2009.1.11

ベニサン・ピットFINAL エルフリーデ・イェリネク作『ウルリーケ メアリー スチューアート』川村毅◎台本/演出、いう案内状を昨年頂いた。えっ、ベニサン・ピットが無くなるの?
イェリネクと言えば、2004年にノーベル文学賞を取ったオーストリアの作家で、私と同年代のとても刺激的な女性。川村さんの演出で、手塚とおるさんも出 演なさる。内容ともども魅力があり、観に行かなくては、というわけで、7日の夜出掛けた。それにしてもベニサン・ピットが無くなるのは惜しいことだ。ダン サーの上村なおかのソロ・リサイタルや、麻実れいさんの「黒蜥蜴」、手塚さんの芝居など、そのつど国分寺から東に向かって一直線、都心を通過して隅田川を 渡り両国まで。そこからタクシーで隅田川左岸劇場に赴くのが私の行き方だった。何時ものことだが、ベニサン・ピットと書かれた古ぼけた蛍光灯の看板の下で タクシーから下ろされると、とたんに方向感覚を失ってしまう。昼の人間の営みも終わり、闇の中に深く沈んでいるような黒々とした町並みにひとり取り残され たような錯覚に陥る。劇場の入り口に回ると、開場まであと数分。闇の中から次第に人が集まってくる。倉庫のような厚い鉄板の扉に掛けられた南京錠がはずさ れ、さあ創造現場の溶鉱炉にどうぞ!ベニサン・ピットは何時もそんな不思議な体験をさせてくれる所だ。1970年代のベルリンの「赤軍派」事件と日本のあ さま山荘事件の日本赤軍派をオーバーラップし、「総括」「粛正」「革命」[闘争」などイデオロギーで武装した言葉が渦巻いていた頃の、私にとっては昨日の 様に思えることが、パレスチナ問題、世界的経済恐慌、雇用問題など様々な危機的状況の今日に結びつけられて見えてくる。さてその夜、川村さんの創造現場 は、出演者たちの熱も高まり溶鉱炉はフル回転だった。
帰路はひたすらに西に向かって国分寺までまっしぐら。今私は何が出来るのだろうか?なにをすべきか?などと思いめぐらしながら。凍てついた冬の夜、でもカラダの中はあたたかい。