ダンサーによる、批評視座

ダンサー主義と作品主義 ある辞書で「ダンス」という項目を引いてみましたら、「意識された人間の身体運動」、という言葉に出会いました。誰が書いたものかわかりませんが、これほど簡潔に「ダンスとは何か」を言い表した言葉はないかも …

自爆テロは最終自己表現か 19

ここで私たちは、戦争の二つの方向性を明瞭に見て取ることになります。それは騎士道的な精神がまだ生きているところの戦争と、もはやそのようなものが消滅し、政治的、経済的、植民地的目的を有する戦争です。例えば近代戦争において、そ …

自爆テロは最終自己表現か 18

純粋な「祭り」としての太古の神聖戦争、それはほとんど今日文献としては、残っていないでしょう。けれどもそのような神々と人間との結びつきの中において行われた、この純粋な祭りとしての戦争が、まず人類の歴史の黎明に存在していたの …

自爆テロは最終自己表現か 17

祭祀において祀られるのは神であり、祀るのは、人間の側です。なぜならば、「祭り」は天と地との間の取り持ちであり、ここを祭ることができるのは人間だけです。このとき祀られる対象である神と結びついているプルシャと、祭りをとり行う …

自爆テロは最終自己表現か 16

天界における天火水地の「悪の可能態」が、地上において四ヴァルナ制 という「悪の事実態」に変化するということが、戦争の始まりであり、歴史の展開です。そこから、後世のすべての地上の戦争が生じたのです。アルジェナが述べるように …

自爆テロは最終自己表現か 15

地上に四ヴァルナ制度が生まれる以前、すでに霊界において根本原質としてのプラクリティーから天火水地の四つの原理が生じています。けれどもそこでは、「天」からバラモン、「火」からクシャトリア、「水」からヴァ―イシャそして「地」 …

自爆テロは最終自己表現か 14

梵天の中に宿る神我は、観照者、傍観者であって、宇宙の基盤をなしている霊体、魂体、肉体の三つの「体」を生み出している根本原質(プラクリティー)には一切、関わりません。三つの成分はプラクリティーから発生します。霊体から純質が …

自爆テロは最終自己表現か 13

バガヴァッド・ギ―タ―が述べているのは、ただ次の一点だけです。この世界において「過ぎ去りゆくもの」と「永遠にとどまるもの」、この区別を、人間に立てられるか、という点においてだけです。そして、バガヴァッド・ギ―タ―において …

自爆テロは最終自己表現か 12

感覚世界ばマーヤである、そして、人間はすでに昔、神聖なバガヴァットによって、殺されたのである、人間は単なる外観上の殺戮者であるに過ぎない、人間が感受する感覚世界はその生においても死においても、「仮象」である、そして、それ …

自爆テロは最終自己表現か 11

自ら が幻術を生み出すことによって、人間に悪の事実性を行わせしめた後に、クリシュナは、その根源の姿を現します。 予は世界を滅亡せしめる時(カーラ・死)である。 諸世界を収斂するためにここに出現したのである。 たとえ汝がな …