だんだん地球が汚れていく………原発汚染水を海に流したり………山火事、異常な暑さ、ゲリラ豪雨………人災、天災………いつの間にか人間の魂までも蝕まれていく………誰も望んでいないのに。

朝、今日も外歩きした………エム、エヌ、エム、エヌ、と口の中で唱えながら………家の前の道に戻ってくると………お隣さんとお向かいさんが、花の水やりをしながらお喋りしている………お二人から「お帰りなさい」と声をかけらる。心も体もホッとする。

『ヘルマン・ヘッセ詩集 片山敏彦訳』(みすず書房刊)を開くと、セピア色に変色した中表紙の下方に「With all my heart    Hisako」とわたしの拙い字で書いた英文と1962.8.26と本を買った日付が記してある。奥付を開くと、昭和37年5月10日 第1冊発行 ¥300………随分安かったな。

1962年は昭和37年。私はこの詩集を本屋で手にして直ぐ求め、結婚し、子育てし、ドイツに持って行き、帰国して………わたしのどこかにあった。

本の冒頭の「閑な思想」は、第二次世界大戦がたけなわだった頃、ヘッセから手紙で送られてきたことを「序に代えて」で訳者片山敏彦が1945年12月に記している(その時、私は一歳)。続いてヘッセ詩集が編まれている。

あれよあれよと黙示録のように進んでいく世の中を生きている78歳の今の私に、簡潔で、嘘のない、易しく率直な、詩人の言葉は、今もな力強く響いてくる………。

「盛夏の省察」  ヘルマン・ヘッセ 片山敏彦訳

丘の斜面には 雑草の花々ひらき

褐いろの箒の形して えにしだの樹は硬(こわ)ばる。

五月の森の あのふくよかな緑のさまを

今はもう鮮やかに思い浮かべるよすがはない。

 

つぐみの歌 かっこうの声を ありありと

思い出でるよすがもない。

人の心を動かしたあれらの歌が

もう忘れられ 消えた。

 

森の夕べの 夏の祝祭

高い山の端の満月を

誰が記し留めたか、誰が今も持っているか?

それらはすべて もう消えた。

 

やがてまた 僕のこと君のことをも

誰一人知らなくなり語らなくなるだろう。

ここには別の人らが住むだろう、

僕らがいなくても、誰も惜しくも思うまい。

 

僕らは待とう 昇って来る夕星を、

また、初めてたなびく夕霧を。

悦んで僕らは花咲き そして枯れて行こう

神の大きな園の中で。