、向いていません。つまり、「を」は肺、「お」は喉にむいており、発声において、上下の違いが、ありますね。この「を」と「お」の違いを、カラダの中で、探っていきますと、誠に興味深い人間のカラダの構造に出会うことになるのです。人間のカラダの中には、動物的な部分と人間的な部分の両方がはっきりと、存在します。「を」をカラダとともに、繰り返し繰り返し発声するのです。そうしますと、ゆっくりと、人間のカラダの中に眠っている「動物領域」が目覚め始めるのです。これまで自分でも気がつかなかった動物が、動き始めます。。。反対に「お」を明瞭に明るく発声しますと、「人間領域」が、明確に意識されます。ですから、この違いは、単に人間と動物の違いであるというだけではなくて、カラダの中の「自我」の領域と「アストラル体」(アストラル体 とは、惑星のことです。人間は眠っている間は、無意識感情がだんだん広がっていって、七つの惑星領域まで広がっていきます。この拡大したカラダのことそ、アストラル体と言います) の領域の違いなのです。
自我とアストラル体の違いは、コトバの概念の違いとして、理解するのではなく、身体感覚の違いとして、としてはっきりと、掴む必要があります。もちろん、この違いは、「を」と「お」の違いだけにあるわけではありません。もっと単純化していってしまうならば、自我の力は「喉頭部」に集中し、アストラル体の部分は肺に集中しています。肺と喉から全く異なったエネルギーがカラダに流れ出すのです。このことはさらに深い人間と動物のカラダの違い、ひいては神様が「動物」を造った根拠と、人間を創った根拠の違いにまでさかのぼっていく程、深いのです。
少し時間をかけますので、この先は、明日にいたしましょう。
今日はまだ少し曇っていますが、安らかな1日をお過ごしください。