今再び、シモーヌ・ヴェイユの言葉

シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」を読む。岩波文庫の表紙カバーの文章に「ドイツ占領下の祖国再建のために起草した私的憲法案。亡命先で34歳の生涯を閉じたヴェイユ渾身の遺著」とある。
ヴェイユが亡くなった1943年の翌年生まれの私が34歳の頃、三人の男の子の子育て真っ最中の私にとって、ヴェイユの評伝から浮かんでくる、彼女の素晴らしい頭脳、容姿の美しさ、男勝りにタバコを吸うカッコ良さ、堪え難い偏頭痛持ちさえをも加えて、ヴェイユは、憧れの人だった。とはいえ、就寝前に読む「重力と恩寵」の数行は、私にとって、単なる甘美な睡眠薬だった。あれから、40数年経った今、コロナで閉じ込められ、壊れていくカラダを言い訳に、怠け者になりつつある私にとって、彼女の言葉は、私の魂の覚醒剤だ。
「根をもつこと」の第一部『魂の欲求』は「義務の観念は権利の観念に先立つ」と始まる。今日世の中で、先ず声高に叫ばれる「権利」は?と最初から考え込みながら「自分に救う手立てがあるときに、だれかを飢えの苦しみのうちに放置しない。これが人間にたいする永遠なる義務のひとつである」まで読んでほっとする。人間が創り出した文明に、いつの間にか人間自身が壊されていくような日々、ヴェイユの言葉から、諦めかけ眠りかけた私の頭に向かって、清々しい風がふいてくる。